銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

窪島誠一郎氏と、養父母の家。(フェイスブック復活?の10・・・・・政治もの) 

2012-03-29 02:35:41 | Weblog

 以下の一文は、今、17時間目にタイトルを少し変えました。
 これは、ずっと続いているシリーズ『フェイスブック復活?』という、私がしたたかにだまされた(?)、いえ、巧妙にからかわれた、ケースを語っているものですが、すでに、1~9と、4万字程度書いています。それは、21日から始まっていますので、そういう部分にご興味のある方は、どうか、カレンダーをクリックするか、それとも、この下へクリックするかをしていただいて、お読みいただきたく存じます。今日はその10となります。
 
副題45、『猫は間取りを知っていた』
副題46、『私に、深く、同情してくれている・・・私の(?)猫』
副題47、『実際には、思いがけない展開になり』
副題48-1、『まるで、E.ケストナーみたいにふるまう、我が家の猫』
副題49、『窪島誠一郎さんの、養父母と、明大前の家』
副題50、『井の頭線、渋谷駅での、珍事』
副題51、『マーク・ザッカーバーグ、野田首相を表敬訪問』
~~~~~~~~~~~~~~
副題45、『猫は間取りを知っていた』

 さて、前報、最初の導入が、猫を二階の窓から、一階の屋根の上に出したまま、私がパソコンのほうへ気を取られて、締め出しをしてしまったと、言いました。硬くて、重くて、絶対に猫の手では開けられない、サッシを閉めてしまったわけです。

 猫は、20分ぐらい遊んだのか、考え抜いたのかわかりませんが、私が猫の呼ぶ声に気がついたのは、30分後です。それが、相当に遠いところから聞こえるので・・・・・理由は、木造だが、非常にしっかりした建築なので、外の物音が聞こえにくいのだと、昨日、申し上げました。・・・・・よその猫かと最初は思ったほどです。
 そこから、音の問題に入り、いろいろ、ご近所さまやら、有名人に対して批判の言葉を述べました。それは、すべて政治的な判断が絡んでいます。が、それを途中にして、少し猫に戻りましょう。

 あまりに、遠い声なので、『うーん、よその猫だろう。うちの猫は最近は、わかってくれたのか、遠出をしないようになったし』と安心していたのですが、その猫の声が、どうも、何かを訴えているような、気がするのです。で、猫好きな私は、『あの猫は、何を訴えているのだろう』と、考えているうちに、『あれ、この声は、もしかしたら、うちの猫?』と、気がつき、あわてて、さっきの窓に向かいました。
 すると、サッシが、がっちりとしまっています。そこを開ける前に、チラッと先ほど、四十雀か、十姉妹やらを追いかけていた場所を見ても、猫がいません。

 『ああ、しまった、飛び降りちゃったのだ。そうすると、また、ご近所の家に興味を持ったな。最近では、木戸を作った後に引っ越してきた、西隣に、大いなる興味を抱いているから、あちらに探索に行ったのかもしれない。でも、入れてもらえないで、戻ってきたのかな。よかった。もし、入れてもらって、新しい友達(人間のこと)を見つけて、そちらに、なつきでもしたら、結構な大事の再開だったのに。さあ、一階に降りて、入れてやらないと』と、思い、きびすを返そうとしたら、右側から、必死な声がするのです。低い位置からではなくて、同じ高さから。

 で、窓をしっかり開けて、そこから首を出し、音のするほうを見ると、右側の、5メートルは向こうにある台所の出窓へ、向かって、前足をかけて背伸びをしていて、必死で啼いている、我が家の猫がいました。
 その背の伸ばしようが、かわいそうでもあり、見たことの無い緊張感にある姿勢で、かわいくもありました。
 でも、その、あまりにもといってよいほどの頭の良さに、びっくりです。その台所の出窓の真南3メートルのところに、私が座って、パソコンを打っている椅子があるのです。だから、そこで、呼べば確かに私には、通じる。出してもらった窓からですと、私のパソコンまでは、三重の扉があり、絶対に聞こえなかったと思います。しかも距離は、6メートルはあります。
 だが、台所の出窓からは、扉が、窓を入れて、二枚だけですから、先ほど、締め出されてしまった窓そばで、啼くより、私には聞こえやすいのです。

 『ああ、よかった。飛び降りてはいなかったのだ。だから、どこへも行っていない』と、胸をなでおろし、「ああ、ごめんごめん、おいで、こっちの窓を開けたから」と呼ぶと、彼女は飛んできて、窓から室内に入りました。それからは、抱いたり、頬ずりをしたりして、大変でした。締め出してしまったのが悪意からではないことを説明したくてです。

 猫は、定位置のガス温風器の前の座布団の上で、じっと賢そうに私を見つめましたが、もちろん、お母さんが、悪意から、自分を締め出したのではないことはわかっているみたいです。

 しかし、私がびっくりしたのは、猫には、この家の、間取りがわかっているということです。私がいる7,5畳にぴったり沿って、長5畳の台所がある。東から、1.5間=2.7m)のところは、まさしく、私の椅子に対して最短の距離なのです。

副題46、『私に、深く、同情してくれている・・・私の(?)猫』

 夕食時、この猫が大好きな主人に向かって、私が、このエピソードを伝えようとしたら、「そりゃあ、虐待だよ。トラウマになる」と、かれはまゆをしかめます。私は「えっ」と絶句します。『虐待とは、大げさな。単に度忘れしただけなのに』と思いますが、そこで、そこから先のすばらしい頭のよさが伝えられなくなりました。

 しかし、夫婦暦、45年です。そんな、激しい言葉にもどうって言うことのない私です。ただ、その夕食の前に、36時間起きています。しかも、電車の遅延がどうして起きるのかという大問題を書き続けています。しかも、まだ、まとまっていません。普段でしたら、後、2千字は、何があっても書き抜き、読者の皆様に意味のあるところまで、到達してから、公開するのに、政治モノだからこそ、ツイッター方式で部分的に、少しずつ公開してあります。それだけでも、サービス不足なのに、さらに、起承転結が、明瞭でなく、何にもまとまっていないところで、おわったら、どうしようもないではありませんか。

 それで、自分の対、夫、名誉回復は我慢して捨て去り、ブログの読者へのサービスを優先すべく、パソコンを持って、自分の寝室へ入ったのです。
 
 そういう私の態度に対して、主人が、『お、むくれたかな? まずいことを言ってしまったかな?』などとは、金輪際考えないであろうことを知っている私は、居間を去るときに、別に弁解もいたしませんでした。ただ、ただ、睡眠不足で、エネルギーがゼロ以下になる寸前だっただけです。
 ところが、自室に入って、熱風が強烈に出てくる、24年前のガス暖房機をつけると、猫が早速やってきて、開けてといいます。
 これは、その前に赤ちゃんを寝かせると、熱傷やけどとか、低音やけどとかになるというもので、最近のストーヴで、これほど、高い温度の空気が出てくるものはありません。だけど、寒い日に、一気に部屋が温まるのがうれしくて、古くてもそのまま使っています。
 このストーブの熱気が漏れるのが惜しくて、ドアは閉めてありますが、居間のドアを「開けて」と主人に頼んで、猫が私の部屋に来たのです。そして今度は私の部屋を「開けて」といいます。『こっちのストーヴの猛烈なあつさが、この子も好きなんだなあ。私も好きなんだけど』と思います。
 
 ところが、ストーヴの前で、布団の上に正座して、太ももの上にパソコンを置いてキーボードを打っている私の、その太ももにぴったりと寄り添って、私を見上げているその目には、ただならぬ表情が浮かんでいます。

 その目は、『お母さん、大丈夫?』といっています。確かにそういっています。心配と同情の混じった目でそういっています。彼女は、主人が言った、「虐待だよ」を言いすぎだとまなざしだけで、言ってくれているのです。それを、もらった私が大変な打撃を受けていると感じているみたいです。私は、その顔に『おや、ありがとう。今ね、ブログの締め切り部分を作らなければならなかったのよ。それが、大変だったのだけれど、あなたが同情してくれたエピソードを書いて、この文章を終わりにするわ。あと、2000字は書くつもりで、結局は40時間近く、連続しておきていることになり、疲労困憊するところだったのに、ありがとう』と無言の言葉で、返礼しました。本当に、感謝至極の気持ちになりました。

副題47、『実際には、思いがけない展開になり』

 さて、私は湯たんぽ替わり、睡眠導入剤代わりになってくれる彼女の優しさを確信して、ブログをその方向でまとめ上げ、パソコンを閉じて、布団に入りかけ、上半身を起こして、電気を消しました。ブログを書き終えた直後に眠るときはたいてい脳が、加熱しきっていて、すぐ眠られないので、電気をつけたまま、何かエッセイを読むのですが、この日は、睡眠不足も極まっているから、すぐ寝られるだろうと思って、電気は消しました。
 そして、ストーヴも消していて、寒いものですから、枕元にいる猫を、さっと抱いて、布団の中に入れたのです。

 実は、この私の動作が、猫は大っ嫌いなのです。これほど、嫌いなものはないというほど、人に動作を支配されることを嫌うのです。抱いて暖かい布団に入れられると、いう、人間から考えたら、極楽至極のことでも、彼女が選んで、数分かかって、十分安全を確かめたうえでないと入らないのです。ほとんど毎晩ぐらい、午前三時過ぎなら、一緒に寝ているくせに、絶対に入れようとすると入りません。私が熟睡しているときは、強引に、枕元へ頭を押し込んで、適宜な場所まで入り込み、それから、方向転換をして、枕側に顔を置き、時には、枕を、半分使って寝ているのに、私が、寒いので、急いで入れようとすると、必ず、抵抗するのです。猫とは、それほど、自分の方を人間より上においているペットです。

 そして、暖気が逃げないように、せっかく閉じてある入り口のドアを開けて、とせがみます。ご奉仕してくれるどころか、「お母さんって、嫌いよ。私は、お父さんの方へ行くわ」と言われてしまいました。体力が0%状態になっているのに、ドアを開けにもう一回起きないとダメです。それこそ、猫の大特徴ですから。
 
 で、ようよう這うようにして、私の寝室のドアを開けました。すると出ます。ただ、もう一個のドアを開けないと居間には入れません。人間が寝るときは猫が自由に出入りできるようにすべてのドアを開けて寝るのですが、なにぶんにも2012年の冬と初春は寒いです。で、ありとあらゆるドアが、人間が起きている間は、閉じられていて、猫は必ず「開けて」と言って入れてもらうこととなっています。
 で、何度も言うように、私はありとあらゆる意味で限界ですから、放っておきました。主人が気が付くと思って。予想通り主人が居間のドアを開ける気配がします。

 それで思わず、私は布団の中から叫びました。「お願い。私のドアを閉めて」と。『立っているものは、親でも使え』ということわざが、昔からあるそうですが、さっき「猫への虐待だ」と私をけなした主人でも、立っているからお願いをしたわけです。すると、彼は、3メートルぐらい暖かい部屋から出てきて、私の寝室のドアをそっと閉めてくれました。

 その閉め方に、昔からの、優美さとか、紳士らしさが出ていました。彼の母は、女らしくて、非常に優美な人だったのです。そして、彼自身も、日産自動車の材料研究所で、NOX対策をした(排気ガスをきれいにするために、白金触媒の作用を使う仕組意を開発した)時代の、誇り高き紳士ぶりを示したのでした。

 私ね。彼を、刺身のつまというか、ブログの材料というか、あれこれ、使わせてもらっています。そして、結構な弱点もさらしています。もちろん、私自身のそれと比較すれば、一万分の一ぐらいですがね。そういうものを書いていながら、実際は、深く信頼しているのです。

副題48-1、『まるで、E.ケストナーみたいにふるまう、我が家の猫』

 ところで、我が家の猫は、私のことと、主人のことをそれぞれ、使い分けた接し方をします。が、それぞれが、一人でいるときは、最高の接遇を示す癖に、二人が一緒にいるときは、どっちにどう接しようかと悩みながら、非常に気を使うのです。その有様は、まるで、『私が、子供だった頃に書かれている、E.ケストナーそっくりです。

 ケストナーのお母さんは、日本でいう中産階級の下側の人として育ちましたが、頭がよくて野心に燃えていました。だから、ケストナーに教育を受けさせて、彼を童話を中心とする立派な文学者へ仕立てあげて、ドイツペンクラブの会長にまで出世させました。
 だが、私が想像するに、そういう女性固有の欠点もあったと思います。それで、結婚だけは彼女の理想通りにはいきませんでした。旦那さんは、靴修理業です。靴を売るお店を開いているわけではありません。ケストナーからみれば、誠実で寡黙なひとでした。そのことをお母さんは、悔しいとか、苦しいと思っていたのです。その潜在意識とか根底には、よく日本でも言われる、性の不一致があったのかもしれませんね。だけど、それは、子供には見えません。そして、子供の理解のほかのことです。
 ただ、子供にとっては、両親が喧嘩をしていることはわかります。仲がよくないことはわかります。そうなると、どっちへつくかが問題です。
 お母さんは、自分の代理人として、エーリッヒに上層階級への上昇を願っています。そして、フロイトの言うとおり、異性の子供と、おやは、仲良しです。で、エーリッヒは、お母さんの方をどうしても選び、お父さんを疎んじることとなりました。その一冊内で、ケストナーは、そのことを悔いています。

 『お父さんは、とてもいい人だったんだ。家庭内で、二対一で、孤立化させてしまったのは、本当に申し訳ないことだった』と、回想しています。私はケストナーの文章内では、飛ぶ教室のある部分に次いで、好きなところです。
 これを書いたころの、ケストナーは、がっちりした体格の、一種の岩のような老人だったのに、やはり文学を専門とする、優しさやら、繊細さがあることを、示していました。

 問題は、我が家の猫が、この少年時代のケストナーにそっくりな行動を示した時代があることです。
 別に夫婦げんかをしていなくても、私が居間以外の部屋にいて、主人に一人で、夕食を食べさせていると、必ず、呼びに来るのです。「お母さん、一緒にご飯を食べなさい」と言って。例えば、こういうことがあります。昔、朝型(主人)と夜型(私)は、お互いに音で迷惑をかけないがために、寝室を二階と一階に分離していました。ところが、その寝室に、真夜中、2時から3時の間に、まるで、お隣が投げているかのようにつくろって、石がぶつけられるのです。
 これは、お隣からではないことは、今では、はっきりわかっているのですが、

 ともかく、そこが寝室だった時代の、猫の振る舞いをかたらせてください。
 例えば衣替えの季節です。私はものを捨てない主義なので、膨大な洋服があります。それを全部出さないで、上から下まで、コーオーディネートを季節によって、4組ぐらい作ります。そして、それ以外のものを別の年に使いましょうと、しまいます。衣装ケース6箱や茶箱二つにしまいます。すると、少しずつ違った組み合わせで、20年ぐらいお洋服が着回せます。
 こういう風にやるようになったのは、本を作ったり、芸術の仕事を始めたりして、お金がそちらに必要になって以来です。もう洋服は買わないと決めました。流行には左右されない基本的なスタイルを選ぶと決めました。
 それと、同時に、『最近買うものが、質が悪いなあ。天然素材の体に気もちのよいものが少ないなあと思うからです。

 しかし、その4組のコーオーディネートを決めるまでが大変です。ありとあらゆるものを、だしてわんさか、洋服が散らかります。でも、そこが寝室だから、夜の10時ごろまでには、床に物がないようにしておかないといけません。で、主人が二階でご飯を食べていようが、居まいが、引き続き洋服の始末をしているということになります。
 すると、本当に心配そうに猫が呼びに来るのです。「お母さん、一緒に、お父さんとご飯を食べなさいね」といいながら。
 そういう猫の表情を見ながら、『この子の心の中にあるものは、ケストナーの心遣いにそっくりだ』といつも思います。
 ここで、どちらに進むかですが、最初は猫の頭の良さにこだわって、そこを直進して、そこから、例のフェイスブックを、復活してあげましょうという提案が、嘘だとわかったという話につながっていくつもりだったのですが・・・・・

 またもや、頭の発想が脱線しました。靴屋という連想から、窪島誠一郎さんの人生へと入らせていただきます。

副題49、『窪島誠一郎さんの、養父母と、明大前の家』

 ところで、上にドイツの大文学者、ケストナーのお父さんは、靴修理業だったと書いてあります。窪島誠一郎さんは、水上勉の本当のお子さんです。が、文学者として、まだ目が出なかった時代に、夫婦が離婚することになり、お子さんは養子に出されました。
 養家が、明大前の靴屋さんだったとあります。
 で、誠一郎さんは、高校時代ごろから、何となく、自分は、この両親の子供ではないと、感じ始めます。で、実の親探しを始めます。そしてとうとう、真実に突き当たり、今は、ご自分は靴屋の跡取りではなく、実の両親側の遺伝を引き継いで、文化人であり、物書きであり、しかも美術館のオーナーです。

 しかし、その養父母の明大前の家が、ご自分にとって、基本的な経済力を養う場所になったことも想像に難くないのです。便利な場所にあります。駅から三分です。大きな通りに面していて、わかりやすいです。そこに、間口が、4間、奥行きが8間程度(と、私には見えた)のホールを内包する瀟洒なビルを建てておいでです。
 そこに、バー兼図書室、(これは、東京におけるご自分の客間であろう)とか、画廊を併設した建物を、建てていらっしゃるのです。この建築に代わる前が、どうだったか、は、わかりませんが、これを、相続をなさったのは、相当に大きいことだったでしょう。

 私はね。窪島さんが結婚をなさっているか、または、お子さんがあるかどうかを知りませんが、今では、きっと養父母に、感謝をされていると思います。
 あの、嫌悪感は養父母が、今では、経済的に豊かであり、名声も高い、実の父のところへ去ってしまうのではないかと恐れて、真実をなかなか教えてくれなかったことへの、恨みがこもって生まれていると思いますが、

 今、2012年、3月現在、両方の親が亡くなってみれば、両方に対する愛と感謝はあると感じます。子供を育てるなんてとても大変なことだから。
 そして、戦没画学生の作品を集めた無言館の設営の資金は、明大前のキッドアイラックホールが生み出したものも大きいでしょう。そこも決して営利主義ではないといっても、便利なところの立派なホールや画廊が生み出す無言の富は計り知れないです。

副題50、『井の頭線、渋谷駅での、珍事』

 さて、窪島誠一郎さんについて語り始めると、野見山暁司さんと、ギャラリー山口のオーナーについて、私が語り始めたころから、『ああ、この人もまた、例の軍産共同体側のエージェントたちに見事に利用され始めたな』と、感じるほど、何回も、野見山暁司さんと、対談を繰り返すこととなります。
 それを、語り始めたら、また、3万字ぐらいになってしまうので、ここでは、強引に違う方向へ筆を向けます。

 しかも、私が、初めてそこを訪ねた日の、井の頭線・渋谷駅には、事件も何も起きていないのに、『異常な数のガードマンが集結してい・・・・・てガードマン嫌いの私を脅してい』ると感じましたので、窪島誠一郎さんご本人が、どこまで関与しているか、いないかは別として、彼を、例の軍産共同体側が、・・・・・私を脅迫したり、ノイローゼにしたりするために利用できる道具だ・・・・・とみなし始めたことは確かです。

 そのきっかけは、私が、上に書いたエピソードを、エッセイとして書いた日をきっかけとして起きたと言えるし、特にギャラリー山口のオーナーの死が不自然であり、その『しのぶ会』をつぶしたのが、野見山さんであろうと、書いた心からの、現象でした。

 こんなに、些細なエッセイが原因で、井の頭線渋谷駅に、十人以上のガードマンが待ち構えられてはたまらないので、私が自分の被害は、総額五億円に達するということになります。だって、これでは何にも書けません。それに、井の頭線側は、何が何やら、原因を知らされないままに、ガードマンを配置するようにどこやらから命令をされて、急に雇ったのですから、10万円以上の出費でしょうね。そういうことがあまりにも多く重なっているので、私は自分を巡る総被害額が、5億円だといっているのです。

 反対に、石川和子女史(月額200万円の収入があると豪語していましたが)とか、前田清子夫人はどれだけ、もうけただろう。差し引きの差額を考えると、天文学的数字になりますが、でも、私は絶望も、卑下もしていないのですよ。あっけらかんと、元気、元気です。

 自分には、自分なりの幸運と、天からのご褒美がそれなりにあるからです。ただ、申し訳ございませんが、自分に与えられたご褒美や、幸運については語らないで、おかせてくださいませ。

副題51、『マーク・ザッカーバーグ、野田首相を表敬訪問』

 まあ、しいて、しいて、種明かしをすれば、本日朝に、あるウエブサイトニュースが配信をされました。OCN=goo 共通で、朝日新聞社が、配信をするものですが、

 マーク・ザッカーバーグ(フェイスブックの創設者にして、現在のCEO)氏が野田総理を訪問をするというニュースを見て、『ふむ、ふむ。なんという引き寄せ方(または、引き寄せ力)であろう。私が、この一連のシリーズ、フェイスブック復活?を書いているから、この表敬訪問はありましたね』と、感じる次第です。その時に誰も知らないところで、ニヤッと笑いますよ。あ、は、は。
 いや、大口を開けて、あ、は、はと、笑うわけではありません。だけど、これは、私の健康にとってはいいことなのです。
 しかし、向こう様にとっては解釈はまるで反対で、かれらは、このニュースで、私を相当なレベルで、やっつけてやったつもりでしょう。
 
 『ほらみろ、お前はつんぼ桟敷だ。お前は蚊帳の外だ。ざんねーんだったな。ほしいだろう。もう一回メンバー資格を。だけど、お前の書くものがいけないんだよ。だから、自分で自分の首を絞めているんだ』と、言いたくて、
 それにほとんど、気が付いていないというか、苦悩の雰囲気を見せていない私に、気が付かせるために、用意されたニュースだと感じています。

 うーん、どうしようかなあ? じゃあ、言っておきましょうか? 『確かに、私は残念です。が、そこでの、いじめを含む、言うに言われない複雑な弾圧を考えれば、それがなくなってせいせいした』ともいえるのです。これから、年を取ってくるので、エネルギーレベルは衰えてきます。表向きの活動だけだって、フェイスブックで、九〇二人もの友達がいれば、本当に大変です。そこに、自分の文章をアップしたとたんに、18人もの別の時間帯に、アップした投稿が割って入り、自分の仕事がすべてほかの人へは、伝わらないという徒労の中で、

 それでもめげずに、次から次へと新しい文章を投稿し続けた、あの最後の二か月を、思い出すと『ああ、あれが無くなったのも、こと私に関しては、天の摂理でしょうね』と、思うのです。

副題52、『ニッポンに、実際にはある階層社会』

 さて、そういう目に見える大きな世界から、目に見えない社会の現象とそれがもたらす問題点へ入っていきます。日本では、階層(=カースト)があるというと、嫌われます。

 つまり、既得権益者(=日本の上流階級に所属する人たち)が、自分たちの利益を分かち与えることを、恐れているから、その概念さえ、広がるのを忌避していると感じます。
 しかし、この分かち与えるということこそ、3.11以降の日本には必要です。

 さて、私はここで、遠慮をとって、はっきりと言いましょう。この直前の五行をはっきりと言い表すことができることこそ、私が天から与えられたご褒美なのです。
 複雑ないきさつと、何が何やらわからないままに、
 私は、相当な被害をこうむり、

 日夜、日夜、その被害を振り払うべく、努力をしてきました。その結果、この手の基本的な概念をはっきりと言い表す、立場に自然となってしまったのです。もし、月刊ギャラリーの連載が継続していたら絶対に言わなかった発言です。
 また、私は、鎌倉の住人ですから、鎌倉で私費出版を扱っている、鎌倉春秋社に、二,三度、自分がデータを最終段階まで、作り上げますから、150万円で、出版し知多だけませんかとは、何度も交渉に行っています。一頁当たり、一万円を出すつもりはありません。それは、印刷代と製本代を考えると馬鹿らしすぎます。だけど、常に断られています。もしあそこで、すでに、一冊でも出版をされていて、宣伝でもしてもらっていたら核のごとき、内容の文章は書いていないでしょう。あそこの社長がどんな立場にいるかはわかっていますから。

 だけど、そこで、断られているから、そして、裏から手を回されていて、・・・・・・・ここから先は、口にチャックとしておきますが、・・・・・・・・
出版界のいろいろを経験した結果、・・・・・・・・・自然に、こういう書き方になりました。ごく基本的なことをわかりやすくはっきりという、姿勢です。

 で、元に戻ります。日本には階層はあります。そして階層間の移動は、昔は容易でしたが、最近では、容易ではありません。そして、そこが日本の最もいいところだった、中流階級が、消え去りつつあります。法制度的には、すべての日本人は平等ですが、
 すんでいる家、住んでいる場所、働いている場所、などで、言わず語らずの階層が、すでに、実際には、できていて、そこに、すでに、あるのです。
 
 それは、明文化はされてはいないものの、気配としては、確実にそこにあるものなのです。日本で最も安心できる階級になるためには、大学を出て、大企業に勤めることです。一部上場の企業に勤めるのはたとえ、お金がなくても安心できるし、社会保障が整っているので、子育てにおいても絶対的な安全パイでした。

 AIJの破産問題が取りざたされています。気の毒ですが、中小企業のファンド担当者が、メクラだったことにも一端の責任はあります。だが、大企業ですと、ファンド担当者が、AIJの社長を目下に見るほどの高い能力を持っているでしょうし、監査制度も万全でしょうから年金が消え去ることはなかったと思います。もちろん政府はAIJの損失を補てんする側に回るべきです。原発の被災者だけを救済するのは片手落ちというものです。

 が、それは、それとして、こういう気配が、もたらす階層を、世間に人はみんな知っています。個人商店であり、それが靴屋さんであるということは、明大前という、住宅街において、幼い誠一郎さんの、自負心や、プライドを満足させるものではなかったと、私は感じます。
 こういうプレッシャーは気配として感じ取られるものですから、明文化されておらず、したがってはねのける手法も見つからず、厄介なものです。
 でも、あるのです。
 
 それを、どうしたらいいかなどとは、私は踏み込みません。何度も言っているように、私はオピニオンリーダーでもなく、運動家でもありません。ただ、社会に対して、気が付いたことを、文章に書き落とすだけの人間です。それだけの人間です。
 でも、今の日本では、人々が、何に対しても、その本質には、気が付かないように、気が付かないように、という方向で、すべてが采配をされているとは、思っています。
    では、初稿としては、ここで、この一文は終わりとさせてくださいませ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 都立大学は、どうして、改名... | トップ | 猫は、人間よりも、高度な心... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事