『キック・アス』をシネセゾン渋谷で見てきました。
先だっては、恵比寿ガーデンシネマの閉館が報道されましたが、今度はこの映画館も2月27日で閉館の予定だとか。26年間も続いたようで(ガーデンシネマは17年)、最近では『森崎書店の日々』、『恋愛戯曲』、『悪夢のエレベーター』など他ではあまり上映されない作品を観ることができたりして、クマネズミもよく利用していただけに残念です。
(1)さて、『キック・アス』ですが、登場する3組の家族が類似していることに注意が向きます。
すなわち、主人公デイブ(実はキック・アス)の家族、ビッグ・ダディとヒット・ガールの家族、それにマフィアのボス・フランクとその息子クリス(実はレッド・ミスト)。
主人公の家族は、当初は両親と息子の3人家族だったのですが、突然母親が食事中に脳梗塞で倒れて亡くなってからは、父親との二人暮らし。
結果として、これら3組の家族からは母親の存在が十分にうかがわれないのです。
こうなると、この映画は女性を排除したマッチョな作品なのか、もう一つの『マチェーテ』なのかと思われかねませんが、然にあらず。
なにしろ、ヒット・ガールの活躍ぶりが甚だしいので、むしろ女性が見て溜飲を下げているのではないでしょうか?
それも、11歳の少女が、ナイフを巧みに扱ったり、様々な銃を使い分けたり、長刀を振り回したり、垂直な壁を走ったりと縦横に暴れまわります。
これを見ると、逆にキック・アスやレッド・ミストの軟弱ぶりが観客の目に焼き付いてしまいますし、ビッグ・ダディも影が薄い存在になってしまいます。結局は、男低女高の最近の流れと総体して違わないのかも知れません。
というようなことは別にどうでもいいのですが、なにしろ登場人物とそれを演じる俳優陣が多士済々ですから、面白いこと請け合いの映画と言えるでしょう。
まず、『ノーウェアボーイ』で主人公・ジョンを立派に演じたアーロン・ジョンソンが、まだまだ若い(20歳)にもかかわらず、こちらでは街のチンピラどもにボコボコにされる役を演じているのですから、その幅の広さに驚いてしまいます。
悪との対決の場面では、大部分、ビッグ・ダディとヒット・ガールのペアの後塵を拝してはいるものの、最後には、ビッグ・ダディ開発のマシンに乗りながらヒット・ガールの危機を救うわけですから、やはり主役といえましょう。
また、キック・アスらが立ち向かう悪人のトップ・フランコを演じるマーク・ストロングは、最近見た『ロビン・フッド』において、イギリス人でありながらフランスに内通しているゴドフリーの役を演じて強烈な印象を残しましたから、まさにうってつけと言えるでしょう。
悪役だから仕方ないとは言え、『ロビン・フッド』では、海岸での戦いから逃げ出そうとしたところをロビン・フッドが放った矢で射殺され、この映画でもバズーカ砲で窓の外まで吹き飛ばされるという過酷な運命を担っています(『シャーロック・ホームズ』においても、原作には登場しないブラックウッド卿〔なんと絞首刑から蘇って活躍するという、これまた理不尽な境遇に置かれています〕を演じています)。
それに、ビッグ・ダディを演じるのがニコラス・ケイジ。
映画では彼はいつも主役を演じていますから、この映画でも、その存在感やバットマン張りの装束から、もしかしたら主役はこちらではと思わせますが、途中でフランコの配下に焼き殺されてしまうので、やはり主役はキック・アスなのだなとわかるような始末です。
それにしても、ニコラス・ケイジも、随分と幅広く様々の作品に登場するものです。
TVでチラッと見ただけながら、『ナジョナル・トレジャー』(2005年)でインディ・ジョーンズの縮小版ベン・ゲイツを演じたかと思うと、『バット・ルーテナント』(注)では麻薬におぼれながらも昇進を果たす刑事を演じたりと、ずいぶん忙しいにもかかわらず、こうした映画にまで登場するとは!
(注)『クロッシング』を取り上げた記事の(2)の中で触れておきました。
(2)ただ、この映画に問題があるとしたら、ヒット・ガールが行うたくさんの殺戮行為・暴力行為でしょう。
父親のビッグ・ダディは元警官ですが、悪人フランコにより罠に嵌められ、無実ながらも刑務所に服役させられた経緯があり、出所後は復讐のために、娘のヒット・ガールとペアを組んで、フランコ一派を街から掃討しようとしているわけです。
そのために、フランコ側はビッグ・ダディ側を一人も殺してはいないにもかかわらず、ビッグ・ダディ側は、フランコ一味をいとも簡単に殺しまくるのです。
むろん、キック・アスが窮地に陥って殺されかかっているとか、ビッグ・ダディとキック・アスが手酷い拷問を受けて死の寸前という状況ですから、相手側を殺すのは仕方がないにしても、いくらなんでもこれではやりすぎなのでは、とも思えてきます。
そう思うのは、なにも狭い日本での偏った道徳観によるというわけでもなく、劇場用パンフレットの「プロダクション・ノート」にも、この内容に「ハリウッドの大手スタジオが難色を示した」とあり、「配給されないかもしれないという危惧があった」と監督が認めた、などと記載されています。
それはそうでしょう。小学生の女の子が、まるでゲームでもこなすかのように、色々な武器を片手に男の悪漢どもを次々に殺戮していくのですから!
時あたかも、米西部アリゾナ州トゥーソンのスーパーマーケットの敷地内で、6人が死亡、13人が負傷しするという銃撃事件が発生しました(8日)。負傷者の中には、女性のガブリエル・ギフォーズ民主党下院議員(40)も含まれているとのこと。
この事件に対しては、オバマ大統領が、「米国の悲劇的事件だ」との声明を発表したほどです(ここらあたりの事柄は、この記事を参照しました)。
なにも、『キック・アス』のような映画が公開されるからこうした事件が起きるわけではないのでしょうし、また銃が社会にいきわたっているからこそこうした事件があまり起きないのだ、と議論することも可能でしょう(現役の米連邦議会議員の命を狙った銃撃事件は、1978年に民主党下院議員が殺害されて以来のことだとされますし)。
でも、こうした映画が製作されて容認されてしまう社会が健全なのかどうかは、検討してもいいのかもしれません。
ナーンテしゃっちょこばらずに、クマネズミのように、リメイク作の『十三人の刺客』で役所広司が「斬って斬って斬りまくれ!」と叫ぶのを認めるのであれば(注)、この映画でヒット・ガールが暴れまくるのだって、楽しめばいいのではと思います。たかが映画なのですから!
(注)元の『十三人の刺客』では、松平斉韶を斬った島田新左衛門(片岡千恵蔵)は、「無用の殺し合いを止めるよう、早く笛を吹け」と指図しますが、そちらを良しとするのであれば話は別になるかもしれません。
(3)渡まち子氏は、「この物語の本筋は、ビッグ・ダディとヒット・ガールの父娘が仕掛ける復讐劇にある。アメコミの大ファンを自認するニコラス・ケイジがビッグ・ダディを演じていて、復讐のために、まだ幼い娘を殺人マシーンに作り変えるというトンデモない父親を怪演。バットマン風のコスプレでハジケる様はハマりすぎて怖いくらいだ。同時に、ヒット・ガールを演じるクロエ・グレース・モレッツの凶暴な可愛さには、心底シビレた」、「この映画、おバカなふりをしているが実は案外テーマは深いのだ。とはいえ、難しいことは考えず単純に“面白がる”ことも可能。なかなか上手い脚本で、スミにおけない映画である」として75点も付けています。
★★★☆☆
象のロケット:キック・アス
先だっては、恵比寿ガーデンシネマの閉館が報道されましたが、今度はこの映画館も2月27日で閉館の予定だとか。26年間も続いたようで(ガーデンシネマは17年)、最近では『森崎書店の日々』、『恋愛戯曲』、『悪夢のエレベーター』など他ではあまり上映されない作品を観ることができたりして、クマネズミもよく利用していただけに残念です。
(1)さて、『キック・アス』ですが、登場する3組の家族が類似していることに注意が向きます。
すなわち、主人公デイブ(実はキック・アス)の家族、ビッグ・ダディとヒット・ガールの家族、それにマフィアのボス・フランクとその息子クリス(実はレッド・ミスト)。
主人公の家族は、当初は両親と息子の3人家族だったのですが、突然母親が食事中に脳梗塞で倒れて亡くなってからは、父親との二人暮らし。
結果として、これら3組の家族からは母親の存在が十分にうかがわれないのです。
こうなると、この映画は女性を排除したマッチョな作品なのか、もう一つの『マチェーテ』なのかと思われかねませんが、然にあらず。
なにしろ、ヒット・ガールの活躍ぶりが甚だしいので、むしろ女性が見て溜飲を下げているのではないでしょうか?
それも、11歳の少女が、ナイフを巧みに扱ったり、様々な銃を使い分けたり、長刀を振り回したり、垂直な壁を走ったりと縦横に暴れまわります。
これを見ると、逆にキック・アスやレッド・ミストの軟弱ぶりが観客の目に焼き付いてしまいますし、ビッグ・ダディも影が薄い存在になってしまいます。結局は、男低女高の最近の流れと総体して違わないのかも知れません。
というようなことは別にどうでもいいのですが、なにしろ登場人物とそれを演じる俳優陣が多士済々ですから、面白いこと請け合いの映画と言えるでしょう。
まず、『ノーウェアボーイ』で主人公・ジョンを立派に演じたアーロン・ジョンソンが、まだまだ若い(20歳)にもかかわらず、こちらでは街のチンピラどもにボコボコにされる役を演じているのですから、その幅の広さに驚いてしまいます。
悪との対決の場面では、大部分、ビッグ・ダディとヒット・ガールのペアの後塵を拝してはいるものの、最後には、ビッグ・ダディ開発のマシンに乗りながらヒット・ガールの危機を救うわけですから、やはり主役といえましょう。
また、キック・アスらが立ち向かう悪人のトップ・フランコを演じるマーク・ストロングは、最近見た『ロビン・フッド』において、イギリス人でありながらフランスに内通しているゴドフリーの役を演じて強烈な印象を残しましたから、まさにうってつけと言えるでしょう。
悪役だから仕方ないとは言え、『ロビン・フッド』では、海岸での戦いから逃げ出そうとしたところをロビン・フッドが放った矢で射殺され、この映画でもバズーカ砲で窓の外まで吹き飛ばされるという過酷な運命を担っています(『シャーロック・ホームズ』においても、原作には登場しないブラックウッド卿〔なんと絞首刑から蘇って活躍するという、これまた理不尽な境遇に置かれています〕を演じています)。
それに、ビッグ・ダディを演じるのがニコラス・ケイジ。
映画では彼はいつも主役を演じていますから、この映画でも、その存在感やバットマン張りの装束から、もしかしたら主役はこちらではと思わせますが、途中でフランコの配下に焼き殺されてしまうので、やはり主役はキック・アスなのだなとわかるような始末です。
それにしても、ニコラス・ケイジも、随分と幅広く様々の作品に登場するものです。
TVでチラッと見ただけながら、『ナジョナル・トレジャー』(2005年)でインディ・ジョーンズの縮小版ベン・ゲイツを演じたかと思うと、『バット・ルーテナント』(注)では麻薬におぼれながらも昇進を果たす刑事を演じたりと、ずいぶん忙しいにもかかわらず、こうした映画にまで登場するとは!
(注)『クロッシング』を取り上げた記事の(2)の中で触れておきました。
(2)ただ、この映画に問題があるとしたら、ヒット・ガールが行うたくさんの殺戮行為・暴力行為でしょう。
父親のビッグ・ダディは元警官ですが、悪人フランコにより罠に嵌められ、無実ながらも刑務所に服役させられた経緯があり、出所後は復讐のために、娘のヒット・ガールとペアを組んで、フランコ一派を街から掃討しようとしているわけです。
そのために、フランコ側はビッグ・ダディ側を一人も殺してはいないにもかかわらず、ビッグ・ダディ側は、フランコ一味をいとも簡単に殺しまくるのです。
むろん、キック・アスが窮地に陥って殺されかかっているとか、ビッグ・ダディとキック・アスが手酷い拷問を受けて死の寸前という状況ですから、相手側を殺すのは仕方がないにしても、いくらなんでもこれではやりすぎなのでは、とも思えてきます。
そう思うのは、なにも狭い日本での偏った道徳観によるというわけでもなく、劇場用パンフレットの「プロダクション・ノート」にも、この内容に「ハリウッドの大手スタジオが難色を示した」とあり、「配給されないかもしれないという危惧があった」と監督が認めた、などと記載されています。
それはそうでしょう。小学生の女の子が、まるでゲームでもこなすかのように、色々な武器を片手に男の悪漢どもを次々に殺戮していくのですから!
時あたかも、米西部アリゾナ州トゥーソンのスーパーマーケットの敷地内で、6人が死亡、13人が負傷しするという銃撃事件が発生しました(8日)。負傷者の中には、女性のガブリエル・ギフォーズ民主党下院議員(40)も含まれているとのこと。
この事件に対しては、オバマ大統領が、「米国の悲劇的事件だ」との声明を発表したほどです(ここらあたりの事柄は、この記事を参照しました)。
なにも、『キック・アス』のような映画が公開されるからこうした事件が起きるわけではないのでしょうし、また銃が社会にいきわたっているからこそこうした事件があまり起きないのだ、と議論することも可能でしょう(現役の米連邦議会議員の命を狙った銃撃事件は、1978年に民主党下院議員が殺害されて以来のことだとされますし)。
でも、こうした映画が製作されて容認されてしまう社会が健全なのかどうかは、検討してもいいのかもしれません。
ナーンテしゃっちょこばらずに、クマネズミのように、リメイク作の『十三人の刺客』で役所広司が「斬って斬って斬りまくれ!」と叫ぶのを認めるのであれば(注)、この映画でヒット・ガールが暴れまくるのだって、楽しめばいいのではと思います。たかが映画なのですから!
(注)元の『十三人の刺客』では、松平斉韶を斬った島田新左衛門(片岡千恵蔵)は、「無用の殺し合いを止めるよう、早く笛を吹け」と指図しますが、そちらを良しとするのであれば話は別になるかもしれません。
(3)渡まち子氏は、「この物語の本筋は、ビッグ・ダディとヒット・ガールの父娘が仕掛ける復讐劇にある。アメコミの大ファンを自認するニコラス・ケイジがビッグ・ダディを演じていて、復讐のために、まだ幼い娘を殺人マシーンに作り変えるというトンデモない父親を怪演。バットマン風のコスプレでハジケる様はハマりすぎて怖いくらいだ。同時に、ヒット・ガールを演じるクロエ・グレース・モレッツの凶暴な可愛さには、心底シビレた」、「この映画、おバカなふりをしているが実は案外テーマは深いのだ。とはいえ、難しいことは考えず単純に“面白がる”ことも可能。なかなか上手い脚本で、スミにおけない映画である」として75点も付けています。
★★★☆☆
象のロケット:キック・アス
ヒットガールがサイコーでした
とにかく 爽快・痛快で
続編もあるそうで 楽しみ
母性の欠如が、父性の象徴である権威への憧れや闘争本能をあおったことは十分に考えられますし、原作者もそれを十分意図して人物設定を作り上げたんでしょうね。
単純に楽しめましたが、確かに幼い少女が大人をぶっ殺していく様に時々、『いいのかなあ』とは思いましたね。後半はキックアスよりヒットガール主体になっていたような気もしますが・・・(^^;;
続編が楽しみです。
本当に面白い映画でした。
わたしもクマネズミさんと同じで、本作に限っては「モラルはええやん」と観ていました。
わたしは、母の立場なので思ったのですが
この3父子に母親が居たら、きっとこんな無茶をさせないと思うんです。
そこもうまく作られてるなと思いながら、鑑賞しました。
クロエ・モレッツは成長途上で、『(500)日のサマー』の妹役で出てきていましたが、来日してテレビに出てきていたのを見ると、もう少し大人になっており、次作ではどのように変貌しているのでしょうか。美少女はもう一人いて、主人公デイブのガールフレンドのLyndsy Fonsecaもなかなかよいです。そして、それらの代わりに母親不在というクマネズミさんのご指摘も面白いですね。
あまり難しく考えないで、楽しく映画を観ることも考えてよいと思わせる作品です。そして、このように考える方々の評価が高くなっているようです。
この映画は、キック・アスらの「行動の意味」などを考えていくと面白いでしょうが、おっしゃるように、なによりもまず「楽しく映画を観ること」から出発しなければ始まらないでしょう。
そして、続編におけるクロエ・モレッツの「変貌」振りを、今から期待することといたします。