
『鍵泥棒のメソッド』を渋谷のシネクイントで見ました。
(1)本作は、内田けんじ監督の作品であり、また堺雅人と香川照之という芸達者な俳優が出演すると聞いて、映画館に出かけました。
物語の冒頭は、雑誌編集長の香苗(広末涼子)のオフィス。
突然彼女が立ちあがって、「私、結婚することにしました。お相手はまだ決まっていません。誰かお知り合いの男性を紹介してください。健康で努力家であればかまいません。1か月で相手を探し、次の1か月で恋愛し、そうして12月14日に結婚します」などと宣言します。
これに対して、社員の皆が拍手。

次いで、高級外車の中で、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番を聴く殺し屋・コンドウ(香川照之)。
男が団地から出てくると、コンドウは、車を降り、その男を捕まえナイフで刺してトランクに放り込んで発進します。
途中で映画の撮影にぶつかって渋滞に巻き込まれイライラしますが、ふと外を見ると大衆浴場の煙突が。

さらに、オンボロのアパートの狭い汚い部屋で、仰向けに転がっている役者志望の桜井(堺雅人)。
どうやら首つりに失敗した直後のようで、急に泣き出します。
財布から有り金を取り出すと千円ちょっとあり、さらには大衆浴場の入場券まで出てきます。
それらをひっつかんで桜井は外に出ます。

以上のような3人がひょんなことから関係を持ってしまい大騒動に巻き込まれるわけですが、最後まで非常に楽しく見ることができました。さすが、『運命じゃない人』、『アフタースクール』の内田けんじ監督だなと思いました。
堺雅人は、昨年は『日輪の遺産』『ツレがうつになりまして。』で随分と楽しませてもらいましたが、本作を見ると、どうやら今年も昨年以上に楽しませてもらえるようです。
香川照之は、すぐ前に見た『るろうに剣心』の悪徳商人役でその演技力をいかんなく発揮しているところ、本作においても、様々の面を併せ持つコンドウの役柄を実にうまく演じ分けています。
広末涼子は、一昨年の『FLOWERS-フラワーズ-』以来ですが、こうしたコミカルな要素を持つキャラクターをも実にうまく演じられることが証明されました(注1)。
(2)本作のタイトルに「鍵泥棒」とあるので(注2)、クマネズミは、昨年末の『サラの鍵』以来興味を持つようになった「鍵」(注3)に着目いたしました。
ただ確かに、銭湯で意識を失ったコンドウから桜井が盗み取ってしまうロッカーの鍵は、その後の展開にとって重要ではあるものの(それがなければ、桜井はコンドウになりすますことはできませんでしたから)、単なる鍵にすぎませんし、そのロッカーに入っていたコンドウのマンションの鍵や車の鍵も単純な鍵にすぎません。
本作における鍵は、むしろ普通の鍵の形をしていない鍵の方が重要なのではないでしょうか(注4)?
すなわち、銭湯で滑って倒れて意識を失い、記憶を失ってしまったコンドウが、記憶を取り戻す際の“鍵”となったのは、コンドウが愛好するベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番です。
この曲を、たまたま香苗の父親が特に愛好していて、亡くなったばかりの父親を偲ぶべく香苗がそのレコードをターンテーブルに乗せたことによって、その部屋にいたコンドウが記憶を取り戻すのです。
まさに同曲は、コンドウの記憶の箱を開くための“鍵”と言えるでしょう(注5)。
(3)渡まち子氏は、「売れない役者と伝説の殺し屋が入れ替わるサスペンス・コメディ「鍵泥棒のメソッド」。優れた脚本といい役者で、最後の最後まで楽しめる」として80点をつけています。
また、暉峻創三氏は、「派手な映像への依拠は排しながら、重要なことは台詞ではなく、できる限り小道具などの視覚的存在や音響の現前によって観客に突きつけていく姿勢。それが一見あり得ない物語の向こう側に内田けんじ映画だけに可能なリアリティーを作りだしている」と述べています。
(注1)尤も、『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』(2007年)で証明済みかもしれませんが。
(注2)なお、本作のタイトルに「メソッド」とあるのは、『マリリン』についてのエントリの(2)で触れた「メソッド演技法」によっているのではと思われます。
ちなみに、映画の中で、コンドウが桜井に向かって、「お前は、ストラスバーグの本のはじめの8ページしか読んでいない」と言っているところ、このサイトの記事によれば「実際に訓練を受けた人でなければその内容は殆ど解」らないとのこと。素人ながら桜井の部屋に置いてあった演技の本を読破して身につけてしまったコンドウよりも、むしろ、すぐに投げ出してしまった桜井の方が普通なのかも知れません!
なお、映画では、リー・ストラスバーグ『メソードへの道』とかエドワード・D・イースティ『メソード演技』(劇書房、1995)などが映し出されていたように思います。
(注3)さらに、拙ブログのこのエントリの(2)やこのエントリの(4)もご覧ください。
(注4)といって、本作の英題「Key of Life」の「Key」などには何の関心もありません!
(注5)ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番(昔はブダペスト弦楽四重奏団が演奏するレコードを持っていましたが)は、クマネズミも以前から愛好しているので、この点だけからも本作は◎と言えます!
劇場用パンフレットの「Director’s Interview」において、内田けんじ監督は、「香苗=モーツアルト、コンドウ=ベートーベンという漠然としたイメージは脚本執筆中もずっと意識していたことです。ちなみに桜井は、なんの葛藤もないけど、シンプルで深いバロック。天使のイメージ」と述べているところ、香苗が働くオフィスの場面で、『フィガロの結婚』の序曲が流れたりするとはいえ、「弦楽四重奏曲第14番」以外の点は別にどうでもいいことです!
★★★★☆
象のロケット:鍵泥棒のメソッド
(1)本作は、内田けんじ監督の作品であり、また堺雅人と香川照之という芸達者な俳優が出演すると聞いて、映画館に出かけました。
物語の冒頭は、雑誌編集長の香苗(広末涼子)のオフィス。
突然彼女が立ちあがって、「私、結婚することにしました。お相手はまだ決まっていません。誰かお知り合いの男性を紹介してください。健康で努力家であればかまいません。1か月で相手を探し、次の1か月で恋愛し、そうして12月14日に結婚します」などと宣言します。
これに対して、社員の皆が拍手。

次いで、高級外車の中で、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番を聴く殺し屋・コンドウ(香川照之)。
男が団地から出てくると、コンドウは、車を降り、その男を捕まえナイフで刺してトランクに放り込んで発進します。
途中で映画の撮影にぶつかって渋滞に巻き込まれイライラしますが、ふと外を見ると大衆浴場の煙突が。

さらに、オンボロのアパートの狭い汚い部屋で、仰向けに転がっている役者志望の桜井(堺雅人)。
どうやら首つりに失敗した直後のようで、急に泣き出します。
財布から有り金を取り出すと千円ちょっとあり、さらには大衆浴場の入場券まで出てきます。
それらをひっつかんで桜井は外に出ます。

以上のような3人がひょんなことから関係を持ってしまい大騒動に巻き込まれるわけですが、最後まで非常に楽しく見ることができました。さすが、『運命じゃない人』、『アフタースクール』の内田けんじ監督だなと思いました。
堺雅人は、昨年は『日輪の遺産』『ツレがうつになりまして。』で随分と楽しませてもらいましたが、本作を見ると、どうやら今年も昨年以上に楽しませてもらえるようです。
香川照之は、すぐ前に見た『るろうに剣心』の悪徳商人役でその演技力をいかんなく発揮しているところ、本作においても、様々の面を併せ持つコンドウの役柄を実にうまく演じ分けています。
広末涼子は、一昨年の『FLOWERS-フラワーズ-』以来ですが、こうしたコミカルな要素を持つキャラクターをも実にうまく演じられることが証明されました(注1)。
(2)本作のタイトルに「鍵泥棒」とあるので(注2)、クマネズミは、昨年末の『サラの鍵』以来興味を持つようになった「鍵」(注3)に着目いたしました。
ただ確かに、銭湯で意識を失ったコンドウから桜井が盗み取ってしまうロッカーの鍵は、その後の展開にとって重要ではあるものの(それがなければ、桜井はコンドウになりすますことはできませんでしたから)、単なる鍵にすぎませんし、そのロッカーに入っていたコンドウのマンションの鍵や車の鍵も単純な鍵にすぎません。
本作における鍵は、むしろ普通の鍵の形をしていない鍵の方が重要なのではないでしょうか(注4)?
すなわち、銭湯で滑って倒れて意識を失い、記憶を失ってしまったコンドウが、記憶を取り戻す際の“鍵”となったのは、コンドウが愛好するベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番です。
この曲を、たまたま香苗の父親が特に愛好していて、亡くなったばかりの父親を偲ぶべく香苗がそのレコードをターンテーブルに乗せたことによって、その部屋にいたコンドウが記憶を取り戻すのです。
まさに同曲は、コンドウの記憶の箱を開くための“鍵”と言えるでしょう(注5)。
(3)渡まち子氏は、「売れない役者と伝説の殺し屋が入れ替わるサスペンス・コメディ「鍵泥棒のメソッド」。優れた脚本といい役者で、最後の最後まで楽しめる」として80点をつけています。
また、暉峻創三氏は、「派手な映像への依拠は排しながら、重要なことは台詞ではなく、できる限り小道具などの視覚的存在や音響の現前によって観客に突きつけていく姿勢。それが一見あり得ない物語の向こう側に内田けんじ映画だけに可能なリアリティーを作りだしている」と述べています。
(注1)尤も、『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』(2007年)で証明済みかもしれませんが。
(注2)なお、本作のタイトルに「メソッド」とあるのは、『マリリン』についてのエントリの(2)で触れた「メソッド演技法」によっているのではと思われます。
ちなみに、映画の中で、コンドウが桜井に向かって、「お前は、ストラスバーグの本のはじめの8ページしか読んでいない」と言っているところ、このサイトの記事によれば「実際に訓練を受けた人でなければその内容は殆ど解」らないとのこと。素人ながら桜井の部屋に置いてあった演技の本を読破して身につけてしまったコンドウよりも、むしろ、すぐに投げ出してしまった桜井の方が普通なのかも知れません!
なお、映画では、リー・ストラスバーグ『メソードへの道』とかエドワード・D・イースティ『メソード演技』(劇書房、1995)などが映し出されていたように思います。
(注3)さらに、拙ブログのこのエントリの(2)やこのエントリの(4)もご覧ください。
(注4)といって、本作の英題「Key of Life」の「Key」などには何の関心もありません!
(注5)ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番(昔はブダペスト弦楽四重奏団が演奏するレコードを持っていましたが)は、クマネズミも以前から愛好しているので、この点だけからも本作は◎と言えます!
劇場用パンフレットの「Director’s Interview」において、内田けんじ監督は、「香苗=モーツアルト、コンドウ=ベートーベンという漠然としたイメージは脚本執筆中もずっと意識していたことです。ちなみに桜井は、なんの葛藤もないけど、シンプルで深いバロック。天使のイメージ」と述べているところ、香苗が働くオフィスの場面で、『フィガロの結婚』の序曲が流れたりするとはいえ、「弦楽四重奏曲第14番」以外の点は別にどうでもいいことです!
★★★★☆
象のロケット:鍵泥棒のメソッド
しかしすでに見るのは3本目なので面白さは認めるとしても、“作りすぎ”にまたか、という感じで
『運命じゃないひと』を見たときの衝撃にくらべ、見る方のテンションがかなり下がりアラばかりが
気になってしまう。
例えば最初郵便受けにあった税金だったかの請求書を丸めて道に捨てる。それを掃除している大家に
(もちろんこの時点では大家とは分からない)見られ引き返して拾う。
この場面だけで桜井の性格や状況も推測でき、拾ったことが後にコンドウの身元証明の根拠になる。
あるいは脱衣所でコンドウが置いたいかにも金が入っていそうな財布を見たことが“鍵”の交換を決意する
きっかけになる。など相変わらず細かい伏線が巧みに示されていて“うまく”作ってはいるのだが…
逆に決定的にまずいボロと思えるのが“大家”の出し過ぎ。
桜井は3ヶ月か半年か家賃を滞納している。当然家賃は振り込みや引き落としではなく手渡しだろう。
アパートの住民が互いに無関心で“顔”すら知らないのは当然として大家は全員の顔も素性もよく知って
いるはず(だから猫に気づかないはずはないが)。身寄りがないとは言え、わざわざ病院まで桜井の
着替えを持って行くほど“お節介”で“親同然”の大家が滞納していた家賃を払ったから
さし当たり用はないとはいえコンドウが住みついたり香苗が出入りしたりすることに気づかないはずがない。
もう1つ几帳面なコンドウの描き方は非常にいいが、当然筆跡も几帳面で、いい加減な桜井のそれとは
まったく違うのだから、たとえ記憶を喪失してもノートを書き出せば遺書が自分のものでないことは本人
でも香苗でもすぐ気づくはず。同様に台詞にもあったが几帳面なコンドウが病院に金も払わず抜け出し
病院側が何の行動も起こさないのもあり得ない。
いずれにしろ、コンドウがあのアパートにいる限り、別人であることはすぐ露見するはず。
なおコンドウが隣の部屋も借りているのには感心した。
さすがいつもながらのmilouさんで、鋭い味方をされるなと感心いたしました。
ただ、「決定的にまずいボロ」とされる点については、あるいはなんとか言い訳できるのかも知れません。
例えば、大家の奥山は、桜井の住むアパートではなくその前にある自分の家に住んでいるので、「コンドウが住みついたり香苗が出入りしたりすることに気づかない」こともありうるのではないかとか(それに、映画が想定している期間も、10月8日近辺のごく短いものではないでしょうか)、コンドウの字体と桜井のそれとが違っていることも、コンドウは記憶喪失前のことだから余り気にとめないかも知れない、などといったようにですが。
クマネズミは、とにかくこれはお話なのだからと思って見ていたので、余り気にはなりませんでした。
それより何より、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲です!
ベートーベンとモーツァルトとパロック。なるほど。何となく恋に対する姿勢なのかな。
ベートーベンは苦悩する恋。
父ちゃんの好きな曲もそこにリンクするのかもしれない。
モーツァルトはウキウキ。最初は義務だった恋もいつしか義務でないウキウキに。
バロックは「天使」というなら、今回は橋渡しのキューピッド役で。桜井の恋が一段落して終わっているからこそ古いバロックなのかもしれません。
内田けんじ監督が「香苗=モーツアルト、コンドウ=ベー
トーベン、桜井→バロック」と述べているところを、「ふじ
き78」さんが「恋に対する姿勢」と読み解かれているの
はさすがですね!
ただ、「苦悩」するベートーベンも、前期の作品は頗る
モーツアルト的ですし、本作が取り上げている弦楽四重
奏曲第14番を生み出した後期は、地上のごたごたなど
を突き抜けた天国的な境地の曲が多いように感じるの
です。
それで、「注5」では、「「弦楽四重奏曲第14番」以外の
点は別にどうでもいいこと」と書いてしまいました!