団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

柿 一つ 四文(パーシモン)

2022年11月01日 | Weblog

  近所の寺の境内や、あちこちにある柿の木に橙色の柿がなっている。天気が良い日は、柿が太陽の光を浴びて更に綺麗である。店にもいろいろな種類の柿が並んでいる。私は、硬い果肉の柿が好きだ。柿を食べるたびに思い出すことがある。本で読んだのか、学校の先生が授業中に話してくれたのか、今になっては定かではない。柿を英語で何というかで始まった話だったので、もしかしたら英語の授業中に聞いた話かもしれない。英語で柿は、persimmonという。アメリカのペリーが黒船で日本に来た時、乗組員が上陸して柿を売っている男に会った。「これは何という果物だ?」と尋ねた。男はてっきり値段を聞かれたと思って「パー シモン(per 4mon=一個につき4文)」と言ったとか。落語の話のようだが、私は信じた。よく考えれば、persimmonという英語は、ペリーが日本に来る前からあったはずだ。言葉の起源は、別にして私は、英語で柿をパーシモンpersimmonと覚えることができた。

 散歩中、家の軒に干し柿が吊るされているのを見つけた。懐かしい。長野県では秋になれば普通に見られた風景だった。私が育った家の庭にも柿の木があった。とても甘い柿だった。干し柿にしなくても家族みなで食べきっていた。

 高校生の時、カナダへ留学した。カナダで柿を見たことも食べたこともなかった。日本に帰国して結婚して7年後に離婚した。二人の子どもを引き取り育てた。15年間、子育てと仕事に明け暮れた。日常に果物の入り込む余裕などなかった。縁あって再婚した。子どもたちも大学生になっていた。妻の仕事の関係で、私は、自分の塾の仕事をやめて、妻と一緒に海外へ出ることになった。

 やっとやもめ生活から、妻と果物をゆっくりと味わえる生活になった。ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシア各地で食料調達のために市場へ足しげく通った。柿は日本や中国だけの果物だと思い込んでいた。その柿を旧ユーゴスラビアの市場で見た時は驚いた。買った。食べてみて、もっと驚いた。顔が曲がるほど渋かった。こんなものをよく売るよ、と怒った。

  チュニジアの市場でも柿が売られていた。やはり渋柿だった。子どもの頃、父親が渋柿に酒を塗って、ビニール袋に入れた。時間が経つと渋柿が甘くなっていた。私は、父が手品師に思えた。あのやり方を試してみた。見事に渋柿が、甘い柿に変わった。これは使えると思った。現地の友人宅に市場で買った1キロの柿を持ち込んだ。友人夫妻に渋柿を食べてもらった。それから残りの柿を酒で処理して、ビニール袋に数日入れておいてもらった。後日袋を開けて食べた。友人夫婦は、驚きの声を上げた。

  チュニジアで、柿は果物としてではなく、薬になるとして渋いまま、食されていると友人は教えてくれた。渋柿を甘い柿に変えたことで、ますます友人との関係がうまくいった。渋柿民間外交と言えるかも。

  渋柿から渋を抜く方法は、いろいろあるらしい。先日テレビで渋柿を温泉に浸して甘くする方法が紹介されていた。他にも柿をミキサーで粉砕して、ヨーグルトに混ぜれば、渋が消えるそうだ。炭酸ガスで渋を抜く方法もあるという。

 わざわざ渋柿を甘くしなくても、今、日本では品種改良が進んでいて、美味しい甘い柿が多く流通している。私は、シャキシャキしていてほのかに甘い柿が好きだ。美味しい柿を食べながら、江戸時代、初めて柿を見た黒船のアメリカ人乗組員を思い浮かべる。あの乗組員は、柿を食べたのだろうか?笑い話は、私の渋を抜いてくれる気がする。

 コロナが終息して外出できるようになったら、また 安藤緑山作 超絶技巧による象牙彫り物『喜座柿』 (清水三年坂美術館)を見に行きたい。

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