ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

切り取られたものだとわかっていても、ビジュアルには力がある

2019-02-07 09:01:41 | ニュース
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2019年度より オーラソーマ可能性探究の会    はじめます!

  毎月  第四土曜日  14:00~15:30
  どなたでも参加いただけます。  定員4名
  参加費   ¥2000

 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル    終了いたしました
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
 参加希望の方は、ご連絡ください。
 chakra@aura-soma.name まで。


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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

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現代の毎日毎日流れる事件のニュースのなかで、「へ? あんなに大騒ぎしていたのに・・?!」というスピードでまた毎日毎日消えていくニュースもありますよね。
そのスピードにただの第三者の傍観者としても「ついていけへんわ・・」とついため息がでる毎日です。
何が言いたいかというと、言い訳なんですが、もはや皆さんが忘れてしまったであろうニュースのお話をしたいからです。



まだほんの10日ほど前の出来事だったとは思うんですが、それでもすごく古びた話をするようでなんか気が引ける・・。
高校で、生活指導の教諭がキレて生徒を殴るシーンが流れて、そのニュースを見た人は、
「あ~、また起こってはいけないことが起こってしまった。いくらこれは指導の一環だった、といっても通らないんだよ。やっぱり、暴力はいけないんだよ。この先生、やっちゃったなぁ。ダメだよなぁ。」
と思ったことでしょう。
が、しかし。
次の日に、事態は一変します。
その動画は一部が切り取られたもので、はじめに動画を撮っていた生徒の声で
「インスタで炎上させてやろうぜ」
というものが入っており、どうやらこの先生はハメられたらしい、ということがわかってきました。
殴られた生徒も先生をわざと怒らせるために演技で仕掛けていたのではないか、と言われ始めたのです。



まぁ、演技かどうかはともかくとして、先生が殴る前に言っているこの生徒の発言を聞いたら、誰しもが
「ちょっと、この生徒をかばってやる気にはなれない・・」
と思ったことでしょう。
先生に対して、
「あ~ん? おまえの小さな脳みそでどうしたらいいのかよぉく考えてみろよ」
などの暴言を吐いているからです。
もぅ、まるでヤクザかってほどでした。
私が学生だった頃なら、これに対して先生がこの生徒を殴るなんてことは当たり前だったでしょうね。
それを聞いた親も、
「まぁ、先生、よくうちの子を殴ってくださってありがとうございます」
と言ったことでしょうね。
そんな時代でした。
その頃を懐かしむわけではありませんが、生徒がこんな口をきいた時点で、もはや「先生と生徒」という立場なぞ消滅しているのですから、「先生が生徒に対して暴力をふるうのを指導と言ってはいけない」なんて言い方はそもそもが成り立たない、と思います。
こんな口をきく生徒は、先生が殴りかかっても、
「なにを この野郎!」
と殴り返してくる気マンマンに決まっていると思いますから、これはもう単にお互いキレた人間同士の喧嘩でよいのでは、と思います。
そういう意味で、ヘンな言い方になりますが、「先生が指導と称して生徒を殴るのは確かに暴力」でしょうが、先生も生徒もへったくれもないという信頼関係が崩れた中で行われるものは一方通行の暴力じゃなくてただの喧嘩なのだから、お互いとことんやったらいいじゃないか、と思うほどのことです。



ま、今日言いたいのはそんなことじゃなくて。
私自身、最初にこの事件がニュースで流れたときには
「あぁ、また先生が生徒に暴力ふるったの? ダメねぇ」
と思い、次の日に途中から切り取った映像ではなく、この映像のすべてが流れたときには、
「この生徒(たち)も、悪いわ。先生だけを責めるのは気の毒だわ」
という感想に変わったごくマスの人間だったので、言えた義理ではありませんが、
“人間はビジュアルの力には弱いものだ”
ということをつくづく思ったのでした。
「見る」ことから得る印象は全印象の55%を占めると言われていますから、そもそも私たちというのは、「視覚」から入ってきた情報には騙されやすいのだ、信じ込みやすいのだ、ということをよほど腹に据えておかねばなりません。
よく考えてみれば、
「この映像に映っている前は、どんなことがあって、ここに至っているのだろう?」
ということにはあらかじめ頭を回さなくてはいけないことでした。
でも、どうしても私たちは映っている、目に飛び込んできただけの情報からすべてを判断してしまいがちです。
なんかその後、その先生に対して「処分を軽くしてあげてください」という署名が集まったとかいうニュースもチラと見ましたが、はて、もう全然事後報道がなされなくなって、その後どうなっていることか・・・。



そして逆に言えば、ビジュアルを流す側にいたとしたら、その切り取り方で、いかようにも人心を操作することができる、ということになります。
意図的に。
私たちが身近に利用するSNSだって、変化してきました。
最初、「ブログ」って「簡易HP」と呼ばれていたんですよね。
つまり、HPじゃ堅苦しすぎてそんなに見ないからもう少し本人を身近に感じてもらうためのツールとして個人的な日記を公開するような感覚のものがあれば面白いんじゃないか、と登場したのがブログ。
そして「ブログじゃまだるっこしい。もうちょっと短くて、そしてタイムリーに起こったことを写真とともに」という感覚になってきてfacebookを利用する人が増えてきました。
そして今じゃ、猫も杓子もインスタ、インスタですよね。
「インスタ映えするから撮る、載せる、そこへ行く」
という、自分の行動基準が「インスタ映えするかどうか」だけで決めている人もいらっしゃるようで。
最初のうちこそ、「あぁ、写真だけとか写真が多いのがインスタなのね」という理解をしていた私はもうついていけません。(いや、別についていきたいと思ってるわけじゃないからいいんですけど)
これだけビジュアル重視の世の中になっているのに、そのビジュアルの信憑性については大して規制がなかったり、いいかげんだったり、判断する方もすぐに流されちゃったり。
そのことを改めて考えさせられる事件だったのでよく覚えていたのでした。
なんでも鵜呑みにせず、いったん立ち止まって自分のアタマで考えるクセをつけなくてはいけませんね。
何もかもまずは疑えという世の中なのか、と言われたらそれは寂しいですけれども・・。


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