「コン♪~コン♪~」質の良い木材でできているドアを快活な客人がノックしているようだった。ノックが数十秒続いた。(ドアに出て開けてあげなくては)と思った瞬間「ダッダッダッダッダッダッ」と削岩機かボルト自動締機のような音になった。私は核磁気共鳴画像法機(MRI)のトンネルのような機械の中に頭を固定されて横たわっていた。
7月18日66歳の誕生日だった。別にわざわざ誕生日に脳の検査を受けたわけではない。たまたまこの検査がこの日にしか予約が取れなかっただけだ。11日に大腸検査を受けたばかりである。東京は32度、猛暑日ではなかったが、湿気が高く熱中症を警戒した。あまり家から出ない私は、とにかく人混みに疲れる。
大腸検査と違い脳の検査は、注射も2リットル以上の変な液体を飲むことなく機械にただ横たわっていれば終る。
4時20分に脳神経外科のO先生の診察室に入った。私はO先生を信頼している。先生は率直に正直に私の質問に解り易く答えてくれる。二人の前にあるパソコンのモニターに終ったばかりの私の脳の断面図が4つ映し出されている。先生は指を直接モニターの画面に押し付けてある白い部分を指し示す。「ここが2004年の検査で見つかった脳梗塞で、こちらが今回見つかった新しい脳梗塞です。場所は幸い不随や視覚聴覚味覚、言語、記憶に直接影響を与える場所ではなかったです」「これは脳の血管だけの画像です」 その画像は中学の理科か高校の生物の教科書で見た落花生の根の根粒の写真のようだった。根粒が光を放っているように白く浮き出ていた。一つや二つではないあっちにもこっちにもある。2004年の画像と並べて「血管の狭窄が進んでいますね。こちらが若い男性の画像です」キレイな守口大根のように太さが均一ではつらつとしてツヤツヤしているほれぼれするような血管だった。それと比べると私の血管は凸凹でその上根粒のようなコブだらけである。
先生に尋ねた。「先生、長生きする人の血管ってキレイですか?」「はい」その短い「はい」の答えに私は納得いった。多くの説明を受けたが、この「はい」が私の求めていた答えだった。
診察を終えて会計6千円あまりを支払った。勤務を終えて帰宅する妻と東京駅で落ち合った。二人並んで新幹線の二人掛けの席に座った。いつもなら大好きな新幹線車両の力強い推進力を楽しめるのに何だか素直にスピードにのれなかった。新横浜を過ぎると雲が増えた西の空の夕焼けがきれいだった。夕焼けを見ながら決意した。去年尊敬する『gooブログ:新山の恵み 里の恵み』先生が年賀状を今年から辞めると宣言された。何の説明もなかったが私はターザン映画の象が滝の奥の穴をくぐりぬける姿を想った。私にもその時期がやってきた。私を訪ねてくれる人々との付き合いはしても、こちらから出掛けたり仕掛けることはお仕舞いにする。まだやっておかなければならない事が6つある。一つでも余計にそれを達成する。妻との生活をこれまでどうり、「いつもニコニコ現金払い、仲良く、楽しく、美味しく」続ける。
帰宅して大急ぎで用意した簡単な夕食を囲んで誕生日を祝った。寝る前に二人で長く話した。私は言った。「離婚して君と結婚して・・」 私の決意をしっかり伝えた。