孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

地雷  進まない除去作業

2007-11-13 14:07:11 | 世相

(地雷で前足を失った象 スリランカ “flickr”より By DexterPerrin)

昨日12日、地雷問題に取り組む「地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)」が報告書を発表しました。
内容は報道されているとおりで特段付け加えることもないのですが、素通りするのも・・・と思われて取り上げました。

ICBLは対人地雷禁止条約の順守状況の監視や地雷除去に取り組むNGOです。
報告内容は以下のとおりです。
・ 06年に報告された地雷による犠牲者は前年比16%減の5751人(ICBLは、実際の犠牲者数はもっと多いだろうとの見解を示しています。) ここ4年間で半減
・ ミャンマー、ソマリア、レバノンなどの紛争地帯で犠牲者数が増加
・ 死傷者の7割以上は一般市民で、その34%が子供
・ 地雷で手足を失うなどした生存者数は07年8月時点で世界に約47万3000人存在
・ 新たに対人地雷を埋設したことが確認されたのはミャンマーとロシアの2カ国
・ 中国、ロシア、米国など対人地雷禁止条約非加盟の約40カ国が保有する地雷数は約1億6000万個
・ 同条約は一定期間内の埋設地雷の除去を締約国に義務づけているが、09~10年に期限を迎える29カ国の半数近く(ボスニア・ヘルツェゴビナやカンボジア、チャドなど14カ国)が達成は絶望的(国際支援が十分でなく、資金的に困難なため。)
・ 99年以降、地雷の除去が完了した土地は2000平方キロメートルに及ぶが、依然として20万平方キロメートルの広さの土地に地雷が埋まったまま

最後の数字からすると、除去完了面積はここ7年間で1%・・・ということは、単純に計算すれば、このペースではあと700年かかるということにもなります。
およそすべての兵器・武器は殺傷のための道具であり、核爆弾からカラシニコフに至るまで、“良い兵器”“悪い兵器”という区分も奇妙に思われます。
その中でも地雷のイメージが悪い原因は、犠牲者の多くが“手足を失う”という姿で生き残るため、その痛ましい犠牲者を街中で目にする機会が多いこと、戦争・紛争解決後も迷子の地雷が無数に残存し、クラスター爆弾の不発弾同様、その犠牲者の多くが一般市民であり、また子供であることにあります。

あえて殺さずに負傷者にすることで敵方の負担を重くする(負傷者は完全に戦力外になり、更に、重傷者を後送する兵・手当てする兵が必要になる。)という発想にも嫌なものを感じます。
(「では、殺したほうがいいのか?」と問われると返答に窮しますが・・・)
自軍の地雷被害を避けるために捕虜を先に歩かせるとか、そのような点も見越して、何回か踏んでから爆発する地雷の開発とか・・・息苦しくなるもの感じます。

なお、ウィキペディアによると、最近の地雷は“迷子”にならないようにいろんな技術改良がなされていて、正規軍が正しく埋めた地雷は紛争後は安全に除去できるそうです。
問題なのは、そのような優れた地雷は条約で製造をやめる反面、何も対策がなされていない安価な従来型の地雷が反政府武装勢力など非正規軍によって今も無管理に埋められていることだそうです。

数年前、カンボジアのアンコールワットを旅行した折に、シェムリアップにある“アキラ地雷博物館”(最近郊外のバンテアイスレイ遺跡近くに移転いたそうです。)を訪ねました。
いわゆる“博物館”という立派なものではなく、アキラさんという地雷除去を続けている現地の方、それを支援するボランティアの方々による文字通り“小屋”のような建物で、周囲・内部に処理済みの地雷・その他不発弾などが無造作に山積みされているようなところでした。

日本から来ている若いボランティア女性に説明してもらい、地雷を実際に踏んでみました。
踏んだとき地雷のバネが外れる不気味な感触(爆薬が入っていればそのとき私の足は吹き飛びます。)が、今も足裏に残っています。

よくTVなどで地雷除去作業の様子を見ます。
金属探知機みたいなものを使い、注意深く掘り出して・・・なんとも危険な、かつ、手間隙かかる作業です。
これでは除去作業が進展しないのも無理ありませんし、こんな作業をする方の神経がおかしくなってしまうのでは?と心配されます。

一方で、ショベルカーを改造した地雷除去車もときにTVで見ることがあります。
カンボジアに自社で改造したこの重機を持ち込んで作業されている日本の方(山梨日立建機の雨宮社長 http://www.hitachi-kenki.co.jp/company/environment/mine.html)もおられて、その紹介番組を拝見したこともあります。
もちろんそういった重機が使用できる場所とそうでない場所はあるのでしょうが、安全性・効率が格段に違います。
企業のCRS活動(Corporate Social Responsibility)というものが全くのチャリティなのかある程度利潤ベースのものなのかよくわかりませんが、国としてこのような活動を更に推し進める策を講じてもらいたいものです。
(恐らく、今でも補助金とか税制優遇とかは多少あるのでしょうが。もし何もなければ論外です。)
大きな流れとしては、このような企業の社会活動や環境配慮などが明示的に評価されて、その評価が企業利益にも直結するよなシステムを作ることで、企業の社会参加を誘導していくことが望まれます。

一昨日、アフガニスタンの地雷で足を失った人達に義足を作ってあげている日本の方(NGOアフガニスタン義肢装具支援の会 滝谷氏 http://www.gisoku.com/ )の紹介TVを観ました。
新たに作ると数十万円するので、休日に古いものをリサイクルで作り直して、ボランティアの方の手助けをかりながら活動されているとか。
もちろん活動内容は感動的でしたが、番組で印象に残ったのは、日本から義足を運ぶための袋を作っているシーンでした。
通常のバッグや箱では重くなってその分料金が高くなるので、なるべく軽くてすむように自分たちで布製の袋を作っているのだとか。
活動の厳しい運営、それをサポートする支援策の貧困さが窺い知れました。
こういう活動を“どうやって運搬料金を安くあげようか”といった心配から解放してあげるぐらいのサポートができないのか?
給油活動云々、国際貢献云々を議論する前にやるべきことが山のようにあるように感じました。

先ほどの重機を使用した地雷除去活動を紹介した番組だったでしょうか、もう2、3年前になりますが、女性レポーターが地雷原に暮らす現地の女の子に話しかけていました。
その子の家が地雷除去が済んでいない場所にあると聞いて、女性レポーターはちょっと本気の怒りもまじえたように「どうしてそんな危ないことを!地雷の怖さを知らないの?」と問いただします。
女の子は困ったように「他に住むところがないから・・・」と答えました。
自分の問いが現実の生活の中では無意味なことを悟った女性レポーターは、返す言葉を失いしばらく無言でした。
地雷のことが話題になると、この絶句した女性リポーターの言葉にならない思いが今も蘇ります。


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