ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「もうこれで死んでもいい」と思える瞬間を目指して

2019-03-26 09:01:01 | ニュース
お知らせ NEW!

    オルゴナイト展示即売会開催!

  オルゴナイトセラピーをリリースします。(予告)
  それにあたって先立ち、オルゴナイト展示即売会を実施いたします。

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  オルゴナイトとは----
   浄化のみならずネガティブエネルギーをポジティブエネルギーに変換する生命エネルギー
    を発するものです。
    水晶を銅線コイルで巻いたものを樹脂で固め、金属(無機物)と天然石(有機物)からの
    「オルゴンパワー」を発生するものです。
    お部屋に置いておけばパワフルなエネルギーとともにインテリアとしてもとてもきれいです。

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  日時:  第一弾 4月 3日(水)~ 7日(日)
       第二弾 4月15日(月)~19日(金)

       それぞれ10:30~17:00 お気軽に立ち寄っていただけたらと思いますが、
       いらっしゃる場合はご予約を入れていただけると助かります。(この間、絶対に居るとは確約
       できないので)
       期間中、気まぐれに「エンジェル風水」のミニ講座開催。(それもありまして、
       なおのこと事前にご予約をいれていただけると助かります)
       風水的に見るとこの部屋にこういう色のものを置くとよい、などのお話しをさせていただきます。
      (無料)

  オルゴナイト予定: ピラミッド、鉱石タイプ、ドームタイプ、ペンデュラム、ボールペン、ペンダント
            価格帯は ¥1900~¥10000 ぐらいを予定

              

         ※第一弾と第二弾では若干オルゴナイト商品が変わる可能性があります。
         ※第二弾では作家さん登場予定!(予定が決まり次第、UPします)
           そのときには、おいしいお茶とケーキをふるまってくださる予定! 乞うご期待
         

   <ご予約・お問い合わせ>は、 chakra@aura-soma.name 坪内恵津子 まで

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イチローが引退しましたね。
私はイチローの80分にも及んだという引退会見のすべてを見たわけではありませんが、チラと見ただけでも、
「あぁ、これまで私はイチローを誤解していたかもしれない。今日のイチローは好きだ」
と、彼が話しているときの印象だけでそう思いました。
それは彼がもう現役生活から引退することによって、肩から力が抜け、ただただ、ファンや記者たちに対しても感謝の気持ちしかない、という気持ちで望んだ会見だったからかもしれません。
これまでのイチローはなんだか気難しくて、少しでも勉強不足のような状態でインタビューする記者には「は? 何言ってんの、あなた。出直してきなさい」的な雰囲気を漂わせている、近寄りがたい人、というイメージでした。
心から私は「お疲れさん。そしていろんな刺激をありがとう」と言いたい気持ちになりました。



さて、その引退会見のなかで私が最もハッとさせられたイチローの言葉がありました。
それは、
「後悔していることはありますか?」
という質問に対して、
「今日のこのような光景を見せられたら、後悔などあろうはずがありません」
と答えたときです。
“今日のこのような光景”というのは、彼がこれで引退なのだと速報ニュースで知った球場の人たちは誰ひとり帰らず、イチローに万雷の拍手を送ったことを指している、と思われました。
イチローは、
「あれを見たとき、もう死んでもいいと思いました。いや、実際には死なないですよ、死なないですけれど、もう死んでもいい、って言葉はこういうときに使うんだ、と思いました」
と言ったのです。
この“もうこれで死んでもいいと思える瞬間”という言葉が、私にとても響いたのでした。



なぜ、そんなにも響いたのか、と言えば、私もそれを目指して生きているからにほかなりません。
喉から手が出るほどその一瞬が欲しい。
そして文字通り、そんな気持ちになれる瞬間があるとすればほんとにもう死んでもいいや、と思います。
しかし、友人にこの話をしたら、その友人はいかにも意外そうに、
「へぇ~、私はそんなこと考えたこともないな。ただ穏やかに平和な日々が続けば幸せだな、と思うだけ」
と言ったのです。
“もうこれで死んでもいいと思うほどの瞬間”を望む人と望まない人がいるのを知りました。
そりゃ“穏やかに平和な日々が続いて欲しい”と私とて、願わないわけがありません。
しかし、ほんとうにそういう日々が続いたとき、私はそれらの日々に感謝する気持ちが沸き起こる人間か、と言うときっとそういう日々を、
「平穏で安寧ではあったが、ダレて、精一杯できる努力を怠った日々」というように断罪してしまうことでしょう。
でも友人は想像するに、ほんとうに心からそういう日々に感謝を捧げられるタイプの人だな、と思いました。(また、これからの人生、そういう日々を送るにふさわしいほど、その友人はこれまでの人生で大きな谷を味わっているので)



要するに、死ぬ瞬間にこれまでの人生を振り返ったとき、「後悔したくない」ということなんです。
そして私にとってはその「後悔したくない」は、では何をすれば後悔しないで済むかといえば、思い切り、あえぐほどにギリギリ出来るところまで自分の可能性を追及しきった、ということをやらないと感じないでしょうね。(わかってんならやればいいだけなんだけど)
これまでの人生を振り返ったとき、
「もうこれで死んでもいい」
と思うほどの瞬間には出会っていない・・ と、思う・・
死ぬまでにそれを味わって死にたいな、というのが私の望み。



イチローのことをずっと私は「恵まれた人だ」と思ってきました。
どういうところが、と言えば、
「幼い頃にすでにプロ野球選手になりたい、という夢を持ち、早くにそういう夢を持ったがゆえにほかによそ見せず、そこに注力できたこと」
「自分のスタイルを確立していたがゆえに、米メジャーに行っても、パワーバッティングに惑わされずにコツコツとヒットを積み重ねることができたこと」
だと思ってきました。
しかし、会見を聞いていたら、あのイチローでさえこんなに大変なことがあったんだな、ということがわかり、勝手な邪推を恥じ入りました。



それがわかったのは数ある中でも最もほぉ~と感動した次のやりとりです。
「これまでの28年間の野球人生のなかで、これが1番誇りに思える、という瞬間はなんですか?」
という問いに対する答えが、
「僕の数々の記録は、きっと後から出る人たちが次々と塗り替えていくことでしょう。でもボクはそういう記録よりも、去年の5月からこれまでの自分の過ごし方については誰も真似のできないことだったんじゃないか、と自負しています」
だったんです。
去年の5月から、というのはイチローがマリナーズの「監督付き補佐官」に任命され、一線の試合から遠ざかる、と報道されてからこの前の開幕戦にスタメンで出場するときまでの日々のことを言っています。
多くの人は昨年5月のこの報道を、
「あぁ、球団はイチローに現役を退いてもらって、それでもう運営サイド、経営者サイドの人間になってほしいとポジションを用意したんだな。だからもう2度とイチローは選手として試合には出ないのかもしれない」
と思ったことでしょう。
私もその1人です。
そしてそれを球団サイドにしても、イチローサイドにしても望んでいたことだと思っていたんです。
さすがイチローぐらいになるとすぐに次のポジションを用意してもらえるんだわ、と。



しかし、イチローは全くそんなつもりはなかったのですね。
成績が悪いからスタメンから外されるのはやむなしだけれど、自分はまだまだ出来ると思っている、だからひたすら一生懸命トレーニングを積んで、まだ選手として出来る、というところをアピールしよう、とずっとひそかにトレーニングを積んできたようです。
これは確かに誰にでもできることではない、と思いました。
誰にも望まれていないことを(球団も選手たちもひょっとしたらファンでさえイチローはもう2度と現役に復帰することはなく、フロント陣に居たほうが彼のためだ、と思っている人たちはわんさかといたことでしょう。私もその1人なのですから)、もくもくとやる。
自分ひとりでやる。
ここまでやったらもういい、という終わりが見えないトレーニングを積む。
それは一条の光を見つけるより厳しいことだったかもしれません。



「いいじゃないか。イチローくらいになれば、もう食べていくのに困るわけじゃなし」
なんて考えが我々しもじもの、今日食べていくことに一生懸命の人間は思ったりもするわけですが、イチローの身になってみれば当たり前のことですが、「今日食べていければもうあとのことはいい」なんて気持ちで生きてはいません。
だからイチローはヤンキースに移籍になった時期が1番辛かった、と言います。
プロ野球球団のなかでもとくに精鋭たちが集まっているといわれるヤンキースで、思うような成績があげられなければ、
「自分はいつ首を切られるんだろう・・?」
ということばかりを恐れていた、と言います。
あぁ、イチローでもそういうことに恐れを抱いたときがあるんだな~というだけでも身近に感じました。



そして、いま私は思います。
潜在意識の講座、引き寄せの法則を扱っている多くの人たちが、
「頑張って夢を勝ち取ろう、と思うのはバカみたいよ。そんなことしなくても潜在意識の仕組みさえ知っていればもっとラク~にそうなれちゃうんだから」
というようなまるで馬の前においしそうなにんじんがぶら下がっているような惹句を使います。
確かに、なんでも特性やしくみを知っておくのは良いことです。
知っておいてソンすることは何もないと思います。
けれど、こう言われたら誰だって、「今よりずっとラクに」「なんの努力もせずに」そうなれるのか!?と思っちゃいますよね。
違います。
ラクな道を選ぶ、ということは辛そうにみえる道に背を向ける、逃げる、ということですよね。
あえて辛い道に飛び込む必要もありませんが、私がいつも言っているように、何よりも先にまずは自分が「大好きで」「情熱を感じている」ものを見つけたら、決してそこで起こることから目をそむけてはいけないのだ、と思います。
でないと、いったい自分は何を愛していて、何を求めているのかさえわからなくなってしまいます。
どんなに辛いことがあっても、「これは自分が選んだ道じゃないか」「これが大好きだから何があっても耐えられる」と思わない人に、“もうこれで死んでもいい”と思えるほどの達成感が味わえるとは到底思えません。
“大好き”“情熱を感じてる”というものには辛かったことでさえ後から振り返ったら「たいしたことじゃなかった」と言えるパワーがあると思っています。
もちろん、それも自由ですからぬるま湯に浸かっているような人生のほうが好きならそれでいいと思いますが。



私もつまずきそうになったら、イチローほどの偉業を成し遂げた人物でも、野球をやっていて辛いことばかりだった、と言っていたことを思い出そう、と思います。
なにせ、
「いつが楽しかったですか?」だったか「野球は好きですか?」という問いに対してだったか忘れましたが、そんな質問に対してなんとイチローは、
「楽しかったのはプロ野球に入って1年目、2年目までだった。そのあとは仰木監督に見込まれちゃって、自分のそのときの実力よりも優ったポジションを与えられてしまったので、それに相応しい人間になることで精いっぱいの野球人生だったように思います」
と答えているのです。
まぁ、いくら自分の実力以上のポジションを与えられてしまって、それに後から追いつくように努力した、とは言ってもどうしてもその器にさえなりきれずに脱落していく人も多いだろうと想像できますから、相応しい人間になることができた、ということ自体がすでに相当の実力を持っていた人なのだ、という言い方もできると思いますが、やっぱりイチローは人並み外れた努力をそれに惜しまなかったからこそのことだと思います。
そしてそれでも、イチローは誰よりも野球を愛しているし、大好きだと思いますよ。
そういうものでしょう。





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