朝、我が家の長老猫チャワンテが食べたものを吐きました。
それは特に珍しいことでもないので、(慌てて食べたようなときに直後、ツルッと吐いちゃうことがあります。)あまり気にしませんでした。
しかし、その後、何度となく水を飲むのです。
その様子を見ていて、一瞬心臓がきゅう~っと縮まるほどドキッとしました。
というのは、今の猫たちを飼う前に飼っていて、看取った花奴(はなやっこ)とポン太の病気を思い出したからです。
それは、腎臓病・・・・。
ある日突然に、水飲み場から離れられないのよ~という様子になってしまい、あわてて病院に連れて行ったらすでに手遅れ、腎臓の機能の80%が失われた状態で、もう長くはないでしょう、と言われました。
けれど、彼女たちは毎日の点滴によってそれからなんと6年も生きてくれたのです。
寿命をまっとうしたのは20歳。
亡くなった年齢には不足はありませんでした。
もう、腎臓病のせいで亡くなったのか、年齢的にお迎えが来たのか判別がつかない感じでした。
ペットの場合、その飼い主だけに限って医療行為が認められているものがあります。
点滴がその1つでした。
「2、3日置きに病院に連れてこられますか? それとも毎日あなたのお家でご自身で点滴をされますか?」と医者に尋ねられ、私は迷わず後者の自分の家で自分の手によって彼女たちに点滴する道を選びました。
医者はどちらかというと、2,3日置きになってでもやはり病院に来てもらったほうがいいのだけれど的な雰囲気でしたが、その医者は予約を受けているわけではなく、なかなか優しい良いお医者さんだったので人気も高く、いつも混み合っていましたので、待ち時間も長かったのです。
その頃会社勤めだった私が、2,3日置きに2、3時間も遅刻するなんてありえなかったですし、ケージに入れただけで医者というイヤなことをされる場所に連れて行かれる、とわかっていた彼女たちのストレスも考えて私はそちらを選んだのでした。
結果的にそれは今でも正解だと思っていますし、彼女たちが亡くなったあとにそのお医者さんに「長い間、ありがとうございました。」とお礼に行ったとき、
「正直、ここまで生きるとは思いませんでした。うちの医院での最高記録です。あの状態まで腎臓が破壊されていて6年と言う記録はこれからも破られるとは思えません。あなたの臨床例を見ていて、今では私は考えを変えて、同じ病気の患者さんには、やはり一番なついている飼い主さんがお家でやってあげるのがいいですよ、と推奨するようになりました。」とまで言われました。
けれど、それは本当に私にとっては経済的にも肉体を拘束されるという意味でも大変な6年間でした。
2泊以上の出張はお断り。(また、それは受け入れてもらえたからいいんですけれど。)
1泊までは何とか行きましたが、もう気が気じゃない。
早く帰って点滴してあげないとへたってるだろうなぁ、ということがわかっていますから。
自分のためにはほとんどお金を使えない。
なにせ、点滴1パック1480円で、それが1日に2パック必要でしたから。
1ヶ月に10万円近い治療費が猫にかかったんです。
もうそれ以上に自分のために使えるお金なんて残りませんでした。
またあの日々がやってくるのか・・・
そう思ったとたん愕然としたのでした。
あれを2度と私はやれるだろうか、と。
あれから私は、身近な人が亡くなったり、同じ時代を頑張って仕事をしてきた人の壮年期で天に召された状況なども目の当たりにして、人の寿命とか延命治療に関する考え方も変わりました。
「延命治療はいやだ。」とは今ではほとんどの人がおっしゃると思いますが、私は“延命”の意味についても今一歩踏み込んで、点滴さえも自分の場合は拒否したい、と思っています。
それはある医者が、「昔でいうところの“自然死”とはつまり、餓死のことです。もうお迎えが近くなった人は何にも欲しくないんです。その代わり脳内物質が分泌されて、苦しくもないんです。そこに点滴をしてしまうと寿命は伸びるけれど亡くなるときは苦しいです。」と言ってらしたのをなるほど、と思ったからです。
確かに花奴とぽん太は亡くなる末期のときは苦しそうでした。
けれど・・・
と私はまだ迷っています。
彼女たちは20年生きてくれたけれど、6年というその人生の3分の1以上を点滴治療を受けながら生きてくれたのです。
その間、点滴をしている限りはまったく通常の動きでしたし、苦しそうでもなんでもなく日常の生活を送っていました。
点滴を拒否すれば14歳で亡くなっていたわけです。
それはさすがに出来ないなぁ、と思ったり、いや、でもそれがその個体の寿命なんだから、と思ったり・・
そして、私がもうあのときのような延命治療はしないでおこうか、と思っている背景には、あのときほど自由になるお金がないから、ということが大きいんじゃないか、と自分の心の奥をまさぐったりすると、
「結局、命はお金である程度買えるんだよなぁ。人間だってそうだもんね。たとえばガンなどでは最新の治療ではまだ保険がきかないものもある。自腹で払ったら、1回の治療費が何十万も何百万もするようなものもある。そしてそこまでの治療は選択できない人がほとんどだろう。」と考えると、何も猫にだけひどいことをさせるわけでもないようにも思える。
その治療を受けさせれば回復が見込める、というものについてはもちろん迷わずに治療を受けさせてあげたいですが、治るわけではないとわかっている病気をできるだけ現状維持のみの医療を受けさせて命をながらえさせる、っていうことに対するふんぎりがつかないのです。
「ねぇ、チャワンテ・・・ あんたはどうしたい? ちょっと苦しくても長生きしたいか、何もせずにすーっとあの世に行くか・・・」
私はチャワンテのあごを撫でながら尋ねました。
チャワンテはなぁ~んにもわかっていないような顔をしているばかりです。
私は続けてチャワンテに語り続けました。
「約束したじゃん。ずーっと一緒だよ、って。ずーっとこれからもふたりで長生きするんだよ、って。ひとりで病気になっちゃだめじゃん。それともアクアが来てからあんまりかまってやれなかったからストレスだった? ごめんね、チャワンテ。」
すると、何となくチャワンテが、
「わかった。大丈夫だよ。あたし、気力で治す。これ、そんな重大な病気じゃないもん。」と言ってくれたような気がしました。
そうしたら、ほんとうにそれから1度も水飲み場に行かなくなりました。
コタツを出してやったら、下にもぐりこんでほとんどそこを寝ぐらにしていたチャワンテが、今日はまたすぐに水を飲みに行かなくてはならないから、という感じでじゅうたんの上で縮こまっていたのに、それからはいつものようにすっとまたコタツにもぐりこんでいきました。
水の入ったボウルを変えてやり、仕事をしにサロンに行き、夜になって帰ってきてボウルを見ても、あれから減っている様子はありませんでした。
ほんとうに脱力感をおぼえるほど、ほっとしました。
どうやら、花奴たちと同じ腎臓病だ、と思ったのは早計に過ぎたようです。
たぶん、吐いた気持ち悪さと胸焼けからちょっと何度か水を飲んだだけみたいです。
元気もあって、アクアと一緒にはしゃぎまわっていました。
よかった~
けれど、今回は免れたとはいえ、いずれそういう日がやっぱりやってくるかもしれません。
今日はその予行演習をさせてもらったような気がしました。
花奴たちが亡くなって新たな猫を迎えるときも、そして迎えてからも、何度かは「また同じ病気になったらどうしよう・・」ということが胸を去来したことはあります。
けれど、それは考えたくないことだ、とふっきって、今までなんとなく来てしまったように思います。
私は自分自身が実際にそういう場面になってみないとやっぱり真剣には向き合えない、まだまだこの問題に結論を出していないことがよくわかりました。
チャワンテはこれから老齢になる一方ですから、ゆるゆるとしかし、真剣に考えなくてはな、と思いました。
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コメント、ありがとう~
そう、1本リーディングでB69なら、それが和ちゃんの今のソウル・ボトルだね。
名前教えてもらった?
「ラブ・フロム・アバブ」(天からの愛)って言うんだよ。
日常の些細なことにも愛をみつけ、愛を注げる人・・・
和ちゃんらしいわ~
それからB20は、いま、わたしそれとワークしています。
「スター・チャイルド」っていう、自分のインナーチャイルドと会話するようなボトルです。
もう今までにも十分に気長にきたので、これから先、和ちゃんに会えるのがいつになっても泰然としていられる気分です(笑)
でも、来年B20の和ちゃんに会いたいね。