ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

バカンス

2010-04-26 07:56:00 | 身辺雑事

今年もまたゴールデンウィークが近づいてまいりましたが、皆さんは今年の予定はもう立っておられますか?

お泊りの旅行ならば、この時期ならすでにホテルの予約とかしていないと厳しいでしょうから、前々から計画だててらっしゃるのでしょうね。

わたしは、といいますと、実は本日の時点でまだな~んにも予定がありません。

確か去年もおととしも、ゴールデンウィークはダーリンが何日か「午前中だけは仕事が入っちゃった」とか「今日は1日ダメになった。」とかの日があって、ふたりそろっての休日といえば何日かはあったでしょうけれど、“ゴールデンウィーク”というように、ウィークとして休暇を楽しんだ、ということはありませんでした。

そもそも、暦どおりにしか休めない会社勤めの人であれば、真ん中あたりで1日でも平日があればもはや「ウィーク」にはなりませんからね。

ウィークとして休めるのは大企業にお勤めの方か、工場のようなところにお勤めで、ちびちびラインを動かしていては大変効率が悪く不経済なので一斉に休んでもらうよ、ということかどちらかでしょう。

中小企業や自営業の方はなかなかゴールデンウィークといってもその意味に十分には対応できないのが現状ではないか、と思います。

今年は5月にはいると私は、自分が受けるための研修が目白押しでして、まずはゴールデンウィークが終わった次の日の平日、6日から楽しみにしていたラハシャ博士の「カウンセリングスキルコース」があります。

なので、5日まで遊び呆けたとしたら、6日からまた家をあけることになってしまうのでなんとなく気が引ける、というのもあります。

このように、日本人というのはまじめなんでしょうね~

遊ぶときでさえ、遊んでいない人のことを思って気が引けたり、思い切り楽しめなかったりする。

ま、そういう国民だからこそ、こういった足並み揃えて国で制定したような休暇週間が必要だった、ということもあるのかもしれませんが。

結局、日本列島で休暇をズラしながら取る、というのも今年は採択されませんでしたものね。

反対していた人たちは、その理由がみな、仕事に関するものばかりだったですもんね~

「ウチが休んだって、ウチの取引先はこの地方じゃないから、仕事の電話はバンバンかかってきてしまうから意味がない。」とか、「家族で実家に行こうとしても、実家の地域がゴールデンウィークじゃなくて仕事をしてたら行けなくなる。」とか。

全部ごもっともなんですが、ひとりひとりが本当に“個人として”休みをとる、ということだけに前向きに取り組んで考えたら、そういうことってどうにかなっていくもんじゃないの、って思いましたが、しかし実際にはバッサバッサ、「そういうことならハイ、だめ~」「反対~」とダメになっていった。

なんだか日本っぽいな~と思いました。

そもそも、「バカンス」って「vacancy(空白)っていう意味からきてるんじゃないの?(いいかげんに調べもせず、言ってますが・・・ ほんとかいな)

だとしたら、「な~んにもしない」「予定を空っぽにする」ということがバカンスなんじゃないでしょうか。

この意味を欧米の人たちはちゃんとわきまえていて、「なにもしない、ということが一番の贅沢」ということをよく知っているような気がします。

だから、バカンスというと、それは名所旧跡を駆け足で廻るような旅ではなくて、ひとところにずっくりと腰を落ち着けて海辺で寝転んで日暮れるまでただ本を読んだり、ぼんやりしたりしている。

でも、日本人は「何も予定がない」「なにもしない」ということを極度に嫌がる、怖れる。

さすがに全員が名前のプレートを首から下げさせられ、ガイドさんが旗をふって「はい、こちらですよ~」という団体旅行にはもう今の若い人たちは見向きもせず、そんな旅行の仕方はばかばかしい、ということに気付きはじめたようですが、そんな彼らでさえ日程だけはゆったりとっているものの、せっかく普段自分が住んでいるところとは違う風景を有した現地に着いてもやることといったら、ゲームであったり、いつまでもテレビを見ていたり、と所詮デジタルや電波を操る人たちに踊らされている。

な~んも自分を空っぽにしていない。

でもかくえらそうに言う私も一度、何冊もの本を抱えて旅に出たことがありましたが、しょせん、形ばかりの「欧米かぁ」でした。

買っておいてあるのにいつまでも読めないでいる本、一気にその世界に入ってなかなか出てこられなくても構わない長編などを持ち込んだだけで、それらに共通するテーマは何もなく、バラバラのジャンルのものばかりでしたから、「私は暇つぶしをしている。」という感じがしてきてしまったのでした。


でも、本当の意味の「自分を空っぽにする」とはそういうことではないのでしょう。

それがようやく最近わかってきました。

自分を空っぽにする、というのは普段の生活のなかで身についてしまった垢を落とし、いったん自分が思い込んでいることや何も考えずそうしてしまっているようなことを全部手放し、奥の、奥の、奥のほうにある本当の素の自分とじっくり向き合うことではないでしょうか。


だから、長編時代小説だの、サスペンスものだの読んでもその世界観に面白くて引きずり込まれるだけで、何も自分と向き合うことにはなりません。(まぁ、読後にそれが自分だったら、などと深く考えてみるならば別ですが)

あくまで自分と向き合うことができるツールとなりえる本を持っていくべきだったのです。(別に本じゃなくてもいいですけれどね。とにかく空っぽになった自分と向き合えるためのツール)

いったん空っぽになると何がいいのか?

自分が浄化できます。

お部屋の大掃除と同じで、きれいにした自分にはいろんなものの置き場所が改めてわかったり、模様替えをしたり、新たなものが入ってきたりします。

そうすると、最高のものを入れるための器としての自分が実感でき、最高のものがやってくるのを期待できるようになるのです。


こんな本当の意味のぜいたくなバカンスを今年こそ送ってみたい・・・ いや、自分の意志で送れるはず・・・ 送らねば・・・とまた気負いすぎてしまう「ブルー」の私なのでした。




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