(ポーランド中部ビエルンで1日未明、第2次世界大戦開始から80年の行事で壁に映し出される空爆のイメージを見る地元住民ら=AFP時事【9月2日 朝日】)
【ドイツ政府 「賠償問題は終結した」】
日本と韓国の間で戦争・日本統治をめぐるいろいろな問題があることは、毎日の紙面に溢れています。
こうした問題は別に日韓だけの特殊な問題ではなく、過去の「歴史」をどのように清算するかは、どこの国でも異なる見解・主張がぶつかる難しい問題です。
日本と同様に敗戦国となったドイツも「賠償」の問題を抱えていますが、戦争直後から時代に応じていろんな経過をたどっていることは、【ウィキペディア】の「第二次世界大戦後におけるドイツの戦後補償」の項にまとめられています。
そのなかから、東西ドイツ統一後の動きを抜粋すると、以下のようにも。
****(東西ドイツ)統一後の賠償****
最終規定条約による賠償問題の「解決」
1990年9月12日のドイツ最終規定条約により、ドイツの戦争状態は正式に終了した。この条約には賠償について言及された点は存在していないが、締結に際して連邦政府は「賠償問題は時代遅れになった」とはっきり説明し、もはや賠償問題は提起されないという立場をとっている。(中略)
最終規定条約は全欧安全保障協力会議の参加国によって11月11日に承認され、ドイツはこの参加国に対しても賠償問題は終結したとしている。
このため統一後のドイツは、「ドイツの戦後問題」が最終的に解決され、「賠償問題はその根拠を失った」として、法的な立場からの賠償を認めていない。
しかし、アメリカ政府が2000年に賠償請求の問題は未解決であるという見解を示したように、他国からは異論もある。
記憶・責任・未来
ナチス時代のドイツ企業はユダヤ人や戦争捕虜に強いられた強制労働によって大きな収益を上げていた。ドイツ連邦共和国政府はこの被害者に対する支払が「補償」の範囲内ではなく「国家間賠償」で対応されるべきとし、一切の支払に応じていなかった。
分断時代からもダイムラー・ベンツなどの一部の企業は個別に出資して補償を行ってきたが、ドイツ統一後には、東側社会に住む人々にほとんど補償が行われていないことが社会問題化しはじめた。
またアメリカでは、外国人不法行為請求権法に基づき、ドイツ企業に対する補償要求が高まった。1996年からはドイツ企業やスイスの銀行に対する訴訟が相次ぎ、裁判とそれに伴う悪評に疲弊したドイツ企業は、一定の金額を支払うことで訴訟リスクを回避する道を求めるようになった。
また補償に積極的な左派のゲアハルト・シュレーダー政権の成立も追い風となった。
2000年7月17日にアメリカとドイツは協定を結び、ドイツ企業に対する訴訟を取り扱う財団設立で合意した。(中略)
8月12日に『財団「記憶・責任・未来」』の創設が国会決議され、以降の支払いはドイツおよびドイツ企業の道義的・政治的責任に基づいて拠出された100億ドイツマルクから支払われることとなった。(中略)
ドイツ側としては道義的・政治的責任は認めつつも法的義務は認めておらず、公式には賠償とはされていない。また、この強制労働はナチ不正の一環であって、戦争犯罪としては取り扱われていない。
ドイツ経済界はこれ以上賠償や補償請求が行われない「法的安定性」を求めており、アメリカ政府がこれに応じたことで交渉は決着した。アメリカ政府は交渉の過程で「今後アメリカとしては、ドイツに賠償請求を行わない」ことを表明している。
「記憶・責任・未来」による支払は2001年より開始され、2007年6月に終結した。支払い対象はおよそ百カ国にまたがる166万人であり、支払総額は43.7億ユーロに達する。
支払い対象となる強制労働被害者は強制収容所での労務者、移住させられ強制労働に従事させられた者、およびそれに準じると見られた者である。(中略)
個別補償条約
1991年にはポーランドおよびソ連の継承国ロシア連邦、ウクライナ、ベラルーシの間でナチス被害者のための金銭引渡し条約を締結し、その後にはバルト諸国やチェコ、アメリカとの間でも同様の条約を結んでいる。
冷戦終結後の賠償請求
統一後のドイツ政府は賠償問題は終結したという立場をとっているが、被害を受けた国や個人から賠償を求められる動きも存在する。 (後略)
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当然ながらドイツと日本では多くの事情が異なりますので単純な比較はできません。
そのため、“「ドイツは過去を反省し補償も行った」が、「日本は反省も補償もしていない」”といった主張に対しては、「戦後処理の日独比較は筋違いだ」【『明日への選択』平成30年12月号 日本政策研究センター所長 岡田邦宏氏】といった反論があります。
日独で事情が異なるというのは、そのとおりでしょう。
ただ、岡田氏が言う“ドイツが行った「強制労働」は史上例を見ない残酷なものだった・・・日本のケースと比較すれば、動員の方法でも待遇でも、日本の朝鮮半島からの戦時動員がドイツの「強制労働」とまったく別次元のものである”ということは、日本が免責される訳でもありません。
今日は、そういう“微妙”な話ではなく、過去の歴史と向き合うことの難しさを示す、最近の話題をいくつか。
【ポーランド・ギリシャのドイツへの戦後賠償要求の動き】
上記ドイツに関する【ウィキペディア】の記述にもあるように、「統一後のドイツ政府は賠償問題は終結した」というドイツの立場を、被害を受けた側がみな受け入れている訳でもありません。
****ポーランド侵攻から80年、復活するドイツへの戦後賠償要求の動き****
第2次世界大戦の口火を切ったナチス・ドイツによるポーランド侵攻から1日で80年を迎えた。だが、ナチスによる爆撃の音は、80年が経過した今も両国の戦後賠償論争の中にこだましている──。
隣り合わせの両国はここしばらく、北大西洋条約機構、そして欧州連合の同盟国として、第2次大戦のページをめくったようにも見えていた。
しかし、2015年のポーランド総選挙でその様相ががらりと変わった。与党となったEU懐疑派の右派政党「法と正義」は、EUやドイツとの関係を政治的駆け引きの道具として利用し、また戦後賠償に関する論争も再開させたのだ。
ポーランドのマテウシュ・モラウィエツキ首相は先月、「ポーランドはいまだ適切な補償をドイツから受けていない…第2次大戦でわが国は600万人の国民を失った。大きな補償を受け取った国々よりもその数はずっと多い」と発言していた。
2017年、PiS党首のヤロスワフ・カチンスキ氏はこの問題を再提起した。それ以来、議会の委員会が戦時中のポーランドの人的・物的損失の規模について見直す分析を行ってきた。
その規模については、大戦直後の1947年に行われたポーランドの算出額を上回り、現在の換算で約8500億ドル(約90兆円)に相当すると、PiSのアルカディウシュ・ムラルチク議員は語る。
AFPの取材に応じた同議員は「第2次大戦が終わって随分たつが、ドイツは自らの過去を反省していない。ドイツは法の支配による民主的な基準を守り、人権を尊重することよりも、自国の予算の安定を気にかけているのだ」と述べた。
■補償問題は解決済みなのか
ドイツ政府はナチスによる戦時中の残虐行為の責任は認めているが、補償についてはポーランドであれギリシャであれ、要求を拒み続けてきた。「ドイツ政府の立場は変わらない。ドイツの補償問題は、法的にも政治的にも解決済みだ」と政府報道官は言う。
ポーランドは旧ソ連の衛星国だった1953年、同じ共産国だった旧東ドイツに対し、第2次世界大戦中の補償請求権を放棄している──これがドイツ政府の主張だ。
1990年、ドイツの再統一に向けて、東西ドイツ2か国と第2次大戦の対独戦勝4か国からなるツープラスフォー(2+4)会議が開かれた後、ドイツとポーランドは国境条約に調印。続けて翌91年には、善隣友好条約を結んだ。その間、補償問題が提起されることはなく、問題は解決済みとの暗黙の了解があると、ドイツ政府はみなしている。
しかし、ポーランドの保守派は、1953年の旧東ドイツとの合意はソ連の圧力下でなされたものだと主張し、その有効性に異議を唱えている。またドイツには、ポーランドへの補償に関する「道徳的義務」があるとも主張している。
ポーランド政府は今のところ正式な補償請求は行っていない。だが、PiSのムラルチク議員はこの問題への取り組みは必須だと強調し、「(補償)問題が解決されないままでは、第2次世界大戦中にドイツ人が果たした役割を相対化するところまで行ってしまう」と言う。
1939年、ポーランドの西側からドイツが侵攻した2週間後、今度は東側から旧ソ連が侵攻を開始した。だが、ポーランド外務省はAFPの取材に対し、「ポーランドとしては、ロシアに対する戦後補償の問題を現時点で持ち出していない」と詳細には触れずに答えた。 【9月2日 AFP】
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ポーランドと同様に、財政再建問題でドイツと激しく対立したギリシャにも、賠償問題がくすぶっています。
****ギリシャ首相、ナチス占領の賠償金に期待 独首相と会談****
ギリシャで7月に就任したミツォタキス首相が(8月)29日、ベルリンを訪問してメルケル独首相と初めて会談した。
ギリシャはドイツに対し、第2次大戦中のナチス・ドイツの占領下で受けた損害に対する巨額の賠償金を求めている。ミツォタキス氏は、経済危機からの脱却に必要なドイツからの投資を求める一方、国内でくすぶる「戦後補償問題」の進展にも期待感を示した。
ミツォタキス氏は会談後の記者会見で、賠償金請求問題について「難しい問題だが、解決が両国関係の深化にとって重要だと信じている」と述べた。ただ、会談でこの問題を協議したかは明らかにしなかった。
ドイツは、ギリシャと1960年代までに補償協定を結んでおり「解決済み」の立場だ。しかしギリシャ国内では「歴史問題」として残っており、チプラス前政権下の今年4月、ギリシャ議会はドイツに賠償金を求めることを可決。当時ミツォタキス氏が党首だった最大野党「新民主主義党」も賛成した。同国議会は、賠償金の額は3千億ユーロ(約35兆円)以上になると試算している。
ギリシャ危機の際、緊縮財政の徹底を最も厳しく求めたのは、最大の債権国だったドイツだった。
2015年に発足したチプラス前政権は、ドイツを中心とする欧州連合(EU)などの金融支援を受け入れたが、厳しい管理下に置かれることへの国民の不満が高まった。対ドイツ関係が緊張する中、チプラス氏が持ち出したのが賠償金請求の「歴史問題」だった。
29日の会談で両国は、環境エネルギー分野でのドイツからの投資拡大などで一致。ミツォタキス氏は経済復興の起爆剤にしたい考えだが、歴史問題が両国関係に水を差す可能性もある。【8月30日 朝日】
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【ポーランド ロシアとの溝】
一方、前出【9月2日 AFP】にもあるように、ポーランドは分割を実施したもう一つの相手国ロシアとの「歴史」も抱えています。
****第2次大戦開始80年、ポーランドで式典 ロシア招かれず、歴史認識にも溝****
ナチス・ドイツが1939年にポーランドに侵攻して第2次世界大戦が始まってから80年となる1日、同国の首都ワルシャワで記念式典が行われた。ドイツのメルケル首相や米国のペンス副大統領が出席する一方、ロシアのプーチン大統領は2014年のウクライナ危機などを理由に招かれず、主な連合国側がそろった10年前の式典と様変わりした。
式典でシュタインマイヤー独大統領は「我々は我が国が犯した罪を忘れず、伝えていく」と語った。
トランプ米大統領は、ハリケーン災害への対応を理由に出席を見送った。
一方、プーチン氏が招待されなかったのは、ウクライナ南部のクリミア半島をロシアが併合したことが「不戦を誓う式典にふさわしくない」とポーランドが判断したためだ。70周年の09年当時は首相だったプーチン氏が参加していた。ポーランドのドゥダ大統領は式典でもウクライナ危機に言及し「見て見ぬふりをしてはならない」と語った。
今回の招待拒否にロシアは強く反発している。招かれなかった背景には、同国を含む旧連合国側で第2次大戦への歴史認識の溝が深まっている事情もある。
ソ連は第2次大戦の開始後、直前に結んだ独ソ不可侵条約の秘密議定書にもとづき、ポーランドに侵攻し、バルト3国も支配下に置いた。
ウクライナ危機を機にこの侵攻の歴史に再び注目が集まる中、ロシア外務省は8月、同条約について「英仏などが、ヒトラーの攻撃を東に向かわせようとして対独融和策をとったため」と主張するビデオを公表した。
欧州側では「自国第一主義」の広がりで、自国の被害を強調する動きがある。ポーランドの現政権は愛国主義を前面に出し、同国が53年に放棄したドイツに対する損害の賠償を求める動きを強める。ギリシャなどにも同様の動きがある。【9月2日 朝日】
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【植民地支配当時の弾圧や奴隷制に関する賠償問題も】
「歴史」は戦争だけではありません。植民地支配当時の弾圧も立場によって主張が異なる「歴史」です。
****インド訪問の英国教会大主教、植民地時代の虐殺現場でひれ伏す****
英国の植民地下にあったインド北部アムリツァルで1919年に起きた大虐殺をめぐり、英国国教会のジャスティン・ウェルビーカンタベリー大主教は10日、個人の立場で謝罪の意を伝えるべく、事件現場でひれ伏した。この出来事をめぐって英政府は、これまで謝罪したことはない。
インド・アムリツァルで1919年4月13日、武器を持たない男性や女性、子どもたちに向かって英国軍部隊が発砲。当時の記録によると、犠牲者は379人とされているものの、インド側の数字では計1000人近くとされている。
アムリツァルを訪れたウェルビー大主教は、「政府当局者ではないので、英国政府を代表することはできない。だが私は、キリストの名の下に話すことができる」と発言。「犯された罪が及ぼした影響について、私は恥じ入り、申し訳ないと思っている。私は宗教の指導者であり、政治家ではない。宗教指導者として、ここで起きた悲劇を悼む」と語った。
さらに、ウェルビー氏はフェイスブックへの投稿で、現地ではジャリヤーンワーラー・バーグと呼ばれる現場への訪問が「この場所で起きたことへの強い恥じらい」を喚起したとし、「英国の歴史に残る数々の深刻な汚点の一つだ。世代を超えて続く痛みと悲しみは、決してはねつけられたり、否定されたりしてはならない」と訴えた。
100年前に起きたこの事件は、英国のインド統治における最悪の事態とされ、インド人のナショナリズムを高め、独立への支持を強固なものとすることにつながった。
英国のエリザベス女王も1997年、インド訪問中に現地で花輪を手向けたが、失言癖で知られる夫のフィリップ殿下が、死者数に関するインド側の推定は「大きく誇張」されていると発言したと報じられ、見出しをさらった。 【9月11日 AFP】
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アメリカには「奴隷制」の「歴史」があり、賠償の問題が今でも存在します。
“アメリカは奴隷制の賠償をするべきか?”【ぴむ氏 7月24日】は、【エコノミスト 2019年6月29日号】の記事“The idea of reparations for slavery is morally appealing but flawed”を翻訳・論評したものです。
「歴史」に対する見解は立場によって異なります。
自己の立場・主張に固執するだけでは対立が深まるばかりです。
双方が自分と異なる主張に対して、「なぜ、そのような主張がなされるのか?」と相手の立場に立って考え、現実的にとり得る対応を考えれば、歩み寄ることも可能でしょうが、実際にはなかなか・・・