『T2 トレインスポッティング』を渋谷シネパレスで見ました。
(1)以前見た第1作目(1996年)の印象が大層強かったので、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、ランニングマシンの上で走っている男たちの姿が映し出されます(注2)。
その中には、レントン(ユアン・マクレガー)が。
マシンのスピードが次第に早くなり、最初のうちレントンはそれに付いて行っていますが、最後に足を踏み外し倒れて、意識を失ってしまいます。
次いで、70年代半ば頃の古い映像。
幼い少年たちがサッカーをしています(注3)。
また、少女たちが縄跳びをしています。
さらに、場面は変わって、刑務所(注4)の面会室。
面会に来た弁護士(スティーブン・ロバートソン)が「仮出所の申請が却下された」と言うと、男(ベグビー:ロバート・カーライル)は「期待していたが」と応じ、弁護士は「言葉もない」と言葉を継ぎます。
さらに、ベグビー(注5)は、「あと5年か。俺を不死身だと思っているのか?女王にも手紙を書いた。20年もブチ込まれるのだ」、「限定的責任を主張していたら放免されたはずだ」、「このヤロー、主張しなかったな!」と次第に怒り出します。
弁護士は「状況をよく理解された方が、…」と言って、ほうほうの体で立ち去ります。
また場面は変わって、薬物依存症治療のためのグループワークで、スパッド(ユエン・ブレムナー)が、自分のことを参加者に話しています。
「俺は配管工だった。ある時、夏時間のために時計が1時間進められていることがわからなかったために、現場に出向くのが遅れてしまいクビになった。さらに、別居中の妻・ゲイルと息子・ファーガスとの面会も、時間に遅れておじゃんになってしまった」、「結局、時計のせいで、失業し、息子も失ってしまった」、「それで15年もヘロインに溺れることに」等と話します。
今度は、車の中で、男(シック・ボーイ:ジョニー・リー・ミラー)が、傍らの座席に座っている男(ゴードン・ケネディ)を恐喝しています(注6)。
「この動画をあんたにやるよ。俺に協力したら公開しない」、「お前は、教頭で、年収7万ポンド(約1000万円)だろ。年収の10%を無期限で振り込め。口座番号はメールする」、「奥さんがこれを見たらどうなるのかをよく考えろ」、「とりあえず、今週末に1000ポンドをよろしく」と脅します。
このように、本作の始めの方では、前作で活躍した4人(注7)のそれぞれの現状が描かれ、そこにアムステルダムからエジンバラにレントンが戻ってきて物語が動き出しますが、さあ、どうなるのでしょう、………?
本作の前編については、かなり昔に見ただけなので、ネットで探した動画で再確認した上で映画館に行きましたが、これは正解でした。本作でも、前作の映像が所々で映し出されはするものの、そのストーリーが辿り直されはしないため、本作に登場する4人がどうしてそのような行動に出るのかは、前編のストーリーを知らないとわけがわからなくなってしまうでしょう。逆に、第1作をよく知っていれば、本作の展開も充分に納得がいき、20年という時間の長さを感じさせるとはいえ、相変わらずの行動にまたもや圧倒されてしまいます。それにしても、主役を演じたユアン・マクレガーは、相変わらずの若さを保っているなと驚きました。
(2)通常の第2作目でしたら、その冒頭では、前作のあらましが描かれることでしょう。特に邦画の場合、その傾向が強い感じがします(注8)。逆に、洋画の場合、第2作目で前作のあらましがきちんと描かれることは、少ないように思われます(注9)。
本作においては、前作が20年前に制作されているにもかかわらず、いきなり、アムステルダムで暮らしているレントンの姿が描かれます。
前作のあらましを冒頭で描いたりしたら、映画全体のトーンが歪んでしまう恐れもあり、あるいは本作のやり方が正しいのでしょう(注10)。でも、前作をある程度復習せずに本作を見たりすれば、しばらく混乱状態になってしまうのではという気もします。
幸いなことにクマネズミは、本作を見る前に、予めそのDVDをTSUTAYAで借りてなんとか復習できましたので、すぐに映画の中に入り込めました。
例えば、本作の物語が進行してしばらく経って、突然、遠くに山の見える原野(moor)のシーンとなりますが、なぜこんな光景が映し出されるのか、前作を見ていない観客にはうまく理解できないかもしれません。逆に、第1作を知っていると、「アッあの場面と同じだ」とつながりが分かり、妙に納得できてしまいます(注11)。
ただ、そこにはトミーもベグビーもおりません。
本作の出発点を見てみると、トミーはエイズで死んでしまっていますし、ベグビーはエジンバラにこそいますが、その郊外に設けられている刑務所に入っています。
その上、スパッドとシック・ボーイもエジンバラにいますが、互いに連絡を取っていないようですし、レントンはアムステルダムです。
これでは、若い5人がエジンバラの街中を縱橫に走り回って振り撒いた前作の熱気など、本作に期待しても難しいのでは、と見る者に思わせます。
でも、映画が展開しだすと、彼らは何も変わっていないのでは、という気にもなってきます。
レントンが、20年間いたアムステルダムを引き払ってエジンバラに戻ってくると(注12)、結局、4人はともかくエジンバラにいることになりますし、スパッドとシック・ボーイはまだドラッグから足を洗えていません。要すれば、4人は、20年も経過したにもかかわらず、第1作と同じような状況に置かれていることになります。
それでも、皆のものだった現金をレントンが1人で持ち逃げしてしまったことが原因で、ベグビーはレントンを殺そうと付け狙いますし(注13)、スパッドもシック・ボーイもレントンを簡単に受け入れようとはしません(注14)。こんな状態では、前作のように、4人の再結集は見られないことになります。
ですが、金が必要になると、前作同様に(注15)、彼らは正当な手段にはよらずに盗みを働いたりします(注16)。
それに、シチュエーションはかなり異なっていますが、前作同様、トイレのシーンはあります(注17)。
前作のラストでは、仲間を裏切ったレントンの声が流れます。
「なぜそんなことをしたかって?百万通りの答えがあるが、どれも皆間違いだ。本当のところは、俺が悪(bad person)だから。だけどそれは変わる。俺は変わる(I’m going to change)」云々。
本作では、例えば、最後の方でベグビーは、息子(スコット・グリーナン)に対し、「頑張れよ、ジュニア。俺がガキの時は、選択肢はなかった。大学に行ってホテル経営を学ぶとか。時代は変わったんだ。俺の親父は酔っ払い。俺は無学。お前は俺を超える」と言って、息子と抱き合って、家を離れます。
本作を見ながら、はて、彼らは“change”できたのだろうか、何かが変わったのだろうか、いやそのままなのだろうか、などということが絶えず気になってしまいます。
話は飛躍しますが、最初に“change”を大きく掲げながらもできなかったじゃないかと前任者を非難して大統領になったドナルド・トランプ氏は、自分なら変えられると大見得を切って、就任すると矢継ぎ早に大統領令を出したものの、実際のところ、重要な案件(注18)では状況を“change”するに至っていないように思われます。
おそらくは、changeを掲げたり、changeすると決意したりしても、自分自身とか世の中を変えていくのは大変なことであり、他方で、changeを標榜せずに現状維持を望んでも、逆に、自分も世の中も変わっていってしまうのかもしれません。
そんなつまらないことをあれこれ考えながら、映画館をあとにしたところです。
(3)渡まち子氏は、「社会の底辺で生きるクズどもはぶざまにもがくばかり。それでも人は生きていかねばならないのだ。ほろ苦くて懐かしい同窓会に出席したような気分である」として70点を付けています。
前田有一氏は、「間違っても4人と似たような境遇の負け組層の人たちにはすすめられないし、見ないほうが無難だ」が、「逆に余裕のある皆さんは、わざわざ90年代のスタイリッシュムービー風に演出したと思われる、相変わらずのダニー・ボイルの見事なテクニックを堪能しに映画館へどうぞ」として50点しか付けていません。
渡辺祥子氏は、「女たちは賢く変化し、男たちは子供のまま。女と男の違いはそこにある? 前作を見た頃が懐かしく甦る良き続編が誕生した」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
(注1)監督は、前作と同じダニー・ボイル(最近では、『スティーブ・ジョブズ』を見ました)。
脚本は、ジョン・ホッジ
原作は、アーヴィン・ウェルシュ著『T2 トレインスポッティング』〔池田真紀子訳:ハヤカワ文庫NV上・下←この本の原題は『Porno』(2002年)〕。
本作の原題は『T2 Trainspotting』(“trainspotting”の意味については、こちらをご覧ください)。
なお、出演者の内、最近では、ユアン・マクレガーは『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間』で見ました。
また、映画を見に行った渋谷シネパレスでは、すぐに劇場用パンフレットが売り切れになってしまったようで、クマネズミは手に入りませんでした。
(注2)場所は、どうやらオランダのアムステルダムのようです。
(注3)その中に、本作に登場する4人が混じっています。
(注4)エジンバラ市の西の郊外にあるソートン刑務所(又はHMPエジンバラ)。
(注5)どうやらベグビーは、殺人罪で刑務所に入っているようです。
(注6)シック・ボーイは、ブルガリア生まれのヴェロニカ(アンジェラ・ネディヤコバ)を使い、エジンバラの有力者と彼女との痴態を隠しカメラで撮影し、それを材料にして恐喝します。
(注7)前作で描かれていたトミー(ケヴィン・マクキッド)は、エイズに感染し、前作の中で死んでしまいました。
(注8)例えば、『64 ロクヨン 後編』、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』、『寄生獣 完結編』など。
尤も、『新宿スワンⅡ』とか『土竜の唄 香港狂騒曲』などでは、前作のあらましが最初にきちんと描かれてはおりません。
(注9)例えば、『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』、『ゴーストバスターズ(2016)』、『マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章』、『メイズ・ランナー2 砂漠の迷宮』など。
(注10)『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』のように、時間稼ぎのために(わざわざ2部作にするほどの長さを持っていない作品を前・後の二つに分けたために、特に第2作目が短くなってしまいました)、前作のあらましを冒頭に持ってきたのではないか、と言いたくなるような作品もありますし。
(注11)前作では、トミーに連れられて、原野の中の無人駅にレントン、シック・ボーイとスパッドが降り立ちます。そして、4人は山の方に向かって歩き出します。でも、トミー以外の者から文句が出てしまい、すぐに駅に戻ることになります。レントンは「我々は、健康的で民主的な決断を下し、できるだけ早くドラッグを再開することにした。それには12時間かかった」とモノローグで言います。
そのことがあるので、本作では、エイズで死んだトミーの追悼の意味を込めて、レントンと、シック・ボーイ、スパッドの3人が同じ駅に降り立ちます。
(注12)レントンは、アムステルダムから戻ってシック・ボーイにあった際、「結婚している。子供は2人いる。息子と娘だ」「就職し、在庫管理をやっている」などと言っていたのですが、その後で「実は、離婚している」「子供の話は嘘だ」「今や帰るべき家も家族もいない」と打ち明けます(合わせて、「肝不全で手術も受けた」「30年はもつらしい」とも言います)。
(注13)ベグビーは、自分の体を傷つけて病院に入院した際、見張りの警官がトイレに行った隙きにベッドを抜け出し、医者になりすまして病院の外に出ることによって、脱獄に成功してしまいます。
(注14)レントンが、ドアの隙間から覗くと、スパッドが頭からビニール袋をかぶって床に倒れているのが見えたので、慌てて部屋に飛び込んでビニール袋を破ると、スパッドは「なんてことしやがる!俺の人生を潰しただけでなく、今度は死をも潰しやがった!」と怒ります。レントンが「お前のために4000ポンド残したではないか?」と言うと、スパッドは「そんな大金が俺の手元にあったら、どうすると思う?」と問い返す有様。レントンは「そうだったな」と答えるしかありませんでした。
また、レントンがシック・ボーイに会った際には、シック・ボーイはレントンを棒でなぐりつけ、「あの金はどうした」と問い詰めます。その後で、レントンは、シック・ボーイに「お前の取り分だ」と金を渡しますが、レントンが引き上げたあとで、シック・ボーイはヴェロニカに「今更返すだと。どうしろと言うんだ?」「今度はやつを騙して痛めつけてやる」「こんどこそやっつけてやる」と息巻くのです。
(注15)前作では、例えば、レントンとスパッドは万引をして捕まりますし、ベグビーは宝石強盗をします。
(注16)本作では、レントンとシック・ボーイは、プロテスタントの集会に潜り込み、人々のコートが掛けられている一時預けのところで、それらのポケットに収められている財布からキャッシュカードを盗んで、ATMで現金を引き出したりします〔2人は、警備員に怪しいと睨まれますが、「1690年7月1日のボインの戦い」の歌を歌って(特に「Catholic no more」のところを声を張り上げて)、窮地を脱し、ATMではその“1690”が暗証番号に違いないとして、多額の現金を手にすることが出来ました〕。
(注17)第1作では、レントンは、貰った座薬を探しにトイレの便器の中に潜り込みますが、本作では、レントンは、彼を付け狙うベグビーにトイレの中に追い込まれてしまいます。
(注18)例えば、中東の国からアメリカへの入国を制限する大統領令については、司法の方からストップがかかり、オバマケアにかわる医療保険制度を打ち立てるべく議会に提案した法案は撤回してしまい、メキシコとの国境に設ける壁に係る予算は来年度回しになっています。
★★★☆☆☆
象のロケット:T2 トレインスポッティング
(1)以前見た第1作目(1996年)の印象が大層強かったので、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、ランニングマシンの上で走っている男たちの姿が映し出されます(注2)。
その中には、レントン(ユアン・マクレガー)が。
マシンのスピードが次第に早くなり、最初のうちレントンはそれに付いて行っていますが、最後に足を踏み外し倒れて、意識を失ってしまいます。
次いで、70年代半ば頃の古い映像。
幼い少年たちがサッカーをしています(注3)。
また、少女たちが縄跳びをしています。
さらに、場面は変わって、刑務所(注4)の面会室。
面会に来た弁護士(スティーブン・ロバートソン)が「仮出所の申請が却下された」と言うと、男(ベグビー:ロバート・カーライル)は「期待していたが」と応じ、弁護士は「言葉もない」と言葉を継ぎます。
さらに、ベグビー(注5)は、「あと5年か。俺を不死身だと思っているのか?女王にも手紙を書いた。20年もブチ込まれるのだ」、「限定的責任を主張していたら放免されたはずだ」、「このヤロー、主張しなかったな!」と次第に怒り出します。
弁護士は「状況をよく理解された方が、…」と言って、ほうほうの体で立ち去ります。
また場面は変わって、薬物依存症治療のためのグループワークで、スパッド(ユエン・ブレムナー)が、自分のことを参加者に話しています。
「俺は配管工だった。ある時、夏時間のために時計が1時間進められていることがわからなかったために、現場に出向くのが遅れてしまいクビになった。さらに、別居中の妻・ゲイルと息子・ファーガスとの面会も、時間に遅れておじゃんになってしまった」、「結局、時計のせいで、失業し、息子も失ってしまった」、「それで15年もヘロインに溺れることに」等と話します。
今度は、車の中で、男(シック・ボーイ:ジョニー・リー・ミラー)が、傍らの座席に座っている男(ゴードン・ケネディ)を恐喝しています(注6)。
「この動画をあんたにやるよ。俺に協力したら公開しない」、「お前は、教頭で、年収7万ポンド(約1000万円)だろ。年収の10%を無期限で振り込め。口座番号はメールする」、「奥さんがこれを見たらどうなるのかをよく考えろ」、「とりあえず、今週末に1000ポンドをよろしく」と脅します。
このように、本作の始めの方では、前作で活躍した4人(注7)のそれぞれの現状が描かれ、そこにアムステルダムからエジンバラにレントンが戻ってきて物語が動き出しますが、さあ、どうなるのでしょう、………?
本作の前編については、かなり昔に見ただけなので、ネットで探した動画で再確認した上で映画館に行きましたが、これは正解でした。本作でも、前作の映像が所々で映し出されはするものの、そのストーリーが辿り直されはしないため、本作に登場する4人がどうしてそのような行動に出るのかは、前編のストーリーを知らないとわけがわからなくなってしまうでしょう。逆に、第1作をよく知っていれば、本作の展開も充分に納得がいき、20年という時間の長さを感じさせるとはいえ、相変わらずの行動にまたもや圧倒されてしまいます。それにしても、主役を演じたユアン・マクレガーは、相変わらずの若さを保っているなと驚きました。
(2)通常の第2作目でしたら、その冒頭では、前作のあらましが描かれることでしょう。特に邦画の場合、その傾向が強い感じがします(注8)。逆に、洋画の場合、第2作目で前作のあらましがきちんと描かれることは、少ないように思われます(注9)。
本作においては、前作が20年前に制作されているにもかかわらず、いきなり、アムステルダムで暮らしているレントンの姿が描かれます。
前作のあらましを冒頭で描いたりしたら、映画全体のトーンが歪んでしまう恐れもあり、あるいは本作のやり方が正しいのでしょう(注10)。でも、前作をある程度復習せずに本作を見たりすれば、しばらく混乱状態になってしまうのではという気もします。
幸いなことにクマネズミは、本作を見る前に、予めそのDVDをTSUTAYAで借りてなんとか復習できましたので、すぐに映画の中に入り込めました。
例えば、本作の物語が進行してしばらく経って、突然、遠くに山の見える原野(moor)のシーンとなりますが、なぜこんな光景が映し出されるのか、前作を見ていない観客にはうまく理解できないかもしれません。逆に、第1作を知っていると、「アッあの場面と同じだ」とつながりが分かり、妙に納得できてしまいます(注11)。
ただ、そこにはトミーもベグビーもおりません。
本作の出発点を見てみると、トミーはエイズで死んでしまっていますし、ベグビーはエジンバラにこそいますが、その郊外に設けられている刑務所に入っています。
その上、スパッドとシック・ボーイもエジンバラにいますが、互いに連絡を取っていないようですし、レントンはアムステルダムです。
これでは、若い5人がエジンバラの街中を縱橫に走り回って振り撒いた前作の熱気など、本作に期待しても難しいのでは、と見る者に思わせます。
でも、映画が展開しだすと、彼らは何も変わっていないのでは、という気にもなってきます。
レントンが、20年間いたアムステルダムを引き払ってエジンバラに戻ってくると(注12)、結局、4人はともかくエジンバラにいることになりますし、スパッドとシック・ボーイはまだドラッグから足を洗えていません。要すれば、4人は、20年も経過したにもかかわらず、第1作と同じような状況に置かれていることになります。
それでも、皆のものだった現金をレントンが1人で持ち逃げしてしまったことが原因で、ベグビーはレントンを殺そうと付け狙いますし(注13)、スパッドもシック・ボーイもレントンを簡単に受け入れようとはしません(注14)。こんな状態では、前作のように、4人の再結集は見られないことになります。
ですが、金が必要になると、前作同様に(注15)、彼らは正当な手段にはよらずに盗みを働いたりします(注16)。
それに、シチュエーションはかなり異なっていますが、前作同様、トイレのシーンはあります(注17)。
前作のラストでは、仲間を裏切ったレントンの声が流れます。
「なぜそんなことをしたかって?百万通りの答えがあるが、どれも皆間違いだ。本当のところは、俺が悪(bad person)だから。だけどそれは変わる。俺は変わる(I’m going to change)」云々。
本作では、例えば、最後の方でベグビーは、息子(スコット・グリーナン)に対し、「頑張れよ、ジュニア。俺がガキの時は、選択肢はなかった。大学に行ってホテル経営を学ぶとか。時代は変わったんだ。俺の親父は酔っ払い。俺は無学。お前は俺を超える」と言って、息子と抱き合って、家を離れます。
本作を見ながら、はて、彼らは“change”できたのだろうか、何かが変わったのだろうか、いやそのままなのだろうか、などということが絶えず気になってしまいます。
話は飛躍しますが、最初に“change”を大きく掲げながらもできなかったじゃないかと前任者を非難して大統領になったドナルド・トランプ氏は、自分なら変えられると大見得を切って、就任すると矢継ぎ早に大統領令を出したものの、実際のところ、重要な案件(注18)では状況を“change”するに至っていないように思われます。
おそらくは、changeを掲げたり、changeすると決意したりしても、自分自身とか世の中を変えていくのは大変なことであり、他方で、changeを標榜せずに現状維持を望んでも、逆に、自分も世の中も変わっていってしまうのかもしれません。
そんなつまらないことをあれこれ考えながら、映画館をあとにしたところです。
(3)渡まち子氏は、「社会の底辺で生きるクズどもはぶざまにもがくばかり。それでも人は生きていかねばならないのだ。ほろ苦くて懐かしい同窓会に出席したような気分である」として70点を付けています。
前田有一氏は、「間違っても4人と似たような境遇の負け組層の人たちにはすすめられないし、見ないほうが無難だ」が、「逆に余裕のある皆さんは、わざわざ90年代のスタイリッシュムービー風に演出したと思われる、相変わらずのダニー・ボイルの見事なテクニックを堪能しに映画館へどうぞ」として50点しか付けていません。
渡辺祥子氏は、「女たちは賢く変化し、男たちは子供のまま。女と男の違いはそこにある? 前作を見た頃が懐かしく甦る良き続編が誕生した」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
(注1)監督は、前作と同じダニー・ボイル(最近では、『スティーブ・ジョブズ』を見ました)。
脚本は、ジョン・ホッジ
原作は、アーヴィン・ウェルシュ著『T2 トレインスポッティング』〔池田真紀子訳:ハヤカワ文庫NV上・下←この本の原題は『Porno』(2002年)〕。
本作の原題は『T2 Trainspotting』(“trainspotting”の意味については、こちらをご覧ください)。
なお、出演者の内、最近では、ユアン・マクレガーは『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間』で見ました。
また、映画を見に行った渋谷シネパレスでは、すぐに劇場用パンフレットが売り切れになってしまったようで、クマネズミは手に入りませんでした。
(注2)場所は、どうやらオランダのアムステルダムのようです。
(注3)その中に、本作に登場する4人が混じっています。
(注4)エジンバラ市の西の郊外にあるソートン刑務所(又はHMPエジンバラ)。
(注5)どうやらベグビーは、殺人罪で刑務所に入っているようです。
(注6)シック・ボーイは、ブルガリア生まれのヴェロニカ(アンジェラ・ネディヤコバ)を使い、エジンバラの有力者と彼女との痴態を隠しカメラで撮影し、それを材料にして恐喝します。
(注7)前作で描かれていたトミー(ケヴィン・マクキッド)は、エイズに感染し、前作の中で死んでしまいました。
(注8)例えば、『64 ロクヨン 後編』、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』、『寄生獣 完結編』など。
尤も、『新宿スワンⅡ』とか『土竜の唄 香港狂騒曲』などでは、前作のあらましが最初にきちんと描かれてはおりません。
(注9)例えば、『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』、『ゴーストバスターズ(2016)』、『マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章』、『メイズ・ランナー2 砂漠の迷宮』など。
(注10)『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』のように、時間稼ぎのために(わざわざ2部作にするほどの長さを持っていない作品を前・後の二つに分けたために、特に第2作目が短くなってしまいました)、前作のあらましを冒頭に持ってきたのではないか、と言いたくなるような作品もありますし。
(注11)前作では、トミーに連れられて、原野の中の無人駅にレントン、シック・ボーイとスパッドが降り立ちます。そして、4人は山の方に向かって歩き出します。でも、トミー以外の者から文句が出てしまい、すぐに駅に戻ることになります。レントンは「我々は、健康的で民主的な決断を下し、できるだけ早くドラッグを再開することにした。それには12時間かかった」とモノローグで言います。
そのことがあるので、本作では、エイズで死んだトミーの追悼の意味を込めて、レントンと、シック・ボーイ、スパッドの3人が同じ駅に降り立ちます。
(注12)レントンは、アムステルダムから戻ってシック・ボーイにあった際、「結婚している。子供は2人いる。息子と娘だ」「就職し、在庫管理をやっている」などと言っていたのですが、その後で「実は、離婚している」「子供の話は嘘だ」「今や帰るべき家も家族もいない」と打ち明けます(合わせて、「肝不全で手術も受けた」「30年はもつらしい」とも言います)。
(注13)ベグビーは、自分の体を傷つけて病院に入院した際、見張りの警官がトイレに行った隙きにベッドを抜け出し、医者になりすまして病院の外に出ることによって、脱獄に成功してしまいます。
(注14)レントンが、ドアの隙間から覗くと、スパッドが頭からビニール袋をかぶって床に倒れているのが見えたので、慌てて部屋に飛び込んでビニール袋を破ると、スパッドは「なんてことしやがる!俺の人生を潰しただけでなく、今度は死をも潰しやがった!」と怒ります。レントンが「お前のために4000ポンド残したではないか?」と言うと、スパッドは「そんな大金が俺の手元にあったら、どうすると思う?」と問い返す有様。レントンは「そうだったな」と答えるしかありませんでした。
また、レントンがシック・ボーイに会った際には、シック・ボーイはレントンを棒でなぐりつけ、「あの金はどうした」と問い詰めます。その後で、レントンは、シック・ボーイに「お前の取り分だ」と金を渡しますが、レントンが引き上げたあとで、シック・ボーイはヴェロニカに「今更返すだと。どうしろと言うんだ?」「今度はやつを騙して痛めつけてやる」「こんどこそやっつけてやる」と息巻くのです。
(注15)前作では、例えば、レントンとスパッドは万引をして捕まりますし、ベグビーは宝石強盗をします。
(注16)本作では、レントンとシック・ボーイは、プロテスタントの集会に潜り込み、人々のコートが掛けられている一時預けのところで、それらのポケットに収められている財布からキャッシュカードを盗んで、ATMで現金を引き出したりします〔2人は、警備員に怪しいと睨まれますが、「1690年7月1日のボインの戦い」の歌を歌って(特に「Catholic no more」のところを声を張り上げて)、窮地を脱し、ATMではその“1690”が暗証番号に違いないとして、多額の現金を手にすることが出来ました〕。
(注17)第1作では、レントンは、貰った座薬を探しにトイレの便器の中に潜り込みますが、本作では、レントンは、彼を付け狙うベグビーにトイレの中に追い込まれてしまいます。
(注18)例えば、中東の国からアメリカへの入国を制限する大統領令については、司法の方からストップがかかり、オバマケアにかわる医療保険制度を打ち立てるべく議会に提案した法案は撤回してしまい、メキシコとの国境に設ける壁に係る予算は来年度回しになっています。
★★★☆☆☆
象のロケット:T2 トレインスポッティング