
『夜明けの街で』を新宿の角川シネマで見てきました。
(1)映画『セカンドバージン』では実にツマラナイ描き方しかされなかった深田恭子が、主人公と不倫関係にあるヒロインを演じるというので、映画館に行ってみました。
タイトルからは『行きずりの街』と似たような作品かな、でも東野圭吾氏の原作(角川文庫)によっているのだから何かしらの事件は起きるに違いないと思って見ていました。
確かに、事件は描かれます。ですが、それは15年前の話。そして、その時効が半年後にくるという点が、この映画の一つのポイントになっています。
それはさておいて、主人公の渡部(岸谷五朗)が勤める会社に、最近派遣会社から派遣されてきた女性・仲西秋葉が深田恭子というわけです。
そして、ひょんなところで出会った秋葉が飲み潰れてしまったため、渡部は、彼女を自宅まで送り届けたことが切っ掛けとなり、最初の内は単なる遊びに過ぎなかったものの、だんだん深みにはまっていくという、マサニよくあるパターンに従って話は展開していきます。
普通のサスペンス物だったら、話の途中で渡部の妻・有美子(木村多江)が絡んできて、それで何らかの事件が起きてということになるでしょう。ですが、この映画で起こる事件は15年前のものだけなのです。それも、秋葉の父親(中村雅俊)の秘書・麗子の死体が、秋葉の実家で発見されたという事件。
そうなると、メインの不倫関係とその事件とはどんな関係があるのか、という点に観客は興味を持つようになるでしょう(いうまでもなく、事件の頃、彼らは不倫関係になどありませんでしたから!)。
でもそこにあるのは、単に15年前に秘書が死んだということにしかすぎません(注1)。
ラストの方での秋葉の説明によれば、自分の母親を自殺に追いやった父親を罰するために、あえて真相を今まで隠していた、ですが時効が完成した今や、真相を明らかにして皆を解放してあげる、そして自分も皆の前から消える、ということなのでしょう。
しかしながら、時効というのは単に法律上のことにすぎませんから、どうしてそんなものが判断の基準となるのか、説得力のある説明になってはいないと思われます。自分の母親を死に追い込んだ憎い父親というのであれば、秋葉は、ずっと最後まで黙っていることも可能だったでしょうに(注2)。
主役の岸谷五朗は、アチコチで見かけている感じながら、映画で見るのは初めてですが(『キラー・ヴァージンロード』は監督作品でした)、例えば、自分のマンションに橋を渡って帰って行く時の後ろ姿には、不倫関係に悩む主人公の苦悩が漂っていて、なかなか上手い俳優だなと思いました。

また深田恭子はヒロインですから、『セカンドバージン』よりズット出番は多く、持ち前の美しさをふんだんに見せてくれますが、それまでの可愛い女性という役柄を脱皮してこういう役に取り組むというのであれば、30の節目も近づいていることもあり、それなりの気持ちの切り替えが必要なのではないでしょうか?
そうでなければ、『下妻物語』や『ヤッターマン』の路線を続けるべきでしょう(注3)。

岸谷吾朗の妻を演じた木村多江は、出番は少ないながら、一番注目が集まる大層オイシイ役を演じています。以前の『ぐるりのこと』では、うつ状態に陥ってしまった妻を好演していたところ、本作でも、夫の不倫について、何も知らない素振りをしながらも実はよく分かっていた妻という難しい役どころですが、目を瞠るような演技でした(注4)。

(2)映画と原作との違いとしては、死んでいた秘書・麗子の妹に当たる人物・釘宮真紀子だけでなく、さらには刑事・芦原(15年間、断続的に捜査を続けている)までもが、映画に登場しないという点が大きいのでは、と思われます。
というのも、映画では、秋葉が、秘書の死について関心を持つ唯一の人物ですが、原作ではその2人が、事件について大きな疑問を持ってあちこちに出没することによって、秘書の死に大きなウエイトが置かれていることが読者に了解できるところ、映画のようにその2人を排除してしまうと、その事件は単なる一つのエピソードにすぎない位置づけになってしまうのです。
そのように単純化することによって、映画では、事件のことよりも、むしろ渡部と秋葉の不倫関係に専ら焦点を当てようとしたのでしょう(サスペンスではなく、ラブストーリーというわけでしょう!)(注5)。ですが、不倫相手が深田恭子では、その描き方にかなり限界があるのだろう、ということくらい、見る前から観客も弁えています。
そのため、映画で最後になって秋葉があれこれ事情を説明しても、元々ウエイトが置かれていないのですから、何だか取ってつけたような感じが否めず、結局、事件のことでもなく不倫関係でもなく、何に重点を置いて描こうとしたのかよく分からないどっちつかずの中途半端な印象しか、観客は持てないのではと思われます。
ただ、何も原作通りにする必要など全くないわけで、原作から主にラブストーリーの要素を取り出して、それを中心に映画を製作するしても、それはそれで構わないと思います。
ただ、そうするのであれば、深田恭子に大人の演技をしてもらう必要がありますし、それが難しいというのであれば、それが出来る女優を選択すべきだったのではないでしょうか(注6)?
それと、映画『白夜行』の原作でも、東野圭吾氏は「時効」の問題を取り扱っていますが、映画では、時効の取扱いに法律上変更があったことから、あえてそれに触れてはいません。
ですが、秋葉はあくまでも、事件の「時効」の成立をもって詳しい事情を説明すると言っているために、本作でも「時効」に触れざるを得ません。それならば、映画としても、「時効」が有効であった時期に舞台を設定し直す必要があると思われますが、そうすることもなく、現時点を舞台に設定していますから、なにか違和感を感じざるを得ないところです(尤も、殺人事件についての時効が廃止になったのは昨年の4月ですから、微細な問題といえるかもしれませんが!)。
(3)渡まち子氏は、「ラブストーリーとしてもミステリーとしても中途半端だが、従順な妻を演じる木村多江の最後の演技で救われている」として50点をつけています。
また、福本次郎氏は、「もっと今の時代を感じさせてくれる新しさを見せてほしかった。また渡部の態度があまりにも真面目。不倫するやつがバカなのではなく、不倫にのめり込むやつがバカなことをこの男は知るべきだった」などとして40点をつけています。
(注1)それも、登場人物の誰かが関係する殺人事件というのであればまだしも、結局は、秘書が自分で旨を突いて自殺しただけのことですがら、インパクトの弱い点で甚だしいものがあります。
(注2)そこには、母親の妹(萬田久子)と父親が不倫関係にあったことを暴露するという意味合いもあったでしょうが、それも秘書の死にかかわる時効問題とは何の関係もないのではないでしょうか?
(注3)最近始まったTVドラマ『専業主婦探偵~私はシャドウ』は、深田恭子が演じるドンくさい専業主婦が思いがけずに探偵となって、という内容で、彼女は、やはり従来路線を続けていく様に思われます。
(注4)映画の途中では、岸谷が夜の予定などを詳しく説明しようとすると、スグにそれを遮って子供の話をし出したりするところから、なんだか彼女は薄々気がついているのでは、と観客に思わせておき、卵の殻で拵えたサンタクロースを手で握りつぶすシーンが入った後、ラストになると、トドメの言葉を独特の目つきで岸谷に投げかけ、岸谷ばかりか観客を凍り付かせるのですから、むしろこの映画の隠れた中心は木村多江ではないのか、と思えるほどです。
(注5)この映画では、舞台を横浜として、インターコンチネンタルホテルなどを使って一定の雰囲気を作りだしてはいますが、二人の恋愛関係の中身が薄いために、それらしい格好を付けただけのものとしか思えません。
また、渡部の親友・新谷(石黒賢)が、ところどころで登場し、渡部が深みにはまらないように、例えば、「お前を信じて暮らしてきた家族を不幸にする覚悟がお前にあるのか」など、もっともらしいことを言う場面があります。
ただ、原作だと、物語が終わった後に、「新谷君の話」という「おまけ」が置かれていて、実は彼自身が渡部と同じようなシチュエーションにあったと言うのです。そして、渡部だけが上手い具合に行かないように彼にアドバイスをし続けてきたのだ、と述べます。
原作者の東野圭吾氏は、新谷が口にする話の説教臭さを払拭しようとして、この「おまけ」を設けたのではないでしょうか?
(注6)別に不倫を描いた作品ではありませんが、『蛇にピアス』の吉高由里子ほどではないにせよ(本年4月24日の記事の(2)で触れました)、せめて『軽蔑』の鈴木杏くらいの演技はどうしても必要でしょう。
★★☆☆☆
象のロケット:夜明けの街で
(1)映画『セカンドバージン』では実にツマラナイ描き方しかされなかった深田恭子が、主人公と不倫関係にあるヒロインを演じるというので、映画館に行ってみました。
タイトルからは『行きずりの街』と似たような作品かな、でも東野圭吾氏の原作(角川文庫)によっているのだから何かしらの事件は起きるに違いないと思って見ていました。
確かに、事件は描かれます。ですが、それは15年前の話。そして、その時効が半年後にくるという点が、この映画の一つのポイントになっています。
それはさておいて、主人公の渡部(岸谷五朗)が勤める会社に、最近派遣会社から派遣されてきた女性・仲西秋葉が深田恭子というわけです。
そして、ひょんなところで出会った秋葉が飲み潰れてしまったため、渡部は、彼女を自宅まで送り届けたことが切っ掛けとなり、最初の内は単なる遊びに過ぎなかったものの、だんだん深みにはまっていくという、マサニよくあるパターンに従って話は展開していきます。
普通のサスペンス物だったら、話の途中で渡部の妻・有美子(木村多江)が絡んできて、それで何らかの事件が起きてということになるでしょう。ですが、この映画で起こる事件は15年前のものだけなのです。それも、秋葉の父親(中村雅俊)の秘書・麗子の死体が、秋葉の実家で発見されたという事件。
そうなると、メインの不倫関係とその事件とはどんな関係があるのか、という点に観客は興味を持つようになるでしょう(いうまでもなく、事件の頃、彼らは不倫関係になどありませんでしたから!)。
でもそこにあるのは、単に15年前に秘書が死んだということにしかすぎません(注1)。
ラストの方での秋葉の説明によれば、自分の母親を自殺に追いやった父親を罰するために、あえて真相を今まで隠していた、ですが時効が完成した今や、真相を明らかにして皆を解放してあげる、そして自分も皆の前から消える、ということなのでしょう。
しかしながら、時効というのは単に法律上のことにすぎませんから、どうしてそんなものが判断の基準となるのか、説得力のある説明になってはいないと思われます。自分の母親を死に追い込んだ憎い父親というのであれば、秋葉は、ずっと最後まで黙っていることも可能だったでしょうに(注2)。
主役の岸谷五朗は、アチコチで見かけている感じながら、映画で見るのは初めてですが(『キラー・ヴァージンロード』は監督作品でした)、例えば、自分のマンションに橋を渡って帰って行く時の後ろ姿には、不倫関係に悩む主人公の苦悩が漂っていて、なかなか上手い俳優だなと思いました。

また深田恭子はヒロインですから、『セカンドバージン』よりズット出番は多く、持ち前の美しさをふんだんに見せてくれますが、それまでの可愛い女性という役柄を脱皮してこういう役に取り組むというのであれば、30の節目も近づいていることもあり、それなりの気持ちの切り替えが必要なのではないでしょうか?
そうでなければ、『下妻物語』や『ヤッターマン』の路線を続けるべきでしょう(注3)。

岸谷吾朗の妻を演じた木村多江は、出番は少ないながら、一番注目が集まる大層オイシイ役を演じています。以前の『ぐるりのこと』では、うつ状態に陥ってしまった妻を好演していたところ、本作でも、夫の不倫について、何も知らない素振りをしながらも実はよく分かっていた妻という難しい役どころですが、目を瞠るような演技でした(注4)。

(2)映画と原作との違いとしては、死んでいた秘書・麗子の妹に当たる人物・釘宮真紀子だけでなく、さらには刑事・芦原(15年間、断続的に捜査を続けている)までもが、映画に登場しないという点が大きいのでは、と思われます。
というのも、映画では、秋葉が、秘書の死について関心を持つ唯一の人物ですが、原作ではその2人が、事件について大きな疑問を持ってあちこちに出没することによって、秘書の死に大きなウエイトが置かれていることが読者に了解できるところ、映画のようにその2人を排除してしまうと、その事件は単なる一つのエピソードにすぎない位置づけになってしまうのです。
そのように単純化することによって、映画では、事件のことよりも、むしろ渡部と秋葉の不倫関係に専ら焦点を当てようとしたのでしょう(サスペンスではなく、ラブストーリーというわけでしょう!)(注5)。ですが、不倫相手が深田恭子では、その描き方にかなり限界があるのだろう、ということくらい、見る前から観客も弁えています。
そのため、映画で最後になって秋葉があれこれ事情を説明しても、元々ウエイトが置かれていないのですから、何だか取ってつけたような感じが否めず、結局、事件のことでもなく不倫関係でもなく、何に重点を置いて描こうとしたのかよく分からないどっちつかずの中途半端な印象しか、観客は持てないのではと思われます。
ただ、何も原作通りにする必要など全くないわけで、原作から主にラブストーリーの要素を取り出して、それを中心に映画を製作するしても、それはそれで構わないと思います。
ただ、そうするのであれば、深田恭子に大人の演技をしてもらう必要がありますし、それが難しいというのであれば、それが出来る女優を選択すべきだったのではないでしょうか(注6)?
それと、映画『白夜行』の原作でも、東野圭吾氏は「時効」の問題を取り扱っていますが、映画では、時効の取扱いに法律上変更があったことから、あえてそれに触れてはいません。
ですが、秋葉はあくまでも、事件の「時効」の成立をもって詳しい事情を説明すると言っているために、本作でも「時効」に触れざるを得ません。それならば、映画としても、「時効」が有効であった時期に舞台を設定し直す必要があると思われますが、そうすることもなく、現時点を舞台に設定していますから、なにか違和感を感じざるを得ないところです(尤も、殺人事件についての時効が廃止になったのは昨年の4月ですから、微細な問題といえるかもしれませんが!)。
(3)渡まち子氏は、「ラブストーリーとしてもミステリーとしても中途半端だが、従順な妻を演じる木村多江の最後の演技で救われている」として50点をつけています。
また、福本次郎氏は、「もっと今の時代を感じさせてくれる新しさを見せてほしかった。また渡部の態度があまりにも真面目。不倫するやつがバカなのではなく、不倫にのめり込むやつがバカなことをこの男は知るべきだった」などとして40点をつけています。
(注1)それも、登場人物の誰かが関係する殺人事件というのであればまだしも、結局は、秘書が自分で旨を突いて自殺しただけのことですがら、インパクトの弱い点で甚だしいものがあります。
(注2)そこには、母親の妹(萬田久子)と父親が不倫関係にあったことを暴露するという意味合いもあったでしょうが、それも秘書の死にかかわる時効問題とは何の関係もないのではないでしょうか?
(注3)最近始まったTVドラマ『専業主婦探偵~私はシャドウ』は、深田恭子が演じるドンくさい専業主婦が思いがけずに探偵となって、という内容で、彼女は、やはり従来路線を続けていく様に思われます。
(注4)映画の途中では、岸谷が夜の予定などを詳しく説明しようとすると、スグにそれを遮って子供の話をし出したりするところから、なんだか彼女は薄々気がついているのでは、と観客に思わせておき、卵の殻で拵えたサンタクロースを手で握りつぶすシーンが入った後、ラストになると、トドメの言葉を独特の目つきで岸谷に投げかけ、岸谷ばかりか観客を凍り付かせるのですから、むしろこの映画の隠れた中心は木村多江ではないのか、と思えるほどです。
(注5)この映画では、舞台を横浜として、インターコンチネンタルホテルなどを使って一定の雰囲気を作りだしてはいますが、二人の恋愛関係の中身が薄いために、それらしい格好を付けただけのものとしか思えません。
また、渡部の親友・新谷(石黒賢)が、ところどころで登場し、渡部が深みにはまらないように、例えば、「お前を信じて暮らしてきた家族を不幸にする覚悟がお前にあるのか」など、もっともらしいことを言う場面があります。
ただ、原作だと、物語が終わった後に、「新谷君の話」という「おまけ」が置かれていて、実は彼自身が渡部と同じようなシチュエーションにあったと言うのです。そして、渡部だけが上手い具合に行かないように彼にアドバイスをし続けてきたのだ、と述べます。
原作者の東野圭吾氏は、新谷が口にする話の説教臭さを払拭しようとして、この「おまけ」を設けたのではないでしょうか?
(注6)別に不倫を描いた作品ではありませんが、『蛇にピアス』の吉高由里子ほどではないにせよ(本年4月24日の記事の(2)で触れました)、せめて『軽蔑』の鈴木杏くらいの演技はどうしても必要でしょう。
★★☆☆☆
象のロケット:夜明けの街で
橋が出てきましたね。
女優としての、深田恭子さんも、
一つの橋を、行きつ、戻りつ、
されているのかな~と。
木村多江さん、寺島しのぶさん、
木村佳乃さん等、あっち側に渡ってしまった方には、
もう戻れない橋です。
今後の彼女の更なる脱皮を、
楽しみに待つことにします。
(『下妻物語』ファンより)
この映画では、岸谷五朗が自宅へ帰ったり勤め先に行ったりする際に渡る橋が、随分と意味があるように作られていますね。
そんな大変な橋を深キョンが渡ってしまって戻れなくなったりしたら、『下妻物語』や『ヤッターマン』における彼女を愛する者としては、困ります。やはり、今後も、『専業主婦探偵』路線で行ってもらうしかないのかもしれませんね。