ロールプレイングとは、「役割演技」ということです。
販売の仕事などに携わっている方は、日々、研鑽としてこのロールプレイング、略してロープレを取り入れてらっしゃったり、そうでなくても1度や2度は研修で受けたことがあったり、言葉だけは知っている、という方が多いことでしょう。
ひょっとすると、ネットゲーム(これを友人が「ネトゲ」と言い、それを初めて聞いたとき私は、「どこの毛?」と聞き返しました・・)などに夢中の人は、自分がお話のなかの登場人物として次々と現れる敵を倒しながら旅をする、とか次のステージへすすむ、などというゲームの種類の名前としてご存知かもしれませんね。ああいうの、そういえば、ロールプレイングゲームって言いますもんね。
接客のロープレの場合、お客様役と販売員役を設定し、場面もそれなりに設定し、本当に自分が普段お店の店頭にたって行っている接客を演技としてやってみます。
それを第三者が冷静に観察して、「ここはもっとこうしたほうがいいよ。」とか「この動きはこちらから側からのほうがいいかな。」とか訂正を加え、また繰り返しやってみます。
今週はずっとこの研修で、あるファッションビルにお邪魔しています。
お客様役の事務局の人が「○○さん、すごく緊張して手が震えているのがわかった。」とおっしゃるように「普段どおりにやる。」ということがいかに難しいか、やってみるとよくわかると思います。
自分の経験したことの範囲内でコトが起こると上手に対応できますが、「え? こういうときってどうしたらいいの?」ということが起こるとパニくってしまったり、すべてアタマのヒューズがどこかへ飛んでしまったりするようなときもあります。
こんなときこそ「普段力」が試されるときです。
まったく同じことを経験していなくても、普段からもしも、と言うことに備えてロープレでトレーニングしている人は、いざ、というときにもおたおたしません。
常にお客様志向で判断し、行動する、ということが身についています。
販売と言う仕事についていなくても、私たちは普段から“役割演技”というものをしょっちゅうして生きています。
「ここは町内会長として、皆をまとめる、というような発言をしなくてはならない。」
「教師をしているのだから、普段の行いも人のお手本となるようなものでなくてはならない。」
「母として子どもにはしっかりしたところしか見せてはいけない。弱音なんて吐けない。」
などというように。
確か、昨年受けたラハシャ博士の「カウンセリングスキルコース」でも、私たちは普段から、この役割演技から抜け出ることなく生きているから、この仮面を取り去ったあとの本当の自分、というものを意識しなくてはいけない、というようなことを言われたときがあったような気がします。(まだ昨年のことなのに、“あったような”“気がします”としか言えない自分が情けない・・・)
それを受けて私も、「役割演技」している自分と「本当の」自分とは別物なのだ、と思っていました。
社会的立場とか、職業的に冠せられた鎧のようなものとか、法律に縛られたもの(例えば結婚している夫婦、というような)などをすべて脱ぎさると、それでもそこに残る私こそが本当の私なのだ、というように。
それはある意味、普遍のものだ、と思いました。
社会的立場とか職業とか法律というものは、すべてこの時代に、この国に生まれたからこそその枠組みのなかで生きなければならない、というようなルールであって、生まれた時代が変われば、生まれた国が違えば、すべてまた変わってくる価値観に左右されるようなものは本当の自分ではない、と。
しかし、販売員の人たちの接客のロープレを見ていて、普段からロープレのトレーニングを積んで、いざ、というときに普段力を発揮してゆとりを持って事に当たることのできる演技者を見ていると、それは違うのではないか、という気になりました。
私たちは、“本当の自分”を鍛えるためにこそ、いろんな役割演技を負っている、と思えたのです。
それぞれの人が抱えているそれぞれの役割については、嬉々としてやっているものもあれば、イヤイヤやっているものもあるかもしれません。
でも、それらのすべてがその人が引き寄せたものであることには間違いありません。必要だからこそやってきた役割のはずです。
では、それらを“やりきる”ことこそ、“本当の自分”も鍛えられ、顔をだしてくるのではないでしょうか。
役割演技の自分と本当の自分は分けられるものではなくて、同一の自己であるはずだ、と思いました。
「カウンセリングスキルコース」では、本当の自分とは、ぽっかりと胸の真ん中にある何にも犯されないものだ、と教わりましたが、その自分を取り巻くように感情の壁やマインド・思考の壁があります。
そしてそれらが本当の自分と溶け合うとき、それは同一化する、と教わりました。
役割演技の自分、というのもたぶん、同じことだと思います。
この役割に対して私は自分を“作っている”“無理に演じている”と意識している間は、本当の自分とは同化しません。
けれどもその役割演技を「どうしたらもっとその役になりきれるのだろう。」と考えるのは本当の自分から来ている感情や思考です。
そこから来たもので、演じた自分とそのときに使った感情や思考がぴったりと本来の自分と一致する、という感覚が得られたとき、それらは同一化するのでしょう。
そう考えたとき、いろんな役割、つまりいろんな顔を持っているほうが、本当の自分との同一化を得られる機会も多い、ということになります。
本当の自分は竹の子の皮をむくように、いろんな役割演技を脱ぎ捨てていったら見つかりました、ではなくて、逆に骨組みとしてある自己をぺたぺたと色んな役割演技によって粘土で強化していっているようなものであるとしたら、太っていくほうですからね。
私は、「娘」であり、「母」であり、「妻」であり、オーラソーマの「プラクティショナー」であり、小売業や自己啓発に関する「講師」であり、「メンタルケアセラピスト」であり、パステルアートの「インストラクター」であり、いろんな人たちにとっての「友人」であり、チャワンテ(猫)の「飼い主」であり、「休日ゴルファー」であり・・・
まだまだありそうです。いや、そうとくれば、ぜひとも増やしたい。
今までは、「顔」はできるだけひとつのほうがいい、集約したい、と思っていましたが、本当の自分を強化するためのツールとしていろんな顔があるのなら、これからは「え~、何、それ? そんなこともやってるの? それとこれってどういう関係があるのぉ?」というような質問にも身をすくめることなく、堂々としていられそうに思いました。
考えてみれば、男の人って女の人に比べて、役割演技の数が少ないような気がします。
社会的な職業の顔と帰宅後、父としての顔の2つぐらい、っていう人、多いんじゃないでしょうかねぇ。
だから、男性より女性のほうが自己探求が好きでたけているのかもしれません。
ぐずぐずしていると”自分”というものが風が吹けば飛んでいってしまいそうな骨組みだけの男性は、”自分”の周りをいろんな役割演技で強化した女性にどんどん呑み込まれていってしまいますよぉ。
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