参議院議員投票日、私はまだ痛風の発作だとも知らずに杖をついて痛い右足をかばいながら、まず選挙区の投票を済ました。妻と同時に別々な記名所に入った。私が投票用紙に書き終えて投票箱に向かって右足を引きずるようにゆっくり歩いていると妻の声が聞こえた。妻は比例投票の投票用紙の受付をしていた。その時、神妙に祈るような気持ちで私は投票用紙を狭い投票用紙差し入れ口に差し入れようとしていた。何回か試したがうまく差し込めない。やっと入った。「比例は候補者名か党名を書くのではないですか?」と妻。「そうですね。党名でも候補者名でも、どちらでもいいです」と高飛車な女性係員。私は妻から2人遅れて、女性係員の前に立った。投票用紙と引き換えに出す半券は手元にあった。女性は「党名を書いてください」と投票用紙を私に突き出した。私は「私が理解しているのは、今回から候補者名か党名を書くですが?」と質問をした。女性は妻の時以上に強い口調で「どちらでもいいです」と言い放った。周りにいた係員もまた監視する役目の町の有力者であろう鎮座する老人たちも押し黙るように知らん顔だった。
私は決めていた候補者名を書き込んだ。私の後に並んでいた老人に女性係員は「党名を書いてください」と言うのを耳にしながら、足を引きずって杖で体を支えて普段の3,4倍の時間をかけて玄関に到達した。痛い足に靴を履かせるのは難しい。「うッ」と声をあげ靴ベラで右足を靴に一気に押し込んだ。顔に力が入った。しかめ面だったに違いない。男性係員が私を「この人大丈夫」といぶかるように正視した。「比例の券お出しいただいたでしょうか?」 「えッ」と私は足の痛みを忘れて答えた。渡そうと手に持っていたが、あの女性係員は券を要求しなかった。胸のポケットから引き換え券が出てきた。渡した。
投票を終えた爽快感も達成感も今回の投票は、私にもたらさなかった。何故だろう。足の痛み?違う。女性係員の不可解な行動である。しかし「党名」と「候補者名」と「候補者名か党名のどちらか」と「党名か候補者名のどちらか」と言われるのでは結果が異なる可能性がある。そうでなくても有権者が高齢化している。もし投票所の係員が何かの意図を持って誘導しようとすればできないことではない。投票所にいる偉い係員に言われるままに従う年寄りはいる。
家に戻ってもモヤモヤして気持ちが晴れない。妻が「選挙管理委員会に電話してみたら」と言う。電話することにした。若い女性が対応した。事情を説明した。口下手な私の説明に説得力がなかったかもしれないが、女性はただ「申し訳ございません」を繰り返した。それ以上何も進展解決納得できそうになかった。
翌日当選結果を見た。私が比例で投票した候補者が最下位で当選していた。私が候補者名を書いたからだとニンマリしてみた。嬉しかった。個人的に何の関係もない。とにかく投票所であったことを報告しておけば何か対処してくれるかもと候補者の事務所に電話してみた。年配の女性に話した。当選してしまえばこんなものか、という対応だった。
今回の参議院選挙で絶対に当選して欲しくなかった意中の二人が見事落選した。議員バッジを返上してただの人となった。せめてもの慰めであった。その一人はたった一期の任期中に鎌倉に大豪邸を建てた。有権者は愚か者ではない。
それにしても選挙はもっと投票しやすい解りやすいものにならないのか。私は若者の投票率を上げるためにも、駅と学校で投票できるようにしたら良いと考えている。また小中高でも同時に選挙を模擬体験させて将来の選挙に備える訓練を積ませるのもいい。幻であって何の効力もないが選挙権がない若者がどのような結果を出すかは、政治屋たちの目を覚まさせるかもしれない。