団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

シチューをご飯にかけるかいなか。

2021年12月02日 | Weblog

  横浜の姉夫婦から宅急便が届いた。箱を開ける前から柚子の香りがしていた。開けると新聞紙にくるまれたホウレンソウ、春菊、みどり大根、柚子が出てきた。

 こうして横浜から野菜が届くたびに思う。ただ収穫された作物をもらうだけでいいのだろうかと。良いとこ取りにも程があると。私は一切姉夫婦の畑仕事を手伝っていない。義兄がどれほど苦労しているかは知っている。借りている畑に水道や井戸がない。真夏、義兄は2本の特大のペットボトルに水を入れ自転車の後ろにのせる。自宅から畑までは約1キロ。その水を畑で作物に撒く。借りている畑は600坪。夏はこの水やりだけで1日が終わる。そこまで苦労している。

 義兄は九州出身だ。みどり大根は、姉と結婚するまで、存在さえ知らなかった。姉は子供の頃からみどり大根が好きだった。貧乏家族にとって、みどり大根の季節になると、大根おろしにした。綺麗な緑色のおろし。茶色のおかずが多かった。だから綺麗な緑色の大根おろしは、食卓を明るくしてくれた。家の畑からとれたみどり大根は、貴重な自給自足の食べ物だった。おろしたみどり大根にたっぷりカツオ節をかける。カツオ節をするのは私の役目だった。箱式の削り器だった。家族6人、先を競って大根おろしを温かいご飯にのせて食べた。我が家の量に制限のない数少ない食べ物だった。食欲も出た。

 姉はそのみどり大根を忘れられなかった。信州から種を取り寄せ、義兄と一緒に育てた。今は義兄ひとりですべてしている。私もみどり大根が好きなのを知っていて毎年、たくさんみどり大根を送ってくれる。

 春菊は、すき焼きに入れて食べる予定である。丁寧に新聞紙にくるんで、冷蔵庫へ。

 ホウレンソウ。色艶がいい。丁寧に下ごしらえまでされていて、泥もゴミや枯れた葉もなかった。よし、これで私の思い出のシチューを作ろうと思った。前の妻が家を出て行った後、私は仕事をしながら二人の子供を育てた。仕事が終わるのが夜の9時すぎ、子供は学校から私の仕事場に来て、私が仕事を終えるのを待った。家に帰って夕食。とにかく早く食べて、風呂に入れ、寝かせる。スピードが勝負である。私はカナダで食べたホウレンソウのシチューを作った。ひき肉をバターで炒めて、牛乳を入れる。固形のブイヨンを加えて、煮立ったら、刻んだホウレンソウを入れる。それをご飯にカレーのようにかけて食べさせた。

 子供達が独立して結婚して家庭を持った。二人の伴侶両方共が、シチューをご飯にかけて食べるのは変だと言ったそうだ。それでも二人とも私にあのシチューを食べたいと、いまでも言ってくれる。最近ネットのニュースで『「シチューをご飯にかけるのはアリか」論争 以外と多い「かける派」とあった。私のように離婚して子供を育てている人たちが、シチューをご飯にかけているのかと思った。そんなことはなかったが、だんだんいろいろな変化が生活に出てきているということだ。

 夜、妻が風呂に横浜から送られて来た柚子を2個浮かべておいてくれた。湯船に使って、柚子の香りを楽しんだ。柚子を手に取り、しばし遠い思い出にふけった。

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