大学生の頃、エキストラのバイトをしていました。
通行人Aとかいうアレです。
劇団に名前だけ登録しておいて、自分が授業がなくてヒマなときに「なんか、入ってませんかぁ?」とそこに電話して聞くと、
「う~ん、明日なら○○の『その他大勢』があるよ。」てな具合です。
いい時代だったのかなぁ。
バイトの内容は撮影によっては1~2時間で終わってしまうときもあれば、丸っと1日かかるときもありましたが、バイト代は当時としては良いほうでしたから。
だから月末生活費が足らなくなたったり、「ちょっと、BIGIのシャツが欲しいなぁ」なんて思うと「よし、いっちょ明日はエキストラだ。」ということになるわけです。
あるとき、「男はつらいよ」のロケで通行人Aをやることになりました。
ロケ場所はもちろん、柴又です。
河原の堤防をきれいな着物を着た女優さんが寅さんを呼び止めるために走ります。(きれいな女優さん、なんてレベルじゃなく寅さん映画に良く出ていた皆さんも多分ご存知のほら、あの人なんだけど名前が出てこな~い!)
撮り直しで何度も何度も走っていました。
後で映画をみたら、そのシーンは映画のストーリーにとってまったくといっていいほど必要もない程度のシーンでした。
でも女優さんは「撮影ってこういうもの」という手馴れた感じで、文句も言わずに、なにが悪くて撮りなおしになったのかも聞かずに、ひたすら走っていました。
(着物であれだけ何回も走るってたいへんだろうなぁ・・)とハタチの私はぼんやり思っていました。
女優さんは息さえあがらずに何度も走ります。
しかし、カットがかかるとメイクさんが間髪をいれずに近づいて、額ににじみでた汗をぬぐうことでやはり、かなりの運動量だったのだ、ということがわかります。
役者魂、ってやつを見た最初だったかもしれません。
ちなみにそのときの通行人Aの役割はカップルで楽しそうに談笑しながら歩け、というものでした。
今はどうか知りませんが、当時は「楽しそうに談笑」と言っても、本当に声を出して談笑してしまうとその声をマイクが拾ってしまうから、ということで、口パクで談笑の雰囲気をださなくてはなりませんでした。
だから、私は何回かエキストラをやりながら、心の中ではこう思っていました。
「主役がいちばん簡単じゃん。ホントウにそのセリフを声にだして言って、そのとおりの感情を表現すればいいだけなんだから。それにひきかえ、エキストラは声には出さずにその雰囲気をださなきゃいけない。しかも台本はなし。自分で考えてやらなくちゃいけない。その場で初めて会った人と。エキストラが出来れば、どんな役だってこなせるわ。」と。
みなさん、テレビドラマなどを見ていても、喫茶店のなかで主人公の後方の席でやけにぎこちなく話しているようなカップルを見るでしょう?
あれは演技が下手なんじゃなくて、口パクでやれ、って言われてるからあのくらいのぎこちなさになっちゃうんですよ。
何度も言いますが、今は知りませんよ。
これだけCGの技術がスゴイのに、後方のカップルの地声だけ消せない、ってありえない気がするんですけどねぇ。
ま、それは余談ですが。
この寅さんの撮影のときに話を戻しましょう。
映画の撮影というのは、「忍耐強く同じ演技を何度もできる」という能力が求められますが、もうひとつ、「忍耐強くほかの人の撮影時間をやりすごす」つまり、ただひたすら待つ、という能力も求められます。
このときも私たちエキストラだけでなく、主役の渥美清さんもずいぶん待ち時間がありました。
堤防でやることもなく、ぼーっとしていると、渥美清さんが私に、なんと!
「きれいな女優さんだねぇ」と言ってくれたのです。
ありえん! 私がきれいなわけないじゃん。しかも女優さんじゃないし。
明らかに渥美さんは「心にもないオベンチャラ」を言ってくださったのです。
だって、考えてもみてくださいよ。
映画界にいらっしゃる渥美清という大御所なら毎日毎日腐るほどきれいな女優さんなんて見ていることでしょう。B級程度のきれいさでも一般社会で見れば、すごく目だってきれいな人でしょうよ。
それが一般社会のなかでも埋もれまくりの私程度が「きれいな女優さん」であるわけないじゃないですか!
しかし、私は「まぁ! それはありがとうございます。渥美さんにそんなことを言っていただけるなんて、私も明日からスター街道ですね。」なんて社交辞令がスラスラと出てくるようなハタチではありませんでした。(今ならいけしゃあしゃあと言っちゃいますけどね。)
そして、そのときに私のとった行動は・・
完全無視。
聞こえないふりをしたのです。
「あ、聞こえなかったんだ。」と思った渥美清さんは、もう一度、「しかし、きれいな女優さんだねぇ。」と言いました。
再び完全無視。
私は渥美さんとは反対側にいたエキストラの人たちの話に耳を傾けていて、そちらの声にはまったく気づかなかったというふりをしたのです。
でも、その2回目の私の無視で、渥美さんは私の心に気づかれました。
悲しいかな、自分が綺麗ではない、とわかっている人間がほめ言葉に素直になれずに聞こえないふりをしたのだ、ということに。
そのとき確実に彼は理解しました。私の心に潜む悲哀感、卑屈感、放っておいてよオーラというものを。
私には確信できます。
だって、渥美さんが「はっ」と息を呑むのまでが私に伝わりましたから。
渥美さんだって、寅さんで花咲いたけれど、決して美男子ではありませんし、美男子でないなら徹底的な三枚目で売っていく、というふうに自分のポジションを見つけたくはなかったのでしょう。この作品に出会うまでは苦労されたと聞いています。
そんな渥美さんと私の間だけにそのときほんの一瞬ですが、「華やかな業界のなかに身をおきながらも決してそこにふさわしくない容姿に生まれついてしまった者」としての共犯者のような共鳴があったのが私にはわかったのでした。
そして、心のなかで「ごめんなさい。渥美清さん。無視なんて方法でしか、自分を表現できなくてごめんなさい。」と謝っていました。
今でこそ、「卑屈になる必要なんて微塵もない。たとえ、自分の容姿に自信がなくたって、おべんちゃらに過ぎないと思ったって、人が褒めてくれたら、素直にありがとう!って言ったほうが自分の精神衛生上、なんぼかええわい。」と思えるのですが、ハタチの私は妙に潔癖なところがあって、「嘘はやめてよ、嘘は。」という気持ちと、渥美さんが出たばっかりの大部屋女優を(少なくとも渥美さんはそう思っていたはず)励ますつもりで、温かい気持ちから言ってくれたのだ、とわかってはいても素直になれなかったのでした。
「話さなくてもテレパシーで通じる」とかの感覚があるとすれば、これまでの一生のうちであのときがもっとも鮮明でした。
そりゃあ、親しい友人や恋人や家族との間で、(あ、この人、いまたぶんこう考えているな)と思い、実際にそれが当たっている、ということは往々にして起こります。しかも、大概はその推測をするに至るその前後というものがあります。
しかし、有名人とはいえ、まったくその場で初めて会った方と、とても濃密な意識の交流があったはずだ、と信じられたのは後にも先にもこのときだけでした。
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