わたし、オッサンなんですけど(あ・・ 知ってた?)「ビックコミックオリジナル」っていう漫画雑誌をもう何年も、いや、何十年もかな、読んでます。
きっかけは会社勤めの頃は通勤時間の手慰みだったんですが、今は「風の大地」っていうゴルフ連載が読みたいから。
で、今日の話題はその「風の大地」ではなく(ちゃうんかい!)、何十年も連載が続いている「浮浪雲」っていうジョージ秋山氏の漫画でちょいと気になったことがあったって話でんす。
これ、昔渡哲也さん主演で確か映画化(ドラマだったっけかな?)もされましたよね。
なにも、「ビックコミックオリジナル」を読んでいる人でなくても、「ゴルゴ13」に次いで、その存在自体は日本国中誰もが知っている漫画ではないでしょうか。
主人公の「浮浪」(はぐれ)って呼ばれている、今でいう運送会社の頭はひょうひょうとした遊び人。
あるとき親しくしている病院の先生の娘さんが、この正体不明の浮浪についての真実を本にしたい、と考えます。
して、その娘に父親はこう言うのです。
「浮浪殿のことはあまり考えるな。考えるだけ無駄だよ。
おまえに書く力がないというんじゃないよ。ただ、あの人を書くなら仏教に到達していなければな。
書いたならばお前の心が患うだけだ。
ほんとうのことを書くと単なる悪口になってしまうからだよ。あの人の悪口ならいくらでも書ける。
しかしな、書けば書くほど自分が傷つくだけだ。
浮浪殿に真実などないのだよ。
説明すればその説明がウソになるのでな。答えはないんじゃ。
自分で感じるしかないなぁ。
何事も答えを出すことはないんだよ。疲れるだけだ。
浮浪殿の内に答えを見つけようとすると自分が苦しくなるぞ。
あの人は隙だらけの人なのに誰もが斬ってゆこうとするが斬れないんじゃ。」
う~ん。
この父親の言っていること、深いですねぇ。
深い、深すぎる。
ただ私は「答えを見つけようとすると自分が苦しくなるぞ。」というセリフにハッとし、我が身を振り返ると似たようなことをしてきたことが多々あったなぁ、と思い至りました。
例えば、いろんな人と知り合う。
そのなかで、好きとか嫌いとかではなくって、「ん? この人ってどういう人なんだろう?」と思う人に出会うことがある。
「この人ってどういう人なんだろう?」と思うということは、自分が持ち合わせているものさしでは測れない人だ、ということですよね。
それでも出来うる限り、一生懸命「どういう人か」の答えを出そうとする。
「あぁ、こういう人だったんだ。」と言葉で答えがみつかると腹の落ちどころが見つかって何かホッとするからです。
反対にいつまでも「ん? ん? どういうこと?」と自分には理解不能な言動が続いたりすると戸惑ってしまう。
答えを見つけたい。
答えを見つけたい、って言いかえれば、「人を分析したい」ってことなんですよね。
人なんて“分析”するものじゃありません。
よしんば分析しきったなんて思おうなら、必ず人は生身の人間なんですから、どこかに綻びが見つかったりします。
そうするとことさらにその綻びをあげつらって、「そうか! これこそがこの人がほかの人とは違う部分だな。」なんてひとりごちる。
要は、欠点を見つけるとホッとする、ってやつですね。
これでそんなことをした自分自身に傷つかないわけがありません。
どうせね、こういうときに答えが見つかった試しなんてないんですよ。
仮に無理やり答えをくっつけたとしても、それはあくまでもこれまでの(過去の)自分の思考の積み重ねのなかから引きずり出してきた答えなので、本当のところはすっきりなんてしてやしないのです。
壁にうず高くつまれた本や雑誌などを整理していたら、もうタイトルもわからないほど薄汚れてページもぼろぼろになった本が見つかった。
この本にタイトルをつけたい。
そうして本の中身を吟味して無理やりタイトルをつけたって、そのタイトルが本当に正解かどうかなんて永遠にわかりはしないでしょう。
だって、そのタイトルを付けたのはあくまで私に過ぎないんだから。
そういうことですよね。
でもこれまでどうしても私は人にタイトルをつけたくて仕方がなかった。
どうしてなのかな、わからないけれど。
きっとその人を手の内に入れたみたいな気分になりたかったのかな・・。
そしてなんか違うな~と討死してはくすぶったような気持ちを抱えていた。
それはどういうタイトルをつけたとて、自分の中にある[過去]の思考を超えたところにその人はいるんだから、すっきりなんてするわけないんですよね。
その人をそのまま面白がって受け容れればいいのに。
でもこの頃では自分の想定外の人であっても面白がって受け容れられるようになってきました。
ひょんなことからその人の新たな魅力などを発見するときの楽しみ、喜びっていったらないですよね。
あ~! この人にはこんなところがあったんだ! というのを目の当たりにするというのはこれまでとは違う視点からその人を見ることができるようになることでもあります。
そして想定外の人であればあるほど、そういうことは必ず起こる。
それを楽しめるようになってきました。
こういう視点をもつことができるようになってきた、というのは確実にオーラソーマのおかげです。
それはいくら本を読んだり、誰かの講演を聴きに行ったり、自分ひとりで何かを掴みたいと獅子奮迅しても決して受け取れなかった、オーラソーマとともに何年も何年も歩んできたなかで自然に身に着いたことだといえるでしょう。
その1つだけをとっても(いや、これが1番の事だと言ってもいいくらいかな)、オーラソーマと出会って本当に良かったな、と感謝の気持ちでいっぱいです。
なんだかすんごい綺麗ごとを言っているように聞こえるかもしれませんが、本心ですよぉ。
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