団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

天塩のシジミ

2013年07月25日 | Weblog

  天塩から冷蔵宅急便でシジミが届いた日、「多摩川にシジミ、ざくざく」のテロップと共に、このところ東京の多摩川でシジミが増殖して人々が潮干狩りのように川辺でシジミ狩りを楽しんでいるとテレビのニュースが伝えた。

 私は子供の頃父親と田園地帯の小川でシジミを採って食べたのを憶えている。タニシも採った。フナや鯉も捕まえた。父親は下ごしらえや調理も教えてくれた。

 ロシアのサハリンに住んでいた時、休暇を取って船でコルサコフ港から稚内港へ渡った。稚内でレンタカーに乗り換え北海道を旅した。気の向くまま予約のない旅を楽しんだ。初夏とはいえ、肌寒い北海道の外観は、サハリンと似ていた。目を家、道路、店にある豊な商品、治安、人々の反応振る舞いに合わせると安心と信頼という確かな手ごたえが返ってきた。

 まだ珍しかった風力発電の巨大な風車が数十機海に向かって整然と並んでいた。鉛色の空の雲、それを映す海川の水は重かったが日本国内にいる実感は私たち夫婦の心を軽くした。やがて天塩という町に入った。天塩川が海と長い区間、平行して流れていた。見たことのない海と川の並列だった。町に入ると『シジミ祭り』のノボリがあちこちに建てられていた。シジミと北海道、この組み合わせは頭になかった。

 子供の頃、父親と田んぼの脇を勢いよく流れる小川に入ってザルでシジミをすくって採ったことを思い出した。両親は中学生になって肝臓を患った私にたくさんシジミの味噌汁を飲ませた。小さなシジミの身は一つも残さず箸で器用につまんで食べた。シジミの貝殻か身から出るのであろう独特の風味が好きになった。

 私たちが天塩を訪れたのは月曜日だった。お祭り会場へ行くと祭りは昨日の日曜日で終ったと後片付けしていた人に言われた。「祭りは終ったけれど、天塩の町のあちこちの食堂でシジミを食べられます」に元気百倍になり、町を巡った。駐車場がある何の変哲もない地味な『あいだ食堂』と書かれたノレンと昔ながらのガラスの引き戸のガラスの『シジミ有ります』の半紙の貼り紙のある店に決めた。シジミ丼とシジミの味噌汁のセットを注文した。客は私たち夫婦だけだった。娘さんと父親であろう二人で接客と調理を分担していた。湯気をあげるドンブリにたっぷりシジミの身だけを醤油とみりんと酒と砂糖で煮たものがのっていた。味噌汁をすすった。二人は言葉をさがせず、目だけで感想を伝えようと試みた。今までに口にしたことのない味、嗅いだことのない香り。美味しかった。天塩のシジミのファンになった。

 日本に帰国して9年、天塩のシジミを取り寄せようと天塩町の業者に注文を何回か出したが、そのたびに売れ切れだった。地元で消費され出荷できる量が少ないのだ。今年やっと手に入った。本当は天塩のシジミ祭りに行って現地でシジミをまた食べたい。私の健康状態ではそれも叶わない。高度に発達した宅急便制度のおかげで輸送が難しいシジミのようなデリケートな生ものでも温度管理され配達される。

 このところ痛風でほとんど歩けなかったが、昼食に手塩のシジミ・スパゲティをつくった。口に入った、鼻腔をくすぐった味と香りは、父とのシジミ採り、母親のシジミの味噌汁、サハリン、天塩の風景、あいだ食堂のノレン、シジミ丼という過去を時系列に見事に並べてみせた。

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