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パッセンジャー

2017年04月14日 | 洋画(17年)
 SFの『パッセンジャー』を吉祥寺オデヲンで見ました。

(1)予告編で見て面白そうだなと思い、映画館に行きました。

 本作(注1)の冒頭では、恒星がたくさん見える宇宙空間を、宇宙船アヴェロン号が進んでいます(注2)。
 アヴェロン号は、飛んでくる隕石などの障害物を、シールドによって破壊しながら進んでいきます。それでも、すべての隕石を避けきれないのか、ある時大きな衝突が起き、船内は異常事態となりますが、すぐに自動修復されて元の状態に戻ります。

 そんな中でも何か不具合が起きてしまったのでしょう、乗客の1人のジェームズ・プレストンジムクリス・プラット)に注射が自動的になされ、彼は目を覚まします(注3)。
 すると、「冬眠解除。おはよう、ジェームズ!」との声が。
 加えてその音声は、「120年間冬眠してきました」、「大丈夫、全て順調です」、「ホームステッドⅡに向かっています」、「あと4ヵ月、宇宙旅行をお楽しみください」などと言います。
 また、「覚醒時には後遺症が出ますが、健康に問題ありません」、「258号室が新しい住居となります」、「乗客同士で交流します」、そして「ホームステッド社の宇宙船で快適な旅を」とも付け加えます。

 さらに、「ジム、IDをスキャンして、荷物を受け取ってください」と言われたのでその通りにし、その中にあったジャケットを着て、ジムは「イケてるぞ」とつぶやき、廊下に出ます。
 ところが、人がまったく見当たらないのです(注4)。
 そこでジムは、「誰か?」と言いながら宇宙船内を走り回ります。でも、やっぱり誰一人見つかりません(注5)。



 人を探していると、バーがあってバーテンダーがいるのが見えます。
 ジムは、やっと人間に会えたと喜んで席に着くものの、彼の金属製の脚を見て、バーテンダーがロボットであることがわかります。それで、ジムが「ロボットか」とため息をつくと、バーテンダーのアーサーマイケル・シーン)は「アンドロイドです」と答えます。
 それでも、ジムは気を取り直して、「宇宙船の知識は?宇宙船が故障してしまった」と尋ねると、アーサーは「そんなことはありえません。宇宙船は故障しません」と答えるばかりです(注6)。

 これらは、本作のホンの初めの部分ですが、さあ、これから物語は一体どうなるのでしょうか、………?

 本作は、120年の長旅(注7)のために宇宙船の冬眠ポッド内で冬眠していた5000人の乗客の一人の男が、何故か一人だけ途中で目覚めてしまうところから始まります。たった一人のために途方にくれていたところ、ある時、目覚めたもう一人の人間、それも女に出会います。2人は地球では住む世界が違っていましたが、やがて恋に陥ります。しかしながら、……という物語。登場人物がごくわずかで、ストーリーも単純ながら、それだからこそかえって、SFラブストーリーとしてなかなかうまい仕上がりになっているなと思いました。

 (以下は、かなりネタバレしておりますので、未見の方はご注意ください)

(2)本作は、数え上げればキリがないほどたくさんの問題点を抱え込んでいるように思います(注8)。
 ただ、本作を、宇宙船内に死ぬまで独りで生きる羽目に突如として陥ったジムと、これまた突然出現する飛び切りの美女のオーロラジェニファー・ローレンス)とのラブストーリーとして見れば、すなわち、広い宇宙船の中に格好の男女がたった2人だけしか存在しないという極端な状況がその後どのように展開するのかに興味を持って見れば、そうした問題も遠のいてしまうようにも思われます(注9)。



 何しろ、広い宇宙船内に設けられている様々の施設や装置を使ったりしながら、次第にその愛を高めていく2人の様子が、本作では実に綺麗に描き出されるのですから。

 それでも、次のような問題点は残るでしょう(注10)。
・オーロラの出現にはジムが大きく関与しているのですが、それは果たして許されることなのでしょうか?
・ジムとオーロラは、結局のところ愛し合うことになりますが、子供を設けることについては考えなかったのでしょうか?

 前者については、実のところジムは、1人で一年ほど過ごしたあと、あまりの孤独感によって、さらにまた、冬眠ポッドのガラス越しに見るオーロラの姿があまりに美しいこともあり、とうとう人為的にオーロラを目覚めさせてしまうのです。



 そのことを一切知らなかったオーロラは、地球では住む世界が違っていて会うことはないはずながらも(注11)、目覚めた後、次第にジムを愛するようになります。ですが、冬眠覚醒の経緯を偶然にバーテンダーのアーサーから耳にすると(注12)、烈火のごとく怒り出し、二人の仲は破綻してしまいます。
 オーロラは、ジムのやったことによって「目的地に着いたら、その画期的な状況について本を書き、地球に戻って出版するという計画がめちゃめちゃになってしまった」、「これは人殺しも同然の酷いことである」として、ジムを強く非難し、逆にジムを殺してしまおうとするほど怒りまくります。
 このオーロラの怒りは、至極もっともでしょう。
 ただ、本件によって、オーロラの命が奪われたわけではありません。また、書こうとする本のテーマは違ってしまうとはいえ、オーロラは、本が一切書けなくなるわけでもありません。
 クマネズミは、この件は、関係が完全に永久に断絶してしまうほどのものではなく、時間がある程度経過したり、別の事件が起きたりすれば、関係は元の方向に戻ることがありうるものではないか、と思います。
 現に、その後、大きな故障からアヴェロン号を修復しようとしてジムの見せた英雄的な行動に、オーロラは酷く心を動かされ、関係は元通りになるのですし、そうしたストーリー運びはクマネズミには説得力があるように思われました。

 後者については、アヴェロン号が目的地まであと4ヶ月の位置にまで到達し、乗客や乗組員が一斉に冬眠から目覚めてグランドコンコースに現れた時、二人が植えた木々が茂っていたり、オーロラの音声が流れたりはするものの、彼らの子孫は見かけなかったように思われます。
 そのようになったのも、この宇宙旅行では途中で子供が生まれるという事態を想定しておらず、出産・育児等に関する必要な物資を宇宙船が積載していなかったがために、2人は子供を作らなかったからではないでしょうか(注13)?

 ここで、こうした点が問題になるもう一つの要因を挙げるとすれば、脚本家のジョン・スペイツが書いたオリジナルの脚本(注14)と、今回公開されている劇場版の作品とで、ラストの部分が大きく異なっている点でしょう。
 要すれば、オリジナル脚本においては、宇宙船修復の過程で、ジムとオーロラ以外の乗客・乗組員はすべて冬眠のままで船外の放り出されてしまい、助かるのは2人だけとなり、さらに、88年後に目的地に到着した宇宙船から現れるのは、2人の子孫だった、ということになります(注15)。

 こうしてみると、公開された劇場版は、随分と穏やかな結末の描き方になっている感じであり、おそらくは興行成績を考慮しての改変なのでしょう。
 それはともかく、オリジナル脚本に従って映画が制作されていれば、上に挙げた二つの問題は、それほど目立たなくなるように思われます。子供の問題は勿論のこと、ジムがオーロラにしてしまったことも、結果論にすぎないかもしれませんが、かえってプラスに働くのですから(注16)。

 でも、実際に公開されているのは劇場版の方であり、オリジナル脚本版は制作されていないのですから、こんな比較は意味がないかもしれません。
 それに、劇場版の方も、それはそれでまずまず面白い仕上がりとなっているのであり、やはりそれについての議論を第一とすべきでしょう。

(3)渡まち子氏は、「ツッコミどころの多いストーリーはあくまでも薄味だが、宇宙船内のクールで壮麗なデザイン、無重力プールやバーテンダー・ロボの役割など、そう遠くない未来の姿を思わせる設定が楽しかった」として50点を付けています。
 前田有一氏は、「抜群に面白いシチュエーション設定とよくできたセット、説得力をもって描かれた人間ドラマの3点が揃った見事なSFである」として85点を付けています。
 柳下毅一郎氏は、「普段は快活なアメリカン・ヒーローであるクリス・プラットが、珍しく繊細な内面的演技を見せる。これは冒険活劇というよりも寓話であり、死からの再生の物語である。ジェニファー・ローレンスがついに「あなたがいないと生きられない」と呼びかけるとき、やはりプラットは真のヒーローだったとわかるのだ」と述べています。
 毎日新聞の高橋諭治氏は、「危機的な事態が発生すると、なぜか描写が大味になる難点もあるが、無重力化したプールなどのビジュアルも新鮮で、観客を退屈させない趣向がたっぷり」と述べています。



(注1)監督は、『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』のモルテン・ティルドゥム
 脚本はジョン・スペイツ
 原題は「Passengers」〔本来的には、複数のところが大事な点ですから、邦題も「パッセンジャーズ」とすべきでしょうが、すでにその邦題は使われてしまっているために(『パッセンジャーズ』2008年;未見)、やむなく単数形にしたのでしょう〕。

 なお、出演者の内、最近では、ジェニファー・ローレンスは『アメリカン・ハッスル』、クリス・プラットは『her 世界でひとつの彼女』(受付のポール役)、マイケル・シーンは『ミッドナイト・イン・パリ』、ローレンス・フィッシュバーンは『コンテイジョン』で、それぞれ見ました。

(注2)同宇宙船は、民間のホームステッド社が開発したもので、ある惑星に設けられている入植地「ホームステッドⅡ」に向けて、全部で120年の長旅を続けています。
 なお、同宇宙船には5000人の乗員と258名のクルーが乗っていますが、全員、冬眠ポッドの中で眠りについています。従って、アヴェロン号は、自働航行していることになります。

(注3)彼は、コロラド州デンバー出身の技術者(mechanical engineer)。

(注4)途中で、ジムが教室のようなところに入ると、映像で表されるインストラクターが、独りで、ホームステッドⅡにおける生活についてガイダンスをしています。
 ジムが質問しようとすると、「質問は最後に」と言うのでしばらく待ってから、「他の乗客は?」「皆は何処にいる?」「今日は俺だけだけど、なぜ俺1人なのか?」などと尋ねますが、はかばかしい答えは返ってきません。

(注5)途中で、「アヴェロン号は、地球から「ホームステッドⅡ」に向かっています。到着まであと90年。地球を出発してから30年経過しています」との音声をジムは耳にします。
 その他、例えば、ジムはe-mailを使って、「緊急事態だ。俺は、アヴェロンの住人のジム・プレストン。早く目覚めた。誰も目覚めてはいない。冬眠に戻れない。助けがいる。以上」とのメッセージを地球に送りますが、機械の方から、「送信しました。お届けには19年かかり、返信は55年先です。料金は6000ドル」との音声があり、ジムはいたく絶望します。

(注6)アーサーを演じるマイケル・シーンは、宇宙船のバーのシーンが映画『シャイニング』を彷彿とさせることについて、「わざとだよ。僕の衣装もロイド(『シャイニング』のバーテンダーの名前)と同じだ。アールデコのバーのデザインもそれを意識したものなんだ」と述べています(この記事)。
 なお、この記事には、『シャイニング』におけるロイドジョー・ターケル)とジャックジャック・ニコルソン)とのやり取りが仔細に記載されています。ただ、『シャイニング』のジャックと本作のジムとでは、描き出されている性格がまるで違っていることもあって、両作のバーの雰囲気はかなり違っているように思います。

(注7)2月に発見された地球と類似する太陽系外惑星(この記事をご覧ください)なら、地球から40光年先にあるとのことですから、光速の3分の1くらいの速さの宇宙船だと、およそ120年位で行き着けるではないでしょうか?

(注8)例えば、KGRさんのブログ記事においては、「(宇宙船は)システム的には欠陥だらけで、到底恒星間移動に耐え得ない」として、実に様々の問題点が指摘されていますが、それぞれもっともな指摘だと思います。

(注9)宇宙船等の構造とか技術に関する問題は、極めて重要でしょう。ただ、そうだとしても、なんとかなるのでは、と思いたくなってしまいます。
 それにしても、宇宙船は完全自動操縦になっていますが、100%完璧ということはありえず、予期しないことが当然起こるはずであり、そうした時のためにどんな対策が考えられているのかという問題は、有耶無耶に出来ない気がします。
 あるいは、佐藤秀さんのブログで言われているように、「ガス(アヴェロン号の乗組員;ローレンス・フィッシュバーン)が起きたのも実は宇宙船のコンピュータがガスにシステムを修復させるためで、フェイルセーフの中に組み込まれていた」のであり、さらには「ジムも技術者で修理させるために起こされた」と考えられるかもしれません。
 実際にも、2人の力で、アヴェロン号の故障は修復されて、無事に目的地に向かって航行を続けるのです。
 でも、果たしていつもそのような対応で済むのかどうか、疑問なしとしないところです。

(注10)さらには、ジムとオーロラのうちの1人は、助かるという状況(ガスが使っていた医療用のポッドを使うことによって)になるにもかかわらず、そうしなかったのはどうしてなのかという問題もあるでしょう。
 この点については、さはさりながら、愛し合っていた2人なので、1人だけ助かって命を永らえても意味がないと考えたのかもしれません(例え助かっても、生きる場所が宇宙船から新しい惑星に移るだけであり、独りきりで生きるのに変わりがないと考えたのでしょう←オーロラはともかく、ジムの場合は、自分たちを後世に伝えることにそれほど意味を見出さないでしょうし←ただし、ジムは元々、贖罪の気持ちからオーロラに譲るつもりでした)。

(注11)オーロラは作家で、父も作家という恵まれた環境で育っていますが、ジムは労働者階級に所属する技術者。宇宙船の中でも、オーロラはゴールドクラスであり、ジムはロウアーデッキのいわばエコノミークラスです。それで、例えば、食堂で出される食事も、随分と違ったものになっています。

(注12)ジムが、経緯をつぶさにアーサーに話していたのです。

(注13)あるいは目的地に着いてから必要になるということで、仮に出産・育児等に必要な物資を宇宙船が積載していたとしても、前回取り上げた『はじまりへの旅』で見たように、社会から隔絶したところでの教育(ジムとオーロラの家族しかいない環境下での教育)にはかなり問題があるようであり、そうした点を検討した上で、2人は子供を作らなかったのかもしれません。モット言えば、子供たちの伴侶をどうするのかという問題を予め考慮したのかもしれません。。

(注14)本作のオリジナルの脚本は、このURLで読むことが出来ます。

(注15)オリジナルの脚本のラストについて、もう少し詳しく述べれば、以下のとおりです。
・ジムとオーロラは、故障したコンピュータの修理を行います。
 そして、メインのコンピュータは機能を回復したものの、他のコンピュータについては、まだ手が回らなかったところ、航行中の宇宙船の冬眠システムが誤作動してしまい、宇宙船が基地に着いたと誤認し、中の人間が退出して空になっているはずの冬眠ポッドを船外に射出してしまいます。ですが、宇宙船は、まだ基地に到着したわけではありませんから、実は冬眠ポッドは空ではなく、3つを除きすべて人間が入ったままなのです。こうして、5000個以上の冬眠ポッドが、中に人間が入ったままの状態で宇宙に漂うこととなります。当然のことながら、中の人間は死んでしまうことでしょう。

・88年後に宇宙船が目的地に着くと、その扉が開いて、先ず、いろいろな年齢の、そして様々の人種の子供たちが通路を走り降りてきます。その後ろには10代の青年・少女、そして年齢が上がるにつれて数は減りますが大人たち、最後には一握りの髪の毛が白い年寄りがいます〔補注〕。
 宇宙船のグランドコンコースの奥まった壁の基部に設けられている机の上にはいろいろなものが置かれていますが、その中に手作りの本(hand bound book)があり、タイトルは「In the Blink of an Eye: Our Lives Between the Stars」とあり、著者はオーロラ(Aurora Dunn)で、ジムに捧げられています。

(注16)オリジナルの脚本においては、乗客と乗組員の入った5000以上の冬眠ポッドが宇宙に射出されてしまった光景を見て、オーロラはジムに対し、「あなたが私を起こしてくれていなかったなら、私は今頃、他の人と同じように宇宙空間に漂っていたでしょう。あなたが目覚めていなかったなら、皆が眠っている間に、宇宙船ごと消えてしまったでしょう」、「とにもかくにも、私たちが今ここにいるのが事実」、「私が良いことを思いついたときに、それを話したいのはまさにあなた。朝、目が覚めた時にあなたがそこにいてほしい」などと言い、お互いに「I miss you」とか「I love you」などと言い合って、2人は抱き合います。

〔補注〕こうなるのが可能となるのは、このブログ記事の「1.『パッセンジャー』のオリジナル版エンド」が指摘するように、宇宙船内に「遺伝子バンク」があることが不可欠でしょう〔とりあえず必要なのは、遺伝子というよりも精子・卵子ですから、そちらのバンクが船内に存在していることがどうしても必要でしょう。オリジナルの脚本の48ページでも、オーロラは船内の診察室で、乗客名と「Sperm」あるいは「Ova」と書かれたラベルの貼られた冷凍カプセルを見つけるのです。尤も、その後で、オーロラはジムに「「gene bank」を見つけた」と告げるのですが!〕。
 総じて、同ブログの記事では、ラストの問題について、すこぶる興味深い分析がなされているように思います。



★★★☆☆☆



象のロケット:パッセンジャー