銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

田中康夫・批判の2・・・松本(当時が15万人)で、育ったお坊ちゃんが、東京で、迷い狂う姿は?

2012-08-12 12:12:03 | Weblog
 すみません。先ほどまで、7時間近くメモ(田中康夫批判ー3)が、公開をされておりました。失礼をいたしました。鼻が、花と誤変換されていたり、罪が剤と誤変換をされていたりして、めちゃくちゃなメモが公開をされておりました。失礼をいたしました。
 それは、後程、私固有の文章に直して、公開をさせていただきます。もしかすると、皆様は、『あなた固有の文章より、メモの方がわかりやすいわ』(笑)と、おっしゃるかもしれませんが、ぐった、ぐった、寄り道をしながら、思考を深めていくのが私固有の手法であり、それを通さないと気分も悪くて、たまらないので、時間をかけて、再度練り直すのをお許しくださいませ。本日は、以下の文章と、その前の文章を、お読みいただきたく。

副題0(または、8と9の間)、『本日の文章へのまえがき』
副題9、『高知県生まれの西原理恵子さんは、田舎育ちの良さを体現しているが?』
副題10、『松本(当時の人口が15万人)で、育った少年が、東京へ出てきた時』
副題11、『彼はなぜ、一ツ橋へ、進学したか?』
副題12、『大学4年間で、何を得るか?』
副題13、『部活費用を使い込んだ?』
副題14、『隠れて、ずる(悪)をする人間を、私は最も嫌う』
~~~~~~~~~~~~~~~

副題0(または、8と9の間)、『本日の文章へのまえがき』

 昨日6時からのNHKニュースを見ていたら、吉田所長が画面内で、一人で、1分程度語る動画が、登場しました。長崎の人が、インタビューした映像だそうです。

 これは、私が、最近、連続して書いている、『吉田所長が、脳溢血ですって』に呼応した、映像でしょう。7月10日に撮影をされたものだそうです。それについては、また別の日に語らせてくださいませ。
 種々様々な論考が、そのたった一分の映像からできるのですが、それは後で。

 さて、前報です。なぜ、私が堂々と田中康夫を批判するか、または、できるかの背景を語っています。でも、あれでも、30%のレベルです。本当はもっともっと、おそろしくも、かつ忌まわしい裏側があるのですが、全部は語らない主義なので、あそこで、中断してあります。さて、あの中で、一気に最後まで田中康夫批判を続けようとしていて、二章、2千字を開示してあります。だが、それをこちらへ移動をさせていただきます。

 政治的な動きが困るという論点で、田中康夫分析に入りたいのですが・・・・・一方で、康夫ちゃんと言ってよいほどの、女性的な部分も感じるので、どうして、そういう男性が出来したかも含めて、いろいろ、考えるのが楽しみです。

 副題9と、10は、昨日と重なりますが、それを、先行させて、その後ろを書いていきます。どうかよろしく。副題1~8までは、
~~~~~~~~~~~~~

副題9、『高知県生まれの西原理恵子さんは、田舎育ちの良さを体現しているが?』

 さて、私は、今まで、田中康夫氏については触れていません。それは、彼が内包している問題に、気がつかなかったからではなくて、圧倒的に馬鹿にしていたので、批判をさえしてこなかったのです。

 どうして、馬鹿にしたかというと、尻尾の見え方が余りにも単純で、『馬鹿みたいですね』と思って、笑っちゃっていたからです。
 さきほど、『田舎モノではないか?』と、私が、言っています。それをwikipedia で、確認をしました。
 絶対に東京生まれではないし、東京で育った人間ではないと確信をしていました。
ものすごく、ぜいたくが好きだし、『自分をオシャレで、突出して最先端のことを、知っているし、味わっているのだ』という姿勢を示していますが、それは、田舎者だからそうなると、見ていました。

 東京生まれだと、もっと、去勢をされた感じが出てくるのです。洗練をされているということは同じでしょうが、もっと静かです。それは、大勢の人が住んでいる東京では、自分の占める場所というのが、少ないということを、身に染みて、感じながら、人々は育ちあがるからです。

 それは、善し悪しがあります。西原理恵子さんなど、大変なエネルギーの高さで、それは、田舎で育った人の、ものを全部は知らないという野性を、いい方へ生かした、ということにつながるとは思いますが、2010年に立て続けに彼女に関する映画ができて、それを見ると、ちょっと幻滅状態へ入りました。

 アルコール依存症のご主人を捨てなかったという美談仕立てで、すべてが作り上げられていましたが、妻の態度や、性格が原因で、夫が、だめになるケースもあるのです。だから、西原さん、これから先は漫画だけで生きていってくださいと、お願いしたいです。ところで、それでも、田中康夫を批判するほどには、西原さんを憎めないのは、彼女の必死さは、よく伝わるからです。

 本質的にまじめな、日本人であることを感じます。そして西原さんが、子供時代に、ご自分が貧乏だったということを隠していないのにも、他人からの批判を抑える効果があります。これは、北野武監督などにも通じるポイントです。

 北野監督は東京の生まれです。みんな(視聴者)が、それに気が付いているように、彼にもシャイなところはあります。それは、一方で突出していながらも、他人の目が、どういう風に自分を見ているだろうと、自分の中で、考え込む姿勢があるからです。それが都会人です。
 そして、『たけし君ハーイ』などを、読むと貧乏だったと書いてあるので、多少、『お行儀が悪い』と思っても、許してしまうところがあるわけです。ただし、私が彼を、100%肯定しているわけではありません。むしろとても始末の悪い存在だと考えています。庶民の代表みたいな顔をしていて、実際はまるで、違うのですから。核燃料を売りつけている側に、特に、日本人エージェントたちだけではなくて、世界的規模で、大資本家たちに、いいように利用されていて、それを自覚もしているでしょうから、とても、複雑な立場で、日本人にとっては、大問題を内包している人です。

 しかし、それは、別のところで語ります。
~~~~~~~~~~~~~~

副題10、『松本(当時の人口が15万人)で、育った少年が、東京へ出てきた時』

 で、田舎育ち特有のところがある田中康夫氏について、詳細に検討を始めましょう。

 信州大学の教授の息子で、信州大学の付属中学校へ通っています。これって、やや、難しい立場です。特に東京へ出てきたときに。
 松本ではお坊ちゃまで通ってきたはずです。特に国立大学の付属小学校とか、付属中学校というのはたいていが、二クラスです。だから100人しかいません。そして、親は、その地方のエリートです。

 だから、松本を代表する100人の中に入っており、かつ、上のほうの成績だと、天狗になりやすいです。
というのも当時の松本市の人口が15万人です。これって、ざっと計算すると、同世代の子供が2000人程度いるという形です。2000人の中の、10番以内だということは、非常にわかりやすい、エリート意識を、子供心に植え付けるでしょう。自分はとても偉いんだと感じながら育ちあがるはずです。しかも山に囲まれた一帯なので、余計に、それを感じながら育つはずです。

 現在でもそうですが、地方都市と、東京では、人の扱い方が違います。地方都市から東京へ出てきて、何らかの成功をすると、大変にちやほやされます。
 これが、美術の世界ですと、美術館を作ってもらったり、(表向きは県立とか私立ですが、収蔵品を見ると、ほとんど、個人の画家の顕彰に当たる、個人美術館の要素があるものです。だけど、東京圏で生まれて、そこで育つと、目立たないので、何も得がありません。で、ものすごく、人気が出て、目立てば、収集家の方が、その名前を冠した個人美術館を作ってくれたりしますが、都立で、または、区立で、個人名を冠した美術館はできていないはずです。

 私が常にといているのは、東京圏で育った人なら、必ず相手に対して、平等の姿勢を貫いたほうがいいということです。ところが、18歳まで地方でエリートとして過ごしてきた人には、そのマナーが身についてはいません。
 だから、すぐわかります。簡単に言えば、硬いのね。エリート臭を、紛々とさせて、丁寧な、平等の態度を、他人に対しては、取れないことなどで。
 そう言う態度は野暮ったいものの極地として、お茶大の付属高校などでは馬鹿にされていました。無論内心でですよ。軽蔑していることを表面に出すのもアウトです。それも野暮ったいのひとつの形だから。

 まあ、今の言葉で言うとKYというのに近いのですが、特別に目立ったりするのは野暮だというのが、みんな身に染みているのです。(笑) 私がブログをやったりエッセイを書いたりすることも批判をされています。(笑)

 で、彼が18歳の時に、松本深志高校を卒業して、上京して、アッと驚いたのは、自分がエリートとしては扱われないということだったと推察します。田舎では、みんなが自分を、知っていて、尊敬をされるが、東京では誰も振り向かないと言うことでしょう。

 これは、彼にとっては納得ができないことだったと感じます。で、東京でつぶさにいろいろな観察を行ったと想像ができます。

 すると、弱肉強食の社会でもあり、単純な形ででも、目立てば勝ちということもあると言う点でしょう。それは、駿台予備校で、寮にでも入って、友達を作ったと仮定をすればなおのこと、頷けるポイントです。私もそこへ通いました。が、東京圏の住人なので、寮にも入らず、そこでは一切友達を作りませんでした。ただ、生徒番号が、一番違いだった主人のことは意識していて、成績表の前で、「あなたは、この教科は何番ですね。私は、こちらで何番です」と言い合いました。二学期から通い始めて、午後のクラスでしたが、10番以内にお互いの名前を発見することが多かったです。だけど、それ以外の付き合いはだれとも、ありませんでした。

 だから、駿台予備校で、何か、考え方が変わったということはありません。
 でも、田中康夫ちゃんが、当時、駿台の同級生と付き合ったとしたら、昼間は、東京出身の少年もいるし、夜には、地方出身者もいるわけです。その中で、『うまくやれば、尊敬を受けるための、上のポジションを取ることができる。ただし、それには、一定の、枠組みがあるのだ。それは、どうも、お金らしい』と、考えたことはありうるのです。
 ちょうどバブル期に入りたてでしたね。世間でも、お金を、潤沢に使う風潮が出てきて、子供たちにも美大や音大へ入学することを許す親がたくさん出てきました。
 
 そして、もう一つあります。それは、女の子にモテルという感覚のこと。そして、モテルが勝ちという世界もあるということです。こちらの方ですが、早熟で、すでに松本時代に、女の子といちゃいちゃを経験済みだったら、コツはわかっているわけで、のめりこんだ可能性は高いです。親がそばにはいないというのは、好都合ですし。

 その時に、自分を飾るものが、東京だと、洋服だということに気が付きます。松本だと、学校のバッジだとか、自分の顔だけで、肩で、風を切ることができても、東京だと、そういうものは通じません。もし、東大の銀杏のバッジなどをつけて電車に乗ったりしたら、車内で、それに気が付いたありとあらゆる人間に笑われちゃうと思いますよ。(笑)
~~~~~~~~~~~~~~~

副題11、『彼はなぜ、一ツ橋へ、進学したか?』

 今までのところ、二つの枠組みを述べています。貧乏で育ったか、余裕のある家庭で育ったかは、その人間の行動や、生涯を決定する大きな要因だと感がるわけですが、田舎で育ったか、東京圏のような大都会で、育ったかも、その人間の行動や、生涯を決定する大きな要素だと考えるわけです。

 もう一つあります。容姿です。容姿もまた、その人の人生を決定いたします。容姿に劣るものは、慎重です。努力家が多いでしょう。じわじわじわじわと、歩を進めます。ところが容姿に優れていると、物事がうまくいきやすいです。特に思春期には、恋愛が大きな要素を占めます。で、容姿に優れていると、恋愛が簡単に成就します。特に遊び系の恋愛が簡単に成就します。一夜の情事などが、簡単に成就します。

 人間は快感を求めて、それが多い方へ突き進むと思いますが、それらの快感のうちで、劣等感の解消というのも大きな要素となるでしょう。
 康夫ちゃんは、ほとんど、劣等感を感じないで育ちあがった少年だとは思いますが、松本で、通じたエリートとしての扱いが東京では通じないということは、初めての挫折であり、違和感を感じる場面が、多くなったと、推察するのです。つまり、以前だったら周りが道を開けて通してくれたのに、東京ではそれが通じないというような場面に、遭遇する。

 その違和感がない場面が、恋愛であったと仮定すると、彼は、いわゆる、ハンターに変身した可能性があります。後年、恋愛という言葉をタイトルの中に入れている本を出していますから、彼は、狩人だったと思われるのです。

 その銃にあたるものが、ブランド物の洋服であったでしょう。

 さて、その当時の受験システムでは、東大と、一橋大学は一次組みで、両方を受けることは不可能だったと考えられます。で、彼は一橋大学を選びました。今年の6月一回だけでも、そこを訪問しておいてよかったと思います。

 キャンパスの雰囲気は東大よりも美しいかもしれません。特にお金を、扱う分野を勉強する大学です。そこに入学以前の駿台予備校時代から、ブランド物の洋服を買っていたと、wikipedia に出ていましたので、

 女の子にもてるという方向での価値をも、一ツ橋の方に、東大よりも多大な価値を、発見したかもしれないのです。

 商業や経済を勉強するのなら必ず企業に勤めるでしょう。それは、生涯が安定しているということで、お金持ちでもあり、恋愛にも強いとなると、イメージとしては、東大よりは、一ツ橋の方がおしゃれだったりするものです。東大だとがり勉で、線が細いとみなされがちだけれど、一ツ橋だと、地頭がよかったので、自然に合格しましたという感じを外部へ与えやすいですね。その方が若者としてはおしゃれな感じがします。彼はそれを選んだのでしょう。

 おしゃれであることは、彼にとっては相当に大きな目的だったと思われます。私は好きではありませんがあの顔はうまくすると、阿修羅像に、似ているるタイプともいえますのでね。若い時は細身だったとすれば、美形といってもいいでしょう。となると、女にもてるということは大きな目的のひとつとなり、
 ベッドインとか、ラブアフェアの数を誇るということも大きな目的となったと思われます。
 となると、お金が要りますね。ただし、ここで、大学でできることは恋愛だけではないのだと、言うお話をさせてくださいませ。
~~~~~~~~~~~~~~

副題12、『大学4年間で、何を得るか?』
 
 ロンドンオリンピックで、解説者が登場します。主人が「増田明美さんは、やさしいんだね」と言いました。彼女の語りかたを聞いていて、それを、ぶりっ子だと、嫌う人がいることも思い出しまた。でも、総体として、立派なものだと思います。
よい成績を上げられなかった走者にも、「自己記録を更新しましたね」と、励ましてあげたときに、『おお、事前の予習がきちんとできている人なのだ』と、感心しましたし。
 若いころ、一回、コーチの支配から離脱したくて、行方不明になったことがあったのですが、『よくぞ、回復なさって、幸せそうで、よかったですね』と、申し上げたいです。これはね。本日の田中康夫氏のケースにも関係するので、ここで上げました。
 もし、コーチが悪い人だったら、『メンツをつぶされた』となって、復讐に走るかもしれず、そこで、世間の道が閉ざされたかもしれないのに、ちゃんと道が開けてよかったですねと申し上げたいです。

 で、特殊な才能があるのに(=大学へ行かなくても、十分に人生が開けるだろうのに)、大学へ行ったケースとしては荒川静香さんが挙げられます。4チャンネルの番組で、夏のオリンピックなのに、彼女が解説者として駆り出されているのを見て、それだけ、視聴者と、テレビ界の評判がいいのだなと感じました。荒川静香さんが、金メダリストなのに、揺らがないで、人生を送っていることができるのは、やはり、早稲田大学問いう母体への、信頼感が大きいと思いますよ。出るとき、引っ込むときに、彼女に見られる落着きは、あに好成績(=金メダル)だけが培ったものでもないでしょう。

 『自分は、最高ランクの勉強をしてきました。決して威張るわけではないのですが、世の中の特にアスリートの世界では、自分が理解できないことは、こともないでしょう。応用力を利用すれば、ほかのジャンルでも、何でも、理解できるはずです』という自信が裏打ちされている落ち着いた態度。彼女の発言を聞いていると、ほっとしますしね。

 でもね、それほどの、特殊な才能のない少年やら少女なら、15、や、16で、人生を決定できるはずもないです。で、一種のモラトリアム(猶予期間)として、大学へ進学するのはありです。

 猶予期間だから、遊んでいいのだというのが、戦後の大学ではありました。戦前は、大学へ進学する人が圧倒的に少なかったので、「デカンショ、デカンショーで、半年クラス、さのよいよい」でも、よかったでしょう。
 
 でも、戦後、大量の大学生ができるようになっても、大学時代って、遊んでもいいのだというムードが出来上がりました。
私はね。これも、いわゆる被・植民地国家であることの反映だと思います。
 アメリカの大学生は決して遊んでいないですよ。
 また、ヨーロッパの大学生は、戦前の日本風な階級が残っていて、全体の数が少なく、したがってエリート性がより高くて、勉強をしています。

 また、韓国人も必死だし、中国人やインド人も必死です。

 ここで、我田引水になって申し訳ございませんが、わが母校の国際基督教大学の、特に私が学んだ時期の学生は、ほとんど遊びませんでした。それは、アメリカ風なシステムが導入されていたこともありますが、心の中の在り方を追求したいと願う学生が多かったとみなされるからです。

 それと、繁華街には遠くて、寮や下宿に住む学生が多くて、夜っぴて、会話を交わす習慣があったということです。
 ある時、日吉のレストランで、四人の一年生(男子)が会話を交わしている、そばで一時間ほど、パソコンを打っていたのです。特に一人が、ICU高校卒だと言っているので、ICU高校から、どうして、ICUではなくて、慶応へ進んだのかを知りたくてね。そして、最後に、自分を明かして、会話の内容を聞いていたとも彼らにも言いましたが、

 驚くべきことに恋愛の話だけなのです。お上品ですよ。顔もきれいで、体はスリム、お洋服の好みも素晴らしい。そして、会話の流れも決して下品ではないです。だけど、内容が、女の子をひっかける(いえ、上品に言えば、どういうきっかけがあれば、仲良くなれるかということでしたが)、事だけなのです。本当に驚いて、目をむく思いがしました。彼らに対して、『それではだめよ』なんて失礼なことは無論言いませんでしたよ。

 でも、別の日に、これも同じく、パソコンを使うために、日吉の或る雑居ビルに入ったのです。すると、下の階に飲み屋があって、学生が、コンパをしていて、それが、仕事を済ませた私と、同じ時間帯に出てきたのです。もう、かわいいこと、かわいいこと、きれいなこと、まるでタレントか、女子アナです。ひらひらしたお洋服を着ていて、つけまつげをつけていて。それも、みずみずしくてすごいです。でも、学生とか勉強しているという感じではない。
 
 早稲田の方へ移ります。
 高田の馬場のサイゼリアで、同じく本用のデータを、作っていた時のことです。早慶戦で、早稲田が勝った後で、みんな大騒ぎです。慶応の学生より、体格がしっかりしていますが、みんな背が低いです。それは、小さいころから受験勉強に励むので、体を開放して、成長をさせる期間がなくて、成長が止まっているケースが多いのでしょう。

 この日は、勝った、勝ったで、飲みましょう、だけなので、会話の内容を聞いたわけではありません。だから、早稲田の学生の現況については知りません。

 で、東大に移ります。私が勤めていたころ、国際会議のお手伝いに駆り出される助手や、助教授は英語もできるし、イケメンだしというタイプが多かったです。すると、「僕は常に結婚指輪をしているのです」という人がいました。みんな、ただ、笑って聞いていましたが、これがどういうことを意味するかを、野暮ですが、解説をさせてくださいませ。
 つまり、結婚をしていないのに結婚指輪をしているのは、一夜のアヴァンチュールを共にした女性に対して、責任を取らないでいいということなのです。そして、より取り見取りであり、500人切りとか、1000人切り(これは、野坂昭如氏の言葉ですが、ご想像をくださいませ)は当たり前という世界らしいです。

 となると、私みたいなごく普通の人間でも、特別に目立ってしまうこととなります。その真面目さにおいてね。あまりにも現代人が、大学生の時に、遊びほうけて、ものを考えていないから。

 大学時代から目立っていたのを今では自覚をしますが、日本人の学生の間で目立っていたのではないのですよ。アメリカ人の学生(特に、今では彼はCIAだったと思われる)に目をつけられてしまったのも、比較の問題として、ありうる話なのです。

 しかし、ここで、本当に私が言いたいことは、田中康夫が、一橋大学で、特別に、特殊な生活態度へ入って行ったということが、うかがえるということで、そうではない大学生もいるのだということを、言いたいのです。
~~~~~~~~~~~~~

副題13、『部活の費用を流用して、都心で遊び暮らした?』

 私は今年の六月、一度だけ、一橋大学を訪問していますが、それが、この一文を書くのに非常に役立っています。これから先、立教大学、法政大学、上智大学、慶応大学三田キャンパス等も見ておかないといけないなあと感じ入っています。
 国立の駅から五分という立地の良さを持つ一橋大学ですが、
 田中康夫君が、どこに下宿をしたのかも問題です。

 国立駅からバスで、15分ぐらい離れた場所のアパートだったりして。となると、都心で遊んで帰ってくると駅から下宿まで帰れません。また、交通費もばかになりません。

 私が鎌倉から都心へ出かけるときに、一回4千円で、始末したと書いている時期がありますが、これは、東上線まで足を延ばして母を見舞うので、必ず、足が出る設定です。特に、11時間から12時間ほど、都心に滞留しますので、二回ご飯を食べます。すると、予算として、4千円と決めていても、絶対に足が出ます。

 鎌倉から新橋よりも、国立から新宿の方が距離的には、近いとしても、彼の年代では、すでに新宿が、魅力を持つというよりも六本木へ、遊びの中心が、移っていたでしょう。となると、時間、とお金の両方で、遊び暮らす生活を維持できないのは、当たり前となってきます。そこから先ですが、親に無心をしますか? それは、できないはず。
 じゃあ、がむしゃらに、肉体労働をしてでも、稼ぎますか? それも、どこか、軟弱なムードを持つ彼にはできないでしょう。じゃあ、当時としては、最先端のアルバイトであるウエーターとか、黒服のアルバイトをして稼ぎますか?

 それもできないはずです。それは、生活費に困ったことのない人間にはできない作法なのです。で、どうするかですが、
ここで、二つへ道が分かれます。誰が見ていなくても、やっていけないことをやらないという道徳感が身についているか、いないかの差です。

 彼は、解らなければ、何をやってもいいのだという風な人間でした。で、部活のお金を流用しました。
 その部活ですが、一ツ橋マーキュリーというのは、同窓会と現役の学生を結ぶ、一種の、とても権威ある部活の模様です。そして、先輩からも寄付を募り、学生が、そちらへ就職へ出向くように紹介をし、その結果、御礼として、入金もあるというような、資金が潤沢な部活の模様です。

 それを、管理する立場にまずついて、そののちにそれを、私的に着服をしました。で、都心、神宮前にマンションを借りて、のちに小説『なんとなくクリスタル』に結実するようなぜいたくな生活を謳歌するようになるのです。

 こここそ、最も大きく私の怒りを掻き立てるところなのです。

副題14、『隠れて、ずる(悪)をする人間を、私は最も嫌う』

 というのも今、私は金銭価値に直せば、五億円に喃喃とする被害を受け続けています。それをやっている人間はほとんどわかっています。だけど、彼らは自分が特定されないように、他人を、ぱしりとして使います。そして、その過程が、非常に書きにくいのです。たとえば八幡宮様が恐るべき行動をおとりになります。いつも、30%しか書きませんと言っていますから、八幡宮様に関してだけでも、まだまだ書くことがあります。でも、とても書きにくいです。

 鎌倉で、最も権威あり、中心である八満宮様を敵に回すなんて、あなたの方が変なのではありませんか?と、言われそうで。・・・・・だけど、そうやって我慢をしていたら、際限ない攻撃が八幡宮様から来ます。

 最近の攻撃で顕著なのは、長い間、大太鼓をたたくという案です。2009年など、一日に三回ぐらいこれがありました。だいたい20~25回ほど、太鼓が連打されます。で、合計五分以上、時には10分間連打されます。

 むろん、普段でも、太鼓が連打される機会はあります。信徒が、家内安全などの、ご祈祷を昇殿してお願いする際にも、連打されます。しかし、それは、だいたい6回で、合計、三分以内に終わります。だから、それとは違うのです。とても奇妙な形で、神経をいらだたせるものです。

 で、これは、例の音によるいじめの一つであり、どこからか、教唆を受けて、それを、八幡宮様がおやりになっているとはわかっているのです。そんな教唆をしたいというか、しなくてはならないのは、伊藤玄二郎です。彼の元愛人の石川和子が、とんでもない大間違いを警察を巻き込んでやってしまったので、伊藤玄二郎は、私がこの世から消え去るまで安心が出来ないdので、ありとあらゆるアイデアを練って、私をノイローゼにさせるか、引っ越しをさせようと願っています。その手法の一つが音で苦しめるという案です。

 で、或る時に、八幡宮様に電話をかけて、どうして、この連打をなさるのですか?と聞いたら、「行事のお知らせで、朝の10時にいたします』とのことで、その日は、何々がある」というお答えでした。
 私は『あ、そうですか』と言って引き下がりましたが、これは、例の鎌倉エージェント、そして、それに協力する連中が用意した案であり、これからそうするかもしれないが、ほとんど、どっちでもいい案だと、思いました。

 そして、じっと待っていました。雪洞祭りが開かれました。二日目と三日目に、気を付けて時計を見ていましたが、10時に例の連打がありませんでした。一日目はならなかったと思います。ただ、一日目については正確ではないのですが、二日目と三日目には正確に覚えております。

 どうして、大行事なのに大太鼓の午前10時の連打がなかったかというと、その日は、午前、9時から雪洞が飾られるから一般市民の見物客が大勢詰めかけるからです。でも、私の電話への回答が正しいものだったら、その日も連打があるはずです。だけどなかったのは、私への電話での回答が、その場しのぎのいい加減な、嘘に近いものであることを証明しています。

 大勢の一般市民が、来訪しているとき菜ならせないような、タイプの大太鼓連打なのです。どうして、ならせないかというと、それは目的が人を脅かしてノイローゼにさせたいというような連打だから、非常に気味悪くて、感じの悪いものです。それを、一般のお客が大勢聞いたら、すでに、私以外の住民が、『どうか、大音量を上げるのはおやめください』と、八幡宮様に頼んでいるそうですが、さらに、遠くから来た、一般の人へも、悪影響が広がるでしょう。

 そのくらいはお分かりになるみたいです。私は一人です。一個人です。雪洞祭りの最中に、午前九時から、境内を散策している人間は、100人を超えると思いますよ。そうなると、その100人の方が大切です。特に、雪洞をお寄せになっている有名人が見物に来ている可能性もありますね。そういう際に、不気味な大音量を八幡宮様が挙げるということ・・・・・それは、評判を落とすことになるでしょう。

 私はね。別に地団太は、踏みません。だけど、どうして、吉田茂穂宮司は、こういう命令を下すのだろう。と思います。そして、一つの可能性としては、鎌倉の住人のひとりとして、同世代(または、世代が近い)伊藤玄二郎とか、酒井忠康氏と、元からの付き合いがあって、彼らからの提言だと、逆らえないのだと、見てもいます。だけど、どんなにコネがあって逆らえないとしても、非常に感じの悪いことです。
 そんなことをなさってはいけません。
 この太鼓の連打だけではなくて、別のことも、いかにも『それは、悪だなあ』ということがあります。
音楽会が数多く開かれるようになりました。そして、今までなかった、入場制限(それは、入場料をとったり、切符を事前に配ったりするらしいが)をされる時があります。

 これも、私が見るところ、歌が平原綾香の、『カタリ』だったので、『は、はーん。私狙いだな。私を入れさせないということで悲しませようとする、例の伊藤玄二郎、+井上ひさし(または、彼らと軌を一にする日本国のエージェントたち)のアイデアだろう』と、納得をしました。私は14年間も文章を書いて発表をしていますが、カタリが好きだということは何度もここで書いていますからね。

 特に朝の九時から、「マイクの練習です」という大音量が聞こえるのです。そんな必要はない時間帯から始まり、そんな必要のない回数繰り返されるのですよ。一回か、二回やればいいのに、15分おきぐらいに大音量が、一日に何度も、聞こえるのです。
 私はとても悲しんでいるのですよ。伊藤玄二郎も井上ひさしも、高々、最近の、30年間で、取り立てられた、エージェントでしかないのです。それに引き比べて、鎌倉の鶴岡八幡宮は、伝統が800年も続いているし、日本全国から、善男善女、2000万人が一年間に訪れるのです。

 そして、伊藤玄二郎や、井上ひさしが、それほど、取り立てられたのは、ひとえに、この日本に核燃料を売り込みつけ、莫大な利益をそこからあげている、国際的軍産共同体が、日本人を、眠らせ、ばかなままにおいていて、真実を発現できないようにするためなのです。そんなことに、吉田宮司さんは、ご協力をなさっておられるのです。残念で極まりないです。

 でも、上は自分の立場を明快にするための例証です。この一文の主役はあくまでも田中康夫です。

 私は彼を大っ嫌いですが、世間の人も同じだろうと思っていて、軽く見過ごしていて、今まで何も語りませんでした。

 だが、今般、菅総理大臣いじめの先頭に立っているのを発見して、これは大変だと思った次第です。

 これから、二時間程度休憩を入れさせてくださいませ。私が何を嫌い、何を怒っているかが正しく表現をされているかどうかがチェックされていないので、休憩後それをチェックさせていただきます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田中康夫を、分析し、批判を... | トップ | グーグルの地図に載らない建... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事