ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

失敗を恐れずに

2019-05-13 09:01:49 | 身辺雑事
   オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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私が今習っているもののうちの1つ、チェロは、いくら趣味と割り切っているとはいえ、こんなにも遅々として進まなくていいのか、というくらい歩みののろーいレッスンとなっております。
もう、先生との相性が悪いんじゃないのか、と思うくらい。
その先生がこの前、おっ! 久々にいいこと言ったんじゃねーの、と思ったことがありました。



それは私が課題曲を弾いてみせたときでした。
「う~ん、弾けてるんだけど、坪内さん、弓を動かしすぎ」
と言われました。
「あ~、それ、自分でも自覚しているんですけども、どうしてもA線弾いてるときにD線にも触っちゃいそうな気がしてつい、絶対触らないようにと思うと大げさな角度で弓を動かしちゃうんですよね。」
と私が言うと、先生は、
「どうして重音をそんなに怖がるの?」
とおっしゃったんです。
え? と私は意表を突かれた気がしました。
だって・・ そりゃクリアに音を出したいって思うのは当たり前でしょう? と思ったからです。
そうしたら先生は、
「あんまり激しく角度を変えずにクリアに音が出るのが確かにいいんだよ。でも、重音が出るってことはあんまり弓を動かし過ぎてない証拠だからむしろいいことなんだよね。発表会で弾いてるわけじゃなし、重音が出ちゃったら出ちゃったで、あぁ、私はあまり弓の角度を変えずに弾けているな、って思えばいいだけのことなんだよ」
とおっしゃったんです。
そしてにこっと笑って、
「そういう風に言うとね、なぜか皆さん、あまり弓を動かさずに弾いても重音を出さなくなるんだよね。不思議と」
と続けました。



なるほど・・。
私は、犯してもいないミスを恐れすぎるがゆえに大げさにそれを避け、みっともない演奏になっていた。
ミスしても、そのミスは「おっ、より良いポジションに近づいている、近づいている」と思えばいいだけだったんだ。
そう思ったら確かに気が楽になり、かえって重音を出さないように弾けそうな気がしてきました。
そしてこれと同じようなことを人生でも犯しているな~と思いました。
できれば失敗したくないから、そもそもそこには近づかないとかトライもしてみない、というようにしていることがあるような気がする。
それも「この年になってみっともないマネはしたくないから」なんて思い、柔軟性がなくなっているからのような気もする。
年を取ってくると大きなミスもするけどそこからの学びも大きい、というようなハイリスクハイリターンを求めなくなり、ローリターンでもいいからローリスクに走ろうとする・・
あるいはそもそもミスを犯さないように、ではなく、自分で自分を最初から正当化しようとしたり・・



昨日いらしたお客さまは、その方も副業で占いをやっていらっしゃる方でした。
雑談をしていたとき、その方が、
「わたし、自分より年上の人をみるときが1番いやだ」
とおっしゃったので、私はつい自分より目上の人は自分より人生経験も豊富だろうから、という緊張が走る、という意味かと思ったらそうではありませんでした。
彼女いわく、
「そういう年配の人に限って、『では、今日は何のことについて占いましょうか?』って言うと、『私はね、もう自分のことなんていいの。もう私の事はどうだっていいから、私以外の家族がこの先もうまくいくかどうかみてやってくださらない?』って必ずおっしゃるの。
それ聞くと、すごくイラッとする。
だって、その言葉には絶対嘘があるから。
自分のことがどうだっていいわけがない。
自分のことが全くどうでもいい人が、占いにくるわけがない。
だって、他人のことなんかどうだっていいはずじゃない。それがいくら自分の娘や息子のことであったとしても。
彼らはあなたがここへ占いにこなくても、ちゃんと自分たちのことは自分たちでしますよ。それを信じてらっしゃらないんですか?って言いたい。
だったら、『お母さん、今日占い師さんのところへあなたのこと聞いてきたんだけど、こうおっしゃってたわよ。だからそうしたほうがいいわよ』なんて進言するつもりなんだろうか? また、彼らはそれを素直に聞き入れるとでも思ってるんだろうか? そんなわけないことぐらいちょっと考えたらすぐにわかること。
結局、自分のことが知りたいに違いない、ってわかってるの。
それでいいのに、なにかいい人ぶっちゃって、自分は主人公にならなくていいんだ、みたいなつもりで、私は自分のことはどうだっていいの、っておっしゃる人が年配の人には多いから、だから嫌なの。どこへでも出かけていってはその場の主人公になりたい、っていうのがみっともないと思ってるっていうのはわかるけれど、占いで自分が主体にならなくてどうするの。」



ごもっとも。
耳が痛かったです。
私はこれまでにたぶん、「私はもう自分のことはいいの」って言ったことはないと思いますが(だって、もういいの、なんて思ってないから)、年を取ってくるといかにも自分は一歩下がって見せる余裕ぐらいはありますよ、なんて見せる必要はあるだろうかみたいに思ってしまうときは多々あるから。
そんなところでええかっこしぃする必要なんてさらさらないな、と思ったことでした。
そして加えて、いくら年齢を重ねても失敗も恐れる必要もない。
その失敗したら命とられます、なんてことだったらまた別だけれど、そんなシチュエーション考えられないもの。
初めから失敗を恐れずにやった方がかえってリラックスできて良い結果を生むことになる場合もあろうかというのに、最初から失敗を恐れすぎて腰砕けみたいなことになったらしょーもないわ。・・・と言いながら、つい人間ネガティブな方を見ちゃいがちになるもの。
年齢を重ねてきたからこそ、より大胆にいこう、と思ったことでした。


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