団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

遺品整理

2015年10月29日 | Weblog

  遺品整理と言っても私はまだ生きている。私が辞世した後に遺品になる所有物と言うべきか。私は生きているが私の所有物には命がないので私の辞世後も存在し続ける。

  先週の月曜日から本格的に所有物の整理にかかった。なぜ整理を始めたか。妻の母親と私の母親のお蔭である。以前書いたが、私の母は私に「私が死んだらあの風呂敷包みを処分して欲しい」ともう数十年前に告げた。見事に身辺整理をしてあった。仏壇、布団、小さな旧型のテレビ、ラジオ。部屋には家具も物もない。90歳を超した今でも妹家族が住む大きな家の1部屋に達者に暮らしている。一方妻の母親は骨折して入院して歩くのが困難になった。一人暮らしはもうできない。病院に1ヶ月入院してリハビリを続けたが歩行困難は治癒できなかった。結局病院が経営する老健施設に入所してリハビリを続けている。医師から一人暮らしはもう無理とも言われている。

  妻は頻繁に実家に帰りいろいろな事務手続きを進め実家の整理をしている。敷地200坪建坪60坪の平屋建てである。家の中は物で溢れている。台所だけ専門業者に頼んだ。約30万円かかった。たった6畳ほどの台所にどれだけの物が詰め込まれていたものか。他の部屋も妻は妹夫婦の助けを得て片づけているが、いつ終わるかのめどは立っていない。

  実家から帰宅するたびに疲れ切った妻を見るのがつらかった。妻は以前から母親に家の中を整理して片づけるよう言っていた。そのたびに母親は「私が死んだらあんたがやりな」と答えた。母親は亡くなっていないが、言葉どおり妻や妻の妹が片づけることになった。妻が言うには彼女の母親は物を捨てられない人らしい。

  妻の姿を見ていて私は思った。こんなことを私の死後にも妻にさせるわけにはいかない。私は決意した。理想は私の母の風呂敷包みひとつである。時間はかかるだろうがそこまでやってみたい。先日私の知人から便りがきた。彼の母親は107歳になったそうだ。以前一緒に彼の母親を訪ねたことがある。彼女は毎日片づけをしようと押し入れから行李を出して開けて畳の上に中の物を広げる。押し入れの中のいくつかの行李は彼女の全私物なのだ。整理しようと品を手に取り捨てるか捨てないか考える。いつしかその品の思い出にどっぷり浸り一日が終わる。また行李に物をしまい押し入れに戻す。その連続ですと彼女が笑った。いまでもお元気で同じことを繰り返しておられるに違いない。私の義兄の母親も105歳まで生きた。100歳過ぎても針に糸を通して縫い物をしたそうだ。身辺を整理して持ち物は少なかったと聞いている。確かにゴミ屋敷で100歳を迎えると言う話はあまり聞かない。長生きする人は片づけ上手なのかもしれない。

  私は長生きしたいとは思わない。できない事を知っている。だからこそ妻に私の所有物で迷惑かけたくない。去年はできなかった。今回は違う。本、写真、手紙、新聞の切り抜き、服、車、自転車。手放すことが未練なくできた。本だけでも段ボール箱に12あった。

  昨日最後の運び出しが終わった。業者の人が帰ると家の中は今までより空間が広がった気がする。夕方の西から差し込む光線が本棚に当たった。本を取り出した後、レモンオイルを塗った。ピカピカに光っていた。

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