そのピアニストの演奏は非常に美しかったです。そして、最近は、夜、すぐ眠くなる私ですが、もう、11時半なのに、眠くありません。大きなエネルギーを与えられて帰ってきたのです。
ただ、すみません。その人の名前を言いません。というのも私がファンとして、その人をほめたり押したりすと、マスメディア的に、その人が、抑圧されるからです。例えば貴景勝、中村梅枝、他。だから、お名前を挙げません。ただ、最近は、ずっと、新進ピアニストに惹かれています。
曲目を選んで、聴きに行っているのですが、その名前で日本音楽コンクール歴代受章者を探ると、一位から、三位までの間に入っている人が、多いのですよ。
美術のフィールドでも、新進作家を見るのが好きだったのが、クラシック演奏家にも、通じています。すでに、有名になっている人はメディアの、追い風があるので意外と、聴いていて、感動を与えられません。自分の耳は、信頼しています。マスメディアよりも、自分の耳を信頼しています。
ただ、清水和音には、びっくり。大・御大・清水和音は、追いかけたい。体が太ってしまったのさえ、知らなかったほど、久しぶりの、出会いでした。何十年ぶりに、NHKクラシック倶楽部で、接して、本当にびっくりです。音が美しい。ここまで有名だと、抑圧されることもないでしょうし。追いかけたいと思っています。ただ、夜は、出かけられないです。
鎌倉エージェントの、伊藤玄二郎も、(いまだ実際には、生きている)井上ひさしも、歌舞伎には詳しそうですが、クラシック音楽には、詳しくないみたいですから、非常に耳を澄ませて、落ち着いて聞いています。
子供のころはラジオで、器楽曲を聴いていると、情景が浮かぶのでした。ヨーロッパの、お屋敷お庭と東屋などが。今は、そこまで、集中できません。というか、そこまで、心が純粋ではないと、言う事かなあ。透明ではないと言う事かなあ。
子供の頃ではなくて、大人になってからの話ですが、というのは、特に、2000年から、始まって、2011年とか2012年までの事でしたが、ブログを優先にして遊びになど、絶対に、行かなかったのです。が、苦労をして、真実を、書いても、そうです、書いても、書いても、彼ら、CIAエージェントが反省をしてくれないので、あまり、まじめに、そこに集中しても無駄だと、思い始めて、息抜きが必要だと思い始めています。遊びや、娯楽も必要だと思い始めています。
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ところで、今日の演奏会の会場は大手町でした。東京駅から、地上をたどって、大手町に行ったら、毎日新聞本社(竹橋)の特徴ある丸い部分が見えないのです。えっ、毎日新聞社は、あの排気ガスで、汚れてしまった本社ビルを壊したのですか?、と、ひどく驚きました。
九段は株主総会への出席で、毎年、行っていた筈ですが、子供に生前贈与したので、その町で、開かれていた、株主総会に行かなくなったのです。それより前は、お茶大付属高校の、同窓会の、下部組織である、OPC(一種のクラブです。いろいろな学習と、遊びを一緒にする会です)の、会合が、神田の学士会館で、あったので、大手町から、歩いて一橋まで行ったりしたこともあるのですよ。でも、神保町駅が出来たので、それを利用すればよかったのですが、反対に、私がそこを辞めていますので・・・・・神保町駅を、学士会館に行くために利用をしたことはありません。
でも、ありとあらゆることを捨てて、ひとえにそこに集中して勉強したから、本を、工業生産的に、自分で、作ることができる様になったのです。もちろん、印刷会社が持って居る機会を頼むわけだし、印刷会社は、下請けとしている、別の会社のことも、偶然を利用して、いろいろ、知識を得ました。なんと、折屋という会社もあるのですよ。本を、大型の紙に、裏表、32頁分印刷すると、それを折って、カラ、背表紙のところで、のり付けするか、ミシンみたいな糸が、見える形でとじていくのですがとじる前に、大判の紙を、4かい折る会社もあるのでした。
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そのことがなかなか書けないのですが、冨山房インターナショナルの社長である坂本きっこさんが、私が、自分で、制作した一作目を持っていったら・・・・・あってはくれなかったのですよ。・・・・・だから、その時にすでに、彼女は、伊藤玄二郎にリクルートをされていた可能性はあるのです。・・・・・だけどね、お手紙を、くださったのか? 地下一階の高級喫茶店、Folioのスタッフを通じての話だったか? 今は、あまりにその後の攻撃が大きくて、数が多いので、きっこさんとの、交流のつまびらかな部分を忘れてしまっているのですが、一万円のお祝い金を、下さってそして、Folioに、10冊程度おいて下さって、
そして、何よりもうれしかったのは、「しろちゃんは、実力があるからね」というお手紙をくださったことです。同じクラスになったことがないのです。だけど、OPCで、旧姓西大寺さん他から、いろいろ、聴いていて・・・・・その上で、・・・・・しろちゃんは、実力があるからね‥・・・という言葉をくださったと思う。うれしかったです。
私は、高一の時に、AFSを、応募用紙を、黙っていて、渡さないと、言う担任の先生の、いじめに出あって、その時、応募用紙をもらったらしい、ポコちゃんが居るバレー部もやめたし、勉強も東大を受験するとか、医学部を受験すると言う形では、やめてしまったのです。
まあ、そこでの、優れた先輩である、旧姓西大寺さんと、別れているので、OPCについて、思い切ったことを言いますが、OPCは、仕事をしている女性が入る‥・・・という表向きの、ルールがあったのですが、暗黙のルールとして、戦争未亡人を助ける会という始まりの、有る組織でした。女性でありながら、一家の家計他全部を、一人で、支えている、そういう女性たちがお互いに、助け合うという組織でした。
だから、坂本きっこさんが入ったと、聴いた時は、ちょっと違うのだがなあと思ったものです。だって、きっこさんて、何もかも、持って居る、それこそ、実力者中の実力者であり、きっこさんが、入ることによって、私が、「海外修行の時代が、終わって、時間ができたので、再びOPCに入れてください」と、言っても、「だめですよ」という感じになるのだろうと、思っていました。きっこさんって、すごくきれいな方ですが、その美貌の種類って、
きりっとしすぎていて、===毅然とし過ぎていて、冷たいと、言う感じもあるのです。だから、そういう風に感じていました。一方の私は、政治的、弾圧の嵐が吹き荒れなかったら、いまだに、しろちゃんと、呼ばれる、かわいいタイプの人なのです。下手に出る人なのです。今のブログをお読みになっている人には、信じられないでしょうが、根はそういう人なのです。母がね。だから、私には、「社交ダンスはだめよ。」と言っていました。自分と妹は、ホテルの、発表会にしょっちゅう参加しているのにです。社交ダンスをすると、男の人から、何らかのアタックがあって、母はそれを心配していたのでした。それこそ、事件を起こす人になりかねないと、心配をしていたのでしょう。芸能人や、芸術家に、クライアントを大勢持って居る、日笠さんが「あなたは、芸術家でよかった。これがもし、専業主婦だけをやっていたら、事件を起こす人になっていましたよ」と、警告して、くれた様に、金星帯というフェロモンやお色気をつかさどる、手相のラインが、両手に二本ずつ、四本もある人だから、もし、顔が美貌だったら、水も滴る、いい女という事になるのでした。
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話は、横にそれますが、今関一馬先生が、故郷の、市原市で、大個展をなさったのです。国画会の関係者としては、私一人が招かれていて、他は、先生が旧制、一高時代に同級生だった方とか、旧制帝大時代に、同級生だった方だけの招待客でした。女性の出席者は、先生の奥様と私だけでした。なぜ、私が招かれていたかというと、
銀座一丁目で、今関先生とある、三十代と思しき青年がトラブルになったことがあるのです。肩がぶつかったか、体がぶつかったかで、今関先生が「君、失礼じゃあないか」と言ったら、相手が、すみませんと言わないで、「やる気か!」という対応を見せて。喧嘩腰になったのです。で、私が二人の間に入って、「あのね。この方は、とても偉い先生なのです。美術の方でね。だから、あなたの方が弾いて下さらない?」と言ったら青年は、素直に、京橋の方へ歩いて行ってくれました。これは、ね。今関先生が、全身、イギリススタイル(シャーロックホームズ風)に固めていらっしゃったので、青年は、サラリーマンとしての身分とか、階層を、測り兼ねたのでしょう。彼にしてみれば、部長級、重役級の男なら、こういう種類のネクタイで、こういう種類の生地のコートを着て居るものだと、言う先入観があったのだと思います。
今関先生の方は、ベージュ色のグレンチェックで、お帽子から、コート、中のジャケットとおズボン、全部おそろいの生地であつらえたもので、日本では、手に入らないものです。イギリスで、買ってこられたものでしょう。だから、今関先生としては大得意だったというか粋がっておられたのです。それが通じなかったのでした。唯ね。私がそばにいて、特に、人間関係に自信を持って居た時期です。ニューヨークへ行く以前には、他人をあしらうと言う事が全くできなくて、主人にだから、お前は疲れるのだ。適当にあしらっておけばいいのだよ」と、言われていたのでした。ところが1999年の修行中にも25歳の日本人女子大学院生にいじめられて、仕事ができないので、珍しく面と向かって喧嘩をしています。言葉を使ってだけですが、圧倒的に勝ちました。理由はね。人間の中には、自分が見えていない、たぐいの人間が居ると言う事です。私は成熟した人間なので、相手のことは、100%、裏も表もわかっています。そして、二人の間にある、本当の事情もすべてわかっています。で、それを説明するだけで、完勝するのです。2000年の修行中にも40台の日本人女性アーチストに、意地悪をされて、仕事ができないので、言葉だけで、戦って勝ちました。発言は、「私はひと月500ドル払っています。この工房は、今、そのお金で、やっと維持されているのですよ。あなたは、一銭も払っていませんね」と言っただけで、私の目の前から姿を消しました。で、『お前はやって来るのか? こっちだって覚悟はあるぜ」と、すごむ若者に対しても、全く恐れず、ただ、穏やかに、この方は、とても偉い方だから、あなたの方が引いてね」というだけで、青年が、引いてくれたので、『あ、そうか、渡辺豊重さんが、いつも女性を連れて歩いていたのは、以前から、それが判っていたが、身を守る為だったのですね』と、確信をしました。ただ、豊重さんは、今関先生みたいに、高飛車じゃあないです。だから、ひととぶつかって、『お前失礼じゃあないか、謝れ」などとは言わないでしょうし、連れて歩いている女性が、うまくトラブルを解消できるタイプとも思えませんが‥・・・その豊重さんが、今年亡くなったそうで、酒井忠康先生が、珍しく、鶴岡八幡宮のぼんぼりに絵をかいておられました。それが、豊重さんの似顔絵だったのです。でね。豊重さんが、以前は、仲良しだったのに、急にいじめてきたのは酒井先生から、讒言を聞いたのだろうなあと、理解した次第です。
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今関先生の大個展へ戻ります。先生が、国展に絵を出している人間の中で、私一人を選んで、他に誰もお招きにならなかったのには、他に二つ理由があったでしょう。ひとつは、島田章三先生が、大っ嫌いで、反島田の勢力を拡大したいと思っていらしたのです。島田章三先生は、ほの暗い陰険なところがあり、芸大出身の人が、有利になる様に、いろいろ、手配をなさっておられたのです。それが島田先生の権利とか権威とか特権に結び付くことをよく知っていらしたのね。だけど、教育者としても、画家としても全く尊敬が出来ないタイプでした。でね。島田先生にかわいがられて愛知県の美大(愛知芸大ではない)の教授にしてもらったWという人物も、非常に若い時から、国画会の会員にしてもらっていたのでした。ところが、その男が、才能が枯渇したのですね。国画会というのも、陶芸の富本憲吉を始め女性美の森本草介とか、偉い人がいっぱいいるので、レベルの低い作品は出せないわけです。会員なら特にね。でね。その男はイタリアの某という画家の作品を、そっくり剽窃していたのですね。それがばれて、新聞沙汰にもなりました。私が既に、国展に作品を出さないでいた、2002年以降の話でしたが。国画会では、島田先生に媚びる画家から散々ひどい目にあわされているので、島田正三さんについては、先生とは、呼びたくないほどです。
今関先生は、島田章三先生が、奥様・鮎子さんのテーマの一種の剽窃(鮎子さんより、こってりと絵の具を厚塗りするが)、であるなんてことを、怒っていらっしゃったので、2000年か、1999年にマチスの踊る女と、全く同じ絵を描いて、国展に、出品なさっておられました。三段がけの一番上というところに飾ってあったけれど、旧制、一高出身で頭がいいから、そういう形で、国画会全員に、「お前たち、今のままで、いいのか?」という問題提起をなさったのです。だけど、私みたいな人間からすると、それはそれとして、審査の会場で、たぶん欠席であった今関先生に電話を掛けるなどして、それを出品させない方がよかったと思いますけれど。
まあ、その結果としてですが、島田先生はびくともしなかった筈です。私は、その年を最後に出さなくなったので、それ以降を知りませんが。
だから、今関先生の意向を継いだ誰かが、あの名古屋芸大教授Wの、イタリア画家の絵本体の、剽窃を、マスコミに漏らしたのだと思います。それは、国画会全体にマイナスをもたらす内部告発だったけれど、それをせざるを得なかった、内部の腐敗=島田章三さんの陰険な支配力=は、ひどかったのです。
ところで、公募団体展の事情に詳しくない方のために概略で、日本史で例えて、言うと信長が今関先生で、家康が、島田先生だったでしょう。
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実は午前二時にいったん止めたのです。今は、午前六時なのですが、非常に明晰に、今関一馬 VS 島田章三という図式が、頭に上ってきたので、主人が『お前は、健康を害するし、自分の外出の予定が狂う』とお怒っていますが、自室で、更に加筆をして行きます。
二人はね。家庭での姿が違いました。親の代も違います。似ているところもあるが、違うところもあります。今関先生は、父親が画家で、春陽会の創設者でした。だから、個展は、東京だったら、日動画廊でした。大切な画家として、日動が扱っている作家です。今関先生の父親が,もし、美校(のちの芸大)卒だったら、今関先生は、二代目という目で見られることを嫌っていらっしゃったので、それで、才能があっても芸大に進まず、一高へ進まれたのでしょう。ただし、年齢的に戦争が、かぶさってくるので、本郷には進まれなかったかもしれません。でも、市原の個展での友人たちは、紳士中の紳士でした。エリートでしたよ。私は今関先生を過剰にほめそやすつもりはないのですよ。だけど、島田省三さんの方は、非常に嫌なところをもっている人で、妹の大沼嘉津江さんの話(一年間、PTA広報委員で一緒だったのでたくさんのエピソードを聞いている。妹さんは、それをすべて素晴らしくて、よいことだと、話すのだけれど、私は、なんて、計算高い嫌な人だろうと内心で、軽蔑しながら聞いていた。妹さんのことも兄(次兄にあたる)のことも内心で、軽蔑しながら聞いていた。妹さんはご近所様からバカだ、バカだと陰口を利かれていたが、兄をあんなにほめると、そりゃあ当たっているでしょうね。。だって、章三さんって、莫大な公金を横須賀市から、流入してもらっている人で、それをご近所住民は怒っているのです。『版画一枚が、七千万円ですって。それあり?」って、市役所の大津支所にかかっているリトグラフを見て、怒っているのです。だって、ミレーの落穂ひろいなんて言う、わかりやすい絵柄だったら人々も納得をするでしょうが、色がベージュっぽい抽象画のリトグラフ(紙)ですから、一般人は、それが、7000万円もする何って、絶対に納得をしないです。
ここで、島田章三さんの両親に触れないといけなくなりました。お父さんは高等工芸(現在の千葉大)を出た船舶のインテリアデザイナーでした。しかし、最晩年は、横須賀市議会議長ですって。一方、母親は歌人です。短歌を作るのも芸術の仕事なので、何時も上の空という事になります長子は、初めての子供だし、昔か羅、長子村長の気風が日本社会に在りますので大切に育てたでしょう。それで、東大卒で歌人になっているそうです。
でもね、次子(章三さん)と、三子(嘉津江さん)は、ネグレクト気味で育てたのではないかなあ。嘉津江さんがバカだと言われてしまうのは、明瞭な事項があるからです。まあ、それを言うのは年上の人間として慎みましょう。だけど、嘉津江さんはPTA三役などを引き受けてはいけないのです。ご自分で断らないと。だって、それは、女の勝ち組の証左だから、当然に、嫉妬の対象だし、批判の対象だからです。
正三さんが、ああいう風に陰険なのは、小さい時から兄より不幸だと思っていて、差別の中で、生きるために必死で身に着けたものではないかなあ?
ここで、七時になったので今度こそ、やめますね。もっと、島田さんに関する具体的なエピソードを書かないといけないけれど、それは、将来にまわしましょう。
今関先生の嫌なポイントとは、一高で友達だったある紳士が、私が今関先生へのプレゼントとして【琵琶湖周航歌】を歌詞付きで三番までうたったことに興味を抱いて、何度もアトリエに電話をくれたそうだ。私は鎌倉へ帰っていたので、その電話には、一切気が付いていない。留守電にもしていなかったので。その固定電話は、私が女友達へ、いろいろ、おしゃべりをしたくて、使っていたので、受け取る方は、ほとんどなかったからだ。
で、その紳士は、いぶかしく思ったし、私がわざと拒否していると考えて、気を悪くしたのかなあ。今関先生に、「どうして、連絡が付かないのだろう?」と、ついに、お電話をかけられたそうだ。何とも、言い得ない、話だが、今関先生から、先生の派閥の誰かさんを通して、私はなぜ、応答をしないのかと、連絡がきた。非常に嫌な話だった。今関先生は、私が、話術の天才で、小さなパーティ(横浜の中華料理店で行われる、今関先生一派の集会)では、圧倒的に人気者であることはご存じだった。だが、先生のお友達が、アトリエに何度もお電話をくださるのは、ちょっと、困る話だった。アトリエで、独居しているのは、海外に自由にいくためだったので、圧倒的に、そういう話題は、困るのだった。ある日別の男性(マンションのオーナー)がやって来て、『私は奥さんみたいな人とは経験したことがないので、寝たい」と言った。驚いて、引き取ってもらったし、息子さんに電話をかけて、委細を話して置いた。お父さんは、息子さんに、こっぴどく叱られたと思う。だけど、今関先生のお友達の件は、非常に嫌な感じだった。もうほとんどの関係者が亡くなていると思うので、書いておくが元日経新聞記者との話だった。お互いに連絡が付かないままで、終わったら、私のお歌が魅力があった。めでたし、めでたしで、終わる話だけれど、今関先生までもが、どうして対応しないのだろうとおっしゃっていたとなると話は、違ってくる。今関先生が、私をまな板に乗せて差し出したと言う事となる。、是って徹底的に、女性蔑視のセクハラだ。
でも、私は後で、市原まで、お招きを受けたのは、当然、先生の絵を一枚買うと、推察されていたのに、私は買わないし(ただし、金一封は包んでいった)、お歌を歌ってお客様たちにやんやの喝さいを受けただけでも、十分なご奉仕だったと、考えて居るので、『絵を買わなかったから、ああいう復讐をなさったのか?」と思う。今関先生も、私のことをちゃんと理解しておられたわけではなさそうだ。それが、今関先生の、国画会改革運動が実らなった、由縁の一つだろうと思う。
でもね。それは、非常にみずみずしい感性を持って居て、誰とでも仲良くできる、柔軟な精神があると言う事です。だから、2005年ごろには、私には、もし、時間があったら、個展の案内状を、5000人の人に出すことができますと言ったりしていたのです。ところが、旅行中に、住所録が盗まれています。伊東屋の、布装の大判のノート(B5 版)に記したこう有力を盗まれています。これは、白内障手術のために、武蔵小杉の、ホテルに主人と一緒に泊まっていたことで、盗まれてしまったのです。それ以前にも何度もの二人一緒の、旅行などで、家を無人にすることがあっても、盗まれなかったし、隠してあるから大丈夫と思って居たらダメでした。そういうわけで、その住所録にある人間に片っ端から、アタックをして、私との仲を引き裂いて行ったのです。
その前に、生活形態も、性格もひどく違う、正反対であろう、きっこさんを、OPCに入れて、わが精神の揺籃ともいうべきOPCに再加入が出来ない様にしたのも、連中の高度にも高度な、一種の弾圧だったのです。
でね、私は、自分の最初の本を冨山房インターナショナルに持って行ったときに、きっこさんが、優しい対応をしてくれるとは、夢にも思っていませんでした。二階だったかな、オフィスにもっていったら、地下一階のFolioで、待っている様に言われて、そちらで待って居たら、結局、「忙しくて、会社に帰ってこられません」という口実で、あってもらえませんでした。
でもね。それも想定内だったのです。それほど、私ときっこさんは、いろいろな点で違うのです。で、だから、こそ、親切なお手紙と、お祝い金と、「Folio においてあげましょう」と言われたことが本当にうれしくて、(実名を伏せたか、伏せないかは、忘れましたが)これをブログに書いたのですね。
その結果、2014年の豆腐屋うかいでの、激しいいじめ(辱めを与えようとする動き・・・・・気の毒に思ってくれているお友達もいたはずですが、私の目には、らんらんと目を光らせて、楽しもうとする、友人の目が、特に目立って、入ってきたのでした。そこまで、クラスメートの心を逆転させたのは、宇都宮和代さんの力ではないと、私は、感じ入ったのです。
だってね。きっこさんって、それまで、このクラス会に出席したことがないのですよ。というのも、このクラス会とは別に、中学時代のクラス会というのも別にあって、そちらでは、悠仁様のように、中学まで、お茶大の付属に在学していた、男の子も出席します。そして、幼稚園から在籍していた様な、銀の匙を加えて、生まれてきた様な、お嬢様が、おおく出席するので、
ここから先ですが、それまで一回も出席したことのない坂本きっこさんが、2014年の回だけ、出席していて、しかも、私を50年以上にわたって、いじめまくっていた、坂本庸子さんを伴って出て来ていたと言うだけで、あの日のいじめが、坂本きっこさんがリーダーだったと、信じています。しかし、彼女の後ろに、旧姓西大寺さんが居たかどうかが、大問題だったのです。
それが私の悩みの種だったのです。だけどね。きっこさんが、敬っている旧姓西大寺さんですが、・・・・・今の私は、高く評価しすぎていた、彼女も、普通の人だった・・・・と、考えて居ます。リアリストで、自分の利益が最優先の人です。仕方がないです。みんなそうなのだから。
でもね、CIAエージェントが、坂本きっこさんも、旧姓西大寺さんも裏切る様にさせて‥・・・そして、十文字美信氏の奥様も、私を、裏切る様にさせて、居るのですが、
安倍晋三氏を、奈良県西大寺で、暗殺したことが書き手として、の、私を一皮むかせたのです。
以前、彼らは、自分で、自分の足を食べるタコに似ていると、行っています。後から、おこなっている謀略が、前に行った、謀略の真実を確認させると言う事です。
非常に嫌な話ですが、井上ひさしのアイデア、伊藤玄二郎が表立って各関係者に伝える
それを、さらに、咀嚼して、部下として慕っている後輩に、伝えるのが、大先輩、旧姓、西大寺さんで、その人が、坂本きっこさんを、動かしている‥・・・これが、残念ながら、真実なのです。で、流れと思想が全く同じである、十文字美信、夫妻のケースも書くのが楽になりました。それは、将来、書きましょう。今日は、ここまでで、お許しくださいませ。
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