長野県に住む妻の妹から細長い大きな箱が届いた。26日の日曜日の夕方、ちょうど妻と二人で夕食の支度を台所で始めていた時、表玄関のチャイムが鳴った。「郵便局です」とだけ言う。窓から下の道路に郵便局の赤い軽自動車のバンが停まっている。開錠ボタンを押した。私は手が離せなかったので、妻が玄関に出た。「○○が長いも送って来た」と重そうに長方形の箱を持って入って来た。長野県山形村のフレッシュ長いもと箱書きされていた。
途中まで作りかけた夕飯だったが、妻が「今夜とろろにしない」と言い出した。フレッシュ長いもと名前を付けるからには、よほど新鮮さがウリなのだろう。私は作りかけのおかずは、明日食べればよいと決め、「じゃあそうするか」とすでにすり鉢を出していた妻に言った。長さ7,80センチはある太くて立派な長いもが6本モミガラの中に入っていた。降り出したままのように土がまだ付いていた。
妻が洗って3分の1に切った。皮をむいておろし器でおろした。それをすり鉢に移して私がすりこ木でグルグルゴリゴリ回しながら擂る。妻も私も子供の頃、よくこうして長いも料理を家族ぐるみでやったものだ。各家庭にはそれぞれの料理法がある。私は自分のやり方を押すのを引っ込めて、妻の家の流儀に従った。出し汁を擂った真っ白なすり鉢の中にメレンゲ状の長いもに小分けにして入れる。妻は完全に昔の彼女の実家のとろろ汁づくりに戻っている。「入れすぎ」「足りない、もう少し」 擂り方と出し汁入れ方、時々交代。「もういいんじゃないかい」 「まだまだ、フワフワになって粒々がなくなるまで」 腕が痛くなる。妻、味見。私もちょこっと味見。「いいんじゃない」 一致。
すり鉢とすりこ木を私たちは妻の海外赴任の12年間5箇国の任地に持ち歩いた。ミキサーやブレンダーなどの便利な電化製品もあったが、電気事情が悪い国では停電が多く、それもちょうど調理する時間が多かった。すり鉢とすりこ木はミキサー、ブレンダーとして重宝した。
長いもといえば、ネパールの自然薯を思い出す。家にタパさんというグルカ族の男性がいた。農業以外これといった産業がないのでネパールでは出稼ぎする人が多い。グルカ族からは英国の軍隊に入る男性もいる。グルカ兵は勇敢で「進め」と命令されれば、先方に崖があっても進む、とまで言われている。タパさんも寡黙でまじめでよく働いた。年に数回お祭りに合わせて休暇があった。タパさんはバスで半日はかかるグルカの村へ里帰りした。そして自然薯をおみやげに持ち帰った。自然薯は擂りおろすとムラサキ色だった。おろし器にへばりついて剥がすのが大変だった。聞けばこのような大きな自然薯はめったにあるものではなく、ネパールの村では貴重なものだという。タパさんはそんな貴重な自然薯をギュウギュウ詰めのバスではるばる運んで私たちにおみやげに持ってきた。あの晩、ありがたい自然薯を日本から持ち込んだすり鉢とすりこ木で調理して食べた。ネパールの人が自然薯をどう食べるのかは知らない。しかし調理法や食し方が違っても、同じ類の食品を何千キロも遠く離れた地で食することに親近感を覚えた。
夕食にとろろ汁をいろいろな思い出と一緒にありがたく滑らかにいただいた。