団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

上村遼太君と隠岐の島

2015年02月27日 | Weblog

  2月20日午前6時15分ころ上村遼太君(13歳)が川崎市多摩川河川敷で全裸の状態で通行人に発見された。痛ましい。切ない。やれ切れないと気持ちが暗く落ち込んだ。むごい事件、それも未成年者の犯罪が増えている。

  このニュースで上村君は島根の隠岐の島から川崎に引っ越してきたことを知った。隠岐の島と聞いてすぐに最近観たテレビ番組を思い出した。過疎化する地方の自治体の中で隠岐の島には人口が増えている町がある。その真相をさぐるといった内容だった。その番組の中で都会からその町への移住者を町が手厚く応援している様子が紹介された。またその番組で高校生の島留学も紹介していた。県外からの転校生で高校の生徒数が倍になったという。上村遼太君もその町への移住者の子供に違いないと私の勘が働いた。結果は少し違っていた。

  遼太君は同じ隠岐の島諸島でも西ノ島の西ノ島町に住んでいた。テレビで取り上げられた町は海士町だった。遼太君の父親も彼が5歳の時に漁師を志して川崎から移り住んだ。遼大君が小学校3年生の時、父親の暴力が原因で両親は離婚した。5人の子どもは全員母親に引き取られた。看護師の助手をして母親は懸命に働いたが生活は苦しく、川崎へ戻った。

  身につまされる。私も離婚して二人の私の子供に遼太君と同じ目にあわせた。遼太君は親の勝手な離婚の犠牲者である。両親の離婚による西ノ島町から川崎への移住は酷である。両親がたとえ揃っていたとしてもである。遼太君自身は引っ越し直前まで島に残りたいと言っていたという。本心だったと思う。釣りが好きで鯛やスズキを大自然の中で釣りあげていた少年が川崎のような自然のない大都市への移住には無理がある。案の定、遼太君は悪い仲間とつるむようになり、ゲームセンターに入りびたり学校へも行かなくなった。

  遼太君の心の中はわからない。それでも遼太君が去年隠岐の島へ旧友や恩師にわざわざ会いに行ったと聞くと私の心が騒ぐ。海士町には高校からの島留学があり、県外からも多くの生徒が留学している。海士町はなぜそのような留学を奨励するのか。人口を増やしたいからである。遼太君は隠岐の島が好きだった。このような少年は隠岐の島の宝である。中学1年生が西ノ島町で一人生活するのは困難だと大方の人は言う。そんなことはない。人間は困難によってたくましくなれる。転地療法となる。不良に殺されるよりましだ。遼太君は西ノ島か海士町にたとえ一人ででも戻るべきだった。きっと町は相談にのってくれたはずだ。過疎で悩む地方の隠岐の町は何か対策を講じてくれたと私は思う。

  案ずるより産むが易い。可愛い子には旅をさせよ、とも言う。私も離婚後、長女を8歳でアメリカの私の先輩家族に預けた。いま長女は自立して家庭を築いている。さまよえる子供を見つけたら、まず行く末を見据えた策を子供と一緒に時間を使って講じて実行することである。こうすると決めたら信念を持って断行する。心配だけして手をこまめいて待っていても何も起こらない。同情するなら時間を使え、頭を使え、コネ使えである。

  何を言っても遼太君は帰ってこない。遼太君を手にかけて実際に殺したのは、理性も教養もないチンピラであろう。私は遼太君を死に追いやったのは、殺人を実行した犯人たちだけではないと思う。遼太君が殺されるきっかけをつくったのは、大人の身勝手と子育てが生き物の最大事業とわきまえない人間社会の軽薄さである。

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