少し前にジャネット・アットウッドの「心に響くことだけをやりなさい」出版記念来日セミナーを受けてきた、という話を書きましたが、この話にはもう少しその後のお話があります。
実は会場で、「ジャネットがもう1度10月に来日します。そのときに日本で初めてパッションテスト・ファシリテーター養成講座を開講します。これを逃すと次にジャネットが来日する予定は今のところありません。是非、みなさんふるって参加されますように!」という案内がありました。
そして今日この会場に来ている人だけへの特別価格も提示されました。
興味はありました。
パッションテスト自体はほんとうに自分の情熱に真っ正直になるためにそれがクリアになる唯一の方法と言っても良いと思いますし、ジャネットの人間性にも惹かれました。
しかし、なんといってもその養成講座の内容があまりにもわからない・・
「養成講座、って言ってるんだから、それでもう察しろよ。」ということなんでしょうか・・
それともこの会場で感じた空気、ジャネットから受け取った波長だけで直感で決めるのが一番よいことなんだよ、ということなんでしょうか。
ちょっとためらいましたが、10月のことに対して今はまだ7月。
あとでキャンセルだってできるはずだ、けれど「会場特別価格」と言っているように、ここで申し込まないと特典にはあずかれないかもしれない、と思った私は1日目が終わったあとすぐに申し込みました。
そして2日目のセミナーの朝。
始まってすぐのワークは、隣の人とペアになって、「今、この瞬間あなたは何を考え、どんな気持ちでいるか?」を確認しあう、というものでした。
そのときに私は、
「私は今・・・ 昨日、実は養成講座に申し込んだのですが、ほんとうにそれでよかったのかなぁ、という気持ちでいます。」と言いました。
するとお隣の方(なんと! 同じお名前だったんですよぉ。それにもご縁を感じました。)は次に、
「私は今、自分がいまここにいるべきではなかったと感じています。昨日のセミナーの後半あたりからこの養成講座の話になって、生徒を呼び込むためにセミナーの時間が使われたのもどうかと思ったし、そもそも自分のパッションなんて人に披露するようなものじゃないでしょ。そんなの黙っておけばいいことじゃない。アメリカ人特有のノリが良すぎる感じもあてつけがましくてイヤだし。」とおっしゃいました。
私は、はぁ~やっぱり人っていろんな感じ方があるなぁ、と面白く思いました。
セミナーの時間を次の講座に生徒を呼び込むための時間として使う、ということは私も反発を感じます。
けれどこのときは、目的が“次の講座にも生徒を引き込むための・・”というようには私は感じませんでした。
いかにパッションテストが大切か、時代の要請を受けているか、そして日本という土壌ではそれがまだまだ根付いていないか、などの説明として最後のお尻にちょこっと「で、そのためにはこんな講座もありますので、よろしかったらどうぞ。」という程度にしか私は感じていなかったので、全然気になってはいませんでした。
けれど、全くそこに興味がない人にとっては、「今日、“今”この瞬間のセミナーに対してお金を払ってきているのに!」という気持ちが強く、イライラが募ってきたのでしょうね。
そして自分が何に情熱を感じているかそのものは人に言うようなことじゃないでしょ、というのもその気持ち、よぉくわかります。
日本人の美徳としてあまりにも「自分だけのこと」を話すのは他人様の時間を奪うということ、という思いがあるのでしょうね。
そして私は以前にナポレオン・ヒルのポジティブ・シンキング講座も受けたことがあるのですが、そこでは、
「自分のほんとうにやりたいことは、他人には話すな。」でした。
その理由は、必ず妨害者があらわれるから、です。
例えば、地方に住んでいる若者がどーしても東京に行って一人暮らしをしてみたい、という望みを抱いたとする。
それをそのまま親に話したってたいていは反対されるだけですよね。
「いい加減な気持ちで行くだけ行って、それでどうなるっていうんだ!」
「都会は恐いところだぞ。人に騙されたり、悪い習慣にわが子が染まってしまわないだろうか。」
そんな心配から親は子どもを手元においておきたいと思うでしょう。
けれど、このように自分にとって一番大切な人が、実は一番の自分の夢の妨害者ってことはよくあることなんだよ。
そんな風に教わりました。
自分の夢を他人に話すべきか、話さないべきか・・・
どちらも正しいと思うんですよね。
ただ私は、このセミナーに限り、という限定版で言えば、ですが前にも書いたように自分のパッションを人とシェアすることは良いことだ、と感じていたのです。
オーラソーマをやるようになってから、目の前に居る人は今日偶然隣になっただけの全く関係のない人ではない。
その人は自分の映し鏡なんだ、ということを身をもって感じることが多くなったからです。
この会場で知り合っただけの他人だからこそ、自分の夢を心配しすぎるあまり妨害するということもありえませんし、まったく他人だからといっても人に話した、ということで何かしらそれは本当に実現させなきゃ、とちょっと自分自身に約束した、という感覚もあるからです。
けれど、全然自分とは違う考えでありながら、私は目の前の人のストレートさに惚れこんでいました。
こんな何気ないワークであっても、自分の本心を話さない人は話しません。
それが否定的なことであればなおさらです。
会場全体の雰囲気を感じ取るかぎり、ジャネットのセミナーに批判的、懐疑的な人はほとんどいないと思っていました。
けれど、目の前にいらっしゃった。
それを言うには勇気がいることだろうに、この人はすごく自分の気持ちにまっすぐだなぁ、と思ったのです。
そしてそれは私も持っている部分だからこそ、意見は真逆だったけれど私の心の奥のどこかに響いたのでしょう。
そして2日目の朝イチから、自分とは真逆の感想を持った人とペアになって共にワークするということになったのも必ずこれは自分にとって意味のあることだろう、と思いました。
ですがこのときにはまだ私はファシリテーター養成講座に申し込んだことを後悔したり、撤回しようとまでは全く思いませんでした。
(やっぱり、日本でパッションテストの講座をやるときにはもう少しやり方を考えなくちゃついてこられない人が多いだろうなぁ。)と思っただけでした。
今回のセミナーが魅力的なのは、あくまでジャネット本人の魅力にほかならないからです。
同じやり方をただコピーして普段から自己表現に慣れていない日本人がやったとて全然自然じゃないだろうと思えました。
例えば、「心に響くことだけをやりなさい」の本の内容と同じセミナーをジャネットと全く信念を同じくしてただスケールを小さくしたコピーのような人が講演したとします。
聴衆は、「それならばジャネット本人から話を聞きたいものだ。」と思いますよね。
全くのコピーならご本人そのものに越したことはないのですから!
では、日本でファシリテーターを育てる、という意味がないではありませんか。
ジャネットと根本的な信念は同じくしていても、「私が一番強調したいのはここだ! それがジャネットとはちょっと違う。」という人であれば、その人は一番強調したい部分についてはジャネットより熱く語ることができるかもしれません。
そしてそれがセミナーの魅力になることはありえるでしょう。
やっぱりただのコピーじゃだめなんですよね。
いろんな思いが私のなかを駆け巡り始めました。
まだまだ続きがあるのですが、今日は枚数も尽きてまいりましたので、ここで筆をおきたいと思います。
続きはまた明日。
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(前回のセミナーの記事も興味深く読ませて頂きました)
それと、
本の購入も検討中
(しかし、未読本が多くて、新しく本を買うのをためらいます(^^ゞ)
先日のコメント、有り難うございます♪
そうかぁ、やはり、キリストのボトルで手が真っ赤になるのですね。
何だか安心しました。
(この、安心が大切~)
そして、”安心が大切”!
ほんとにその通りですよね。
心が安定していれば、私たちには恐いものなんてありません!
ジャネットの本、検討中なんですか?
すごくいいですよ。
本さえ読めば、あますところなくパッションテストのことと迷いが生じた場合の解消法などもわかります。
まだまだほかにもいっぱい読みたい本があるから・・ということでの検討中でしたら、feelさんの中で気持ちが熟成するのを待ったほうがいいかもしれませんが、よし!と踏ん切りがつきましたら、わたくし、feelさんにプレゼントします。
というのは、会場で1冊もらえたんです。
でも、私はもうこの本を読んで参加したわけですから、当然必要ありません。
どうしようかな~この本、と思っていたところでした。
feelさんがお読みになるなら、以下のアドレスにfeelさんのご住所を教えてください。
すぐにお送りします。
chakra@aura-soma.name
です。