昨日は、パッションテストファシリテーター養成講座を初日に申し込んだものの、これでいいのかなぁ~と思っている私もいる、ということをUPしました。
その違和感がどこからくるのかと言えば主なものとしては、やはりアメリカでこそ通用するオープンで迫力のある感情表現方法などについて、同じやり方でのセミナーを日本でやってもピンとこないだろうなぁ、それが今回成り立っているのはジャネット・アットウッドというパッションテストを考えたご本人だったからだろうなぁ、というところからでした。
同じことをただやり方だけを真似したミニチュアコピー版みたいなことをしたってそれならばジャネット本人から受けたいわ、と思われるだけだろうなぁ、とも。
この時点でそもそも私はすでに自分の内側で、「私らしいやり方でパッションテストをやりたいのだ。」という思いがあったのでしょうね。
だって、たまたままったく畑違いのセミナーを受けたことによって改めてオーラソーマの素晴らしさも感じることができたこともあって、私はやっぱりオーラソーマを中心に据えたアプローチがしたい、と思っているのだということを自分自身のなかにある情熱として確認した、ということもあります。
オーラソーマは素晴らしいものだけれど、色のメッセージそのものは漠然としたものなので、ある程度ご本人が潜在意識とつながってこちらがキーワードを出せば、
「あぁ、そういえば・・」とか、
「それはこういうことかもしれないな。」と自分で気付く必要があります。
でも、それはいつ訪れるかわからないから、コンサルテーションの中では「はぁ、はぁ・・」「私ってほんとうに将来そんな風でありたいって思ってるのかなぁ。自分では全然ピンとこない。」っていうこともありえるのです。
そんなとき、パッションテストの提案がすごく功を奏すると思いました。
あるいは自分の感じている情熱を改めて4本ボトルをセレクションすることによって決意をあらたにする、ということもあるかもしれません。
いずれにせよ私は、オーラソーマとパッションテストをコラボできないかなぁ、ということを考えていたわけです。(それぞれは厳然と独立したものなので、中途半端なコラボができないことはわかっていますが)
そして私が感じた違和感はセミナーの途中でもありました。
主催者側の会社の人として場内を回っていらした方がいらっしゃいました。
彼はセミナー受講者がちゃんと意味を把握して戸惑うことなくセミナーを受けているだろうか、ということに細やかな心配りを見せ、ときには自ら受講者に話しかけたりしていました。
その人はとても紳士で、日本社会においては落ち着いた振る舞いをされる方のように見受けられました。
その人が、休憩時間のときに壇上からジャネットに、「○○~~!」と呼ばれたのです。
そうしたら、会場の一番奥に居た彼が(会場は200人以上入れる大きな結婚式が行えるような広間でした。)、「YE~~~S!!」と大きな声で答えてこぶしを振り上げて見せたのです。
この様子を見ていて私はあまりにもそれ以外のときの彼の雰囲気とはかけ離れていることにシラけてしまいました。
もちろん、どちらも彼の本当の姿でしょう。
ジャネットの前のときだけ自らを無理やり奮い立たせているわけではないでしょう。
けれど、ジャネットがいなくなったときの日本社会でいつも彼は誰かに少し離れたところから呼び止められた場合、「お~~い! ここにいるぞぉ~!」と手をあげて大声で答えるでしょうか?
絶対していないと思います。
相手に声が届けば十分だろう、という程度の声で、「はい。」と静かにそちらに顔を向ける程度だと思います。
そしてそれが自然です。
それが自然である日本社会で、彼らはどのようにしてジャネットの意志を自分たちなりに生かしてファシリテートしていくのだろう?ということがあまりにも読めなくて違和感だけを覚えたのでした。
そして昨日も書いたように2日目の朝一番のワークで、お隣の方とのワークもあり、私はこれは慎重に自分のスタンスを見極めないといけないぞ、と思い始めていました。
まだ飛び込んでもいないうちから、こういう手段とかプロセスのことについて思いを馳せだすこと自体がたいていの場合はもう黄信号なんですよね。
だってほんとうにもうどうにもならないほどの情熱を自分の内側に感じていたら、あとのことなんてたいていはどうにだってなる! 大した問題じゃない!と思えるはずですから。
オーラソーマに出会ったときの私は実際そうでしたし。
ずいぶん経ってからです。
(どうやらこれではなかなか食べて行くことはできないみたいだぞ。)と気付いたのは(笑)
職業とするつもりだったなら、ずいぶんとおめでたい話ですもんね。
もっと真剣に調べてから飛び込むはずですもんね。
でも、私は「オーラソーマやりたい!」という自分の心の声が200%のものだったのを感じて、それっと一直線にすぐに飛び込んだのでした。
さて帰ってから私はPCのメールボックスを開きました。
そこには毎日「今日の一言」というものが届くようになっているものもあるのですが、そのなかに、
「何かにNOといえば、何かにYESという事が出来る。」というものがあり、それにハッとしました。
そのとき私の心の中に浮かんだものは、このファシリテーター養成講座にNOと言えば、かなりのオーラソーマのコースを受けることができるな(YESということができるな)・・というものでした。
ここに現れた“NO”と“YES”という表現について、無心でいたはずなのにふっとそういう考えが浮かぶこと自体、どうやら私は養成講座は取りやめようと思っているみたいだぞ、とそのとき初めて気づきました。
それから私は友人に「今こう感じているんだけど、どう思う?」と相談しました。
すると友人は、
「その養成講座、どんな内容なのか確かめたの?」とたずねました。
「ううん。」という私に、
「確かめなきゃ! まず、そこじゃない?」と友人は言いました。
そのとおりだよね。
何十万というお金を払うことになるかもしれないというのに、何を私はそんなことを尋ねることさえためらっているんだろう。
それを聞かずに直感で決める自分をそんなにも優先したいんだろうか。
それとも聞いて、決定的な決断を下すことになることに何か恐れているんだろうか?
私はどう考えてもそこを尋ねてみないという手はないよな、うん、と思い、その主催の出版社に電話しました。
それが金曜日の午前中です。
電話に出た人は「ジャネット・アットウッド」と言っても、「心に響くことだけをやりなさいのセミナーで・・」と言っても、「パッションテストファシリテーター養成講座のことで・・」と言っても、きょとんとした感じで何も知らないみたいでした。
そのこと自体が私は(おかしいだろー)と内心、憤慨していました。
ここがそんなに大きな出版社ではないということはわかっている。
何人従業員がいるか知らないが、いくら担当でなくても、今、社をあげて取り組もうとしているセミナーのことを「?」という感じで問い返すというのは、この会社の情熱のトップダウン、共有が出来ていないってことじゃないか、と思うのでした。
その人は、
「では担当の者から折り返し電話を差し上げますので」と言い、いったん電話を切りました。
「担当の者から折り返し電話を~」と言われたら、ふつー、その日じゅうには電話をくれるものと思いませんかぁ?
いくら担当の人が外出していたからって言ったって、そして仮に不帰社であるということになったって、それならばそれで私がその出版社の社長なり上司なら、今一度電話を受けたときの担当から、
「すみませんが、今日中のお電話を差し上げられないようでございます。でも、○日には必ず差し上げますので、もう少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」と電話をさせるように普段から言い含めます。
けれど、その出版社からは待てど暮らせどその日じゅうには電話はありませんでした。
なんだか白黒はっきりつけたくなった私は、次の日の土曜日、朝いちばんの時間に(会社が始業するであろう9時に)再び電話を入れました。
すると、留守電の声が、
「はい、○○でございます。当社は土日、お休みを頂いております。月曜日にまたの電話をお待ちしています。」と虚しく響きました。
この瞬間、私の中で何かが切れました。
次の月曜日は海の日で祝日でした。
ということは、金曜日の午前中にした電話の「あとから担当者からさせますので」の折り返しがこの会社にとっては火曜日でいいと思ってるってことなのかよ!
ありえない・・ ありえない・・ ありえない・・
どんなにヤル気のあったセミナーでもこれはもうテンション下げ下げだわ。
ジャネットの人間性に惹かれたことは確かだけれど、この主催会社とは今回縁がなかったわ、と思いました。
これだけ放りっぱなしにしておいて平気な会社なんだから火曜日だろうが水曜日だろうがもう電話はかかってこないと思っていました。
けれど、火曜日に担当という人から、
「やぁ、すみません。お電話遅くなってしまって」と電話が入りました。
その言いぶりはまるで約束の時間に10分ほど遅れてすみません、というほどの感じでした。
この意識のズレを決定的なものに感じました。
もうそのとき私は「誰、あなた?」っていうくらい脳裏にありませんでしたから。
一応、聞きたいと思っていたことについては聞いてみましたが、やはりそれを聞いたところでもう私にそれまでのテンションは戻ってきませんでした。
やはり今回はこの講座は見送ろう、と思いました。
今更言い訳のように聞こえるかもしれませんが、私はこの主催会社のせいでこの講座を受けるのをやめることにしたんだ、とは思っていません。
これも波動なんだろうな~と思っただけです。
何かすれ違いが起こり、かみあうものがなかった。
それだけのことです。
それにしても、ジャネットが最後に声を大にして言っていたことは、オーラソーマでもよく引き合いに出すことでした。
すごく共感しました。
「あなたはあなたのままでいい。」
「それはなぜかというと、誰があなた以上にあなたをやれるの?ってことだから。」
「ダライ・ラマ、素晴らしい人ですよね? 誰かこのなかに、だけど、私ならダライ・ラマ以上にダライ・ラマをやれるわ、っていう人いますか?」
「マザー・テレサ、素晴らしい人でしたね? だけど彼女以上に彼女をやれる、っていう人、いますか?」
「いませんよね。それとまったく同じことで、“あなた”を“あなた以上”にやれる人なんてどこにもいないんですよ。だからあなたはあなたのままでいい。」
これはいつか、私もオーラソーマの授業のなかで叫びたい一節として宝物にしてとっておこうと思いました。
あ・・ もう、ここに書いちゃいましたけどね。
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