胃カメラ検査を11月5日の土曜日に東京の病院で受けた。胃ガンの多い家系なので数年に一度検査を受けている。前夜8時から食べ物を摂らないように指示されていた。私は睡眠8時間以上必要だとか、食事は3食とるべきなどと数字を示されると、それを守らないと不安になる質である。朝食1食だけ抜いても電車で2時間かかる通院は重荷である。妻に前の日に東京のホテルに泊まることを提案したが、却下された。
水は飲んでもよいというので電車の中でも飲んだが空腹感は倍増されるだけだった。病院が近づくにつれて足運びが悪くなった。11時30分までに病院へ来るよう言われていた。10分前に到着。受付を済ませて、検査服に着替えた。4回目の胃カメラ検査だった。前回は鎮静剤を使って眠っているうちに検査が終わって楽だったので今回も鎮静剤を使うことにした。医師があらかじめ腕の血管に挿入されていた管を通して4種類の液体を注入して、口の中に噴霧器のようなものでシュッシュしたところまで記憶があった。
「終わりましたよ。異常ありませんでした」の医師の声で意識が戻った。医師の横にあるモニター画面に私の胃の中の様子が映し出されていた。自分の胃。普段は鏡に映る顔、自分の目で見ることができる鼻、口、歯、舌、手、足、腹しか自分の体と認識していない。胃、肺、心臓など内部の器官臓器は未知の世界である。手術においてメスで切り開くこともなく、長い管の先に照明をつけカメラをつけて体の中を診る。今では内視鏡下手術もごく普通になったと聞いている。私は糖尿病の合併症で心臓バイパス手術を開胸して受けた。胸には大きな手術跡がある。今では心臓手術でさえ、内視鏡で手術できるようになったそうだ。
作家山口瞳が「人間は、しょせん一本の管である」と書いた。確かにその通りだと思う。しかし管と言っても口、喉、胃、十二指腸、小腸、大腸、直腸、肛門とそれぞれに特別な機能を果たしている。胃は入って来た歯である程度噛み砕かれた食物をコンクリートミキサー車のように攪拌しながら胃酸で溶かす。私は齢69歳になる。つまり69年間来る日も来る日も同じ作業を繰り返してきたのである。胃酸で胃壁が溶けてしまわないことだって不思議である。毎日収縮運動を続けられる筋肉の能力もたいしたものである。熱いもの、冷たいもの、辛いもの、酸っぱいもの、甘いもの、しょっぱいもの、固いもの、柔らかいもの、トゲトゲしいもの、パリパリなもの、何が入ってきてもただ黙々とやるべきことをこなす。画面の普段は見ることもできない胃の映像を前に朦朧としながらも敬意を抱いた。
検査技師と看護師に両脇を支えられながら回復待機室のリクライニングのソファへと運ばれた。時間にして15分ぐらいの検査だったらしい。自覚がない。胃にも喉にも異変が感じられない。病院を出たのは1時すぎだった。空腹を感じた。何を食べようか迷った。検査後なので胃に優しいものと思った。糖尿病なので普段食べられない高カロリーなものを食べようと思った。恐ろしきかな私の欲望。
アンパンと牛乳で空腹は満たされた。帰りの電車は胃カメラの検査の結果が異状なしだったのと胃に食べ物が入ったことで珍しく電車内で眠ってしまった。夜、妻が帰宅した。「お帰り」と言うといつもの声と違う。声帯が異物に反応したらしい。いがらっぽい感じ。やはり私は胃カメラ検査を受けたのだ。しばらくは胃への配慮を増やそうと思う。