銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

島田章三・・村上隆・・安井かずみ・加藤和彦・・森瑶子・その執事・・・・金持ちには特権があると言う嫌な考え方

2023-11-30 00:24:08 | 政治

 これは、全く持って、前報

其を書いた為に死ぬ思いをしたが、書き始めたからには完成させよう。今関一馬 vs 島田章三    2023-11-28 12:43:06 | 政治

の、後半につけるべき章です。ただ、前半部分をすでにお読みいただいている方も多いと思って、こちらに新しい章を作ります。この一文二番目の総タイトルが【村上隆inNY と普通の主婦inYokosuka の間に上下関係を作りたくない私である】としておりました。が、三番目の物へ、午前四時に変更をいたします。

副題1,『島田章三の実妹大沼嘉津江さんが、PTA三役を引き受けたのは、ちょっと、まずかったでしょうね。「雉も鳴かずば撃たれまいに」の典型だったと思います』

 私は子供(特に次子)が、年長組で、来年小学校に上がると言う時に、幼稚園のPTA会長を引き受けさせられています。それは、娘を守るためであって、目立ちたかったり、威張りたかったわけではありません。幼稚園の担任が、たった、四歳(年中組の時)に娘をいじめるのです。詳しいことは書きませんが、それが、私にもわかる様な形で、いじめるのです。本当につらくて、視力矯正のために一週間に一回早退させて迎えに行くたびに、50個分のお菓子が入った贈答品を幼稚園に対して持っていきました。当時で5000円程度です。あのね。子供が二人いると、一人を遠くの幼稚園に変更させるなどできないのです。あの時の我慢の苦しさ。

 幸か不幸か娘があんまり、動揺していないみたいなので、それだけは助かりました。一生どこかで、ひどい担任にあたることがあるのです。そして、担任のいじめはたいていは親に対する反感とか嫉妬で、起きます。子供は身代わりです。

 これを経験していない人は、どれほど、「自分は人格が、立派です」なんて言っても、私は信じませんね。こういう・・・・・改善の方法がない苦しみ・・・・・を経た人と、そうではない人の差は激しいです。唯ね。子供が自殺してしまってはおしまいで、私の場合は、二人も非常に小さい時に嫌な担任とか、悪い担任にあたって、それだけは不幸中の幸いでした。

 で、PTAは、もうこりごりだと思っているのに、私はどうしても目立ってしまうらしいのです。今は、背中が曲がって猫背がひどいので、平均以下ですが、30代40代は、背中がまっすぐで、運動をしていなくても、スタイルが良いし、一応美的センスはあるわけで、お洋服の色合わせなどに、一部の隙も無いわけで、今にして思えば、目立っていたのでしょう。で、先生に嫉妬されたり、クラスのお母さんから、平役員ですが、押し付けられたのも無理はないと思います。で、平役員は、担任が、人格的に言って、問題がない人だったら引き受けます。その平役員が、数人で、形成されるグループを作って、そこに分かれて仕事をするわけですが、学校が親向けの新聞を作るので、それを作るグループが一番仕事が多くて、華やかな立場です。広報委員と普通は言います。1979年に、

 そのトップが島田章三さの妹でした。大沼という姓からは、大沼映夫さんの弟さんと結婚されたのではないかと、推察しています。そこまではいいんです。しかし、彼女は、PTA三役という専業主婦である女性にとっては、得難い名誉職に就いたばかりに、裏でバカにされる、事となりました。以前、8050ママのお子様が、引きこもりになった理由として、母親が、お子様の成績が良くないのに、PTA副会長を引き受けたのが最大の原因だったと語っています。

 大沼嘉津江さんの場合は、まだ、お子様が、小学生だったので、高校受験が関係がないので、お子様が、引きこもりになると言う結果は招かなかったのですが、母親である、彼女自身がバカにされるという結果になりました。で、私がそばで、見ていて、「ああ、雉も鳴かずば撃たれまいとは、まさしくこれを指すのだろうと、考えたものです。

 彼女が、バカにされる理由が三つぐらいあって、その一つはお子さんを亡くしている事です。たぶん風邪をこじらせるというたぐいの、事で、母親として、彼女が右往左往してしまって、東京への転院などを手配したので、幼いお子様の命が持たなかったのだと、推察しています。それは、一か月ぐらい前まで、一緒に子供を遊ばせていたほかのママ友にとっては、『バカげたやり方だったわね』という感想を持たれてしまうでしょう。仕方がないです。

 二番目の理由は、それを私が、ここで、言うと私がいじめているみたいに見えるでしょうから、言いません。だけど、他のママ友が、彼女をバカにする由縁は、私は理解をしました。

 さて第三の理由です。それは、この横須賀市立根岸小学校管内に、住む親たちが、そこで、住民票などをとる、横須賀市役所・大津支所の、ロビーの壁に貼ってあったリトグラフが、一枚7000万円であったといううわさに、普通の人が、みんな怒っているわけです。

 今、7000万円という金額で、村上隆のフィギュアが、オークションで落札され、大騒ぎだった、記事を見つけたくて、ググったら、以下の記事が出てきました。で、今から、ちょっとの間、村上隆について述べますが、他の生地の様に、彼を、英雄として、取り上げるつもりはありません。同じアート会にいて、圧倒的に差があるわけですが、私は、人間とは何なのだと言う事を追及している人間であり、高額のお金を、芸術で、儲ける人間が嫌いだと、はっきり言っておきます。

 ただ、横須賀に住む普通の主婦たちが、1979年(=1970年代)に、7000万円という金額をどう考えたかを語りたくて、村上隆を持ち出しただけです。

村上隆氏のフィギュア、約16億円で落札  2008年5月15日  朝日新聞デジタル

 現代美術家の村上隆さんの立体作品「マイ・ロンサム・カウボーイ」が14日夜(日本時間15日)、競売会社サザビーズがニューヨークで開いたオークションで1516万ドル(約16億円、手数料込み)で落札された。村上さんの作品の落札額としては、過去最高額となる。これまでは、今年4月にロンドンで落札された立体作品「パンダ」の272万ドルが、最高額だった。

 この作品は、裸の男性のフィギュアで、高さ254センチ。1998年に制作された。出品者、落札者、ともに公表されていない。落札予想額は、300万~400万ドルだった。

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副題2,『ここで、突然ですが、横須賀市とか島田章三さんとかを、離れてニューヨークの思い出話に行かせてくださいませ。うんちくというやつのひとつですが、語りたいです』

 NHKが、アメリカ、特にニューヨーク発のニュースを報道するときに、必ず使う映像があります。それは、南北に走っているブロードウエイの、特に、二股に、道が分かれている53st(東西に横切る道路)か、54st あたりの、歩行者天国を指しますが、そこに、裸のカウボーイが居るのです。 

 私は1998年には彼に質問をしています。もちろん英語でね。「あなたは寒い時期もこの姿なのですか?」と。すると、「ええ、そうですよ」と答えました。彼は、ギターを肩ひもで、つるしていたので、歌を披露することが、大道芸だったのか、何だったのかは、覚えていませんが、第一の目的は、自分を誇示することだったでしょう。体力があり、肉体が美しいと言う事をね。それで、何か、タレント業、または、テレビ業界に、スカウトされることを狙っているのでしょうか。白いつばの広いカウボーイハットと、股間のもりもりが、見事にわかる、木綿の白いパンツ、白いブーツ、茶色い革で出来て、金属の鋲が打ってある幅広ベルト、飾りのついたギターの釣り紐、というスタイルで、スマホを持って居るわけでも、お財布を持って居るわけでも、路上に、それらを入れているバッグを置いているわけでもありません。

 私は投げ銭をした記憶がないのです。もし投げ銭をするつもりなら、彼が貧乏かどうかを考えて、二ドル紙幣にするか、五ドル紙幣にするかを悩むと思うのですが、箱が置いて居ないので、『この人は、ただ、自分を、見せびらかしたいだけだから、乞食でもないんだし、お金を上げたら失礼ね』と思って、その場を去った記憶があるのです。

 で、村上隆は、あの男性に触発されて作ったな!と思いました。ただ、16億円で誰が買ったのだろうか? あの男ではないでしょう。誰なのだろうか? 不思議です。

 いや、今ぞっとしました。冒頭から、ここまで、全文字が消えたのです。で、明日続きを書くつもりで、いったん引っ込めたのですが、体力的には無理に無理を重ねて、ある程度までは、書いてしまいましょう。

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副題3、『村上隆の成功を喜ぶ人は、林真理子の【奇跡】の主人公、田原博子さんを素晴らしい女性だと思い込む人でしょう。そして、反田恭平を、立派な音楽家だと思い込んでいる人たちでしょう。困ったタイプですね。本当にいいものをわかっていない。ただ、金銭に盲目なだけですよ』

 ところで、近々反田恭平が、NHK2chで、日曜日特集をされるらしいです。予告があった。これも対私いじめの一つでしょう。

 私は、7000万円で、村上隆のフィギュアが、ニューヨークで落札されたという件が大ニュースになった事実が、何年の話だったかを知りたくてググったのです。ところが、それは出てこなくて、16億円という方が出てきました。だけどね。それって、買う人の階級(または、階層)を考えると村上隆って、日本人一億人を裏切っている人物となります。

 リトルボーイ展というのを企画して、多くの人から、批判をされたそうですが、ご本人が判っているのかわかっていないのか、あのとぼけた顔からは、判明できませんが、

 サザビーズや、クリスティーズで、高額のお金を投じる人たちは、軍産共同体というものを経営している、古くからの富裕層である可能性が高いのです。ただ、古くからと言っても、せいぜい200年程度の家柄でしょう。したがって、ヨーロッパの王族や、貴族と結婚をして名家ぶりを誇っているわけで、美術品収集は、その家格を高める一手法です。ただし、村上隆の作品は、投機を目的として、買われている可能性が高いです。あれを飾って悦に入っている貴族階級が居るとは思えない。

 ただ、この章は、島田省三批判の章です。村上隆まで、手を広げると終わらなくなります。で、村上隆批判については、ここで、終わります。

 でね、私の記憶では、7000万円で、アニメ風少女のフィギュアが、売れたという事が大ニュースになったのですが、それの、20倍である、16億円の方が、大ニュースになったという記憶がありません。メディアの記者たちも、それは、さすがに、日本人に喜ばれないと、気が付いてきたわけだと思います。

 賢い人間は、さらに嫌悪感を募らせるだけでしょうし、普通の日本人は、自分の生活とけた外れの金額にただ、きょとんとするだけでしょうから。

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副題4、『さて、ここで、やっと本題に戻ります。大沼嘉津江さんが、彼女の知らないところで、大悪口を言われている対象だった話に戻ります』

 私はね。日大芸術学部卒であり、かつ、芸術家とか、芸能人に大勢のクライアントを持つ手相観の、日笠雅水さんから、これも言われたのですが、「貴女みたいに立派な親を持って居る人は、早々はいません」と。その手相は、私の場合、今は、親が死んでしまったので、薄れて消えてしまっていますが、手首のところに横に走っている線を指します。日笠さんに手相を見てもらった時期、1997年には、まだ、母の方が生きていましたし、父からの遺産をまだ、半分以上残していたので、確かに女性としては裕福でした。で、両手に三本もそういう線があったのです。

 その上、中学校時代以降、こちらが望まないのに、和服でも指輪でも、家でも、なんでも、親が向こうから買ってくれるという時代に入ってしまったので、欲望も少ないし、金銭感覚も皆無の人間でした。

 でね、横須賀の普通の主婦たちが、大津支所に飾ってあるリトグラフ「一枚に、7000万円を支払ったのですって」と怒っていることを、『あ、そうお』ぐらいに軽く受け流していて、島田章三批判は、もっぱら心理的な面に偏っていたのです。

 で、この章でも、横須賀市の公金がどれくらい島田さんに流れ込んで居て、それを島田さんが愛知芸大に注ぎ込んでいたかについては、後半に回して、島田さんの、私に言わせると、『うーん、芸術家っぽくない。または、教育者っぽくない』という側面に触れたいと思います。

 ここで、私は、一時間以上、安井かずみについて調べていました。2023年11月30日にして初めて正確にわかったというわけです。で、1979年に大沼嘉津江さんが、兄、章三・自慢の一環として、「兄はね。安井かずみさんなどと、付き合っていたのですよ」と言っても、何にも感動をしませんでした。この時点では、まだ、島田章三の、実作品を見ていないのです。北久里浜時代は油絵の大作(100号)を描いて居ません。で、公募団体展にも出品をしていないので、島田章三が国画会の人であることさえ知りませんでした。でもね。嘉津江さんの、次兄自慢を聴いていて、何ともばからしいなあ。身内を自慢気に・・・・特に二人だけの私的なお茶のみの場でもない、仕事上の席で、口外するなんて・・・・・と思って頭から、受容できない感じがあるところへもってきて、その時点まで、はっきりと嫌だなあと、思うポイントがあったので、安井かずみと付き合う事が、どんなにすごい事か、全く理解できず、右から左へ聞き流していたのです。

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副題4、『安井かずみは、本当に幸せだったのだろうか? 夫の加藤和彦はよき夫を演じるにあたって無理をしていなかっただろうか?』

 もちろん、安井かずみが有名人であることは知っていました。名前は知っていました。しかし、私は、クラシック音楽が好きな人間で、日本の歌は、実は、PTA会長だった時に平役員慰労のために、楽譜で、勉強をした程度で、テレビで、聴いたりラジオで聞いたりすることは無論ないし、レコードを買ったりCDを買ったりすることはないのです。ところが楽譜を買うのは好きで、一時期など、幅、30cm以上のお歌の、楽譜をピアノの上に置いて、メロディだけを右手で、弾き、左手は、コードを引くと言う形で、歌っていました。北久里浜での話です。そういう生活を送っているから、子供の担任の先生が、子供をいじめてきたのでした。担任の先生の中には、母親の中にスパイを作る人もいるのですよ。恐ろしい現代・日本・社会です。

 当時北久里浜の丘の下に、立教大学所有の原子炉があったそうで、そこを使いたいから泊まらせてと言って来た親戚のお兄さんが「えっ、ちっちゃんって、歌謡曲うたうの?」ってびっくりしていたのですが、歌謡曲は、全音の赤い表紙の楽譜集(今は、一冊四千円である)で、45年前から練習をしていたのです。同じ本が今も継続して出版をされている。すごい、名著の一つでしょう。あ、は、は。

 で、安井かずみの曲集は、青い本の方(ポピュラーの方)に出ているのだと、思いますが、1974年当時、青い本を学んでいくと、『あ、是って、PTAの打ち上げ会で、歌っても、お母様方に受けないだろう。で、慰労にはならないなア』と思って、やがて練習をやめてしまったのです。例えば青い本で、一曲選ぶとしたら、襟裳岬ですが、これがお酒の入っている宴会での、お歌になるかどうかというと、ならないです。

 今、青い本は、ひとに貸してあげてしまったまま、返却されていないので、手元にないのですが、今はだれかを慰労するためにお歌を学ぶという任務もないので、再度買う事をしておりません。青い方も4千円ですから。まあ、それだけの価値はある本だと思います。で、安井かずみが、4000曲を作曲したと知り、ネットで、何か、知っている曲があるかを調べました。

 すると知っているのは、オーシャンゼリゼ、ドナドナ、リリーマルレーンで、安井かずみの仕事は訳詩でした。そして、歌手によっては、他の日本語訳を使っている歌手もいるという具合に大勢の人に、カバーされている曲でした。でも、この三曲だけは知っていました。だが、他の曲は、テレビで、聴いた事があるかもしれないという程度で、自分で、歌ったことはない曲ばかりです。

 キャンティは、ちょっとした縁で、内情を知っているのですが、今更出向いても何もならないので、行くことはないし、夫たる加藤和彦が、彼女の死の直後、安井かずみに関する大切な思い出の品をすべて捨てたとか、一年以内に、中丸みちえと結婚したとか、そして、彼自身が、10年後、自殺をしてしまったとかを、知ると、安井かずみって、周辺に本当の愛を注いでいたのかしら? それとも、一般庶民に、富裕層のすがたを見せつけ、富裕になれば、特権が得られるのだと、言う哲学を植え付けるために、利用されていた哀れなお人形だったのではないかと、思えてくるのです。そして、実は、加藤和彦自身が、それを、悟っていたと、考えられます。祖父が仏師であり、龍谷大学を出ているという事は、仏教の基本も知っていたとなります。しかし、病気の妻に促されて二人で、キリスト教の受洗をしています。しかし、自分の葬儀は、無宗教でやってほしいと、頼む遺書を残しているそうですね。大体の感じが判ります。病気の妻に、支配をされていたのでしょう。それが、よほど、嫌だったのですね。でも、キリスト教でいう病の時も見放さずを守っていたのです。そういう妻に、寄り添う自分自身の姿も、偽善を行っている気もして、嫌だったのでしょう。

 こういう私の推察がもし、真実だったら、平凡で、無名で、貧乏な方が、よほど、楽で生きやすいですね。私はだから癌にかかりません。あ、は、は。

 東京へ行くと、いろいろなところで、チャンスを見つけて、見知らぬ人と会話をします。すると、皆さん驚くのです。「え、81歳ですか。とても、そうは見えません」と言って。体力はないのですよ。だが、気持ちはいつも明るいです。心の中に、後ろ暗いところがないから。

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副題5、『安井かずみは大金持ちなので、サロンを形成し、大勢の人がそこに集まっていたそうだ。是こそ、加藤和彦が、本当は耐えられなかったことではないだろうか? 創作をする人は静かな環境が必要なのだ。作詞に比べると作曲の方が、時間もエネルギーもかかるので、加藤和彦にとって、妻のお客好きは、苦痛だったのではないだろうか?』

 安井かずみの知り合いだと言う、女性たちも、「え、嫌だなあ」と思う人ばかりです。例えば森瑤子です。彼女は週刊文春に、女友達に、「こういう提案をしたのよ」と書いています。「京都へ行きましょう。だけど、一人一人、誰か、かっこいい男性を一緒に連れてくること」と。そういう女友達の一人が安井かずみだったら、全く二人とも、許せないのです。これは、出版社の利益のために秘匿されている事でしょうが、森瑤子って、ある若い男性をつばめ・兼・秘書・兼・執事として取り込んでしまったのでした。他人のれっきとした旦那なのにです。そのお嫁さんの両親と知り合いだから、私は、当然、怒っています。その男性は、殺虫剤で、有名な会社のおぼっちゃまで、お嫁さんの親もお金持ちですが、坊ちゃんは、将来は親の会社を引き継ぐにしても、修行は他の会社でという形で、外車のセールスをしていたのです。ベンツかなあ。ロールスロイスかなあ? で、森瑤子の家に行ったら、彼の方が言葉巧みに、まるめこまれてしまったのでした。それとともに、6~10歳の間で、森瑤子の方が年上ですから、年上の女の、セックステクニックに、おぼれさせられたのでしょうか。とても、ひどい話です。森瑤子は、晩年、あっちこっちに別荘を買っています。その美男との生活を隠す為だったでしょう。特に、海外に作っていますが、自分の癌の闘病が、ステージが進むとやはり、日本だとなって、与論島などに、別荘を作っています。彼は、一種の略奪婚ですが、未入籍なので、自分の子供を森瑤子との間に作ることができません。そして、子供を夫婦二人で、育てて、将来とも二安定した家庭を築くと言う事もできませんでした。森曜子にとっては、もともとお金落ちの家の坊ちゃんだから、実家に帰ってで、すんだのでしょうね。一億円位は、与えて、死んだとは思いますけれど‥・・・お嫁さんの方は、日本にいません。森瑤子に関するメディアの情報露出が嫌だったのでしょう。ずっと海外で、暮らしているから、森瑤子が亡くなったとしても、急に海外の勤務先をやめるとか、言う風に、帰国するために、生活を切り上げるわけにもいかないし・・・・・本当にかわいそうです。

 私が、これをちらっと匂合わせたら、お嬢さんに母を尊敬するエッセーを書かせていますね。それって、井上ひさしの勧めだったりして。

 さて、その女友達の中に、林真理子と、大宅映子が居ます。これは、後程、丁寧に、二人が、どれほど、忌まわしい動きをしているかを語ります。ただ、今ではない。

 さて、これから先、さらに、島田章三、大沼嘉津江・兄妹の、嫌な側面、特に心理的な側面を語ります。

 それから、なぜ、横須賀市は、リトグラフに、7000万円を支払ったのかも語ります。市議会議長だったという、」父親の存在、それから、北久里浜の旧水道山をめぐる、実質的、大・大・詐欺事件も無論、からんでいるので、島田さんには、毎年油絵(国展出品の100号)の画料として、一億円程度、支払われていたと考えて居ます。もしかするとそれ以上か? 

 ただ、それらは、美術館の収蔵庫にしまわれているので、庶民は、全体を見ることはできず、したがって、島田章三さんにどれほどの、横須賀市からの公金=税金が注がれていたかについて、何も知らなかったというわけです。

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