ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

サービスについて考えさせられたこと

2019-01-27 09:01:21 | 身辺雑事
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昨日は、映画「マスカレードホテル」を観てきたことで、サービス精神ということについて考えさせられたことについて書きました。
しかし、最も考えさせられたのは実は今日、これから書こうとしていることです。



映画の後半、フロント係である長澤まさみがこんなことを言うシーンがあります。
「私たちがどうしてお客さまを御見送りするとき、どうぞ、気を付けて行ってらっしゃい、と言うかわかりますか?
それは私たちは、お客様が一歩このホテルから出て起こったことに対しては、何も責任をもてないからです。
だからこそ、このホテルのなかでお過ごしいただく時間についてはカンペキなサービスを提供したいのです」
一言一句同じかどうかと言われたら若干違うところもあると思いますが、まぁ、こんな感じです。
私はこのセリフのなかの、
”一歩、このホテルから出て起こったことに対しては、お客さまに責任を持てないからです”
という部分にとても考えさせられました。
それは自分が今やっていることについてつらつらと考えが流れていったからです。



ホテルはある意味、「”場”提供業」です。
だから、このセリフのように、「一歩ここを出られてからのことには責任をもてない」というのはしごくまっとうな考えのように思います。
逆に言えば、お客さまがホテルを出られた後であっても、ホテルという”場”で起こったことについては責任をもつ、ということも言えるかと思います。
たとえば、チェックアウトしてしまってから、お客さまから連絡が入り、
「部屋に大事なネックレスを置き忘れてしまったと思う。探してほしい」
と言われたとき、
「それはお客さまの自己責任でしょう。もうチェックアウトされた人のことは知りません」
などというホテルはないと思います。



これが世の中で最も多い物体を伴う「商品」を取り扱う職業だったらどうでしょう。
お客さまが買ったりんごが中を切ってみたら腐っていた。
それをお客さまが電話をして、
「ちょっと、あなたのところのスーパーでさっき買ったりんご、腐ってたわよ」
とおっしゃったとき、
「そうですか。でもうちを一歩出てそのあとに起こったことについてはいっさい責任をもちません。それが本当にうちで買ったりんごだという証拠はありませんからね。」
とはなりません。
そりゃ、1週間も2週間も放っておいて腐ったと言われても、というのはありましょうが、その日のうちに起こったことであれば、
「それは失礼いたしました。お取替えいたします」
となるのが普通かと思います。
つまり、これは「商品」についての責任がある、と提供側が自覚しているからですよね。



さて、それでは私のような”目に見えないサービス”を提供している職業の場合は、どこまでが責任がある、ということになるのだろう?ということをふと考えたのでした。
特に「心」の問題を扱うセラピーというジャンルは難しいよなぁ、と思いました。
「サロンにお越しいただいている間だけが私の責任の及ぶ範囲」
というのは間違いないかもしれません。
けれど、クライアントさんが家に帰ってからの気付きなどがあった場合、
「ぜひ、メールでもいいからシェアしてくださいね!」
と言って私は送りだします。
気付きの喜びは分かち合ったほうがいいだろう、と思うからです。
では、クライアントさんが家に帰ってから
「また落ち込んじゃったんですけど・・」
みたいなシェアだったらどうするのか?という問題が出てきます。
嬉しいご報告ならしてくださいね、と言って置いて、落ち込んだ報告はしないでね、というのは虫が良すぎやしないか、と思ってしまうからです。
そしてさらに踏み込んで、
「こういう場合私はどうしたらいいんでしょう?」
というような相談をメールで受けたらどうしたらいいのか?という問題もあります。
それはカウンセリングになってしまうからフィーが発生するのならいいけれども、タダでその相談には乗れませんよ、と言うのが本筋なのかもしれません。
まぁ、私の場合、たいていはメールでも詳しく返事しちゃいますね。
本当は来ていただきたいんですよ。
でも、”今”苦しんでいる人を無碍にはできないし・・とか思ってしまう。
自分ならするか?と言われたら、絶対にしない。
だってメールを書くということは、実際に費やす時間以上に時間を使うわけだから、それは「時間泥棒」じゃないか、と恐縮してしまうから。
だったら、自分で出来ないことをしてくる人なんて放っておけばいいじゃないか、と言われたらそうなんだけど・・・。
う~ん、難しい。
ホテルのように、
「ここから一歩出たら、私どもの責任が及ぶ範囲ではないわけですから」
ときっぱりとしていればいいのかもしれませんけれども。



そんなことをつらつら考えていたら、この前こんなことがあったんです。
私が起業に関するコンサルタント受けた先生から、
「少し電話で相談したいことがあるんだけれど、いい?」
という連絡を受けました。
その先生が自身のコンサルをより良いものとするために以前に受けたことのある私の意見を聴きたいのだ、ということでした。
快く引き受けました。
私の感想が役立つことがあるなら、と意気揚々と電話を受けました。
すると話していくうちに、私の近況を尋ねられ、それに答えているうちに、まるで私がコンサルを受けているような感じになってきてしまったのです。
その先生もサービス精神旺盛な方ですから、つい教え子の現状について、
「もっとこうしたほうがいいよ」
「これもやってみたら?」
などアイデアやら情報を提供してくださったんですね。
それはとてもありがたいことだ、と思いながらも、私は感情ではこう思っていました。
「なんか嬉しくない・・」



それはなぜかというと、その先生が教えて下さるスキルやメソッドを試す、試さない以前に、今の私は”ビジネス”をしよう、とかビジネスを目的地にしよう、という考えがなかったからです。
行く気もない場所のことで、
「飛行機に乗ってみたら?」
とか、
「時間的にロスのない乗継ぎ電車を教えてあげる」
と言われても、まったくムダな情報に過ぎません。
それが私にはわかっていたのですが、そもそもの立ち位置がちょっと違うのだ、という説明はうまくできないまま、電話口で時が流れていきました・・



そしてつくづく思ったのです。
クライアント(お客さまと言い換えてもいいです)が望んでいないことまで提供してもそれは夏炉冬扇です。
馬の耳に念仏、犬に論語、のれんに腕押しです。(もうそんな並べなくてもいいって。ハイハイ)
でも時々セラピストとして私もやってしまいます。
とうとうと「サービス」のつもりで、本人が聞いてもいないことまで話しちゃうことが。
道端に転がっている石でも大切に持ち帰り、磨いてビロードの布の上に飾ったりすれば宝石ですが、単なる石ころにしか思えない人にはただの石ころです。
そしてそれは受け容れ側にとってのみ、決める権利があることなんですよね。
提供する側がいくら「これは宝石なんだって」と押し付けたって、石ころにしか過ぎない人にとっては、その時点ではどこからためすつがめつしても石ころは石ころです。
そんなことにやっと私自身気付きました。
「サービス」、それは受ける側にとって価値があるかどうかだけを考えて提供しなくては意味をなさない、ということを。
提供側の論理ではないのだ、ということを。
そして、いつでも24時間私はサービス体制にいますよ~と訴えかけるよりも、クライアントさんが一歩自分のサロンを出たら、確実に自分の足で歩いていくのだ、ということを信じてあげなくてはいけないな、と思いました。





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11 コメント

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Unknown (たまみ)
2019-01-27 22:20:46
ずれたコメントになってしまいますが、
『どこまでを提供するのか』ずっと線引きで悩み続けています。
自営業の女性に対しては特にその傾向が強いような。。。
言いやすいのでしょうねかね。。。。。
医師や弁護士も、知り合いからの『ちょっと相談に乗ってほしい』は
よくあるものの先生扱いされますし世間的に「偉い人」なので
そこは全然違うと思います。
私は『これ私がレッスンの時に作った曲なんですう。次のレッスンまでに
変なところあったら直してくれますか?!
私の先生は厳しくて〜』と軽〜く頼まれた時にはドン引きしました。
もちろん無償ですよ。
その先生とらやも謎の専門学校?を卒業したのみ。
いやいやいや。この人の中では謎経歴よりも正式な教育を受けて
地道にやってきた私が下ってこと?!
(※その先生を批判しているのではありません)
悪気がないのが怖いわ。
デザイナーさんとか凄いみたいですよね。
デザイン得意でしょ?ちょっとやってくれる?とPTAの冊子にイラスト描いてとか。
翻訳家さんも、暇なときでいいよ、ちょっと訳してとか。
プロをなんだと思ってるんだろ。
そして大体、全く悪気なく上から来ますわ。
企業に所属している人達は、会社規則として断わる口実があるのですが
フリーランスだと大変です。
物作りや技術に対して敬意を払えない世の中になって欲しくないです。
長年の血の滲むような努力、その地位に至るまでにかけた時間がその料金となっているんですもの。
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Unknown (たまみ)
2019-01-27 22:36:11
怒りの長文ですみません。汗
この手の話は、手に職系の皆さんあちこちで体験されてると思います。
プライベートの時に軽〜く失礼な依頼を受けたくなくて、職業を隠している話もよく聞きます。悲しい。。。
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Unknown (些々羅)
2019-01-28 17:37:30
たまみさん、いつもコメントありがとうございます。

全然、ズレてなんていませんよ。
それに、仮にズレていたとしたって、そんなことなんの問題もありません。
私は、私が書いたものからそれをその方の人生のフィールドに引っ張って行っていただいて気付いたことをシェアしていただくのはとても嬉しいことです。


たまみさんに「ちょっと見ていただけますぅ? 私の先生は厳しくて」とおっしゃった方というのは、たまみさんを自分の先生より下に見下しているわけではなくて、
文字通り、その先生は線引きが厳しい人で、ぴしゃりとしているので言いにくくて、たまみさんはそれが言いやすい雰囲気があった、ということだけではないのかな?と良く考えれば思えないこともないかなぁ。


仮にそうだとすれば、私たちもぴしゃりと線引きをすればいいだけなんでしょうね。
それが出来ないのは、自分のなかに
「人に良く思われたい」
「嫌われたくない」
という気持ちがどこかにあるからなのかなぁ、うん、私の場合、ある、ある、と認識しています。

これがある限り、いつまでたっても、なかなかぴしゃりと線引きはできません。
いまだに
「今回、これでよかったのかな?」
「うわ~、やってもうた」
とか、いろいろそのたびに考え込みます。

私の友人が、
「私は、私が嫌いな人からさえ、嫌われたくない」
と言ったことがあり、
思わず笑ってしまいました。
でも、それくらいの気持ちがどこかに自分のなかにもあるな~ということを自覚します。

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Unknown (たまみ)
2019-01-28 18:17:07
耳の痛いツッコミをありがとうございます。
嫌われたくないだなんて優しいニュアンスどころか「迂闊な対応をして相手の気を損ねて悪評流されたくない」というドス黒い思いのみです。
勘弁してよ、また?!という。
訂正したいのは「ちょっと見て頂けますか」のノリではないんですよ
「あ、あなたも音楽やってたんだーじゃあ出来るよね。(でも早くして欲しいから今やってくれる。そして、教えてほしいので毎週会える?)」のノリ、完全に上からです。
あなた「も」やってたんだ。が、そもそもおかしい。
同じか?あなた達と。
ニュアンスをなかなか伝えきることは出来ませんが、
ヨーロッパでもこの手の話に辟易した人たちの解決策がよく論じられていて(日本以上ですね、おそらく)
最初に「では今はクライアントの予約がいっぱいなので、来月請け負います。料金は〜です。」と笑顔で伝える、とか。
しかしやはり「他のお客様には料金を頂いているので、ごめんなさいお受けできません」が王道のようです。
面倒がらずに怖がらずに対応するのが疲れます。。
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Unknown (些々羅)
2019-01-29 16:22:16
たまみさん、そんなニュアンスっていうか、言い方だったんですね!
それはもう、いけません。
私も、「私が嫌いな人にさえ嫌われたくない」という行動をついとってしまうきらいがありますが、完全に私の中で「心がキレる」状態になったときには、私は世界中を敵に回しても構わないぐらいの勢いで、その人を自分から切り離します。
もう、どう思われたっていい!と。
笑顔で伝える必要も感じない。
いい顔して自分が疲れ切っちゃってもしょうがないですもん。
たまみさんも、どうぞご自身のキャリアをたいせつに、
悪評流されたってかまわんぞ!ぐらいの勢いで対応なさってください。
だって、そんな人なら悪評どころか、人が聴いても
「そりゃアンタのほうが悪いでしょ」
っていつかちゃんとわかってくれるはずだから。
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Unknown (たまみ)
2019-01-30 03:42:00
すみません、続いてしまうのですが
普段わりと仲良くしているお友達でも
ふとした時にこの手の会話があるんですね。
もちろん長年の親友とはまずこんなことにはならないのですが。
例えば会う時にピアノが置いているレストランで食事をすることになった場合、
「誰でも弾いてもいいみたいだから、弾いたら?」とか「弾かせてもらったら?」とか!
いや、素人か?わたし。
ギャラを頂いていた立場でっせ?と。
お願いされて演奏することも、こちらから雇って頂いたこともありますが、いずれも仕事としてお金を頂戴してきたので、いやはや趣味の延長じゃなくてですね。。と。
この時も「よかったら弾いてくれない!?」なら間違ってないと思うんですよ。
友人の結婚パーティーとかで演奏したり、作ったりなどもしてきましたしね。
お金の問題よりも、子供の頃からやってきたことの価値を正しく理解されず低く見積もられたのが腹立たしいのですよね。
ジャンルは違えど手に職系の他の方の経験を聞くとあるわあるわ、です。
その一方で無償で質の低いものを提供してしまう人達もいるので、そちらも問題ですし、なかなか難しい問題だと思っています。業界全体を下げてしまうので。。
返信する
Unknown (些々羅)
2019-01-30 17:02:54
たまみさん、こんにちは。

ピアノが置いてあるレストランに行ったとき、
「弾いたら? 弾かせてもらったら?」
と言われるのは、私ならこれに関してはあまり腹立たしくないかなぁ。
「あなたはピアノがとっても好きなはずだから、こうしてピアノが置いてあるものを見たら、うずうずしてきちゃうでしょ。もしそうなら、遠慮せず弾いたら?」
というつもりで言っているのかなぁ、と思うからです。

この場合は、その友人の主体は「わたし」の気持ちにあるわけですよね。

でも、確かに「よかったら弾いてくれない?」の方が、ストレートに気分はよいです。
そしてこの場合の気持ちの主体は「友人」にあって、友人が「あなたのピアノを是非とも聞きたいから」と思っている、ということですよね。

今日、わたくし整体をうけてきまして、その先生に
「いい? 絶対にあなたが提供しているものに見合うお金をいただかなくちゃダメだよ」
と言われました。
整体でどうしてそんなことがわかるんだ!?と思いますが、なんだか自分の弱いところを突かれたようで、ちょっとドキッとしました。

確かに「私ならいいの・・」なんて犠牲者ぶってる場合ではないですよね。
業界全体の問題です。
そのとおり。
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Unknown (たまみ)
2019-01-31 01:45:22
うまく伝わらなくてすみません。
恵津子さん、私は趣味で音楽をしたことが一度もないんですね。
プロの音楽家に対して適当なレストランに楽器があるからといって「弾かせてもらったら?」はいくらなんでも無いだろうと思ってしまうんですよね。
数年ちょこっと習っただけなどではなく正規の教育を受けコンクールに出て仕事として製作を受け本も出してきたので。。
お金を頂いて事務所に所属しているわけですし。
私が音楽を好き嫌いは関係ないです。
アートの方々も同じで、どこかの謎の専門学校を卒業した程度の人と、美大を卒業して個展をしている方とは同じではないですよね。
まぁ絵は少し違うかな、と思いますが。
長々失礼しました。
特殊な世界なので理解されないのは仕方ないのかと
思いやられます〜
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チャワンテちゃん (たまみ)
2019-01-31 01:49:52
今!新しい記事を拝見しました。
すみません、どうでもいいことをコメントしてしまって。。!
チャワンテちゃん、お疲れさまでした。
恵津子ママさん、ダーリンさんも、お疲れさまでした。
どうかどうか肉体の苦痛から解放された今、リラックスしてね。
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Unknown (些々羅)
2019-01-31 10:49:17
たまみさん、私こそ失礼いたしました。
自分自身が初めてオルガン(が最初だった)を習うことになったとき、ポンポンと店で音をだしていたら母親が
「好き? 習ってみたい?」
と聞いてきて、ただ綺麗な音が鳴るってことだけが嬉しくて
「うん!」と言った日のことを思いだして書いてしまいました。


つまり、誰でも最初というものは好きで趣味から入ったんだよね、と思い込んでいたからです。

でも、たまみさんの
「趣味で音楽をしたことが1度もない」
「音楽を好き嫌いは関係がない」
という言葉を読んで、ハッとしました。
これは重い言葉だなぁ、と。

そういう人生を送ってこられた人もいらっしゃるんだな。
そりゃそうでしょうよ、いろんなパターンがありえるよな、と初めて気付いたってわけです。

確かに芸術関係は特殊な世界かもしれませんね。
スポーツもそうかもしれませんが、誰にでも多少ならそれはできる、けれどプロとなると圧倒的に違う、というものの世界ですから。
これがシロウトや一般人ならそもそも全然できるわけがない、というものであったらわかりやすいのでしょうけれども。
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