孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

中国 毛沢東生誕120周年 “毛沢東”を利用しながらも、過熱抑制も必要な習近平総書記

2013-12-25 21:56:58 | 中国

(大きな毛沢東の肖像が掲げられている“毛沢東主義共同体”河南省南街村の老人ホーム 【2010年6月30日号 Newsweek】

85.1%が毛沢東の「功績大」を支持
中国建国の父、毛沢東の生誕から26日で120年となる中国では「毛沢東ブーム」とも呼ばれるような現象がおきているようです。

毛沢東の遺体が安置されている北京の天安門広場・毛主席記念堂には今も人々の長い列ができています。

“市場原理を無視して、3年間で米英を追い越すほどのノルマを人民に課し、ずさんな管理の元で無理な増産を指示したため却って生産力低下をもたらした”【ウィキペディア】と評される「大躍進政策」の失敗による2000万人とも5000万人とお言われる膨大な餓死者の発生。

その失政により国家主席の座を追われた毛沢東の復権のための権力闘争である「文化大革命」による社会の大混乱。

更には個人崇拝の弊害・・・など、巨大な負の側面がある一方で、なんといっても中国建国の父であり、人民の平等を掲げた理念は、経済的には著しい成長を遂げたものの、その代償として格差が拡大する現代中国の人々には郷愁とも言える引力があるようです。

中国共産党の公的な毛沢東評価は「功績第一、誤り第二」というものですが、一般国民にあっては、より“功績”に引かれるところが大きいようです。

****85%が「毛沢東の功績大きい」=7割超が「文革は誤り」―中国紙****
中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報は25日、毛沢東生誕120周年を26日に控え、「功績第一、誤り第二」とした毛に対する党の歴史的評価に対し、78.3%が「同意」、6.8%が「低過ぎる」と回答したアンケート調査結果を伝えた。計85.1%が毛沢東の「功績大」を支持した形だ。

調査は北京、上海、広州など七つの大都市で18歳以上を対象に行われ、有効回答は1045人。毛沢東に対して計91.5%が「尊敬」「尊重」していると答え、「批判的態度」は6.9%。また計90.9%が「毛時代が現在の中国に影響を与えている」との認識を示した。

毛沢東の主要な誤りとしては、複数回答可で77.2%が「文化大革命の開始」、60.2%が「大躍進」など経済政策、46.3%が「個人崇拝を行い、民主集中制原則を破壊した」を選んだ。【12月25日 時事】 
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中国人民の思考・行動への毛沢東の影響については、良きにつけ悪しきにつけ、「毛沢東はすでに中国人のDNAに根付いている」とも指摘されまほど根深いものがあります。

****一種の洗脳、毛沢東「中国人のDNAに根付く****
中国建国の父、毛沢東の生誕から、26日で120年となる。共産党を率いて国造りを指導した一方、文化大革命などで社会、経済を大混乱に陥れ、功罪が混在する毛。

だが、支持、反発を問わず、中国社会の底流には、毛時代の行動様式や思考が根強く残存しているようだ。 習近平 ( シージンピン )総書記は毛の「DNA」を、政権の求心力向上に利用している。

「共産党は許せない。だが、毛主席は別だ」
中国西北部の新疆ウイグル自治区カシュガル地区で住民と警官計16人が死亡した衝突事件から2日後の17日。区都ウルムチでは、銃を手にした警官が各所で目を光らせていた。喫茶店の向かいの席に座った少数民族ウイグル族の男性(46)は、革ジャンの内ポケットから小さな丸いバッジをそっと取り出した。
「人民に奉仕せよ」の標語をあしらった、赤地に金色の毛沢東の肖像を描いた「毛沢東バッジ」だ。

男性は、自治区内で毛沢東思想を学習するウイグル族グループの有力メンバー。だが、口をついて出てくるのは、同胞を抑圧する共産党政権への不満だ。「我々は党から差別され、敵視されている。中国からの独立を主張するのは当然だ」

10月末、ウイグル族の男女3人が北京・天安門前に車で突入、炎上した事件は、党の少数民族政策に不満を抱き、党の象徴である巨大な毛の肖像画を標的にしたとみられている。毛はウイグル族居住区を中国に併合した指導者でもある。

だが、男性の胸中には、党への敵意と、毛沢東への崇拝の念が同居していた。
男性は小学校から大学まで無料で進学し、毛が進めた少数民族優遇政策の享受者の一人。毛の過去の「罪」に触れた歴史教育を受けていないことも一因だ。
 
しかし、2009年7月、ウルムチで起きたウイグル族大暴動で、同胞が次々と警官に射殺される光景を目の当たりにした。ウイグル族への就職差別も進むなか、党への信頼はみるみるうちに、薄らいでいった。

そんな時、知人の薦めで手にした毛の著作で、毛がかつて「大漢民族主義を採ってはならない」と語っていたことを知り、救われた。誰もが平等だったという毛時代の再現を目指し、漢族とも連携して「新共産党」を作ろうとしている。

一部とはいえ、毛崇拝は少数民族にも浸透している。河南省の毛研究者は、この現象について、「毛沢東はすでに中国人のDNAに根付いているからだ」と解説した。

市場経済推進を主張する右派(改革派)の重鎮、茅于軾・天則経済研究所名誉理事長は、毛時代に迫害された体験もあり、厳しい毛批判で知られる。しかし茅氏も、毛が使用した独特の政治用語を「無意識で使ってしまう」という。「青春時代、社会に毛用語があふれていた。一種の洗脳だ」【12月25日 読売】
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【“毛沢東”利用で、自らの求心力を高めることをもくろむ習近平総書記
上記記事にもあるように、習近平総書記はこうした中国人に染みついた毛沢東を思わせるような言動をとることで、自身の政治的立場を強めることに利用しているようにも思えます。

****習主席、毛沢東への憧れ 反腐敗と節約展開「残った飯はチャーハンに」****
 ◆反腐敗と節約展開
北京の人権活動家は最近の毛沢東ブームについてこのように解釈している。

「拝金主義が広がる今の中国は金持ちの天国だが、貧しい人たちにとっては地獄だ。不公平さを毎日味わっている弱者は、貧富の差がなかった毛沢東時代を懐かしんでいる」

昨年秋、共産党総書記となった習近平国家主席はこうした弱者たちの支持獲得を意識し、毛沢東時代の多くのやり方を復活させている。最も注目されたのは、毛沢東が建国直後の50年代に始めた政治運動をまねし、反腐敗、反浪費のキャンペーンを全国で展開したことだ。党の規律検査部門を使って、たった1年で閣僚級約20人、局長級では100人以上の高官を拘束した。

失脚した高官に習主席と同じエリート2世(いわゆる「太子党」)はいないという。腐敗撲滅に名を借りた「政敵の粛清だ」との指摘はあるものの、貧しい人々の間では「腐敗問題に本気で対応してくれた」として支持する声が多い。

習主席が推進する節約キャンペーンでは、毛沢東時代のスローガンを使って「野菜の切れ端は漬物に、残った飯はチャーハンに」との指示が、なんと人民解放軍の全部隊に通達された。

「こんな主婦の生活の知恵のようなものは党中央の言うことではない」と国内メディアの関係者には嘲笑されたが、一般庶民の間では「指示が具体的でわかりやすい」と意外にも評判は悪くない。

 ◆求心力アップ狙い
日本と対立した尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐっても、習政権は冷戦時代さながらの強硬姿勢を貫く。
改革派の国際関係学者らが「国際環境を悪化させる愚かな行為」と批判する一方で、強いリーダーを期待する若者たちは喝采を送る。

ある共産党古参幹部は習主席の毛沢東路線回帰の理由について、「習氏は不正官僚や金持ちに対する労働者、農民の不満を利用して政治運動を展開し、自らの求心力を高めることをもくろんでいる」と分析した上で、こう付け加えた。

「文化大革命時代に青春を過ごした習氏は毛沢東のような絶対的なリーダーになりたいという個人的な願望もあるのかもしれない」【12月25日 産経】
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中国中部、河南省南街村はいまも毛沢東時代の集団所有制を実施しています。
「変わった村」として扱われていたこの村が、毛沢東によって求心力アップを狙う習近平政権のもっとで、脚光を浴びているそうです。

****毛沢東思想は神様より勝る」中国各地で毛沢東ブーム****
12月上旬のある日の早朝。中国中部、河南省南街村の空は薄い霧に包まれ、あたりはまだ暗い。6時15分、電信柱に取り付けられた村中の拡声器が突然、大音量で歌を流し始めた。

「東の空が赤く染まり 太陽が昇る 中国に毛沢東が現れた…」
1960年代の文化大革命当時、中国全土で広く歌われ、その後すっかり聞かれなくなった毛沢東賛歌「東方紅」である。村民たちはこの音楽に合わせて起床し、村の広場や公園で整列、朝の体操を始めた。

人口約3500人のこの村は、いまも毛沢東時代の集団所有制を実施している。村民の住宅から家具、食糧、衣類などの日用品は全て支給される。水道、電気も無料だ。子供が進学する場合、大学院の博士課程までの授業料・生活費も村が支給する。

その代わりに私有財産を認めていない。村幹部の月給はわずか250元(約4250円)。主に酒やたばこ代などに費やされるという。村営工場で働く一般村民の収入は幹部より多い。残業代がつくため2千元(約3万4千円)を超えることもある。

「それでは誰も幹部になりたがらないのではないか」との質問に対し、村営の新聞、南街村報の盛幹宇編集長は「私たちは毛沢東思想の教育を受けているから、外の人間とは考え方が違う。幹部になれば、より多く人民に奉仕できるから喜びも大きい」とまじめな顔で話した。

村中心部の広場には、高さ6メートルの毛沢東像がある。村トップの王宏斌(こうひん)・南街村共産党委員会書記(62)は定期的に、村幹部を率いて毛沢東像の前で村の発展状況を報告するという。2人の民兵が毛沢東像の両側に直立不動の姿勢で立ち、24時間警備している。

「毛沢東は神様ではなく人間だ。しかし、毛沢東思想は神様より勝る」。村の至るところでこのような毛沢東を褒めたたえるスローガンを見かけた。タイムマシンに乗って約40年前の中国に戻ったかのようだ。

■集団所有制に回帰する村々
中国河南省の南街村はもともと、貧しい寒村だった。トウ小平が主導して1978年に始まった改革開放政策に伴い、地方にも改革の波が押し寄せた。南街村も一時集団所有制をやめて土地を農民に分配した。
しかし、貧困から抜け出すことはできなかった。

◆心酔する指導者
毛沢東思想に心酔する王宏斌(こうひん)・南街村共産党委員会書記は「生産効率を上げるには集団所有制しかない」と考え、村民たちを説得して土地を再び村が回収した。資金を集中させ、周りの村よりいち早く工業化に着手する。

80年代前半、日本の技術を導入して始めた即席めん工場が成功を収め、村の経済が安定した。その後、ビール工場、製薬工場などを次々と建て、南街村は数年で河南省有数の“企業集団”と化した。村民の生活は豊かになったが、集団所有制はやめなかった。

現在、南街村の約30の村営企業で働く従業員は約1万人。その8割はほかの村からの出稼ぎ労働者だ。

村民たちの労働意欲を維持するため王書記が力を入れたのが、毛沢東思想の教育だった。いつしか、王書記には「小毛沢東」とのあだ名がつき、一部メディアがそのワンマンぶりを批判するようになった。

保守派は南街村を「モデル村」として高く評価したが、一般メディアでは「変わった村」として扱われた。「時代錯誤」「ほかの村の労働者を搾取している」といった批判も絶えなかった。
南街村に銀行からの借金が多い点を指摘し、「いつか破綻する」とみる改革派の経済学者もいた。

 ◆習体制下で一変
しかし、習近平体制が発足した昨年秋以降、流れが変わった。習主席は農村問題に言及する際、トウ小平よりも毛沢東の言葉を多く引用するようになったため、改めて南街村が脚光を浴びたのだ。

今年になってから、中国メディアが南街村を持ち上げる記事が急増。南街村の経験を学ぶため視察に訪れる全国の村幹部もどっと増えた。

同村の統計によると、今年7月1日の共産党創設記念日の1日だけで、湖北省、安徽省、福建省などから500人以上がやってきたという。

南街村の近くにある河南省北徐荘村は今年、集団所有制を始めた。村の中心部に南街村と同じ毛沢東像を建てた。
南街村幹部は「全国約60万の村のうち、約7千の村が集団所有制に戻ったと聞いている。これからもっと増えるだろう」と胸を張る。「トウ小平のやり方でうまくいかなかったのだから、毛沢東に戻るのは当たり前なのだ」

改革開放政策に取り残され、都市部との格差が開く一方だった中国の農村部。習体制発足を機に、毛沢東の集団所有経済に活路を見いだそうとしているかのようだ。

そして今の中国で、毛色に染まりつつあるのは農村部だけではない。
今月26日は毛沢東の生誕120年。習近平国家主席が毛沢東回帰路線を鮮明にしていることもあって、中国各地で毛沢東ブームが起きている。
さまざまな分野で“毛沢東”がよみがえる中国の今を報告する。【12月24日 産経】
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諸刃の剣
“毛沢東”を政権の求心力アップに利用しているように見える習近平総書記ですが、「トウ小平のやり方でうまくいかなかったのだから、毛沢東に戻るのは当たり前なのだ」という言葉からもわかるように、毛沢東を前面に押し出すことは現在の中国を支える改革開放政策を否定することにもつながり、現政権への不満の表れともなります。

共産党指導部にとっては毛沢東を掲げられると、政権批判が裏にあってもこれを抑え込むのが難しいという意味でも、毛沢東利用は“諸刃の剣”です。

まさにそのために、毛沢東を全面に掲げた薄熙来(共産党中央政治局委員兼重慶市党委員会書記)は党中央から疎まれ、権力闘争に敗れ、失脚することにもなっています。

習近平政権は、一方で“毛沢東”的な言動をとりながらも、他方では、毛沢東礼賛が高まることを警戒もしています。

****「毛沢東生誕記念」に警戒心=習総書記、行事簡素化を指示―26日120周年・中国****
新中国を成立させた毛沢東主席(1893~1976年)の生誕から26日で120周年を迎える。

習近平共産党総書記(国家主席)は、今も庶民の人気が高い毛沢東を利用し、その政治スタイルをまねているが、文化大革命(1966~76年)など「誤り」も犯した毛沢東に対する評価をめぐり、党内部や社会が分裂する現実にピリピリしている。

北京・人民大会堂で26日夜、毛沢東生誕を記念した大音楽会が開催される予定だったが、当局の許可が下りずに突然、中止となった。

毛沢東の故郷・湖南省では23日夜、記念音楽会が開かれ、同省トップの徐守盛党委書記らが参観したものの、11月に同省を視察した習総書記は、記念行事を「盛大」に行うと同時に「簡素」「実務的」にするよう指示するなど、賛美の温度は下がっている。

共産党・政府の管理できない民間レベルの記念行事が盛り上がり、平等だった毛沢東時代への郷愁が高まり、深刻な格差や腐敗を解決できない現政権に対する庶民の不満が広がることを警戒しているためだ。【12月24日 時事】
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利用しながらも過熱は抑えるという、なかなか難しい舵取りが必要とされます。
習近平総書記がその舵をうまくとれるのか注目されます。
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