巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

火葬とフィリピン人メイドの話

2005-10-22 19:29:40 | ニュース
タリバン兵士:米兵が遺体焼く、豪テレビ放映 米軍捜査へ

…(略)…

イスラム教では遺体は土葬され、遺体を焼く行為はジュネーブ条約に違反する可能性が強い。アフガン駐留米軍は19日、「米統一軍事裁判法に基づき適正な措置を取る」と刑事訴追の可能性を示唆した。
[2005.10.21] 毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051022k0000m030055000c.html



遺体を焼く習慣がなく文化の人間の遺体を焼くことは、とんでもない冒涜になりうる。

たとえば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はルーツが同じため、これらの宗教には共通した終末思想がある。これは、終末の日に天使(キリスト教ではガブリエルが、イスラム教ではイスラフェルが吹く)がラッパを吹くと、すべての死者が生前の姿で復活し、神による「最後の審判」が行われる。そしてここですべての人間が善人と悪人に分けられ、善人は天国へ、悪人は地獄へと、送られることになる。

この最後の審判のための復活にからんで、「火葬されてしまうと灰になってしまい、復活の日に必要な体がなくなってしまうので困る」と考える人たちが、世界中にかなりいる。同じキリスト教徒でも、プロテスタントを中心に火葬もOKの人たちもいるので、一概に「XX教徒だから、絶対に土葬」とはいえないが。

この「火葬をしない」ことに関しては、仕事がらみの強烈な経験がある。かつて某外資系証券の人事部に勤めていたときのことだ。

ある日、ドイツ人のエクスパット(=expat、expatriateの略。国際企業において、本社より直接の指示をうけて現地法人や海外支社などで働く管理職で、現地従業員や現地の管理職たちよりも強い権限を持っている。日本ではエクスパットは、家賃が最低でも月100万円以上のエクスパット専用住居に住んでいて、もちろんその家賃は企業もちだ)がやって来て、「妻が妊娠したので、フィリピン人のメイドを雇いたい」と、わたしに告げた。

こういう場合に、欧米系のエクスパットが欲しがるメイドは、フィリピン人と決まっている。英語ができるし、安い賃金ながら住み込みでよく働くからだ。しかし、いくら「安い」といっても、日本ではあまり安い金額で雇用することは禁じられている。それに安い賃金だと、最低賃金は満たしていても、ビザがおりない可能性がある。

そこで、この証券会社が使っていたエクスパットに渡すためのフィリピン人のメイドの契約書の雛型では、月給を15万円としていて、メイドを雇いたいエクスパットは例外なくこの金額で契約していた。かなりの重労働と時間的な拘束のわりには、15万は安い。でも、シンガポールあたりでフィリピン人のメイドを雇うと、実は2万円足らずで雇えたらしい。シンガポール駐在後日本へ転勤になり、シンガポール駐在時に雇っていたフィリピン人のメイドも一緒に連れてくるエクスパットにとっては、15万は高い金額に感じられたに違いない。

「メイドを雇いたい。」

日本駐在のエクスパットがメイドを雇うこと自体については、このドイツ人自身がメイドの保証人になるべきものなので、会社には無関係だ。しかし日本語の書類も揃えなければならないので、実際にはエクスパットが働いている企業がそれを手伝うことになる。

それに、彼のビザ(査証)のステータス(種類)のままでは、メイドのビザの保証人にはなれなかった。ドイツ人の管理職である彼のビザのステータスは「企業内転勤」、別の証券会社に勤めるアメリカ人の妻(やはり管理職)のステータスも「企業内転勤」だった。そして、彼等がメイドを雇うべくメイドのビザの保証人になるためには、夫婦どちらかが「投資・経営」という、大企業でもそう何人もが持てないステータスの高いビザをもっていなければならなかった。

そこで、まず彼のビザを「投資・経営」に変えることに奔走し、彼が投資・経営ビザを獲得するのと同時に、彼とメイドの間の雇用契約書を持ってきてもらった。このメイドのフィリピン人が日本での労働査証をもらうためには、この雇用契約書のコピーと、契約書の日本語訳が必要だったからだ。もちろんあらかじめ、会社がいつも渡しているメイドの契約書の雛型を、あらかじめ手渡してあった。

わたしは、彼が他のエクスパットと同じように、雛型とまったく同じ文面の、月給15万円の契約書を持ってくると思っていた。しかし違った。雛型よりももっと詳細な文面の契約書を持ってきたのだ。

そして、その契約書には "cremate"という、通常はメイドの雇用契約には現れないであろう単語が書かれていた。この単語は「火葬にする」という意味だ。

この契約書の中は、このメイドが日本で死亡した場合、雇用主が遺体をどのようにすべきかの条項があったのだ。正確な文章は忘れたが、もしメイドが死亡した場合には、「遺体は火葬にせず棺に納め、被雇用者の荷物とともに雇用主の費用負担でフィリピンに送ること」という内容の文があった。

雇用主となるドイツ人とアメリカ人の夫婦と、その家で働くことになるメイドのフィリピン人の間で、どのような話があり、どのような経緯でこのような文が入ったのかはわからない。もともとドイツ人とアメリカ人という異文化カップルだったために、文化による習慣の違いということに、敏感だったのだろうか。それとも、メイドとなるフィリピン人がどこかで「出稼ぎに出たフィリピン人が現地で死んで、そのまま火葬された」という話を聞いていたのであろうか。(フィリピンは世界に名だたる人材輸出大国で、多くの労働者が海外で働き、故国へ送金している。)

わたしは、「メイド」(契約書では"housekeeper")という家事サービス労働の契約書に、「火葬」とういう単語が出てきたことにショックを受け、ついでにそのメイドの月収が25万で、そのほか、雛型には書かれていなかった色々な手当てがついていることにもびっくりした。

「フィリピン人なら安く雇えて便利。」そう考えているのがミエミエのエクスパットばかりを見てきたわたしは、通常より良い労働条件を提供するのみならず、相手の文化や習慣まで考慮した契約書を見て、正直目頭が熱くなった。

「あなた、なんて良い人なのよ~!」 わたしはそう叫んでこのドイツ人に抱きつきたい気分だったが、実際は「ありがとう」と冷静に言って、この契約書を預かっただけだった。だって、こんな長文のイレギュラーな契約書を持ってこられたら、実際にはわたしの翻訳の作業量が増えるだけだし…

ええ、気合を入れて翻訳させていただきましたとも。