いつもボトルを使っても、ボトルを使ったからこのことに気づいたのか、それともボトルを使わなくてもどのみちこのことには気づいたのかよくわからないままの私。
しかし、今回は違いました。
ボトルを使ったから気づいたのか、そうでなくても気づいたのか、そもそもそんなこと自体がどっちでもいい。どちらにせよ、私の身の上に起こったことには間違いないんだから、という気持ち。
B11を使って気づいたのでないなら、その気づかせることに出会わせてくれたのはやはりB11あってのことではないか、とまで思えます。
前にちーちゃんが、「ボトルを使ってるとき、声に出してこういうことに気づけますように、って言ってる? 私は言ってるよ。」と言ったので、エ、そうなのか、私は言ってないな、と思っていました。
いつも寝る前にはパラスアテナをかかさない私。そしてパラスアテナの願い事だけはちゃんと口にだして言っています。なぜなら、口に出すことによって、
「私はこのことを今願っている。」とはっきり確認できるからです。
時には口に出しながら、「あれ? 私、本当にこのことを願っているのかな。どうも違うようだな。」と違和感を覚えるときがあります。
それは、そのようにして、そのこと自体を願っているわけではないという自分の中の変化に気づくこともあれば、表現の仕方をちょっと変えるとしっくり来ることがあって、ちょっとした表現の違いにものすごく気持ちがあるかないか、と言うことがあるのだな、と自分を確認するときもあります。
このようにパラスアテナのときだけ口に出していたけれど、やっぱりそりゃボトルを塗るときだって、口に出したほうが良いに決まってるよね・・
でも、何に気づきたいかわからない・・
ボトルによって何に気づかされるかがまた面白いからあえて自分からは決め付けて口にしたくない、ってのもあるし・・
などとためらっていましたが、少なくともB11に関しては、明確でした。
「自己受容」です。
「どんな自分であっても、まずその自分を受け入れることができるように。」と明確に思っていました。
だから、ちーちゃんにそう言われた日からボトルを体に塗るときは口に出して言うようにしていました。
「私が、こんなところもある、という私を受け入れることができますように。」と。
あと、残り5ミリほどになったとき。
バーン!と気づきがやってきました。
それは、日々のなかでうすうすと言う感じで前から道端の石ころのように、私の前にひっそりと横たわっていたものです。
石ころ程度のものなので、私が気にもせずまたいで行ってしまえば気づきにはならないレベルのものでした。
それが、ある日を境に石ころが集合してひとつの岩になり、「これでもか!」とバーンと私の前にたちふさがり、気づかざるを得なくなった、と言う感じになりました。
その気づきがなんだったか、というと・・・
「中途半端な自己犠牲心は、誰のためにもならない。むしろ、しこりとなる。」というもの。
私はもともと「自己犠牲」からは程遠いタイプだと思っていました。
だから、まずそれが自分にある、と認めるところからがはじまりでした。
「自己犠牲」や「ボランティア」というと、なじめないのですが、私には「頼まれるとイヤと言えない」「義侠心」「姉御肌」のようなところはあり、「よし! そういうことなら、いっちょ、あなたのために一肌脱ぎましょうか。」ということは往々にしてある。
でも、この「あなたのために」というところがミソだったのです。
私としては、それが私に行動を起こさせることになったエネルギーの源ではあっても、いつもいつも「あなたのために」とか「あなたを思ってやったことであって、ほかのことでだったらやらなかったわよ。」というような匂いは微塵も相手に感じさせているつもりはありませんでした。
でも、どこでだかやはり、相手は感じ取るんですね。
そして、感じ取った時点で一歩も二歩も引きますわね。
「そこまであなたに犠牲を強いていることを頼むつもりはなかった。」というのは確かに相手にものすごく負担を感じさせることです。
でも、これだけではなく、さらにもう1つあったのです。
相手が、私に対して「自己犠牲を自らに強いなくても、もっとフランクにオープンにビジネスライクに事を進めてくれてよかった。」という場合です。
そもそも相手は、私にこれを頼むということはある程度えっちゃんに犠牲を強いることになるな、なんてことは微塵も思っていなくて、私のやり方ひとつで十分に私にも利があるうま味のある話だ、と思って持ちかけていた場合。
つまり、相手はフィフティ・フィフティの立場で居たかったわけです。
それを私が変に「いいよ、いいよ。」と犠牲的精神を発揮してしまったがゆえに
そんなつもりではなかったのに、私に対して不利なお願いをした形になってしまって、相手は心にもなく私に「そりゃ、ありがたいけれど、悪かったわね。」とねぎらいやらお礼やら謝罪やらが必要になってしまう。
そんなはずではなかった・・ ひとつ、貸しをつくってしまった・・
という気持ちをもってしまいます。
つまり、私は自分さえかまわなければ相手はそりゃあ犠牲的にやってあげたほうがより喜ぶだろう、と思って疑わなかったけれど相手には私に対して作りたくもなかった貸しをつくってしまっただけで憮然とした気持ちでいたのだ、と言うことに気づいたわけです。
なんだか話をややこしく説明していまいましたが、たとえばこういうことです。
私がお菓子屋さんをやっているとします。
知り合いがお菓子を買いに来てくれました。
私は、「いいよ、いいよ。代金は。」と言って受け取りませんでした。
でも相手はそれが嬉しいどころか、「貸し」を作った感が残り、かつ「あそこへ行けばタダにしてもらえる。」と思って来た、と思ってるのかしら、私はちゃんと払うつもりで行ったのよ、とくすぶった気持ちを持ってしまう、というわけです。
この場合、キャンディをひとつおまけする、とか代金の端数だけおまけする、というくらいだとお互いに感じよかったかもしれません。
むずかしいですね、その兼ね合い。
お互いがお互いの気持ちに負担が残らないようにでもその親密さや感謝はなにかしらお金やモノに変えて表わすしかない、という場合、ほんとにむずかしいです。
例えばここで、お菓子を全額タダにしてもらった私の知り合いが、「こちらにここまで心理的負担を与えるあいつってまったく腹立たしいわ! 気持ちよく代金払ってきたほうがどれだけよかったか!」と私を憎むほどの気持ちにまでなったとします。
私は私で、そこまでの態度を目の当たりにすると面食らってしまい、
「なに? どういうこと? なんでこっちがタダであげて、そこまで悪く言われなくちゃならないの?」と思ってしまいます。
ここが人間くさい、ということなのでしょうね。
ホンモノの自己犠牲であれば、「なんでこっちがタダであげて、そこまで悪く言われなきゃならないの。」とは思わないはずです。
でも、ちょっとしたことでやはり「そっちがそこまでの態度でくるならこっちだって」みたいになってしまうのです。
こんなことにならないために、「してあげた」相手がどんな気持ちになるのか、ということを、喜んでいるばかりではない、ということにもっと気づかなければいけなかった、というのが私の今回の気づきです。
あの、ちなみに上記に挙げた例というのは、全部あくまで「例」ですからね。
何か私と私の知り合いの間でもめごとがもちあがり、それによって気づいた、ということではありません。
そこまでにならないうちに気づけてよかった、と思っています。
エンジェルカード占いでもいわれたけれど、
「やってあげた」という気持ちが強いといつか「やってあげたのにもかかわらず私の思いどおりにならない。」という事態が持ち上がった場合、相手を責めてしまいます。その程度の弱い義侠心なんです。私の場合。
相手を責めるくらいだったら、最初からオープンに相手とフィフティ・フィフティの関係でいられる地点をフランクに語り合いながら探ったほうがいいですもんね。
「相手の身になる」ということは、今まで私にとっては「自分を追い込むことによって、精神的には自分が相手よりラクになる」ことと勘違いしていた節があります。
自分を肉体的だったり時間的だったり金銭的だったりちょっとばかり相手より不利な立場に追い込んでおけば、相手は「まぁ、そこまでして良く私の身になってくれた。」と思い、まず問題ないだろうみたいな。そのために自分をちょっと不利にしといたのよ、的な。それによって一番精神的には私がラクになりたかっただけ、ということでした。私のやり方は、相手には物理的なものは残っても精神的には一番重いものをしょわせていただけだったかもしれません。
反省しました。
今回のこの気づきは私にとって大きいものだったな~
B11は4本選んでそのなかから使うボトルを決めたのではなくて、あまり「気づいた」という実感がなかったためにあえてその間に使うボトルとして選んだものでした。
B11「チェーン・オブ・フラワー」。
ボトルを使っても何が気づきなのかよくわからない人にたまにこのB11を間にはさむと「これに気づいた!」というものにきっと出会えますよ。
お勧めです。
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