今日も、渡辺和子さんの『愛をこめて生きる』からハッとしたお話です。
皆さんは「タレント」についてのお話を知っていますか?
タレント(Talent)とは、英語で「能力」「才能」という意味ですが、これが聖書のなかのたとえ話から来た言葉だということをご存知ですか?
この聖書のたとえ話というのは、1人の主人が遠くに旅立つに当たって、3人のしもべにそれぞれお金を渡すというところから始まります。
そのときのお金の単位というのが「タレント」。
しばらくして旅から戻ってきた主人は3人のしもべたちにお金をどうしたか尋ねます。
すると、2人は2倍にして返しましたが、残りの1人は失うよりは、とお金を地中に埋めておき、それを厳しく主人から叱られるということになった、というお話です。
どうやらこのお話は後世に伝えられるにつれ、もっと意図をわかりやすくするために脚色が加えられて伝えられているものが多いようです。
私が初めて人からこのお話を聞いたとき、その人は、
「1人の人は地中にお金をただ埋めておき、
1人の人はただパーッと使ってしまい、
1人の人は増やしました。
さて、どの人が叱られたと思う?」
というようなトンチ話のようにして教えてくれました。
すると「パーッと使ってしまった人かな?」と答える人が多いので、「いいえ、実はね・・」というように話を展開させやすいからでしょうか。
そのために聖書とは若干違い、勝手に「パーッと使ってしまう」という人を登場させているわけですね。
そしてこのとき私はこのお話の教訓を、
「お金であれ、何であれ、この世は何でも体験してみるためにある。だから、ギャンブルかなんか知らないがパーッと使ってしまった人であれ、それは何かを体験し、そこから悔しい思いを学んだりこういう使い方はいけないな、と自分を戒めたり何かしらを得たことであろう。しかし、地中に埋めておく、ということからは何も生まれやしない。このように何もしない、そこから動き出さないということが一番神の嫌うことなのだよ。
だから何かをやってみることを『タレント』(能力)と呼ぶことが始まったのだ。」というように聞きました。
これもあながち間違いではなかったでしょう。
しかし、この「愛をこめて生きる」のなかで渡辺和子さんはこうおっしゃっているのです。
「このたとえが言おうとしている第一のことは、まず能力、すなわちタレントとは、いただいたものであって我が物顔に使ってはいけないということだろう。第二に、他人と能力の程度が違っているからといって、うらやんだり、威張ったりする筋合いのものでなく、主人が帰る日まで、つまり神とまみえる日までに、それを世のため人のためにどれだけ使って増やすかが問われるということ、そして第三は、自分が与えられた能力は、それがいかに僅かなものであろうとも、地中に埋めておくことは許されないということである。」
つまり、「ただ使わずに埋めておくことが一番よくない。」というのは三番目に来る教えであり、一番大切なことは、「タレントとは天からいただいたものであり、我が物顔に使ってはいけない。」ということだったのです。
私たちはつい、自分に人より秀でた部分があるとそれは自分が努力して勝ち得たものだ、という錯覚に陥ります。
もちろん得意なこと、秀でたことというのはやっていて楽しいでしょうから、もともと天からいただいたタレント以上に磨きをかけようとすることはしたかもしれませんが、それを自分の楽しみのためだけだったり、人に自慢をするために使うことは許されないのだ、ということを思い知りました。
あくまでタレントとは、「天からの借り物」。
神から言わせれば、「たまたま配置としてそのタレントはおまえに備えてやったけれど、別におまえかどうかなどどうでもよかったのだ。あんまりこちらの意図するところと違う使い方しかしないのであれば、なんなら取り上げてしまってもいいのだぞ。」という事になるのでしょうね。
オーラソーマのコンサルテーションで4本のボトルを選ぶとき、2番目に選んだボトルのことを「ギフト&タレントボトル」と言います。
私が初めてオーラソーマを習った頃には「ギフト&チャレンジボトル」と呼んでいました。
ティーチャーからは、「2番目に位置するボトルは、自分の課題が現れている。」と聞きましたからそのときの私にとっては、確かに“タレント”というより、“チャレンジ”と言われたほうがその意味をすんなりと理解できました。
しかし、それがいつのまにか「2番目のボトルはギフト&チャレンジではなく、ギフト&タレントと呼ぶようになりました。」と言われ、「は?」と思いましたが、なぜかそのときには「あ、そう。」ぐらいの軽い気持ちであまり真剣にその意味を考えてみようとは思いませんでした。
ただ、私が習った頃は「2番目のボトルはマイナスの意味として解釈することが多かったけれど、今ではオーラソーマは2番目であろうとどの位置であろうと、ほとんどマイナスの意味には解釈しないようになった。ギフト&タレントというのは、自分の課題とは何ヶ月も何年もかかってクリアしなければならないようなものではなく、ちょっとだけ自分の視点を変えれば実はいますぐにでも自分の能力に組み込むことができるものなんだよ、という捉え方をするのだ。」と聞き、なるほど、だからがむしゃらにチャレンジというよりはタレントなのか、と合点したことでした。
でもこの渡辺和子さんが言われるように、「タレントとは天からの借り物であって、決して自分のものだ、と勘違いして我が物顔に使っていいというものではない。」
そして「再び神とまみえる日まで、いかにそれを世のため人のために使って増やして返すことができるか、という気持ちで使うこと。」だと解釈することによって、「ただぼーっと使わずにいるよりはどんな体験であれ、したほうがいい。」というだけの解釈をしていた私にとって、これは間違いなく素敵なギフトでした。
そして、B36「チャリティ」とワークをはじめ、B36がくれたギフトかもしれません。
タレントをより増やしていつの日か天に帰るとき、「はい、これだけ増やしておきました。」とお返しできるように、という考え方は今の私にとって実にしっくりとくるものであり、かつ、そのほうがよっしゃ、頑張らなくっちゃ!!と気持ちを奮い立たすことができるものでした。
ありがとう、ありがとう。
なんだかすべての人に感謝したくなる1日でした。
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