『テルマエ・ロマエⅡ』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。
(1)前作はDVDで見ており(注1)、本作(注2)も当初パスするつもりでしたが、時間に余裕ができたにもかかわらず他に見るべきものが見当たらなかったので、次善の策として映画館に入ったものです。
本作の時代はA.D.136年、舞台はローマ。
皇帝ハドリアヌス(市村正親)は、民衆の支持を得て新たな国境線を定め、それ以上の領土拡張を止めました。
ですが、元老院は世界征服を目指して、同皇帝の平和路線をくつがえそうと画策し、コロッセオにおけるグラディエーターたちの殺し合いを見せることによって、民衆の闘争心をかき立てようとします。
設計技師の主人公・ルシウス(阿部寛)に対し、元老院は、傷ついたグラディエーターを癒やすべくコロッセオに備え付けられているテルマエを改良するよう命じます。
ルシウスは、コロッセオの地下にあるテルマエの様子を見ますが、ひどい有様。
「湯を沸かすだけでは駄目だ。かといって温泉を引けるわけのものではなし」と思い悩むと、ルシウスは、突然湯の中に引っ張り込まれて(注3)、再び浮き上がったところは相撲取りが大勢入っている浴場。
「顔が平たい。しかし太っているし、頭にズッキーニのようなものを乗っけている」などと思い、外で相撲を見て「平たい族のグラディエーターか?学ぶべきものがあるのでは」と考え、ローマに戻ると、健康足踏みマットやマッサージチェア、バスクリンなどをコロッセウムのテルマエに取り入れることとします。
何度か日本と往復している間に(注4)、ルシウスは、風呂専門誌のライターになっていた山越真実(上戸彩)にも再会。
そうこうしていると、ハドリアヌス帝から、戦争のない平和な国を作るためにバイアエに理想のテルマエ(テルマエ・ユートピア)を設けてもらいたいと要請されます。
さあ、ルシウスは、果たしてそのようなものを作り上げることができるでしょうか、………?
本作は、ドラマチックなストーリー展開がほとんどなく、前作と類似する小さなエピソードが積み重なっているだけのような感じがしますが、それでも日本の風呂の良い所を古代ローマの浴場に取り入れるという驚くべき着想の効能はまだ残っていて、最後まで面白くこの作品を見ることが出来ます(注5)。
(2)本作は、ファンタジックコメディなのですからなんでもありとはいえ、ただ、日本文化の特質を描き出す(ひいては、その優秀さを顕彰する)格好をとっているところについては、そんなに持ち上げるべきことなのかなとも思えてきます。
例えば、ルシウスは日本の相撲を見て、ローマのコロッセウムにおけるグラディエーターの試合と比べ、「血の一滴も流れない平和な戦いだ」と感嘆しますが、ローマのすぐ近くのギリシアではレスリングがずっと以前から行われていて、「紀元前427年生まれの哲学者プラトンも若い頃は大会での優勝経験がある」とのことですから(注6)、比べるのならまずはこちらの方ではなかったでしょうか?
それに、マッサージチェア(注7)の元になる安楽椅子とかウォータースライダーの元型たる滑り台、ハイテクトイレの始まりとも言える温水洗浄便座などは、いずれも元々は欧米由来のものでしょう(注8)。尤も、ルシウスが日本で見たのは、それらを日本人特有の感性や技術力で改良・改善させたものですから、その意味では日本文化の特質を表しているのでしょうが(注9)。
また、全くつまらないことながら、山越真実は、ケイオニウス(北村一輝)が辺境の地で疫病に倒れたと聞くと、歴史書『ローマ帝国の繁栄と滅亡』を開いてそれが結核によるものであることを確認しますが、としたら、彼女がストレプトマイシンといった特効薬を現代日本から持って行って治すのかなと思いきや、そういうことはありません(注10)。
いうまでもなく、いくらタイムスリップできるとしても、歴史を変えることは出来ないとされていますから、ケイオニウスを救うことはどだい無理なのでしょう(注11)。
ただ、仮に、山越真美が抗生物質をローマに持ち込まないのは日本文化由来のものでないからというのであれば、物語の枠組みに囚われた描き方といえるのではないでしょうか?
とはいえ、始まりがあっちだこっちだと言ってみても何の意味もありません(何を以って始まりとするのかという点から議論があるでしょうし)。
それに元々、ローマと日本という遠隔地を比べるだけでなく、タイムスリップして現代と古代とをいきなり比べるから、様々な疑問も生じてくるのでしょう。
ここはつまらぬことは云々せずに、斬新な設定を受け入れてまずは映画を面白がるべきと思います。
なお、この映画は、いろいろな人が言っているように、今の日本の政治状況を踏まえながら、元老院の長老たちが積極的平和主義派(あるいは改憲派)で、ハドリアヌス帝らが受動的平和路線派(あるいは現行憲法擁護派)とみなせるように作られているのではないか、とも思えてきます。
でも、仮にそうだとしても、制作者側の意図に反し(?)、民衆があんな楽しげなテルマエ・ユートピアの温泉に浸かって平和ボケしてしまったからローマはゲルマン人にやられてしまったのではないか、とこの映画を見た者は思うかもしれません!
(3)渡まち子氏は、「古代ローマと現代日本を行き来する異色コメディの続編「テルマエ・ロマエII」。目新しさはないがテンポの良さが救い」として60点をつけています。
前田有一氏は、「基本的には前作と同じフォーマットによる笑いの見せ場が繰り返される。今回も、日本のいいところ、がたくさん出てくる。阿部寛演じるルシウスが仰天するたびに、観客は愛郷心を刺激され心地よい快感を得ることができる」として70点をつけています。
相木悟氏は、「本作は何から何まで前作のパターンを踏襲している」ものの、「今のご時世、不謹慎とも捉えかねない奴隷ネタをしつこく繰り返しつつ、その上で青くさい平和のテーマを謳う無節操さは、壮大なブラック・コメディとして楽しむべき代物なのだろう」と述べています。
(注1)この拙エントリの「注1」で若干触れています。
(注2)監督は、『のだめカンタービレ』の武内英樹。
原作は、ヤマザキマリの同じタイトルの漫画。本作は、そのうちの「2~6巻をもとにしている」とのこと(劇場用パンフレットの「Production Notes」より)。
なお、原作については、この拙エントリの「注2」で若干触れております。
(注3)本作も、前作と同じように、タイムスリップの場面ではオペラが歌われます。
前作(このサイトの記事によります)と本作(劇場用パンフレット掲載の「Music」によります:オペラ以外の曲も記載されています)とを比べると、最初の方と最後の方とで使われている曲が同じようです(ただ、前作の場合は6曲が「アイーダ」によっていましたが、本作では3曲となっています)。
特に、ラッセル・ワトソンが歌う「誰も寝てはならぬ」は、両作で共通しています(本作のテーマ曲とされています)。
ちなみに、この曲は、先月見た『ワンチャンス』において、主人公のポール・ポッツが「ブリテンズ・ゴット・タレント」に出場した時に歌う歌となっています。
(注4)ルシウスは、子どもたち用のテルマエ(ウォータースライダーを設けます)を作ったり、辺境のパンノニアに遠征中のケイオニウスのために据風呂を作って送ったりします。
(注5)最近では、本作の俳優陣のうち、阿部寛は『トリック劇場版 ラストステージ』、上戸彩は『武士の献立』、市村正親は『のぼうの城』、北村一輝は『日本の悲劇』で、それぞれ見ています。
(注6)Wikipediaの記事によります。
ただ、この記事によれば、グレコローマン・スタイルは19世紀中頃のフランスに起源を持つとのこと。
(注7)劇場用パンフレットに掲載の「まだまだ奥が深い日本文化入門」によれば、1954年に日本で試作品が作られました。
(注8)温水洗浄便座は、上記「注7」で触れた記事によれば、アメリカで開発されたものであり、公園で見られる滑り台の始まりは1922年のイギリスとされているようです(この記事)。
(注9)ルシウスの方も、日本のものをローマに取り入れるにあたって様々な工夫をこらしています。 例えば、電気がありませんから、マッサージチェアについては、背もたれの中に奴隷を入れて振動を生み出しています。
そうだとすると、ローマにラーメン店が開業しますが、中華そばの製麺機の代わりにどんなものを使っているのでしょうか?
なお、本文の(3)で触れる前田有一氏は、「原作を読むと本作で取り上げなかった要素が残っている。それは前作の記事で私が指摘したことそのものである。あえてそれだけは触れずに作りました、という感じがまるわかりなので、おそらく3作目にはここを強調した脚本が用意されることだろう」と述べています。そして、「前作の記事で私が指摘したこと」というのは、その記事に当たると、「惜しむらくは、日本側がローマに影響を与えるばかりで、古代ローマから日本が学ぶ展開がないこと。原作にはそうしたエピソードもあるので、これは続編の方でぜひ採用して欲しいところ」との記述が該当するのでしょう。
でも、それが、例えば原作の第17話で語られるような話(「Iラブ湯トピア」建設!)だったら、酷くつまらないものになってしまうと思うのですが。
(注10)単に、ケイオニウスが風呂に入らないようアドバイスしたり、他の者から隔離しようとしたりするだけです。
(注11)ですが、そうだとすると、ルシウスがバイアエにテルマエ・ユートピアを作るということ自体も出来ない相談になってしまいます
★★★☆☆☆
象のロケット:テルマエ・ロマエⅡ
(1)前作はDVDで見ており(注1)、本作(注2)も当初パスするつもりでしたが、時間に余裕ができたにもかかわらず他に見るべきものが見当たらなかったので、次善の策として映画館に入ったものです。
本作の時代はA.D.136年、舞台はローマ。
皇帝ハドリアヌス(市村正親)は、民衆の支持を得て新たな国境線を定め、それ以上の領土拡張を止めました。
ですが、元老院は世界征服を目指して、同皇帝の平和路線をくつがえそうと画策し、コロッセオにおけるグラディエーターたちの殺し合いを見せることによって、民衆の闘争心をかき立てようとします。
設計技師の主人公・ルシウス(阿部寛)に対し、元老院は、傷ついたグラディエーターを癒やすべくコロッセオに備え付けられているテルマエを改良するよう命じます。
ルシウスは、コロッセオの地下にあるテルマエの様子を見ますが、ひどい有様。
「湯を沸かすだけでは駄目だ。かといって温泉を引けるわけのものではなし」と思い悩むと、ルシウスは、突然湯の中に引っ張り込まれて(注3)、再び浮き上がったところは相撲取りが大勢入っている浴場。
「顔が平たい。しかし太っているし、頭にズッキーニのようなものを乗っけている」などと思い、外で相撲を見て「平たい族のグラディエーターか?学ぶべきものがあるのでは」と考え、ローマに戻ると、健康足踏みマットやマッサージチェア、バスクリンなどをコロッセウムのテルマエに取り入れることとします。
何度か日本と往復している間に(注4)、ルシウスは、風呂専門誌のライターになっていた山越真実(上戸彩)にも再会。
そうこうしていると、ハドリアヌス帝から、戦争のない平和な国を作るためにバイアエに理想のテルマエ(テルマエ・ユートピア)を設けてもらいたいと要請されます。
さあ、ルシウスは、果たしてそのようなものを作り上げることができるでしょうか、………?
本作は、ドラマチックなストーリー展開がほとんどなく、前作と類似する小さなエピソードが積み重なっているだけのような感じがしますが、それでも日本の風呂の良い所を古代ローマの浴場に取り入れるという驚くべき着想の効能はまだ残っていて、最後まで面白くこの作品を見ることが出来ます(注5)。
(2)本作は、ファンタジックコメディなのですからなんでもありとはいえ、ただ、日本文化の特質を描き出す(ひいては、その優秀さを顕彰する)格好をとっているところについては、そんなに持ち上げるべきことなのかなとも思えてきます。
例えば、ルシウスは日本の相撲を見て、ローマのコロッセウムにおけるグラディエーターの試合と比べ、「血の一滴も流れない平和な戦いだ」と感嘆しますが、ローマのすぐ近くのギリシアではレスリングがずっと以前から行われていて、「紀元前427年生まれの哲学者プラトンも若い頃は大会での優勝経験がある」とのことですから(注6)、比べるのならまずはこちらの方ではなかったでしょうか?
それに、マッサージチェア(注7)の元になる安楽椅子とかウォータースライダーの元型たる滑り台、ハイテクトイレの始まりとも言える温水洗浄便座などは、いずれも元々は欧米由来のものでしょう(注8)。尤も、ルシウスが日本で見たのは、それらを日本人特有の感性や技術力で改良・改善させたものですから、その意味では日本文化の特質を表しているのでしょうが(注9)。
また、全くつまらないことながら、山越真実は、ケイオニウス(北村一輝)が辺境の地で疫病に倒れたと聞くと、歴史書『ローマ帝国の繁栄と滅亡』を開いてそれが結核によるものであることを確認しますが、としたら、彼女がストレプトマイシンといった特効薬を現代日本から持って行って治すのかなと思いきや、そういうことはありません(注10)。
いうまでもなく、いくらタイムスリップできるとしても、歴史を変えることは出来ないとされていますから、ケイオニウスを救うことはどだい無理なのでしょう(注11)。
ただ、仮に、山越真美が抗生物質をローマに持ち込まないのは日本文化由来のものでないからというのであれば、物語の枠組みに囚われた描き方といえるのではないでしょうか?
とはいえ、始まりがあっちだこっちだと言ってみても何の意味もありません(何を以って始まりとするのかという点から議論があるでしょうし)。
それに元々、ローマと日本という遠隔地を比べるだけでなく、タイムスリップして現代と古代とをいきなり比べるから、様々な疑問も生じてくるのでしょう。
ここはつまらぬことは云々せずに、斬新な設定を受け入れてまずは映画を面白がるべきと思います。
なお、この映画は、いろいろな人が言っているように、今の日本の政治状況を踏まえながら、元老院の長老たちが積極的平和主義派(あるいは改憲派)で、ハドリアヌス帝らが受動的平和路線派(あるいは現行憲法擁護派)とみなせるように作られているのではないか、とも思えてきます。
でも、仮にそうだとしても、制作者側の意図に反し(?)、民衆があんな楽しげなテルマエ・ユートピアの温泉に浸かって平和ボケしてしまったからローマはゲルマン人にやられてしまったのではないか、とこの映画を見た者は思うかもしれません!
(3)渡まち子氏は、「古代ローマと現代日本を行き来する異色コメディの続編「テルマエ・ロマエII」。目新しさはないがテンポの良さが救い」として60点をつけています。
前田有一氏は、「基本的には前作と同じフォーマットによる笑いの見せ場が繰り返される。今回も、日本のいいところ、がたくさん出てくる。阿部寛演じるルシウスが仰天するたびに、観客は愛郷心を刺激され心地よい快感を得ることができる」として70点をつけています。
相木悟氏は、「本作は何から何まで前作のパターンを踏襲している」ものの、「今のご時世、不謹慎とも捉えかねない奴隷ネタをしつこく繰り返しつつ、その上で青くさい平和のテーマを謳う無節操さは、壮大なブラック・コメディとして楽しむべき代物なのだろう」と述べています。
(注1)この拙エントリの「注1」で若干触れています。
(注2)監督は、『のだめカンタービレ』の武内英樹。
原作は、ヤマザキマリの同じタイトルの漫画。本作は、そのうちの「2~6巻をもとにしている」とのこと(劇場用パンフレットの「Production Notes」より)。
なお、原作については、この拙エントリの「注2」で若干触れております。
(注3)本作も、前作と同じように、タイムスリップの場面ではオペラが歌われます。
前作(このサイトの記事によります)と本作(劇場用パンフレット掲載の「Music」によります:オペラ以外の曲も記載されています)とを比べると、最初の方と最後の方とで使われている曲が同じようです(ただ、前作の場合は6曲が「アイーダ」によっていましたが、本作では3曲となっています)。
特に、ラッセル・ワトソンが歌う「誰も寝てはならぬ」は、両作で共通しています(本作のテーマ曲とされています)。
ちなみに、この曲は、先月見た『ワンチャンス』において、主人公のポール・ポッツが「ブリテンズ・ゴット・タレント」に出場した時に歌う歌となっています。
(注4)ルシウスは、子どもたち用のテルマエ(ウォータースライダーを設けます)を作ったり、辺境のパンノニアに遠征中のケイオニウスのために据風呂を作って送ったりします。
(注5)最近では、本作の俳優陣のうち、阿部寛は『トリック劇場版 ラストステージ』、上戸彩は『武士の献立』、市村正親は『のぼうの城』、北村一輝は『日本の悲劇』で、それぞれ見ています。
(注6)Wikipediaの記事によります。
ただ、この記事によれば、グレコローマン・スタイルは19世紀中頃のフランスに起源を持つとのこと。
(注7)劇場用パンフレットに掲載の「まだまだ奥が深い日本文化入門」によれば、1954年に日本で試作品が作られました。
(注8)温水洗浄便座は、上記「注7」で触れた記事によれば、アメリカで開発されたものであり、公園で見られる滑り台の始まりは1922年のイギリスとされているようです(この記事)。
(注9)ルシウスの方も、日本のものをローマに取り入れるにあたって様々な工夫をこらしています。 例えば、電気がありませんから、マッサージチェアについては、背もたれの中に奴隷を入れて振動を生み出しています。
そうだとすると、ローマにラーメン店が開業しますが、中華そばの製麺機の代わりにどんなものを使っているのでしょうか?
なお、本文の(3)で触れる前田有一氏は、「原作を読むと本作で取り上げなかった要素が残っている。それは前作の記事で私が指摘したことそのものである。あえてそれだけは触れずに作りました、という感じがまるわかりなので、おそらく3作目にはここを強調した脚本が用意されることだろう」と述べています。そして、「前作の記事で私が指摘したこと」というのは、その記事に当たると、「惜しむらくは、日本側がローマに影響を与えるばかりで、古代ローマから日本が学ぶ展開がないこと。原作にはそうしたエピソードもあるので、これは続編の方でぜひ採用して欲しいところ」との記述が該当するのでしょう。
でも、それが、例えば原作の第17話で語られるような話(「Iラブ湯トピア」建設!)だったら、酷くつまらないものになってしまうと思うのですが。
(注10)単に、ケイオニウスが風呂に入らないようアドバイスしたり、他の者から隔離しようとしたりするだけです。
(注11)ですが、そうだとすると、ルシウスがバイアエにテルマエ・ユートピアを作るということ自体も出来ない相談になってしまいます
★★★☆☆☆
象のロケット:テルマエ・ロマエⅡ
「歴史改変の限界」は「記録に残されない些末な物に関してはOK」とのご見解はさすがだなと思いました。それだと、本作には何の問題もないことになります!
ただ、「北方のテルマエ建造中に落盤事故でルシウスが死亡」などと書かれている歴史書『ローマ帝国の繁栄と滅亡』は、どこの図書館に行ったら読むことができるのでしょう?