私たち夫婦は午前5時に起きる。まずラジオニッポン放送にスイッチが入って放送が始まる。以前は好きな声の一人高島秀武アナウンサーの番組で軽快に朝を迎えたが、番組の編成替えで彼の番組は一時間遅くなってしまった。ラジオはただの目覚まし時計の一つになっている。少し経つと目覚まし時計が鳴りだす。私は朝に弱い。反対に妻は朝に強い。妻は朝だけでなく一日中強い。最近妻が言うのは「まだ真っ暗。明るくなるのどんどん遅くなるね」である。
半年ほど音信不通だった友からメールが入った。「今は亡きおふくろが、言っていた『60過ぎたら釣瓶落とし…だよ!』光陰矢の如しと同義語。この間、刀剣店に立ち寄ったら、馴染みの店員に釣瓶落としを勧められたので買った。人生なんて、あっという間です」 写真が添付されていた。美しい。60歳はとうの昔に過ぎた私は“釣瓶落とし”の語感に顔をそむけたくなるが、写真の芸術品“釣瓶落とし”に心を奪われる。「お高そう」の邪心もあまりの手彫りの見事さにかき消された。
確かに歳を取るにつれて時間が過ぎるのを早く感じることがある。先日マンションの共同風呂でこんな会話を耳にした。老人二人が湯船につかり「毎日ヒマですな~」と一人が言い「一日は長く、一年が短く感じるのは冥土行きが近づいているってことですな~」と返す。そして二人は浴室の天井にコダマさせて「ウォホホ」「ハツハツハ」と笑った。時間とは不思議なものだ。自分がいなくなれば自分の時間は消える。でも時間は自分なしでも続く。
最近は集中力低下で読書も映画もテレビも長時間続けられない。時間や老化に否定的な思考が多くなってきた。だからであろう、短い的確な表現に心惹かれる。私を力強く思い直させてくれる短い言葉に今日も出遭った。アガサクリスティの言葉である。「An archeologist is the best husband any woman can have.(考古学者は女性が持ちうる上での最高の夫です)The older she gets the more interested he is in her. (彼女が歳をとればとるほど、彼女への彼の興味は強くなるから)
私は妻に申し訳ないが考古学者ではない。もちろん最高の夫でもない。「彼女が歳をとればとるほど、彼女への興味は強くなるから」は私にとって現実である。矢島渚男の『船のやうに 年逝く人を こぼしつつ』俳句ではないが、友人、知り合い、家族、親戚が私の周りから“こぼれる”ように消え離れて行く。こぼれる数が増えるにつれて、時間の経過は速度を増すようだ。そんな中、妻は毎日私の身近にいる。それも半径2メートル以内と接近している。他の誰にもできないことである。
私は「この人と話し続けたい」と感じた時、結婚を意識した。すでに26年が過ぎた。まだまだ話し足りない。妻は私にとって考古学者が発掘した埋蔵品と同じである。わからないことばかり。でも宝物。ああじゃないか、こうじゃないかと26年かけても彼女に関する報告書は書けない。妻にとって私にとってお互いは最後にこぼさなければならない存在である。だからこそ大切にしたい。
友が送ってくれた“釣瓶落とし”の写真は間違いなく真っ逆さまに私を人生の深みに落としてくれた。感謝。