
細野先生の素晴しい点は、失敗したときの処理の健やかさと言うか、勇敢さです。画面上では現れなくて、ただ、言葉によって説明をされたのですが、過去にフライングがあったそうです。・・・・・ある手兵が、実験した結果を学会で発表してしまった。その後で、再実験で同じ結果が出ない。・・・・と言うことは『あの実験が失敗だった』と言うことと同義語なのです。一回だけの特別な例だったか、見落としがあったのかはわかりませんが、製品の工業化などを目指すのなら、実験室・規模でも、同じ事が繰り返して起こらないと駄目です。
東工大と言うのは、特に工業製品化に繋がる実験をしている可能性があるので、これは、先生にとっては、大きな失敗であったのです。それをどう修復するかですが、・・・・・もし、工業化を申し出でる会社があったら、その会社に個人的に説明をして、企画の進行をとめてもらう。けれども、学会の発表(論文)の方は取り消さない・・・・・というのが普通だと感じます。ほうっかむりをして責任を取らないで、いるわけですが、そういう例は、世の中には、あまたあるはずです。
ところが、細野先生は、次の学会で、公的な謝罪をなさったのです。
これは、本当にすごい事です。その間(つまり、間違いに気がついた後で、次の学会までの一ヶ月間)は、記憶が全部抜けているそうです。それほどの修羅であったのですが、のちのちを考えると、一番正しい選択をなさったのです。それが何時のことだったかは、私たち視聴者には知らされませんでしたが、その修羅場を乗り越えた上での、現在(55才)であるのです。
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細野先生は現在が恵まれているからこそであろう、正直の権化です。で、今回の取材に対しても「これは、画期的な製品が出来るはずのプロジェクトです」と最初に仰って、片野君の実験を取材させます。その方式が例の密着取材と言う形で、片野君が徹夜した明け方にも取材をします。私は、これは、大嫌いな手法です。
何度も繰り返していっていますが、特にスポーツマンへの密着取材は気の毒です。重要な大会を控えているときの密着取材は、「これほど、残酷な試練は無いだろう」と思うほど気の毒です。片野君と細野先生のコンビはスポーツをやっているわけではないのですが、番組の編集作業等の要請で、実験が40日ぐらいで終わるであろうと言う目論見の元で、始まった密着取材が、4月10日と言うリミットに来ても、完成しません。企画が予定された筋書き通りには、成功しないのです。
細野先生は悩みます。それも密着取材をされるわけですが、そちらはまだ、大人であるので、私は見ていて、耐えられたし、細野先生も、正直にその悩むポイントをカメラ(視聴者)にお話をされるので、好感を与えること著しかったのです。
つまり、『この物質は出来ない』と判断して、この企画そのものを廃棄するのか、それとも『物質は出来るのだが、その前に壁がある』といって、『手法を変えれば物質が出来ると思い、さらに続けるのか』の判断を、そのリミット前後に下さなければなりません。
そこに大きなドラマがあるのですが、私が見るところ、細野先生は『ほとんど、諦める』方向に傾いておられた模様です。それを、片野君に告げたあとで、片野君の方が、『まだ、放棄しないで、さらに工夫を重ねる』との決意を示した模様です。
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さて、その悩む過程で細野先生はすばらしいことを仰ったのです。それは、実験用の材料についてですが、「高価な物質を原料とすれば、実験が成功する可能性はある。しかし、自分は炭酸カルシュームと言う、安価でどこでも手に入れられるような、素材を利用して、新しい物質を作りたい・・・・・その理由は、普段どこにでもあるような物質から、新物質を合成すると、公害の発生が少なくなるから」・・・・・と。
これは、私のような、門外漢には、推定できない真理です。その道の専門家でないと、分からない真理です。だけど、そんな大切なことを門外漢に非常に分かり易く説明をされる細野先生は、キーワードとして「私には、こだわりが、あります」と何度も仰るのです。そのこだわりの一つとは、若き日に宇井純さんと交流があり、『人の役にたつ研究者になりたい』というあつい思いを抱かれた点です。だから『公害は避けたい』と常に思っていらっしゃいます。
ただ、工業生産と公害の発生は切っても切れない関係にあります。今、東京圏の空気がきれいになっていますが、それは公害を防ぐシステムが発達してきて、お金を掛けて、水や空気をきれいにしているからですが、その「公害の発生を、出来るだけ抑えたいから、高価な原料を使わない」という姿勢は、ロマンチックでもあり、そして、大変純粋でもあります。
人間が生きる、特によりよく生きるためには、愛情も大きな要素ですが、信念とか、哲学と言うものを持つことも大切です。細野先生は控えめに、「こだわり」と仰るがそれは、信念であり、哲学の域に達しています。ご立派なことでした。見本にしたい生き様です。
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ところで、このメルマガの読者にはアート関係者が多いので、蛇足ですが付け加えると、化学合成に成功した瞬間とは、特別に良い作品がひょいと出来たときの爽やかさと、よく似ていると思います。そこに至るまで何ヶ月間、ときには何年間も、苦労に苦労を重ねるのですが、突然雲の裂け目が見えたように、スカッとするときがあります。そのとき目の前にある作品が、成功した作品であると言うことは、作った本人が一番よく知っています。そして、そこまでに到達できた自分を祝いたいと思ったり、ほっとした感じを抱くのですが、それこそ、彼ら化学者が、合成に成功した瞬間と、良く似ているでしょう。 2009年6月3日 雨宮舜
東工大と言うのは、特に工業製品化に繋がる実験をしている可能性があるので、これは、先生にとっては、大きな失敗であったのです。それをどう修復するかですが、・・・・・もし、工業化を申し出でる会社があったら、その会社に個人的に説明をして、企画の進行をとめてもらう。けれども、学会の発表(論文)の方は取り消さない・・・・・というのが普通だと感じます。ほうっかむりをして責任を取らないで、いるわけですが、そういう例は、世の中には、あまたあるはずです。
ところが、細野先生は、次の学会で、公的な謝罪をなさったのです。
これは、本当にすごい事です。その間(つまり、間違いに気がついた後で、次の学会までの一ヶ月間)は、記憶が全部抜けているそうです。それほどの修羅であったのですが、のちのちを考えると、一番正しい選択をなさったのです。それが何時のことだったかは、私たち視聴者には知らされませんでしたが、その修羅場を乗り越えた上での、現在(55才)であるのです。
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細野先生は現在が恵まれているからこそであろう、正直の権化です。で、今回の取材に対しても「これは、画期的な製品が出来るはずのプロジェクトです」と最初に仰って、片野君の実験を取材させます。その方式が例の密着取材と言う形で、片野君が徹夜した明け方にも取材をします。私は、これは、大嫌いな手法です。
何度も繰り返していっていますが、特にスポーツマンへの密着取材は気の毒です。重要な大会を控えているときの密着取材は、「これほど、残酷な試練は無いだろう」と思うほど気の毒です。片野君と細野先生のコンビはスポーツをやっているわけではないのですが、番組の編集作業等の要請で、実験が40日ぐらいで終わるであろうと言う目論見の元で、始まった密着取材が、4月10日と言うリミットに来ても、完成しません。企画が予定された筋書き通りには、成功しないのです。
細野先生は悩みます。それも密着取材をされるわけですが、そちらはまだ、大人であるので、私は見ていて、耐えられたし、細野先生も、正直にその悩むポイントをカメラ(視聴者)にお話をされるので、好感を与えること著しかったのです。
つまり、『この物質は出来ない』と判断して、この企画そのものを廃棄するのか、それとも『物質は出来るのだが、その前に壁がある』といって、『手法を変えれば物質が出来ると思い、さらに続けるのか』の判断を、そのリミット前後に下さなければなりません。
そこに大きなドラマがあるのですが、私が見るところ、細野先生は『ほとんど、諦める』方向に傾いておられた模様です。それを、片野君に告げたあとで、片野君の方が、『まだ、放棄しないで、さらに工夫を重ねる』との決意を示した模様です。
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さて、その悩む過程で細野先生はすばらしいことを仰ったのです。それは、実験用の材料についてですが、「高価な物質を原料とすれば、実験が成功する可能性はある。しかし、自分は炭酸カルシュームと言う、安価でどこでも手に入れられるような、素材を利用して、新しい物質を作りたい・・・・・その理由は、普段どこにでもあるような物質から、新物質を合成すると、公害の発生が少なくなるから」・・・・・と。
これは、私のような、門外漢には、推定できない真理です。その道の専門家でないと、分からない真理です。だけど、そんな大切なことを門外漢に非常に分かり易く説明をされる細野先生は、キーワードとして「私には、こだわりが、あります」と何度も仰るのです。そのこだわりの一つとは、若き日に宇井純さんと交流があり、『人の役にたつ研究者になりたい』というあつい思いを抱かれた点です。だから『公害は避けたい』と常に思っていらっしゃいます。
ただ、工業生産と公害の発生は切っても切れない関係にあります。今、東京圏の空気がきれいになっていますが、それは公害を防ぐシステムが発達してきて、お金を掛けて、水や空気をきれいにしているからですが、その「公害の発生を、出来るだけ抑えたいから、高価な原料を使わない」という姿勢は、ロマンチックでもあり、そして、大変純粋でもあります。
人間が生きる、特によりよく生きるためには、愛情も大きな要素ですが、信念とか、哲学と言うものを持つことも大切です。細野先生は控えめに、「こだわり」と仰るがそれは、信念であり、哲学の域に達しています。ご立派なことでした。見本にしたい生き様です。
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ところで、このメルマガの読者にはアート関係者が多いので、蛇足ですが付け加えると、化学合成に成功した瞬間とは、特別に良い作品がひょいと出来たときの爽やかさと、よく似ていると思います。そこに至るまで何ヶ月間、ときには何年間も、苦労に苦労を重ねるのですが、突然雲の裂け目が見えたように、スカッとするときがあります。そのとき目の前にある作品が、成功した作品であると言うことは、作った本人が一番よく知っています。そして、そこまでに到達できた自分を祝いたいと思ったり、ほっとした感じを抱くのですが、それこそ、彼ら化学者が、合成に成功した瞬間と、良く似ているでしょう。 2009年6月3日 雨宮舜
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