いま、私は月に1回、ダーリンと一緒に仏教の、とある寺院の岐阜支部のようなところにお参りに行っています。
なんでこういうことになったのか、と言うと、ダーリンが知り合いの方からこの仏さまを拝むことによってのご利益は大層なものである、ということを聞き毎月お参りに行くようになったからです。
そして、できればご家族の方もご一緒にどうぞ、ということで付いて行っています。
最初にこの話を聞いたとき、私はダーリンに、
「どういうところがいいと思ったから、ここへお参りに行くの?」と尋ねました。
すると、しばらく考え込んでから「・・・・・わからん。」と一言。
この答えを聞いたときにはさすがにびっくらたまげました。
そんなわからんようなものにどうしていくのか・・?
私に「オーラソーマのどんなところが素晴らしいわけ?」と尋ねる人がいたら、私はきっとその人の前で1時間でも2時間でも話し続けることでしょう。
しかし、「・・・わからん。」というようなものにどうして行くのか?
しばし考えましたが、逆に私は「これは面白い。」と思いました。
「出来ればご家族の方も一緒にお参りしたほうがいいですよ。」と言われるなら、おうともよ、行こうじゃないか。
そして私は自分の目で、ダーリンがこの宗教のどこにそんなに惹かれたのかを見極めるのだ、・・・なぁ~んて最初は息巻いていました。
行くと、毎月少しずつメンバーの顔ぶれは違いますが、2、30人の方がいらっしゃいます。
そして時間になると、その総本山は山梨県にあるのですが、岐阜支部長のような方が月に1回、総本山に行って、ありがたい住職のお話を聞いてきて、それをビデオに撮ったものが流されます。
お話はほんの5分ほどのものです。
そして、観音経と般若心経とそのお寺独自のお経の3種類を全員で唱和して終わりです。
宗教独特の囲い込みと申しましょうか、自分のところの宗教が1番ですべてであり、他の宗教なんてくそくらえだ、というような雰囲気がここにはないので、まぁ、嫌な気にもならず、面倒でもなく一緒に行っていますが、逆に感動することも「これはいいわ~」と思うようなこともなく、何度通っても、ダーリンが「これだ!」と思った理由はわからずじまいです。
何でも月に1度のここへのお参りをかかさず24回行い、お札をもらうと満願で願いが叶うんだそうです。
どうやら、肉体の不調や障害を負った人などがわらにもすがる思いで来てらっしゃることが多いみたいだ、ということも薄々わかってきました。
そもそも私はこの仏に帰依したら、病気が治ったとか、商売が繁盛するようになった、とかの現世でのご利益をえさのように顔の前にぶらさげられ、そのえさにつられて信者がやってくる、というような宗教が好きではありません。
ダーリンもそういうのはあまり好きではないはずだし、ダーリンに特にわらにもすがりたいような願いがあるとも思えないのに、ダーリンはどうしてせっせとここへ通うのだろう・・?
それは謎のままでしたが、あるとき、私の中に少しだけ心境の変化が生まれました。
それは、今月、いつものようにお参りに行ったときのこと。
相変わらず私はもっと深くこの宗教のことが知りたい!とか、仏にすがりたい!とかこの教えを学びたい!とかも思っていないので、なぁ~んにも知らないままに参加していました。
そうして、いつものように観音経と般若心経とこのお寺さんのお経が唱和されたとき。
私だけ(でも、ない様子でしたが・・ ほかにも数人はいらっしゃいました。)が一緒に唱和できずにただ座っている。
これは寂しい。
理屈抜きにお経だけは一緒に唱和できるようになりたい。
そう思ったのです。
そう思った背景には、もちろん、私がオーラソーマをやっていて、言霊の力というものも信じるようになっていて、そして天使の名を毎日チャンティングするようになり、そのように天の力の名を呼ぶことの意義というものを肌身で感じるようになったからです。
最近の私はAEOSにしてもそうですが、より具体的に自分の五感、肉体を使って感じることをしたい、と思うようになっていたから、ということもあると思います。
そうしたら、その月のビデオでの住職のお話は、
「ここにこうして来ていても、ただみんなの後ろをついてきているだけ、ではなんのご利益もない。いつまでたってもその人は何も変わらない。」というような私の痛いところを突かれるようなものでした。
帰り道、私はダーリンにいきなり、
「私さ、せめて観音経と般若心経だけはとなえるようになりたいわ。」と言いました。
ダーリンだって唱和できないうちの1人ですし、そのことに対して何の後ろ暗さも感じていなかったようなので、
「えぇ!?」とびっくりしていました。
次の日、私はさっそくアマゾンで、観音経と般若心経のわかりやすそうな本を4冊買いこみました。
そして、まずは般若心経の意味から読んでみると、なるほどぉ!と改めてお経の深さとそれを唱えることの意味深さにひとり深くうなずくのみでした。
これについてはまた日を改めて語りましょう。
そもそも、オーラソーマはいろいろなものと密接につながっています。
仏教もしかり、です。
これについてはレベル2の教科書にも詳しく書かれています。
これについても後日改めて語りたいと思います。
そして、実際にオーラソーマの現在111本あるボトルのなかには、仏教と深くかかわりのあるネーミングのボトルもたくさんあります。
B60「ラオツー&クァンイン」は老子と観音様のことです。
B61「サナトクマラ&レディーヴィーナスクマラ」は韋駄天のことです。
B73「チャンツー」は荘子のことです。
そのほかにもB50「エルモリヤ」、B51「クツミ」のマスターは両人とももともとインドの霊的指導者でしたから、仏教とかかわりがある人たちかもしれません。
そして、B33「ドルフィンボトル」ですが、お釈迦様の言葉のなかには「イルカは人間より偉大だ。」というものがあり、いつも私はB33を見るたびにその言葉を思い出します。
このようにボトルのなかにさえ何本も仏教と直接関連するボトルがありながら、オーラソーマと仏教が密接にその背後にある信念としてつながるものがあるのだ、ということをもっと突き詰めて研究しているオーラソーマ関係者がいないのはなぜだろう?と改めて不思議になりました。(ひょっとしたら、私が知らないだけでいらっしゃるかもしれません。)
どうしても、このきれいなカラーボトルを見ていると、抹香くさいものと関連づけるよりもやはり同様に美しいイメージのある西洋占星術やタロット、クリスタル、天使などのほうに興味が向くのかなぁ。(事実、私がそうだったように)
そう考えたとき、あまのじゃくな私は、俄然、仏教についての興味が増してきました。
オーラソーマともつながる仏教の教えや精神について、オーラソーマをやっている人のなかでは誰よりも詳しくなってやろうかしらん、なんてことをひそかにたくらんでいる今日この頃です。
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