ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

新しい発見

2019-09-06 09:01:12 | 身辺雑事
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
9/11(水)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
9/14(土)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
9/16(月・祝)10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席 
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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父の三回忌法要に行ったときに時間を巻き戻します。
あ、内容は抹香クサいこととは全然関係ないです。
すべてが終わり、母が住職の奥さんと世間話をしているときでした。
なんでそういう話になったのかは思い出せませんが、母はこう言ったのです。
「お父さんはねぇ、この子(私の事)に大学出たら、銀行かどこかに半年か1年ぐらい勤めてそれで辞めて結婚すればいい、って言ってたんですよ。
それで○○銀行なんかはどうだ? って話を持ってきたのにこの子は見向きもせずに自分で何社か入社試験受けて別の会社に行っちゃったんですけどねぇ」
はぁ~~~~~!!!???
寝耳に水ってこういうこと? って感じでした。



父から、
「おまえはどこかに腰掛け就職してそれから結婚して主婦におさまればいいじゃないか」
なんて話は生まれてから父が亡くなるまで爪の垢ほども聞いたことはありません。
断じてありません。
しかも、そういう考え方をしている親なら、そのものズバリのセリフを聞いたことはなくても、だいたい家庭にいつもそこはかとなくそういう考え方の父なんだなぁ、という空気感というものが漂っているはずじゃないですか。
それも微塵もありませんでした。
むしろ真逆だったと思っています。
「女は腰掛け就職」
「ちょろっと世間の風にあたってきたら、あとは見合い結婚」
「その後家庭に収まればいい」
こういう考え方をしていた親なら、
「女がいつまでも男と張り合って仕事しようなんて考えないほうがいい。婚期が遅れるだけだぞ」とか、
「どうだ? 好きな人はいないのか? いないのなら見合いでもしてみないか?」とか、
「女はやっぱり早めに結婚して、早いうちに子どもを産み、家庭に収まった方が幸せだぞ」
とかの言葉を始終聞かせられてもよさそうなものです。
けれど、私の記憶にある父の言葉はこれらとはむしろ真逆。
「これからは女だって、男女平等で男と同じ賃金をもらえる世の中なんだから結婚せず一生ひとりだって生きて行こうと思えば生きて行ける」
「腰掛けなんかで会社に勤められたら、会社が迷惑だよな」
「見合いまでして結婚しなくてもいいだろう」
「子どもを産む、産まないもこれからはその選択は自由」
というものでした。
いったい、私が就職をするときから考えたら半世紀近く、父が亡くなってから2年たって初めてこんな話を聞かせられるなんて、コペルニクス的大転換、雨が地上から天に向かって噴き上がるくらいの衝撃的な話でした。



父が実はそういう考え方の持ち主だったとしても、それで父の人間性を疑う、とか父に対する思いが変わるということがあるわけではありません。
今と違って、今から40年ほども前の話です。
当時はまだ「女だてらに・・」とか「女というものは・・」という言い方が色濃く残っていましたし、ましてやそれよりさらに前の時代を生きた父が青春を謳歌していた時代の戦中~戦後にかけては完全に男社会でしたから、父がそういう考えを形成してきたことを古いとか間違った考え、と決めつけることはできないからです。
ひょっとしたら父は、内心では母に私のことを
「ちょっと社会の風に当たってそれから家庭に入って幸せにやってくれたら、俺らも一番安心だよなぁ」
なんて言いあっており、それが本音だったのかもしれません。
けれど私の様子を垣間見るにつけ、どうやら、コイツはそういう考えではないらしい・・というのを読み取り、ならば、本人の意志を尊重してやろう、と私の前では言わないようにしてきたのかもしれません。



待てよ・・
私はまったく身に覚えがない、と思っているけれども、もしかしたら多少はそれに近いことを父は私に言ったことはあるのかもしれない。
でも私が、あまりに私自身がつくりあげた父親像とは違うことを言うから、
「はぁ~????」
という感じですぐにスルーしてしまっただけのことかもしれません。
そういえば、うっすらと思いだしたけれど、母が住職の奥さんに言ったように、
「おまえ、就職どうする? ○○銀行とか受けてみる気はないか?」
ということを言ってきたことがあるように思い出しました。
しかし、私が数字オンチで数字を見るだけでも頭が痛くなるタイプだということは知っているくせになんでよりによって銀行なんだ? と思った私は、
「な~い」
と一言だけ言ってその話題をおしまいにしてしまい、それ以来完全に忘れ去っていただけなのかもしれません。
もし父がもう少し具体的に、
「おい、お父さんが昔勤めていた○○銀行はいいところだったぞ。その当時の知り合いがまだいるから、もしお前が受けてみるだけでも受けてみる、という気持ちが少しでもあるなら、ちょっと話だけでも聞いてみてやるが、どうだ?」
とかから始まれば、私だって少しは真面目に考えてみよう、と思ったかもしれません。(まぁ、それでもないけどね)



父の私に対する言動と内心が違っていたとて、別に父の人間性を疑うわけではないけれど、と先ほど言いましたが、それより私はまるで自分がパラレルワールドを生きてきたかのような、一瞬足もとがすくわれるような、現実を生きてこなかったような妙なふわふわとした感じがしたのでした。
私は自分がてっきり、
「女だと言って甘えるな。これからは男女平等の社会なんだから」
という厳しい家庭で(考えてみれば、これを「厳しい」と思う私こそ、まだまだ偏見があるな、と気付きました。当たり前のことなだけであって、こういう思想の持ち主が親だったことが厳しくもなんともないもんね)育った、と思いこんでいたけれども、実は私が父の思いに気付いていれば、
「女は適齢期で結婚して家庭に入るのが幸せ」
という考え方を私自身してきたかもしれないのだ、と思うと、
「いったい、今居るわたしって誰?」
というような気持ちになったのでした。
そう考えると、人は幼い頃から両親にある意味洗脳されて生きてきており(両親の価値感を吹き込まれている、という意味)、それが良くも悪くも喜びになったり、トラウマになったりしながら今の自分を形成しているのだ、という心理学的な考え方をずっと信じてきたけれども、ひょっとするとやっぱりそれ以上にその子どもが志向する方向というものは厳然とその子自身がもう決めて来ていて、両親の影響なんか受けていないのかも、と思ったりもしました。
なんか面白い発見をしたような妙な気分になった日だったことでした。



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