ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

思考に感情が追いつくとき

2011-10-11 09:06:00 | オーラソーマ

皆さんは、自分の身に起きた、あるいは自分と深く関わりがあった特定の人物に対して、どういう感情を抱いたら良いのかわからずにとまどった経験はありますか?

一体これは喜ぶべきことなのか? 悲しむべきことなのか?

前途多難なことなのか? 意気揚々としていいことなのか?

感謝すべきことなのか? それとも憎むべきことなのか・・・?

これらの一見真逆に見える感情に両方から思いっきり引っ張られて、心が張り裂けそうになってしまったことはありませんか?

例えば・・・ そうですねぇ。

いきなりご主人に単身赴任の命が下る。

これをほかの家族全員にとっても1つの転機だと捉え、明るく送り出すべきなのか、いやいや、家族はいついかなるときも常に行動の源となる巣は同じくあるべきなのだ、と反対すべきなのか。

例えば、いきなり会社を解雇の憂き目にあう。

そんな会社の処置を憎むべきなのか、これも次に進めることになったのだからよしとして今までのことに感謝しようと切り替えるべきなのか。

例えば、子どもが反対していた交際相手とついに結婚することになった。

もうあきらめて祝福すべきなのか、今後の苦労が目に見えているのだからと憂うのか。

まぁ、こんな感じでいろんなことが考えられます。


少し前、私はそんな思いをしました。

オーラソーマと親しんでいるので、つい職業柄か自分のことながら傍観者のようにそれをどういうことになるかじっくりと観察している自分がいました。


そこで自覚したことは、それらのすべての感情が自分のなかに内在している、ということでした。ほぼ同じ強さで。

思考に感情がついていかないでそれらが両極に同じ強さである、というのとはちょっと違うのです。

感じる心そのものに両極に位置するようなものが内在している。

私にとってはそれをどういうふうに考えるべきなのか、で片付けようとすれば、それらは「喜ぶべきこと」で、「意気揚々としていいこと」で、「感謝すべきこと」に違いありません。

本気で100%それらの感情だけに包まれたら、とても幸せでしょう。
けれど、どうしても「悲しむべきこと」で、「前途多難なこと」で、「憎むべきこと」だ、という感情も厳然として、ある。

こういうふうに「べき」という考え方、言い回しが出てきてしまうこと自体、良くないことだ、という思いも、ある。

それは、その感情をじっくり味わい尽くす前にそれを打ち消す考えが働きセーブがかかるがために、いまだその感情を味わいきっておらず、そのためにぐずぐずといつまでもその両方の感情のなかでたゆたう羽目になっているのだ、ともうひとりの自分が分析、忠告する。

ならば存分にその両方の思いを味わい尽くそう、とするのだけれど、そんなこととは別に「はいはい、ごめんなさいよ~ ちょっとお邪魔しますよ~」と入り込む日常の雑多な仕事や家事、思いもあって、なかなかにその感情を味わい尽くす、ということができない。

でもいつもそのことが頭にあるので、ついつい考え込むようなことになり、普段より口数が少なくなったり、鼻歌も出ない自分がいることがわかる。

そうするとその波動が家族にも伝わり、同じ家のなかにいてもどこかぎくしゃくしたり緊張が走るようになる。

あぁ、だめだ、だめだ、ひきずっちゃ~、こんなことで家族を巻き込んで迷惑かけちゃなんて頭を横に振る。

こんなときです。

感情が先か、思考が先か、と考えたら、そりゃあ感情のほうが理屈抜きにすぐに湧き起こるものでしょう、と思うのですが、実際はそうではない、ということに気付きます。

思考が「これはむしろ歓迎すべき喜ぶべき出来事なのだ。」と結論づければ、思い切り感情の針もそちらに振れればいいんだぁ、とばかりに従うような気がしますが、思考がまだどちらに振れたらいいのかはっきりとその方向性を示さないうちは、感情もどちらに振れたらいいのか決められずに、感情を失ってしまった人形のようになってしまうのです。

これは感情の船頭役が思考であることの証拠でしょう。

こんなときです。

「マインドで考えるな。ハートに従え。」ということがいかに難しいか、を想うのは。

難しいことだからこそ、それを指南するようにずっとアジテートし続けないといけないのかもしれませんね。

マインドで考えずに、ハートに従うことが難しいときは、とにかく体を動かして行動してしまう、というのも1つの手です。

マインドもハートも肉体についてくる、ということも言えるわけですね。

私たちの足の下にあるアーススター、お腹のあたりにあるインカネーショナルスター、そして頭の上にあるソウルスターが一致をみるときです。

結局、どれがブレても、どれが先走ってもいけないのでしょうね。

不思議なことですが、私がこの両極の揺れ動く感情にとらわれることになった出来事に出会う前、1週間ぐらいやけに頭がクリアになって夜更けても眠くありませんでした。(まだ、何も起こっていないのにですよ! 厳密に言うと、起こっているけれどそれを知らないときに。)

そして、日中も眠気が襲うことはありませんでした。

だから1日3,4時間しか睡眠をとっていませんでした。

それで平気なんだから、わぁい、多くの自由になる時間が増えた、と思っていればいいのですが、不思議なもので、人間というのは眠れないと眠い、というあのけだるい感じが懐かしく愛おしく思えてきてしまって、寝なくちゃ、寝なくちゃとただ悶々として時間を浪費してしまっていました。


そしてさらにそれよりわずかばかり前、私はB94「大天使ミカエル」とのワークを始めました。

初日ミカエルは非常に混ざりにくく、2日目、今度は逆にきれいに混ざったかと思うとシェイクカラーがなんとグレイになり、それは私の身に起こることを薄々暗示されたかのようでした。

ミカエルのメッセージ数々あれど、私にはミカエルがその右手にもった剣で、何かを断ち切るのだ、ということしか今回の自分のワークには必要でないような気がしていました。

それが何であるかも気付かないままに。

そして「断ち切る、断ち切る、断ち切る・・・何を・・・?」と呪文のように毎日唱え続けていた矢先、ふっと「そうか。断ち切る、というよりは『しがみつかない』という言い方のほうがすんなりと受け容れられそうだな~」と思ったとたん、それが何のことであるか思い切り見せ付けられる出来事があったのでした。

B54「セラピスベイ」とワークしたときもそうでしたが、現実に起こっているシリアスな状況とは別に、ボトルとワークすること自体は楽しくて楽しくて仕方がなくて、バシャバシャと使いたくて仕方がないのです。

これもまた両極にある思いに引っ張られていることそのものを象徴するようなことでした。

ということは、私がこの思考と感情の一致を見るのにかかる時間というものも短いのかな、と思っています。

というか、オチどころはわかっているのですから、日にち薬でそのうち3つのスターが一致することでしょう。

だからかなぁ。やたらと久しぶりに金華山に登りたくなったのは。(でも、登りに行こうと思ったときに、ちょうどふいの来客があっていまだ登れていないんですけれどね。明日あたりは絶対に行こう。)


そうして3スターズが収まるところに収まってそれぞれの輝きを放つ頃、私はきっとB56「セントジャーメイン」とワークしているはずです。

今回、ゴールデンスレッドのボトルには少しお休みを頂いて、自分の直感に従ってワークすることを決めたB94「大天使ミカエル」とB56「セントジャーメイン」。

たまにはこうして直感に従ってボトルを使うことも大切ですね。





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