夜の11時に、巻末に、副題4を加筆させていただきました。
今日は大勢の人が良く知っている人物について、また、そこから生起するあれこれの思い出を語ります。前報が未完であり、それを、完成させたいのです。どっちを選択するのが良いのか、迷いますが、ともかく、こちらにまず、トライしましょう。前報は、あまりにも盛りだくさんなので、分離させないといけないし。
なお、これは美術ではなくて、むろん政治の文章です。写真・評論でも、ない。まあ、はっきり言うと、伊藤玄二郎分析という種類のものです。または、メディア分析という種類のものです。または、CIAの本質の分析というものです。今息子から、電話が固定電話にかかって来たのに、10回ぐらい、数秒で、切られるという嫌な思いもしました。が、これも、CIAの家来としての警察の悪いいたずらでしょう。だから、政治の文章を書くと言う事となります。
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副題1、『鎌倉駅の地下道とは、私にとっては、とても大切な場所である。そこで、あれっと、考えさせられる展示を、見た。2023-11-24日、夜7時ごろ』
今、こういう地下道(特に線路の下とか、道路の下)をアンダーパスと、NHKは、ニュース内で呼びます。よく台風が来ると、ここに水が溜まって、車が、動かなくなるので、注意をするニュース内で、アンダーパスと言います。だけど、まったくぴんと来ないです。是もまた、私のブログが原因です。私のブログ文章をつぶすための言葉替えの一つです。
というわけで、この一章は、また、私にとっては、公開した方がいいのか悪いのかわからないという暗い文章となるでしょう。しかし、現在の日本政治を明らかにする、目的には、かなうものです。ウクライナの戦争も、ガザ地区の紛争も、どうして起きたかは、私には、わかっていて、そこまで、この章で、到達できたらいいのですが、まあ、書けるところまで書きましょう。尚、どうして、鎌倉駅の地下道が、重要なのかは、蛇足1というところで、詳述します。本筋を書いてから説明をいたします。
さて、鎌倉駅の地下道とは、横須賀線の線路下の東西通行路ですが、横須賀線は、15両の車両が真夜中停車している待機用線路も東西に一本ずつあるので、地下道は長いです。そこの南側に、ながさ12mぐらいの展示ケースがあります。昨日はそれが、二分割されていて、西側は鎌倉市立深沢中学校の、美術の時間の、生徒の作品展示でした。私は駅の西口に存在した用事を果たしたのちに、帰りとして、地下道に入ったので、生徒の手芸作品などをまず見たわけです。その次に風景写真が、並んでいました。最初は、ああ、『趣味のグループですね』と感じていたのです。だが、最後の展示を見たら、審査委員長、十文字美信と逢って、彼の履歴が、300項目ぐらい縦に並んでいたのです。
非常にびっくりしました。でね。改めて、その風景写真を見直してみると、
鎌倉プロモーションフォトコンテスト というコンクールの結果写真の展示だったのです。そして、審査委員長は十文字美信
で、私は、スマホを持ち歩かない主義なので、その情景を証拠として撮影をして帰る事が出来ず、土曜日の午前中ネットで、そのコンクールの、詳細を探る事となりました。2023年度のコンクールの結果の写真が、ネットで、公開をされていて、最後に
総評
今年の応募総数は1,399点、その内から厳正なる審査を行い、一次審査を通過した作品は60点でした。・・・・本文 中略・・・・年々応募作品の質が上がっていますので次回も楽しみにしています。新しい鎌倉の魅力を発信していきましょう。
(審査委員長) 十文字 美信
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副題2、『十文字美信さんとは、実はひどいことを、私の方が、三度ぐらいされている、間柄です。だから、私は怒っていて、このブログに何度もそれを書いています。
でね。それは、ほぼ、20年間にわたっていて、その一つを今から書いて行きましょう。
私はCIAの日本人エージェントに弾圧をされていて、自宅で、パソコンが、動かない(命令通りの仕事をしてくれない。特にアドビがだめだった。したがって本の編集ができない)時期が長くて、外で、仕事をしていた時期があります。
その時、アドビを使うのは、キンコーズや、ACCESSという名称の、事務センター、(東京駅・丸の内北口には、ファミリーマートの事務センターもあるが)エクセルシオールなどのカフェ、錦糸町の野菜ビュッフェなど、秋葉原のワシントンホテルなど、点々として、自分のノートパソコンを起動をしていたものです。その中で、ネットカフェも無論使いました。渋谷のBAGUS とか、メジロの 自遊空間、とか、横浜駅東口の、ポパイなどが、静かで、落ち着ける環境で、したが、すべて、無くなっている模様です。それらの店舗は、経営者がほかの事≒パチンコなどで、儲けて、資本金を持って居ると感じたものです。
目白の自遊空間では、最上級のセキュリティソフトを入れていたので、トロイの木馬が、どういうソフトであるかを、知る事が出来ました。真っ黒な画面にアルファベットが浮かぶソフト、(アプリ)本体を読むことが出来ました。すると、NHKニュースが脅かすほどの、脅威でもないと言う事が判りました。私は電子ソフトの専門家でもないのですよ。弟は電通大を出ていてインテルに勤めていました。だけど、彼に質問をしないでも、ソフトは、読めるのです。
特に、父が北久里浜の自宅を、設計し、書類を作って、当時の横須賀市の建築閣員申請を取ってくれた様に、レオナルドダビンチみたいに、あれこれ、挑戦する人で、私もその同じ傾向を持って居るのです。だから、書籍だって、出版社に勤めていたこともないし、印刷会社に勤めていたこともないし、美大のデザイン科を出たこともないのに、ちゃんと普通の工業用生産過程を通した本が、自分一人が、それ用のデータを作れば、後は、印刷会社の機械と製本会社の機械を、お願いして、やってもらえば、できるわけです。ただし、販売ルートがありません。そこまで、手を広げられません。体力もないし。
薬についても、妹は千葉大薬学部を出ています。私は薬学部を出て居ません。だけど、薬の化学構造式、または、分子式を見るだけで、いろいろなことがわかり、そこから、COVID19が、生物兵器であるか? ないか? を、分析しようとしていたのです。そのために、吉草酸エステルと、吉草酸酢酸エステルの違いを、利用しようともしていたのです。後註1,
そこに松竹定款が出来し、いじめのきわみに出会っていて、それの防衛のために、テーマが横に曲げられてしまったというわけです。しかし、その松竹のケースですが、伊藤玄二郎・かまくら春秋社社長と、今だ実際には生きている井上ひさし(公的には死んだことにしているが)が、案出した事でしょうし、十文字美信氏とのトラブルも、まさに、その二人が案出した事なので、本日、そちらに急遽移動をしたというわけです。そこです。私の周辺に起きることは、すべて、CIAが絡んでいるので、何を書いても、通底は、共通するので、本日は、突然に、カメラマン、十文字美信へ、移動をすると言うわけです。
しかし、2005年ごろから、嫌なことが始まっているので、繰り返しますが、私は、ずっと怒っていて・・・・・彼の美少女写真集を、横浜駅東口のポパイで、見つけた時以来、何だ、これで、儲けているのか、あの豪邸も、これで、建ったのか?と考え、軽蔑感を強くしていたのでした。しかし、昨日の夜7時ごろ、鎌倉駅の地下道で、300項目近い業績の履歴を見て、あれ、あれ、間違った解釈をしていたかしら?と、考え直したというわけです。
特にあの豪邸の敷地200坪を、彼がタレント写真集で、稼いで購入したというのは誤解でした。カフェbee 本日初めて、彼に関してのネット検索をしてみて、カフェと画廊は、彼の稼ぎで、建てたものでしょうが、敷地は奥様の実家だそうです。失礼な言い方ながら、駅から五分の200坪という敷地に関しては、逆玉の輿だったというわけです。
奥様は素敵な人ですよ。私と美信氏の関係は、そもそも奥様から始まっています。で、奥様が戦前から、鎌倉に住んでいたご家庭のお嬢様であると言うのは、納得です。非常に品が良い方です。それと猫好きが、私との、共通の話題であり、まず、奥様と知り合ったのが、そもそもの始まりでした。その部分は、政治に関係がないので、後で、詳述します。
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副題3,『同じショーウィンドーで、鎌倉関連の紹介展示が、過去にあり、その片隅に、冨山房インターナショナル刊行の【かまくらの田圃に関する書物】が置いてあった。その途端に、2014年【豆腐屋うかい】で、行われた、お茶大付属高校クラス会における、ひどい。ひどい、対私・いじめの本質が判ったのだった。これは、安倍晋三元総理大臣の、奈良県西大寺での、暗殺にも、繋がる問題だから、いったん、十文字氏に対する解析から、離れさせていただき、そちらに入りたい』
あれは、2014年の11月の事でした。だけど、7月ごろから幹事の宇都宮和代さんから、親し気な、お誘いメールがありました。ところが、私が、安藤てる子さんという女性刑事(しかし親友を装っていた)からの、謀略行為や、その他で、非常にブログを書くのに、疲労していて、遅れて到着しました。すると、到着早々、くじで当たった席(と言っても、私の分しか残っていなかったのだが、)の左隣の席に座っていた、十文字トシさんが、移動をしたのです。こちらの十文字さんは、東京の十文字学園の創始者の一族で、戸籍上の名前は、違いますが、旧姓が、こうです。お上品な良い人です。ところで、この人が今日の主役の美信さんと、親戚かもしれないと、ほぼ、20年近く、思っていたので、長らく美信さんが、行ったいじめについて書いて居ません。まあ、【とし】さんと、兄弟とか、従兄弟ほどの、近親ではなさそうです。体格も全然違うので、それで、本日の文章を安心して書くことができる様になりました。
さて、【とし】さんが急に移動をした後に、遠くから、中島加奈子さんが、やって来て座りました。中島加奈子さんは、お受験用幼児教育の、専門家で、孝太郎夫人が、田原氏と不倫の仕事で、帰れないときに、預かってくれた親切な、幼児教室というのは、中島加奈子さんが、経営しているものでしょう。それでね。林真理子の、【奇跡】についても、大いなる批判をすることとなります。だって、千之助を、二年間ぐらいお世話をしたマダムから、いじめられたのですから、そりゃあ、田原博子さんも林真理子も嫌いになりますよね。当たり前です。
このいじめの諸相を語ると、可奈子さんに、お株を奪われたという事になります。私は画家です。画家として目立つためにどんなパーティでもお歌を歌わせていただくことにしていました。だけど、女性たちは嫉妬深い。それでね。お歌を、きれいな声で、歌う事に嫉妬されていたのだと思います。この日は、席が突然変わって、私の直前に、可奈子さんが歌いました。私の場合は、嫉妬されることが判っているから、司会者に事前に「歌のタイトルを紹介してね」と頼めないし、非常に短い時間(一分三十秒程度)で、終わらせます。ところが、この日の中島加奈子さんに関しては、司会者の宇都宮和代さんが、長々と紹介の労を取りました。で、五分程度、可奈子さんは歌いました。日本の歌曲という種類の歌で、彼女が作詞作曲をした歌だそうです。うーん。お茶大付属高校って、東大合格者数では、桜陰に、圧倒的に、負けているでしょうが、才媛は、多いですね。あ、は、は。母校の自慢をしちゃった。ともかく、可奈子さんのお歌は、すごい上等なお歌でした。さて、私は、得意のお歌をつぶされて、眼を白黒です。しかし、これが、伊藤玄二郎発のいじめだとは、瞬時に分かったので、・・・・ここで、めそめそしたら、彼らの思うつぼになってしまう・・・・と、判断をして、何事もなかったかの様に、いつも通り、1分30秒程度、オペラアリアの一節を歌いました。しかし、あまりにもびっくりさせられたので、いつも通りの美声は、出なかったと申し上げましょう。半分は、攻撃を撃破したが、半分は自分の方が、撃沈したというわけです。
この中島可奈子さんですが、その後、北久里浜の我が家の近所にも現れたのです。なんと、最近のこのブログの主役である、妙本寺のお見合いに成功した遠藤家のご主人の、上司であろう、上滝氏(そのお嬢さんが、母親に愛されて居なくて、幼稚園にも通わせてもらっていないので、性格が悪くて、悪くて、お菓子を我が家で盗み食いをするので、私が疲れさせられ切ったと言う女の子です。これは、横浜銀行と東日本銀行の合併にもつながるし、この山で前田清子さんが、夜、お孫さんを使って、ちよこレート遊びをしたとか、関本夫人が、お子さんを使って、これまた、夜チヨコレート遊びをしたという事へつながっていきます。)の旧宅に私より早く、入って潜んでいたのでした。
中島加奈子さんは、住所録を見ると、中央線三多摩在住なのに、北久里浜に、午前中に来て待機をしていたのです。たぶんですが、堤義明氏が、旧プリンスホテル(今はメルキュールホテル)に、無償で、泊まれる様に手配をしてあげて、そこに泊まってから、北久里浜の旧上滝家に入っていて、待っていたのだと思います。堤義明氏は、石塚雅彦さんといとこ同士であり、石塚雅彦さんは、既に伊藤玄二郎達と通々でしょうから。
我が家で、前夜、夫婦で、明日どういう予定という会話があるので、それを盗聴している敵さん達は、私が北久里浜に行くことは、知っていたのです。でも、まさかそれほどのことを可奈子さんがするとも思えず、私は、北村充子さんか、そのお嬢さんなどが来てうたっていると考えました。北村さんとは、杉本正子さんに命令され、1985年に私にひどいことをした、在日の出自を持つ、賢すぎる(それは、すれすれのレベルで、ずるいと言事と同義だ)女性として、北久里浜+堀之内近辺では、有名な人です。高卒なのだけれど、名だたる音大出身の指導者を抑えて、合唱コンクールに根岸小学校PTAコーラスを入賞させるほどの、腕前になりました。そのしたたかな、彼女がモーツアルトのフィガロの結婚からケルビーノのアリアを、歌っていると判断をしたものです。で、私は、40年前のいじめを恨みに思っている人でもないから、彼女に引き続いて、30分程度、持ち歌を歌い続けました。一分30秒程度で終わります。というのも私はモチーフ(動機)部分しか覚えない人だからです。
朝ドラブギウギで、主人公が、母に歌ってあげる【こいーはやさしー、のべーの、はあなよー】も100%歌えます。これはね。浅草オペラの曲で、父が、戦前夫婦で、朝倉オペラを見に行っていて、戦後も、家で、歌っていたので、覚えているのです。というわけで、楽し気に30分も歌ったら可奈子さんは、私の人柄が判ったのでした。それでね。2016年のクラス会で、全員に向けて手作りのカードを作ってきてくれたのです。ものすごく凝ったものでした。彼女は、それの制作が間に合わなくて、前夜も徹夜したと言っていました。私はこれを無言の謝罪、もしくは慰謝だったと受け止めています。全員に向けて作ってきてくれたのですよ。しかも、くじ引きで当たるので、私目当てのものがどれだったかは誰にもわかりません。だけど、私は、彼女の無言の謝罪を受け止めて、・・・・・お受験塾というのは、ある種の問題があるが、彼女は幼児を扱う人として、デヴィルでも、モンスターでもなかった。悪いのは、井上ひさしでしょう・・・・・と、思って、今では、許しています。もちろん、2014年は、既に井上ひさしは、死んでいます。だから、誰か別の人を介してですが、本質的には、彼直属の家来として、機能をしたのでした。
さて、この日、真正面の席で、にやにや笑いながら、私が苦境をどう乗り切るかを注目している人が居ました。金子美都子聖心女子大(名誉?)教授です。彼女がなぜ、こんなレベルで、私を笑いものに、しているの?と不思議でした。が、やがて謎が解けました。彼女が自著を献呈してくれたのですが、それが、春秋社刊だったからです。ここから、スタップ細胞疑惑にまで、発展する、CIAの、巣窟だったと、春秋社を、今の私は見ています。楽譜と仏教書の出版社であり、アメリカとは、まったく無関係に見えますが、神田龍一、二代目社長のウィキペディアが立っていないので、なるほどと、思います。
さて、主人が返ってこないので、そのすきを狙って、もう少し、パソコンのそばにいます。
春秋社は、1965年ICU科学科実験室=旧中島飛行機の実験室で、80時間以上一緒だった、三輪喜久代さんを1966年の四月に雇っています。おかしい就職先です。でも、そこからも、春秋社が、すでに、CIAの巣窟だったと、推察されるのです。だからこそ、神田龍一社長には、特権が与えられていて、物書きを上昇させることができるので、名物社長と言われていたのでしょう。
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フロアーには、もう二人、この件で、謀略に加担していた人物が居るのですが、そちらは、ちょっと抜かして、宇都宮和代さんに戻ります。彼女は、お茶大の西洋史学科を、1965年に卒業し立正佼成会が、運営する学苑の先生となります。一方銀座の大物画廊・ガレリアグラフィカのオーナー、栗田玲子さんは、教育大学の西洋史学科を、1964年に卒業をしています。この二つの大学は、1960年代には、メトロ・丸ノ内線茗荷谷駅を最寄りとする、ご近所様だったのです。栗田玲子さんの著書を見ると、大学在学中には、二人は関係がなさそうです。しかし、イタリア大使館の名刺交換会等を通じて、二人は卒業後は、知遇を得てとても仲よしのはずです。栗田玲子さんは、伊藤玄二郎からの頼みを聞いて、対私へのいじめとして、数々のことを既にやってきているので、これもその一つとして、引き受けた可能性があり、宇都宮和代さんがあれほど、平気で、私をいじめたのが、理解できます。
ただ、宇都宮さんは、二次会では暗かったです。それは、別のお友達から、「しろちゃんって、きっとわかっているわよ」と、教えられていたからでしょう。さて、二次会後、夜の六時ころ東京タワー下を離れて、鎌倉へ帰りました。で、家に帰着したのが、夜9時です。で、すぐ宇都宮さんに電話をかけて、「あなた、栗田玲子さんを知っている?」と聞くと、彼女は電話口で、大声で、「知らなーい」と怒鳴ったのです。余裕が全くない感じで。彼女はメールか何かで、既に夜の6時ごろには、「しろちゃん、今日の事、ちゃんと気が付いているわよ。気が付いているから、何も、質問をしてこないのよ。怖いわよ。気を付けた方がいい。彼女って、ブログに何かを書く可能性があるからね」と注意を受けていて、その通りになった【=図星の質問が私の口から出て来た】ので、パニックに陥ったのでした。私は、その怒鳴り声を聞いて、「あ、そうお」と言って、次に、「じゃあね」と言って、電話を切りました。というのも彼女が何で、こういういじめを、容易に受け入れたかの理由が判っていたからです。1558年4月、私と彼女は同時にバレー部に入ったのです。
すると、先輩が愛称をつけてくれたのです。私がしろちゃんで、彼女が、くろちゃん。顔だけを言うと、彼女は私の100倍は美形です。F1ドライバーアレジと、結婚をしたゴクミみたいな美女です。だから、先輩たちは安心して、二人の対比を取り上げたのです。しかし、その56年後、和代さんが、こういう謀略の主役を担って、私に大いなる辱めを与えたのを見ると、『どうも、一種の復讐の感じがするなあ!』となって来て、「それじゃあ、和代さんに関しても、あまり、取り上げてはいけないわね。彼女は大昔、私に傷ついていたのだ」となってくるのでした
これは、キリストの言う一種の原罪というべきものです。こういう分析をすでに果たしているからこそ、・・・・・西隣に引っ越してきた白井達雄さんが、その存在だけで、他の家庭を壊したのだ。これは、彼の一種の原罪と言えるものだ。それなのに、白井達雄夫人と、相手側の、逃げられた夫が、仲良しなのは、なんということだろう! なんて、ものを考えないのだろう! なんて、真実の追及を避けるのだろう!・・・・・と、私が、いっています。この二人がタッグマッチを組んで、ひどいことをやって来るから、こういっています。
さて、これで、関係者の内、四人をすでにまな板にあげました。残るは二人です。二人には、秘めたる上下関係があり、きっこさんが、庸子さんを、誘ったのだと、和代さんが、出席者全員に対して、説明してくれました。きっこさんは、お茶大付属高校全体の、同窓会長をしており、そのサブ組織であるOPCの、幹事長もしていた時期があるでしょう。クラス会きっての大モノであります。冨山房インターナショナルの社長でもあり、神保町にある高級なカフェ【Folio】のオーナーでもあります。で、神保町の人脈上、高野悦子・岩波ホール支配人とは、知り合いである筈です。その高野悦子さんは、伊藤玄二郎との共著【びょんぶ】により、伊藤玄二郎にポルトガル国のエンリケ航海王子勲章をもたらしています。
で、きっこさんが庸子さんを誘ったのだと、宇都宮さんが説明をしたとたんに、きっこさんが、この件全体の、本当のリーダーだと、感じました。というのも庸子さんは、高校在学中(私は彼女から直接に聞いているが)、貧乏だったので、奨学金をもらっていました。そのことが劣等感につながったのでしょう。私はいわゆるターゲットとなってしまって、したたかに、したたかにいじめられていました。その様子は、JTBのツァーコンダクターが、眉を顰めるほどでした。彼女が貧乏である理由は、お父さんとお母さんが仲が悪くて、お父さんが、お金を家に入れてくれないそうです。で、彼女は、慶応女子高程ではないだろうが、お金持ちの娘が多かった、高校在学中は、つらいと思っていた筈で、、だから、卒業以来、一回も、クラス会には、出席していませんでした。しかも卒業後大人になってからも、私をいじめていました。で、私としては、彼女が居ないのは、何時も喜んでいました。彼女からのいじめは、ほとんどブログには書いて居ません。あまり、政治的ではないからです。お父さんも性格も悪いだろうが、お母さんの性格も悪いだろうと、推察していて、何の魅力も感じて居ませんでした。和代さんは、美形だし、こういう特別なケース以外では、いじめっ子でもないです。だから、魅力がありますが、庸子さんには、何の魅力も感じて居ませんでした。52年間も逢わないでいて、平和だったのに、きっこさんが、招いたんですって、そりゃあ、嫌がらせだから、この企て、全部が、きっこさんが、主役ですねと判断をしました。
さて、ここで最大の難問に出くわします。きっこさんが誰から命令を受けていたかが問題です。それが、伊藤玄二郎だったら気が楽です。高野悦子さんを通じて、伊藤玄二郎が、きっこさんと逢って、あれこれ、詳細に説明をしたのだと、すれば、納得しやすいです。
しかし、もし、旧姓西大寺さんからだったら?と、ふと、思いついてしまい、それが、大いなる悩みの種でした。旧姓西大寺さんとは、頭が良すぎる人だから、同窓会長など、引き受けません。ただし、1942年生まれの私たちにとって、五年先輩の、大いなる存在なのです。しかも、きっこさんと、旧姓西大寺さんは、OPC内の、短歌の会で、一か月、に一度は、同席して、短歌を披露しあう間柄でしょう。
私は今では、旧姓西大寺さんとも会っていないし、きっこさんとも会っていません。しかし、旧姓西大寺さんと、きっこさんは、一か月に一度、しかも、2005年に旧姓西大寺さんと、私が分かれてから、二人は、200回ぐらい、一緒に、時間を過ごしているのです。疑惑は黒雲の様に膨れ上がりました。尊敬していて、人生最大のメンターと思っている、旧姓西大寺さんが、裏切るも裏切って、
こんな引っ掛けを、きっこさんに命令しましたか? と、考えるとつらいのでした。しかし、こんな疑惑をきっこさんへも旧姓西大寺さんへも問い合わせることはできません。
それが、2014年以来、10年間も続いている、私の心の中の黒い霧です。
さて、きっこさんと、私の関係は、十文字美信夫人と、私との関係に似ているのです。したがって、上に書いたエピソードをここで、披露をさせていただくわけです。
副題4、『私は、あまりに、攻撃が多いので委縮気味の最近です。しかし、15年ぐらい前は、全く違っていました。私が、悔しいのは、自分の魅力で得た新しい友人がすべて、伊藤玄二郎の差し金で、奪われていく事です。十文字美信夫人も奪われ、坂本きっこさんも奪われていきました』
2014年の、豆腐や、うかいでの、だまし討ちは、ひどいなあと思うし、それがもし、旧姓西大寺さんの指導だったら、落ちた偶像というか、なんというか、言うに言われない衝撃です。で、も、そこまで、分析することによって、残念ながら、彼女に対する敬愛の情が薄れ、だんだん、あのだまし討ちにも慣れてくるのでした』
さて、リンク先を見つけるのが厄介ですが、まあ、後で、なんとか見つけるとして、
最近、今まで、45%程度の真実で抑えてきたことを、深くえぐって65~70%の真実まで開示して書いている私が、これは、本当につらかったというのが安倍晋三氏の暗殺の本当の目的を書くことでした。
あれはね。私にとって、とても大切なメンター、旧姓西大寺さんが、井上ひさしの差し金によって、私から去って行った、事を「思い出せよ。お前。味方いねえじゃあねえか。今は」と、言いたい鎌倉エージェントの、謀略だったのです。保美死刑囚の平成の八墓村事件、山田浩二のあたかもロリコン犯罪再現と見える中一生徒ふたり殺し事件と、その時まで遠くに住む、私が直接には、知らない人を使って来た殺人事件による脅かしが、とうとう、自分の知っている人を使ってくるほどとなったと言う、意味で、本当に衝撃的でした。
ところで、旧姓西大寺さんは、りけじょだったし、霞が関の偉い人だったので、お化粧をしません。私もしないのですが、最近、同い年で、真っ白な肌の富豪夫人から、連絡がひんぱんに来ているので、手入れと、お金をかける違いで、かくも違うものかと驚嘆をしているのですが、・・・・・
私とその富豪夫人との違いは、旧姓西大寺さんと、坂本きっこ(喜杏と書いてきっこと、読ませる)さんとの違いに似ています。
さかもときっこさんは、旧姓がかねやすではありません。井上です。だが、かねやすと、言う称号を持つ江戸時代からの老舗のお嬢さんです。川柳に、「本郷も・・かねやす・・までは、江戸の内」というのがあって、今も本郷三丁目の西南の角に、かねやすビルというのがあります。だけど、昔と比較すると敷地が狭くなっていると感じます。遺産相続で、分割があったのかなあ? それと、洋品店とあります。心配です。ここで、洋品店ですって! 大丈夫?
だけど、むろん、きっこさんは、既にお嫁入りしていて、実家の管理とか、経営に携わっているわけではなくて、実家より、ずっと、規模が大きい、冨山房ビルに、仕事場を持って居る社長夫人であり、ご自分もご主人の出版社よりも柔らかいものを出版する会社の社長です。学習院卒なので、皇室の信頼も厚いレディです。
独断と偏見で、誰が、同期の中で一番美しいかと、言う判断を、美形好きな川崎さんとして、開示させていただくと、昭和36年卒の中で、一番の美人は、前報で、ひどいことをしてきて、「どうしたの? 和代さん」と、言っている、宇都宮和代さんです。後藤久美子に似ていると前報で書いています。本当よ。
だが、立ち居振る舞いの毅然としているところ、そして、自分が主役であると言う場面で、たじろがない落ち着きの有るという点で、その和代さんも、きっこさんには負けるでしょう。ただ、和服姿が美しいとか、洋服の好みが、色彩的に美しいとか、女性には、十人十色の特色がありますから、一概には言えないけれど、黒田清子さんの結婚式での、色留めそでの、ぴたっとした感じは、お茶大付属高校・同窓会・会長職にぴったりです。
晴れやかな場面で、主役を担う事に、気後れをしない姿を見せるきっこさんですが、打ち解けた世界では、地味でダサい、五歳年上の・・旧姓西大寺・・さんをたてると思います。教養の深さ、頭脳の優秀さ等で、かなわないと、みんなが思う人です。しかし、彼女が井上ひさしと縁を結んだらしいと、推察している私は、安倍晋三氏暗殺事件が起きたとたんに、旧姓西大寺さんとの、心理的紐帯を一気に捨てたのです。30年前の、1990年代には、本当に仲よくしていただいて、ありがたい先輩でした。だが、神のみ前の人間としては、旧姓・西大寺さんと、私は同じ海抜の地点に立っていると考えており、その呪縛から、いろいろな意味で開放をされているところです。
しかし、井上ひさしと、伊藤玄二郎が組みになっている鎌倉エージェントと私が呼ぶふたり組ミが、動かなかったら、*************
私と西大寺さんとの間は、切れていないし、
坂本きっこさんが、恥をかかせる謀略の主役を果たすわけもないし、
十文字美信夫人が、ひやひやしながら、私の脇をあいさつなしで、追い抜いていくはずはないのです。そして、2011年から、鎌倉での大コンクールの首席審査員を務めている十文字美信氏が、急に、この11月に、鎌倉駅の地下道で、自分の受賞歴を、300行にわたって開示すると、言う事もなかったでしょう。
だけど、審査委員長の、受賞歴を含む活動歴を、300行もの長さで、写真コンクールの作品発表と同時に、展示するなんて、
もし、私が、松竹定款によって、歌舞伎座に入れなくなったと、言う弱みを、持つ、状況に陥らなかったら、決して、出現しなかった、事態だと思っています。ほんのちょっとした勝利感でさえ、すぐ利用する彼らの攻撃意欲の強さには、げんなりですが、
私が、なぜ、こんなにいじめられるかというと、ウランを輸入してはだめだとか、それを反対できない日本は、被・植民地国家だと、言っているからですよ。************
だから、私は、一億二千万人の人のために動いているのです。だから、大きな誇りを持って居ます。だけど、リアルな現実として、十文字美信氏は、名声を誇っていて、このコンクールに関係する、鎌倉の企業経営者などに、上位の人、審査委員長として、冠の地位を誇っているわけです。
私の事なんか、その10人ぐらいの、お金持ちは、誰も知らないと思いますよ。だけど、それだ気、自由を確保しているという事でもありますがね。
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副題5,『十文字美信氏の奥様との始まり、また、坂本きっこさんとの、64歳にしての始まりを、書いて置きたい。今は消えてしまっているが、とても、なつかしいものだから』
ここから先は、将来書きます。本日は、これで、終止とさせてくださいませ。
後註1,
新型コロナウィルスで、もうけたのは、アメリカであった。地上戦用兵器=軍需産業と、どちらのもうけが大きいのだ? 2023-11-13 21:19:41 | 政治
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