銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

007の、世界は日本にも在るのだ(革マル委員長成岡庸司論)

2011-12-14 14:52:10 | Weblog
副題1、『最近では、徳川幕府方を、ひいきする私である』
副題2、『龍馬、フリーメイソン説』
副題3、『現代にも生きている、二重の支配構造』
副題4、『成岡庸司という人物を、ここで再び、分析しておく』
副題5.『川本三郎氏を、代替のスターとして、使ったかな?』
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副題1、『最近では、徳川幕府方を、ひいきする私である』

 BS日本で、13日の夜だったか、大倉集古館をたずねるという番組がありました。それの録画をPCの処理をいろいろやりながら見ています。で、よく頭に入らないので、二回見ています。が、一回目に慶喜公の書が出てきた途端。それが、慶喜公のものであると、すぐ、わかりました。 
 複雑な性格であり、かつ、全部を語らず、負ける方を選択した徳川慶喜公の筆跡を、すでに私は理解し、ほかの書を見ても、大体『あの人の手だ』と、わかるということが、感慨深くて、ちらっと、申し上げます。
 私は、負け組みというか、不遇であったというか、・・・・・その手の、人物がすきなのですよ。

 もっと、明瞭に言えば、私は、龍馬より、誰よりもあの時代の人なら慶喜公のファンだということです。私って、平易なことばかり書いていますが、実は複雑な人なんですよ(笑) NHK大河ドラマ龍馬伝が大当たりをしました。主演の魅力もあったのですが、明治時代の日本人の前向きにしてはつらつな様子が、現代日本人に、風穴を開ける気分となり、受けたのでしょう。
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副題2、『龍馬、フリーメイソン説』

   ところで、話は脇にそれますが、
   龍馬は、フリーメーソンであった? という説があります。

   これは、若くて元気なライター、====「ハローバイバイ、関」という名前で活躍しているひと ====関暁夫氏が展開している説ですが、私はテレビ朝日のやりすぎコージーという、映像つきの番組で、その説が紹介をされてから、そちらを信じています。

   二回ほど、連続してあって、毎週ではないということでした。特集として放映するということでした。が、学芸的番組として体裁を取らず、いわゆる、お笑い系の芸能人が多数出て、コメントをする番組内で、しかも、数本目に出てきた情報なので、
   日本の真実のインテリ層が見なかったのではないかと心配ですが、非常によくできていて、真実を語っていると感じます。

   あのNHK大河ドラマ、『龍馬伝』では、日本の外交史の一面の真実、を語っていましたが、現在の日本の状況では真実を語るものは何らかの弾圧を受け、似たようなレベルのものは出回っていますが、本当の真実を語るものは少ないのです。

   もし龍馬が、本当の志士であれば、NHKがその人生を英雄的に描くことすら、できないはずなのですが、ぎりぎりのところまでは真実を出して、それ以降の本当のところは、秘匿する形だと、この現代日本にも通用するのです。
   しかも、明治維新以降、引き続きこの現代日本を牛耳っているフリーメイソン一派にしてみれば、『ここで、ちょこっと、われわれの実力を示しておくか。わかる人間にはわかるであろう。この現代日本で、真実を語る手合いに対する、ちょっとした歯止めになるぜ』という気持ちだったと思われます。
   特にフリーメイソンに入っている日本人が、連続して日銀総裁となり、この日本を牛耳っているという説は、正しいでしょう。お札の顔も、不思議なことに、文化人として、日本を代表する人物ではありません。

  本日の私の投稿は、テーマとしては、下にある小沢・橋本の結びつきという大変重要なものを、皆様の耳目を、集中をしていただきたいと思いながら、つい、この小さなエピソード(徳川慶喜公の筆跡)にも触れてしまいました。しかし、龍馬・フリーメイソン説に触れることができましたので、少しは意義が深くなったかな?
  ハローバイバイ関氏の説によれば、スコットランドに、隠されたフリーメイソンの拠点があり、そこに龍馬は住み、明治の元勲たちが洋行の際は訪れていたとのこと。なるほどと思います。

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副題3、『現代にも生きている、二重の支配構造』

 ケネディ大統領の暗殺以来、庶民の間でも、意識の高い人の間で大体に知れ渡ってきたことは、この現代世界の政治は、二重構造になっているということです。ドイツが原発を、廃棄する方向へ決定しています。首相はメルケル女史。この頃はご苦労もあるのか、年取って見えるようになったなあとは思いますが、一般的な概念からすれば、『えーっ。経済大国・ドイツの首相が女性ですか?』というくらいに軽くも見えます。そして、フランスの大統領は移民系のサルコジ氏です。白人ではない。それは、アメリカの大統領オバマ氏も同じです。

 最近、イギリスでは若い首相が何か、OECDのユーロ問題で、微妙な発言をしたのを国内からとがめだてをされていると報道をされています。そのイギリスですが、首相は相当に若返っています。だけど、それで、いいと思われているのは、実際の指導者が別にいるからです。

 世界を牛耳っているのがフリーメイソンだとすると、いろいろ納得がいくことは多くあります。

 ところで、野田総理大臣がどうかですが、もちろんのこと、裏構造があります。菅首相がどうして首相になれたかですが、あれは、民主党内のドメスティックな方向性で、選ばれました。

 鳩山由紀夫首相があまりにも、優柔不断で、能力がない。それで、もっと、しっかりした人物にしないとだめだと、民主党内で、議員たちが思い、それを、その大指導者たちが追認した形となりました。というのも彼らが首相にしたいと考えている小沢一郎氏は、徹底的に永田町で嫌われているからです。で、まっとうなやり方では、首相になる目がないのですが、

 本人もそれを、自覚しているはずなのに、菅首相選任の際には、対立候補として立候補したはずです。ということは菅首相は、比較的に自律的な首相だといえます。瓢箪から駒という形で、生まれた首相は、国民の側に立ちやすい。一番の好例は、戦後の日本では、田中角栄、小泉純一郎、菅直人の、三人はそれにあたると思います。

 で、たまたま3.11が起きてしまったので、菅首相は、事前に定められていたお人形という立場を、乗り越えた決定を、次から次へと出し始めました。『彼は、最終的には、全国的な廃炉へ、持っていきそうだ』と、みなされたので、種々の、方法、を用いて、また、種々の方向から責め立てられ、結局野田総理へ、譲渡せざるを得なくなりました。

 明治維新政府は、明治天皇に支配をされたように見えて、実際にはスコットランドにいる、生きている坂本龍馬の頭脳的プランによって支配をされていたとすれば、今現在は誰によって支配をされているのでしょう。

 つまり、007の世界とは、フィクションではなくて、実際の日本にも在るのです。だれがジェームスボンドかはわかりません。つまり、正義の味方がどこにいるかはわかりません。が、悪の総本山はあるのです。
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副題4、『成岡庸司という人物を、ここで再び、分析しておく』

 ここで、私が独自の説を展開します。今現在の日本も、本人がどこに住んでいるかはわからないものの、成岡庸司という人物によって牛耳られているはずです。明治の時代からスコットランドからの支配だったとすれば成岡庸司君が、アメリカかヨーロッパか日本にはいないことも十分に考えられます。

 が、最近の調略的ニュースの作られ方を見ていると、非常に敏感にして、細かいので、彼は、この日本に住んでいるかもしれません。
 連続して、お読みいただいている方は、よくお判りでしょうが、

 彼は1942年生まれ、しし座の人間で、川崎で育ったはずです。
 はっきり言えば、もしかすると、在日の出身である可能性もあります。すると、私の従来の説、この日本を植民地国家として支配をするためには、黄色い肌を持ち、黒い髪をした人間に支配をさせるのが適当である。

 在日に出自を持つ者は、日本語が確実に使えるし、風体は日本人そのものである。かつ、複雑な心境と歴史的背景があって日本とか日本人を恨んでいるので、日本を支配するということに後ろめたさを感じません。どんなに、残酷なことをやっても、それを、自省する精神がありません。それで、最適な人間だとみなされています。

 で、川崎市内の公立小学校で、優秀な成績を上げ、当時はエリート校であった、横浜国大付属中学校へ、入学しました。実は私はそこで彼と出会っています。非常に活発で、劇的なことが好きな少年で、マテオ・ファルコーネを上演しています。

 ところで、ここで、ちょっとしたお断りですが、(特に連続してお読みいただいている方々へ向けて)マテオ・ファアルコーネを時々間違えて、マノン・レスコーと記述しています。それは、恐れ入ります。

 その学校はよい教育をするところであり、子供たちは、100人しか在籍しておらず、一種のユートピアでした。そういうユートピアで、一緒だった学友を、===現在の日本を、実際に支配している、黒幕のたぶんトップであり、現在の坂本龍馬(スコットランドから遠隔支配をしていたと思われる)だ===と、これほど、はっきりと言ってしまうのは、私の被害があまりにも大きいからです。

 最近の、一か月、私は、自分の個人的な被害について語っていません。が、終わっているわけではありません。むしろ、増えています。が、私のほうが、ある種の考えのもとに、それを白日の下にはさらさないでいるだけなのです。

 ですから、元の友達であろうが、どうしようが、一応のこと、死んでいるということになっていて、この現在の日本では表向きは存在しないひとですから、ここまで、書くわけです。

 彼は、横浜国大の付属中学から、これも、当時はエリート校であった、都立日比谷高校へ進学しました。そこでは東大を目指していたと感じます。一浪ののちに、早稲田の政経学部へ、進学しました。

 彼は、1962年か、1963年の初めに、三鷹駅バス停で、私と会っています。それが、今の私の苦境につながるのですが・・・・・
それをここで語ると長くなりすぎますので、ここでは省いて・・・・・

 1963年の夏あたりから、急に活動を活発にし始め、四年時の、1965年には、早稲田の革○の委員長になっていました。
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副題5.『川本三郎氏を、代替のスターとして、使ったかな?』

 ここで、皆様にもわかりやすい話へ持っていきます。
 最近、電車の遅延現象が頻発しています。これのうち、10分の8は、どうでもいい理由というか、わざと、作られた遅延だと感じていますが、それを、起こすのは、動労を支配したという革○を、成岡君が自由に動かせるからです。なぜ、遅延現象が作られるのかも、理由があるのですが、それも、ここでは省きます。

 が、もう一つ、映画の世界が、これらの、諜報部分と密接に連動している話を、申しあげましょう。川本三郎という人がいます。私とは何も関係がない(と思います)し、ここで、名前をあげたくもないのですが・・・・・

 この人が著作を出版し、それが映画になりました。著作と映画の宣伝のために公開された情報によれば、川本三郎氏とは、誠実極まりない人物の模様です。この人と、もう一人、早稲田の革○に所属していた人物が最近、著書を出しています。そちらは朝日新聞の書評欄に取り上げられたことは確かですが、今、著者名を忘れています。このタイミングで、革○が大きな話題になるのはどうしてなのか? ほぼ45年間(それは大学紛争時から見ればですが、三里塚逃走後から見れば40年間)も、うずめられていたことがどうして今、これほど表に出てくるかです。

 それが、私にとっては大問題なのです。

 なぜか、といえば、私がパソコンの中で、成岡君について、下書きを書いた頃に、彼、および彼の家来として動くマスコミ人に、以下のように命令を下せばこのような現象が起きるからです。
 『革○を、代表するほかの人間に光を当てよ』と、命令すれば、このようになるからです。その企画としては、典型です。つまり、1965年当時に、この日本では、成岡庸司という名前を頭の中にたたきこんだ人間は、10万人は居るということです。彼の名前は一般紙、および週刊朝日にさえ登場しましたから。当時早稲田に所属している教職員および学生の頭に叩き込まれたと思うし、同時代的に明治や、日大で、闘争をしていた学生たちにも叩き込まれたでしょう。また、1950~60年代にかけて早稲田を卒業した多くの社会人にもその名前は浸透していたはずです。

 が、1966年ごろからとんと、名前が出なくなりました。わたくしはそれを、「いったん死んだことにして、フリーメイソン側の人間として働かないか」、と、巧妙にもリクルートをされ、その日以来、『この日本国を、陰から操ることを、最大のプライドとして、生きている』と感じています。私が、それらのことを書き始めたので、革○を代表する人物を、早稲田側から、自分以外に二人を選んで、脚光を浴びさせていて、そちらへ現在の国民の目が集中するように図っていると、感じます。

 それは、彼、および、国際的軍産共同体、および、フリーメイソン側が、考えたと、みなしているわけです。・・・・・だから、川本氏の存在に光が当たり、その著作による映画が、現在の若手名優、松山ケンイチ(2012年度のNHK大河ドラマの主役です)と、2009年度の映画の主演賞を悪人で総なめにした妻夫木聡を使って、制作され、発表されたのも、私にはうなずけることで、『自分の説の正しさを、裏づける傍証の一つなのです。本当なら左翼映画に、これほどの、大物は出ません。後後のマイナスイメージができるからです。が、革○は、左翼ではないのです。どうしてか、そのトップ、成岡庸司君が、国際的軍産共同体のトップエージェントになっているからです。だから、現在の日本での若手トップ俳優とみなされる二人を使うことができます。
 その映画は、「マイ・バックページ』です。

 実はこの後を、信仰としておこします。
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副題5、『お金持ちが、没落をした時の象徴的作品としての泰正名画図屏風』

 ここで、諜略のことから離れて、トップの話題へ戻ります。つまり、私が負け組が好きで、複雑な人間であるという部分に戻ります。
 そこからの連想で、泰正名画図屏風の、所有者の県へ入っていきます。

 最近、サントリー美術館で、泰正名画図屏風を初めて左右両方一対にして展示をしました。旧譜代のお殿様松平家で、江戸時代は、一対のものをして、飾られていた可能性はあるものの、一般庶民が見ることのできる展示品としては、初めてのことだったのです。それで、大きな、話題になりました。

 それですが、左右そろいのもののうち、ひとつは、松平家から、維新の戦争の際に、萩の士族・前原一誠が持ち出した(またはもらった)物だったそうです。その前原一誠は、萩で、明治政府に反乱を起こしました。前原一誠にとっては明治政府といっても、元同僚で、しかも、自分自身の名誉や富を追及するずるい人たちでしかなかったのです。
 それで、結果として負けて、前原家が没落をした(?)ので、屏風は売り出され、実業家池長氏へ渡理ました。この人が、真実の美術愛好家・・・・・特に日本初期洋画の愛好家(プラス研究家)であって、大切にされ、その後神戸市に寄付されました。
 一方、松平家に残ったものは、サントリー美術館が買い求めた(?)のです。

 屏風は数奇な運命をたどっています。

 特に制作時の意図が、最近明らかにされてきつつあります。それは、上の流転史を抜きにしては語れないでしょう。

 で、研究者たちはいろいろ遠慮がまだあります。それは、江戸時代までの正式な所有者であった、松平家に対する遠慮です。また、前原家、池長家なども、経済的な没落という点で、マイナスの事実があったことが庶民に明らかになってしまいますからね。

 そして、今の段階では、たくさんのたぶんを含んでいますが、相当な程度に研究が進んでいます。
 (たぶん)イエズス会が(多分)狩野派に描かせて(多分)、徳川家康に献呈したであろう、この見事な屏風は、その役目(禁教を解除させたい)を果たさず、本来なら焼き捨てられたりするべきところを、当時の松平家の祖先(家康公の息子?)がもらったのでしょうか?
大変ドラマチックな由来を持つ屏風です。屏風の図柄は、ヨーロッパで印刷されたカレンダーの周囲を飾っていた、版画からの模写であるらしいのですが、画材といい、全体の大きさといい、丁寧な、描き方と製法(表装)といい、まさしく、圧巻の名作です。いや、宝物というべきか。
   15日に書き、17日に前半部分として、ここで、一応の終わりとする。
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