4日受診のため東京の病院へ出かけた。数週間前に今まで経験したことのない“めまい”に見舞われた。救急車でどこかの病院へ運んでもらう以外、即受診とはいかない。ましてやかかりつけの医師の受診となると予約を取らなければならない。あの“めまい”からすでに半月が過ぎた。あれほど大きな“めまい”はないが余震のような“めまい”がずっと続いている。
3科の受診となった。10時から循環器内科、11時15分から消化器内科。午後1時30分から脳神経外科だった。一つの病院内で3科の受診できるのは便利だが、体力的にも精神的にも負担が大きい。
循環器内科でホルター(24時間心電図記録器)をつけた。胸に電極を6ヶ所ペタンと貼り付けた。計器は初期のカセットテープのウォークマンぐらいの大きさだ。そこから細い電線が12本出ている。心臓バイパス手術を受けた後、しばらく体内から体液を排出する管を埋め込まれた。他にも電線、管が体中に付けられていた。ホルターをつけると、もう12年前になる手術を思い出す。私は体に何かをつけるのを好まない。医学と医療器具は進歩を止めない。ホルターの電極の体への接着面は以前はすぐ取れてしまって不愉快だった。今のはしっかり接着して引き剥がすのも大変なほどだ。ホルターは私でも知らない心臓の鼓動状況を24時間連続で記録する。
待ち時間に新潮新書『衆愚の病理』里見清一著740円を読んだ。なかなか面白い本である。著者は呼吸器内科の医師だ。病院の待合室で読むのに適していた。時間を忘れて引きこまれた。医師の側から患者を観察している。医師と患者の関係を小気味よく表現している。また医学と政治、経済、落語をも絡めてズバズバっと著者の感じるままに歯切れよく書いている。一日に3科も受診するので、各科の医師を患者の側から観察できそうだ。本のおかげで待ち時間は楽しくなった。
しかし脳神経外科の診察室で、私は、そんなお気楽気分を捨てた。2009年に撮ったMRIの私の脳の輪切りの映像の一部を医師が指差しながら「ここは小さな脳梗塞・・・」と言った。確か2009年MRIの検査の後の医師の説明に「脳梗塞」の言葉はなかった。(私の脳に梗塞があったんだ) ショックだった。医師は続ける。「この血管を見て下さい。これは糖尿病による影響です。脳梗塞を予防するには糖尿病のコントロールしかありません」 枯れたサンゴのように上に向かって拡がる血管のあちこちにたくさんの白いコブがあった。
ショックを受けたが、反面期待も浮き上がった。私は死ぬならピンピンコロリがいいと思っている。狭心症も脳梗塞も一発で死ぬことができる。待合室で読んでいた『衆愚の病理』のおかげもあった。会計を済ませて、駅への途中、薬局でたくさんの薬を処方してもらった。帰路、大好きなデパ地下でたくさんの食べ物を見たが、気がそぞろで野菜だけ買った。家に帰ると大阪の友人から“水ナス”が届いていた。