映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

柘榴坂の仇討

2014年10月13日 | 邦画(14年)
 『柘榴坂の仇討』を渋谷シネマパレスで見ました。

(1)中井貴一阿部寛が出演するというので映画館に行ってきました(注)。

 本作(注1)では、1860年に起きた「桜田門外の変」の後日談が描かれます。

 桜田騒動(注2)の際、命にかけても主君・井伊掃部頭中村吉右衛門)を守らなければならなかったところ、生き永らえてしまった近習役の志村金吾中井貴一)は、藩の方から、逃亡した水戸浪士の首を一つでも挙げて主君の墓前に供えよ、と厳命されてしまいます。
 それから13年の月日が流れ(明治6年)、志村は、妻のセツ広末涼子)と長屋で暮らしながら、相変わらず仇を追っているところ、いろいろなつてをたどって(注3)、ただ一人生き残っている仇・佐橋十兵衛阿部寛)の所在を突き止めます。



 はたして志村は佐橋に対してどう立ち向かうのでしょうか、………?

 時代は、まさに『るろうに剣心』と半分重なり、同作では時代に取り残された者らが政府に対して反乱を企てるところ、本作では前の時代の精神の残光が取り出されて描かれます。でも、なんだか「決して死ぬな」という流行りのメッセージばかり全面に出すぎている感じがしますし、時代劇だから仕方がありませんが、中井貴一の演技は歌舞伎の舞台を見ているような感じもしてしまいます。おまけに、ラストは、主人公とその妻が手をつないで冬の星空を見上げながら歩くというのですから、なんだホームドラマだったの?と言いたくもなってしまいます(注4)。

(2)本作は、ほぼ原作(注5)に忠実に描かれているものの、若干異なるところもあります。
 例えば、本作では、井伊掃部頭の墓のある菩提寺(注6)に志村がお参りに行った後に(注7)、人力車を曳く車夫の格好をした佐橋十兵衛が、そのお寺の門の前でお参りをする姿が描かれ、さらには、志村と同じような長屋暮らしをしている様子が映し出されます(注8)。
 ですが、原作では、佐橋の日常については一言も書き込まれておらず、いきなり新橋駅頭の場面となります。
 むろん、映画と原作が違っていても何の問題もありません。
 ですが、車夫をしているのだったら社会の底辺で暮らしていることは容易に想像がつきますし、本作の場合、志村と佐橋の長屋暮らしの様が余りにもソックリに描かれているため、あるいは同じ長屋に住んでいるのではと見る者は思ってしまうのではないでしょうか(注9)?

 また、原作のラストでは、志村の妻・セツが勤める居酒屋において、酌婦となっているセツに志村が、「この先はの、俥でも引こうと思う」などと語る場面が書き込まれていますが、映画では、居酒屋の外で待っている志村がセツの手を握って一緒に歩く場面となっています(注10)。



 原作にも「闇に手を差し伸べながら、金吾は雪上がりの星空を仰ぎ見た」とありますから似たり寄ったりとはいえ(注11)、映画の方ではホームドラマ性がより強く出ているのではと思います。

 さらに挙げれば、原作では、柘榴坂で対決した時、「志村金吾と名乗った侍は、脇差しを抜いた。しかし雪の中に佇んだ姿には、戦う意志がいささかも感じられなかった」とあり、加えて「直吉(佐橋十兵衛の現在の名前)は膝元に置かれた刀を執り、鞘を払った」ものの、「瞬時にとどめられぬ素早さで、喉を掻き切ってしまおうと直吉は思った」とされています。
 ですが、本作における柘榴坂の場面では、本格的なチャンバラシーンが描き出されるのです。

 原作の場合は、司法省の非職警部の秋元和衛にすっかり説得されており、佐橋と会った時に、志村は仇討の無意味さを既に悟っていたように描かれています(注12)。
 これに対し、本作においては、激しいチャンバラの果てに一輪の寒椿を見出すことから、志村は、佐橋の首に当てた刀を止めるのです。まるで志村は、それまでは仇討を成し遂げようとしていたかのようです。これだと、志村は、秋元和衛に十分に説得されず、実際に対決してから悟ったかのように見えます。

 それと、原作もそうなのですが、志村が佐橋に「わしは、掃部頭様のお下知に順うだけじゃ」などと言うところからすると、そもそもの話の始めから仇討など志村の念頭になかったのかもしれないようにもあるいは解釈できます。でも、そうだとしたら、何年もかけてわざわざ佐橋を探し出すまでもなかったのかもしれません(注13)。

 ここで、本作の場合、大きな働きを示すのが一輪の寒椿の花です。
 原作では、「揉みあいながら寒椿の垣の根方に直吉を押しこめ、金吾は仇の胸倉をしめ上げた」としか書かれていませんが、本作では、秋元和衛藤竜也)が庭に咲く一輪の椿の花を指して、「ひたむきに生きよ、あの花を見るとそんな声が聞こえてくる。決して死ぬな」云々と志村を諭し(注14)、また柘榴坂の仇討の際に、ぎりぎりのところでその花のことが志村の念頭に浮かびます。
 ただ、こうしたシーンをわざわざ描き出すのは、「決して死ぬな」という流行りのメッセージをことさら強調したいがためとしかクマネズミには見えません(注15)。
 それに、塀際に終えられている何本もの寒椿の花が一輪だけ咲くということはないのではと思えますし、新しい時代に人々と一緒になって生きろというのであれば、たくさんの花が咲いている方がむしろ適切なのではないでしょうか(注16)?

(3)渡まち子氏は、「過去にも浅井作品に出演している中井貴一が、義と情の世界で生きる最後のサムライを堂々と演じている」などとして60点を付けています。
 前田有一氏は、「どちらも幕末から明治という比較的近い時代を舞台にしながら、次世代感たっぷりの「るろ剣」とは対照的に、こちらはオーソドックスな本格時代劇である」「短編の映像化だからか強引なダイジェスト感もない、無理ない作りの時代劇である」、「いまどき公開される時代劇映画としては、保守的なファンも満足できるレベルには仕上がっている」として60点を付けています。
 相木悟氏は、「誇り高き男の生き様を描いた直球の時代劇であった。ゆえに好感度は高いのだが……」と述べています。



(注1)監督は、『沈まぬ太陽』や『夜明けの街で』の若松節朗

(注)先月20日に放送されたTBSテレビ「ぴったんこカン・カン」では、映画公開を前にして、主演の中井貴一と広末涼子とが、井伊掃部守ゆかりの彦根を訪れています。ですから、彦根に思い入れのあるクマネズミとしては(この拙エントリを御覧ください)、どんな彦根が描かれるのかと期待しましたが、残念ながら本作では彦根は殆ど描き出されませんでした。

(注2)桜田騒動については、『桜田門外ノ変』を以前見たことがあります。

(注3)本作では、志村の親友で司法省の邏卒になっている内藤新之助高嶋政宏)が、以前に幕府の評定所御留役で現在は司法省警部になっている秋元和衛に、調査を頼み込んだことから所在が判明します。

(注4)最近では、中井貴一は『天地明察』で(水戸光圀役)、阿部寛は『テルマエ・ロマエⅡ』で見ました。
 また、広末涼子は『鍵泥棒のメソッド』、高嶋政宏は『RETURN(ハードバージョン)』、藤竜也は『私の男』、真飛聖は『謝罪の王様』(弁護士・箕輪の元妻役)で、それぞれ見ています。

(注5)浅田次郎著『五郎治殿御始末』(新潮文庫)所収の短編「柘榴坂の仇討」。

(注6)この記事によれば、世田谷区にある豪徳寺(ただ、こんな記事もあります)。
 なお、この記事によれば、彦根藩主井伊家の墓所は、豪徳寺を含めて3箇所にあるようです。

(注7)志村は、佐橋と同様に、井伊掃部頭の墓前には行かずに寺を後にします(その寺の住職が「やはり墓前には参られぬか?」と質しますが、志村は黙ってお辞儀をして帰るばかりです)。

(注8)佐橋は、同じ長屋に住む寡婦のマサ真飛聖)と、その娘を通じていい仲になりそうな雰囲気です。
 なお、ラストの方で、佐橋はその娘にコンペイトウを買ってやるのですが、車夫の分際で当時としては高価なお菓子を購入できたのでしょうか(あるいは、明治6年ともなると、かなり普及していたのかもしれませんが)?

(注9)それに、佐橋の長屋では、そこに暮らす女房連中がかしましく井戸端会議をしているところ、志村の妻がそうした井戸端会議に加わっている様は描かれていません。セツは、武家の出という矜持があるので、そういうものに加わらないとでも言うのでしょうか?

(注10)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事の中で、中井貴一は、「ラストではセツと手をつなぎたいと、僕の方からお願いしました、「仇討も死ぬことも放棄した金吾が妻に対して「ありがとう」と言うだけでは、今までの時代劇と変わらない」云々と述べています(若松監督も、別のインタビューの中で、「あのシーンは中井さんのアイデアです」と語っています)。

(注11)でも、原作では、その後に「両手を夜空に泳がせて、志村金吾はにっかりと微笑まれる掃部頭様のお顔を、溢れる星座のどこかしらに探そうとした」とありますから、セツの手を握っていないように思われます。

(注12)原作のここらあたりは、むしろ、佐橋と実際に面と向かうことによって、志村の心の中に井伊掃部頭の言葉が蘇ってきたと受け取るべきなのかもしれませんが。

(注13)志村が、「掃部頭様のお下知に順うだけ」と最初から(秋元和衛と会う前から)考えていたとしたら、例えば、明治3年に出された平民に関する廃刀令(太政官布告第831号)に従い、刀を捨てて車夫にでもなればよかったようにも思います(尤も、明治9年の「廃刀令」によっても、刀を捨てなかった強者が大勢存在したようですが)。

(注14)まるで、『るろうに剣心 伝説の最期編』において、比古(福山雅治)が緋村剣心(佐藤健)に投げかけた言葉のようです(同作に関する拙ブログの「注9」を参照)。

(注15)劇場用パンフレット掲載のインタビューにおいて、インタビュアーが「この映画のテーマは「赦す」ということではないかと思います」と述べて質問し、監督もそれに答えているところ、「赦す」にしても「生きよ」にしても同じことを意味していると考えられる上に、そもそもこうした記事においてどうして「テーマ」などが問題になるのでしょうか?作品には、元々千差万別のテーマが転がっていて、それこそ見る人によって違ったものになるのではないでしょうか?それを、制作側で一つのテーマを受け取るように観客側を引っ張りこんでしまうような記事の書き方、ひいては作品の制作の仕方に問題があるのではないでしょうか?

(注16)志村は、特段、世の中から除け者にされ厳しい目に遭わされて生きてきたわけではなく、自分から世の中の動きに迎合しなかっただけのことでもありますし。



★★☆☆☆☆



象のロケット:柘榴坂の仇討