「些々羅」にいらしてくださったお客さまのなかには、ときに涙を流される方もみえます。悲しくて・・ 嬉しくて・・ 思い出して・・ やりきれなくて・・
なぜかわからずに・・ いろんな涙、です。
そんなときは、「どうぞ、我慢せずに泣いちゃって下さいね。涙を流すということはそれだけ浄化されてすっきりしますから。」と申し上げますが、そういう私は、というと、実はとても泣かないタイプでした。
「でした。」と過去形にして言うのは、今でこそ年齢のせいか涙もろくなったということもあるし、自分で言うとおり「涙を流すことでたとえそれがどんな種類の涙であったとしてもすっきりするから」とわかって、ということもありますが、小さい頃は「泣かない、ということが勇気のしるし。強い子というしるし。」と思い込んでいて、とにかく泣かないこどもでした。とくに人前では。
小学校の6年間で泣いたことはたった2度だけ。
一度は放課後に運動場で遊んでいて、友達が蹴った砂が目に入ったからです。ですからこれは、実際には「泣いた」ということにはなりませんね。物理的に涙は流しましたが、それこそ目に入ったゴミを浄化して流し去るために出た涙で感情のともなうものではありません。
もう1つは、小学校4年生のときに飼っていた猫が死んだときです。
ネコの名前は「トマシーナ」。略して「トマ」と呼んでいました。
変わった名前ですねぇって?
当時、「トマシーナの3つの命」という映画を見て、えらく感動したので、そこから取った名前でした。
「トマシーナの3つの命」というのは、あるネコがひょんなことから一生の間に3人飼い主が変わる、というそのネコにとっては波乱万丈の一生でしたが、確か最後は落ち着けそうな穏やかな老後を送れそう、というところで終わるお話でしたので、やれやれでした。
トマは優美なシャム猫でしたが、私の子供の頃はまだまだ雑種の日本猫を放し飼いにして飼っているところが多く、ペットショップで売っている洋猫を部屋のなかで飼う、という飼い方は珍しいほうでした。
私の部屋のなかばかりで飼っていたトマですが、こどものことですからたいして面倒もみませんし、朝学校へ行ったら、夕方まで帰ってきませんし、寂しかったと思います。そして、そんなトマが食欲がなくて、食べたものを少し吐いてもどした、という兆候にも気づかなかったのでした。いや、厳密にいうと、その現象は目の当たりにしていても「こんなこと、たいしたことじゃないだろう。」とタカをくくっていたのです。
ある日曜日、友達がやってきて、私の家で遊んでいました。
そのときトマが「かっ」と変な喉の鳴らし方をしたな、と思ったとたん、バタンと倒れてしまったのです。
子供心ながらにその瞬間、(死んだのだな)という思いを強くしました。
でも、私にはそれを確認して、確実なものとして受け止める用意ができていませんでした。
信じたくない、というのもありましたが、なんとそのときに私の大半を占めた考えというのは、「いま、トマの死を前にしてパニくりたくない。友達の前で大泣きする自分をさらけだしたくない。」というものでした。
自分ながら、トマを思いやる気持ちより、自分の泣く姿を友達にさらしたくない、という気持ちのほうが勝ったのだ、ということはとても不思議な感覚でした。
不思議な感覚だから、このことを私は決して一生忘れないだろう、とそのときに思った覚えがあります。
友達には「いきなり寝たみたい。あるんだ。そういうこと。」とごまかしました。
猫にたいして興味を示さなかった友達は素直に「あ、そう。」と言って、私たちは、遊びに戻りました。
ただ、それからは遊びながらも上の空で、(早く、この友達が帰ってくれないかな)ということばかり考えていました。
そして、友達が帰ったあと、母親を呼び、トマの死が確認されました。
そのときも私は母親の前で泣けませんでした。
夕飯のあと、いつものように個室の勉強部屋で宿題を片付けていた私に母親が心配してやってきました。
うちは1階で両親が居酒屋をやっていましたので、まず忙しくて子供の様子を見に来ることなどできなかったのですが、このときばかりは私が可哀想だ、悲しんでいることだろう、と様子を見に来てくれたのでしょう。
でも、私はいっさいの感じる心をシャットアウトして、普通に宿題をやっていました。
そのとき母親がなんと声をかけたのかもう忘れてしまいましたが、私は自分の言ったことだけは今でもはっきりと覚えています。
「ねぇ、出て行ってくれない? この宿題を片付けたら、今日はあとは泣く時間にとってあるんだから。」
母親はちょっと悲しそうな、ちょっと何かを考え込んだような、ちょっと満足げな表情を浮かべた後、ゆっくりとした動作で部屋を出て行きました。
「ちょっと悲しそうな」と「ちょっと何かを考え込んだような」というのは理解できると思いますが、「ちょっと満足げな」というのはどういうこと?と思われる方もみえるでしょうね。
これはあくまで私サイドから見るとそう見えた、という話ですからほんとうのところはわかりませんが、私はそのとき母親が「可愛がっていたペットが死んだ日でさえ、この子は勉強をおろそかにしないのだ。」という意味での満足げだったように思います。
それくらい、小学生の間は私は優等生でした。
「泣く」ということをその場の感情の発露とせずに、ちゃんと時間割りを決めて、「泣く時間」をとってあるときだけに泣くーーー。たったひとりで。
今の私がそのときの私を目の前にしたら、抱きしめてあげたいと思います。
それくらい私にとって激しい感情の発露というのは、「たったひとりのときだけにすること」という不文律のおきて、マイ・ルールがあったのです。(こうしてみると、小さい頃から私はやっぱりブルーの人だなぁ・・)
いったい私は、何にこれほどまでに囚われていたのだろう・・
どうして人前で泣くことが、たとえそれが家族であっても、こんなにまで「恥ずべきこと」と思うようになってしまったのだろう・・
いや、家族だからこそ、かなぁ・・
これは今だに「そうか! そういうことだったのか!」という理屈はつけられません。
しかし、こんな私が上手に感情をコントロールできないまま大人にならずに、むしろ「感情的」な(よく言えば情緒的な)大人となったのは、われながら、良かった、良かった、と思います。
ロボットのようにのっぺらぼーな感情の表し方しかできないよりは、多少怒りっぽかったり、泣き虫だったり、笑いすぎだったりしても感情豊かなほうがいいですもんね。
これからもオーラソーマでより皆さんが上手に感情を発露できる人であって欲しい、と思います。
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