我が家のアパートにとび職らしき人が引っ越してきました。(格好で分ります)
最初は、エレベーターホールで出会うと、必ず向こうから「おはようございます!」と元気な声がかかるので、(まあ、なんていい人たちかしら!)と思っていたんです。
しかし、どうも変・・・
何が変かと言うと、彼らが来てからやたら共有の場所が汚くなった。
それだけではなく、ゴミを出してはいけない日に出してあったり、煙草を吸っちゃいけない場所に吸いガラが落ちていたり、というようなマナーやルールを守っていない人がいる、という事象が増えてきた。
最初の頃はそれでも信じていた。あの人たちではないはず。だって、あんなに感じよく挨拶するんだもの・・と。
だけど、ついにその仮面がはがれるのを見てしまった。・・・やっぱりその人たちだったんです。
多分、彼らは一番上の親方に、「いいか、おまえら。挨拶だけはちゃんとしとけ。人は挨拶から入るってコトが一番大切なんだ。俺らもいつも違う現場に出入りするんだから、怪しい奴だと思われチャいかん。挨拶は大切だぞ。人間の基本だからな。」とかなんとか言われていたんじゃないかなーと思うんですよ。
親方はせっかくいいこといったのに、でも、これを彼らは曲解してしまったのね。
「挨拶さえしとけば、大概のほかのことはなにやっても許される」というように。
許されるはずはありません。
でも、かなりの長い時間、私は騙されてましたね~
逆に言えば、これほどまでに挨拶というのは威力があるわけです。
「挨拶する人に常識を守らない奴はいない。」とまで思ってしまうわけですから。
そして、いかに現代の集合住宅ではエレベーターホールのような所でちょっと顔を合わせても素通り、見てみぬふりで挨拶をしないのが当たり前になっているかということも言えます。
「どうせ、近所づきあいなんてしないんだから挨拶なんかする必要は無い。」
「隣同士でも顔を合わせないのが気楽でいいとおもってこういう処に住んでるんだから、ほうっておいてほしい。」
だからこそ、挨拶をする、というたったこれだけのことですごくいい人!と思ってしまうのでしょう。
だけど、人と顔を合わせない方が気楽、という人は一生、一人で生きていくのでしょうか。はたまた、この世でたったひとり自分は自分だけの力で生きていると思っているのでしょうか。
どうしてこう極端な世の中になってしまったのかなあ、と思います。(この嘆き方自体が自分でもババくさい、と思います・・)
「人と関わっていくのか、いっさい挨拶もしないのか」という二者択一ではないでしょうに。
やんわりと距離をおいてつきあっていくということを大人が教えなければいけないでしょう。
どっちみち、自分自身とだってそういう付き合い方は必要なんですから。
べったりと自分自身に依存して生きるのか、つきはなしてみるのか、では無く、その両方ともが必要なときもあるし、その中間ぐらいが必要なときもある。
たぶん、「挨拶もできない」という人と、「挨拶だけはするけれど、マナーやルールを守れない」という人は根っこは一緒なんでしょうね。
さて、私はこの共有スペースの汚さについては管理会社に一言言っておく必要がある、と思って、電話をしました。
そこで、「怒り」についてまた新たな気付きを得ることになるのですが、それについてはまた明日。
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