銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

警察の犬だった瓜南直子と金田佑子(2011年秋)、2024年の今、小泉新次郎がその位置にいる。

2024-09-10 12:56:22 | 政治

 本日も総タイトルは、変更する予定があります。

 いよいよ、書きたくてたまらなかった、みずほ銀行鎌倉支店での、9月3日の大騒動へ取り組みます。ただし、その前半部は、前報の最後の方に、書いてありますので、一応基本構造として、それをこちらにコピペして、行間で、抜かしていたことを埋めていきましょう。

副題1、『以前~2017年12月の末、津田沼駅で、策略を持って、全財産が警察によって盗まれたときは、あまりの衝撃で、私は何も書かなかった。ブログでは、一切書かなかった。主人には、手紙で知らせて、当座の現金、10万円程度を借りたが、文章で、自分を守ることはせず、ただ、ただ、待っていた。散発的に、金融機関のカードとか、通帳が盗まれたことはあったが、金銭的な、盗みはなかったし、そこまで、されたら、日本とは、ほんとうの野蛮国であり、政治についての論考などもするつもりはなかったと思う。

 全財産を盗まれたのは、やまゆり園事件の嘘を書き表すことと、その私の行為に不随して、g近所様が、いじめや弾圧をしてくるので、それを防衛するためのブログ文を書く必要があり、しょっちゅう徹夜をしていたので、歌舞伎座の昼の部のチケットを持っていた場合、午前6時ごろ寝入ると、最低でも五時間は寝てしまって歌舞伎座に行かれないので、一睡もしないまま、早朝の鎌倉駅で、千葉まで向かう電車に乗ってしまうのだった。

 ところで、その時、主人は、大病(心筋梗塞、+脳梗塞) を患っていて、しかも再発を疑われて、その私の外出の、ほぼ、4日ぐらい前まで、湘南鎌倉総合病院に入院していた。ただ、主人は、歩くことはできるし、外出を一種のリハビリとしてやりたがっていたので、主人が出たいときに外出できる様に、すべての財産を私は、リモワの、子供用アテンダントバッグに詰めて、外出していた。自分のための行為でもあるが、主人のための行為でもあった。主人が自由に外出できる様にするためでもあった。

 津田沼での、大盗難の前に、すでに同じことを三度か四度やられていたので、尾行を通じて、警察は、私の意図と目的をすべて把握していたと思う。

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副題2,『津田沼駅には、上下島型のホームが二本ある。その一本につき、10人の、セキュリティ用ガードマンが置かれていた。これは、瓜南直子さんの、全日本あすはが連につながる、私へのいじめ行為であり、雪ノ下二丁目の谷戸の、我が家の北側の道路に、掘られている、藤本禎子さんが、電動のこぎりの切れ目を、消失させるのに役立つ行為だった。2008年から10年以上に及ぶ、工事は、ほとんど、対私いじめであり、真夜中に、小町通りの最終地点で、突然、大型ランプがついて、不必要な工事が始まるのだった。

 2008年2月8日に始まり、御影石でできた歩道を、アスファルトの変更していった。これも、私の初期エッセー敷石を磨く男が、上等だったので、敷石をアスファルトに変更したのだった。 それは、夜9時過ぎに毎晩道路の敷石を磨く男がいたのだった。高級なものを売っているお店のご主人だった模様だが、お店は、ブティックなので、奥様が経営していると思う。

 このご主人は、家庭の中で、実権を握っていないと、私は思った。まだサラリーマンをしていたら、収入があり、家庭に奉仕できるが、もし家付きのお坊ちゃまで、御嫁入してきた奥さんに商才があって、家庭の収入を奥さんが、一人で稼いでいたと仮定すると、家庭には、居場所がない。で、夜の九時過ぎ、奥さんがテレビを見ている時間に外に出て敷石を磨くのだった。でも、いくら磨いたって、翌日、観光客が踏んでいくのだから無駄な行為である。わたくしは不思議に思っていた。でも、ある日突然に真実に気が付いた。このご主人はしゃがんで無心にたわしを動かしているときに、頭の中では、哲学をしているのだった。

 だけど、養老先生ほどの有名人でもない彼は、二階の居宅で、沈思黙考をしているスペースはないし、(つまり、一階がお店だから=在庫置き場もあるだろうし、二階の居宅部分には、限りがある。)書斎など構えてはいられない。そして、沈思黙考をしていると、それの意味の分からないに人間は、何をやっているのだろうと、嘲笑する。

 でも、メディアにのる様な有名人で無くても、考えることが好きな人はあるのだ。鎌倉育ちのお坊ちゃまだったら、有名私立中学から、大学に進んで、教養が高くて、常に頭に考えるべき課題が浮かぶ、そういうタイプは、産まれ得る。で、彼は、他人に不自然に見えない単純行動をすることによって、考える時間を確保しているのだった。このエッセーのタイトルが、敷石を磨く男であって、これも、これも、2008年の二月より前の話だから、当時は、公的にも生きていた、井上ひさしの嫉妬を招いて、「敷石を取っ払え」という事になったのだと思う。

  伊勢神宮おかげ通りですか、それから今辻堂の、モールそばも御影石でできたプロムナードになっています。しかし、小町通はアスファルトに、変更になりました。

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副題3、『私のパソコンのすべての画面を同期して、ハッキングをしている警察や、いまだ生きている井上ひさしは、わたくしが毎日瓜南直子さんの投稿を読んでいて、そこにコメントを寄せる、「執事です」と名乗る金田佑子さんのコメントを読んでいるので、二人のことを大好きだと誤解をしたらしい。私はただ、政治的な真実を知りたいから、二人の投稿を丁寧に読んでいただけだけど・・・・・まったくもって、考えが違うのだ』

 瓜南尚子さんは、彼女のファンであり、いつも「お嬢様、執事でございます」と、言うコメントを寄せる金田佑子さん(広島在住)を、警察のスパイとして、わたくしのそばに送り込もうとしたのですよ。2011年10月の末でした。私がどれほど、ふかく、警察の裏部隊がやっていることを知っているかを、金田佑子さんと私との間の会話から、探ろうとしたのです。私が普段我慢をしている苦しみを金田佑子さんを相手に吐き出すと思ったのでしょう。まさかバカみたいな推察ですね。

 金田さんは、わたくしが支援して、110人ほど、フェイスブック友達を増やし、瓜南直子さんも、わたくしの友達だったから、金田佑子さんが、付き合いだした関係です。

 だから、平家物語の仏午前の巻ではないが、わたくしは、金田佑子さんに、裏切られ、失礼な態度をとられたわけで、しかも、瓜南直子さんが、私との友達関係を切ってきたから、8月には、二人を大嫌いになっていました。

 しかし、瓜南さんが、CIAエージェントの支配下にあることは知っていたので、彼女を通じて、CIAエージェントの本心がわかるので、彼女の投稿は読んでおり、その結果、金田佑子さんの、直子さんに対する忠誠ぶりも知っていたし、時々は佑子さんとも猫談義を交わしていました佑子さんと私は猫が好きだというポイントで、知り合ったのです。

 しかし、その希少な、佑子・千恵子・猫談義をしている時も、内心では、佑子・直子の二人に対して、失礼な連中で、いやな人間たちだと思っているから、金田佑子さんからの、「11月3日、鎌倉へ行くので、お茶しませんか?」というお誘いに応じるわけもないし、その裏側も瞬時にわかります。だから、断りました。しかし、いかにも親友のように、人懐っこい文章を書いてくる金田佑子さんへ断りのフェイスブック文を書くのは、なかなか、しんどい作業でしたよ。必要な時は、人の下手(したて)に出てお追従をすることが上手(じょうず)な女性です。

 すると、瓜南さんは、金田佑子さんに対して、「変なお誘いをしてごめんなさい」という他人には読めないお手紙を送って、その後、口止め料兼、お詫び料として、豊島屋のお菓子を送ったのです。豊島屋って、鳩サブレーで有名なお菓子屋で、鎌倉本店まで、来ると、種々様々な美麗なお菓子を売っています。

 二人が警察の、犬(=スパイ)として動いたから、これから先のことをはっきりといいますが、当時、それは、1300円でした。遠くへ送るにしては、安すぎるご進物です。それだけ、瓜南直子さんは、経済的に苦しかったのです。しかし、そのお菓子は、美麗な印刷を施した缶入りで、豊島屋のお菓子としては、特別にリーズナブルなものでした。ヨックモックに、外見は、似ているのですが、バターを使っておらず、和風な味付けです。しかし、紅白の薄紙に包まれていて、それが、二人の卑猥なジョークのやり取りへつながります。

 ・・・・・ほら、ほら、赤い袴を脱がせると、白い足がにゅっと出てきて・・・・・うんぬんかんぬんと続きます。赤い薄紙に包まれた葉巻大のお菓子は、中心に白いお砂糖棒が、入っているのです。それを白い太ももがにゅっと出てきて、うんぬんかんぬんですって。

 ところで、11月18日に二人が世間に公開する形で、交わしたやり取りに、先立って、11月3日のデートを私が断ったら、金田佑子さんが、「雨宮舜さんにプレゼントをします」と、言って、お酒の写真を送ってきたのです。そのお酒は【恋のうぐいすから】という銘柄でした。【銀座のうぐいすから】というこのブログのタイトルをからかってきたのです。だから、このたくらみの裏に井上ひさしとか、伊藤玄二郎がいたことは確かです。

 むろん、そんなものは、製造も販売もされていません。その時点で、金田佑子さんにも激怒したのです。しかも、その写真を開いたら、パソコンがフリーズしてしまい、シャットダウンも再起動もできなくなったのです。で、むろん、わたくし自身の仕事もできなくなりました。

 こういうパソコンのシステムを利用した,いじめは、遠く、広島市にある足場組立会社に勤務している、金田佑子さんに、できるわけもないですから、警察が、やっていることであり、したがって、二人が警察の犬だと、明言するのは、誇張でも何でもないです。

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副題4,「上記の二人が警察の犬だったのは、2011年ですが、今は、小泉新次郎君が、全く同じ位置に鎮座しています』

 今、小泉一家を分析中ですが、新次郎君もまた、警察とどっぷりの関係です。これは、横須賀市・三春町の、彼の、事務所の鉄のドア前で骨身にしみて、味わわされました。二、三回、その場面を書いているから、ここでは、繰り返しませんが、徹底的に、CIAの家来としての警察が、丸抱えしている人物です。

 彼が総理大臣になったら、この国は、秘密裏の暗黒社会となるでしょう。何が原因かはわからないうちに、パソコンが壊れたり、スマホが壊れたりします。

 私の場合ですが、ご近所人間二人が我が家の合い鍵を持っていて、私と主人の二人とも家にいないで、チェーンがかかっていなかったら、すさまじい泥棒被害が起きます。

 なお、今、夜10時ですが、夜、8時半から、上の部分を推敲し、表現が足りなかったところを補いました。瓜南さんの何が、いけなかったのかを、相当に書くことができましたね。この前に2000字以上書いていたのに、すっかり消えております。でね。その部分がないと津田沼駅での、盗難の説明ができないのですが、それを、再び書いていると、みずほ銀行の、9月3日を書く、時間が無くなるので、残念ながら、それを再現するのはあきらめて、小泉新次郎君がなぜ、警察の特殊部隊(それが、保美死刑囚の行ったとされる五人殺しとか、新潟でのおおももたまきちゃん殺しとか、山梨県での、小倉美咲ちゃん殺しを行っていると、わたくしは考えています。で、表に出ている死刑囚ではなくて、たくさんの殺人を、実際に行った連中なのですが・・・・・)の、陣営内のかわいこちゃんであるかを語りましょう。

 まず、中野信子さんと、三谷幸喜氏が、あの、フリー記者は、失礼だと、言っています。

 わたくしは、全く違う意見です。あれは、やらせであって、小泉進次郎君をたすけるものです。彼は関東学院大学の出身です。

 いま、ここで、書いたことが、また、500字ぐらい消えたので重要でしょう。再現します。小泉進次郎君は、コロンビア大学出身と(修士をとっている)関東学院大学出身と並列されています。

 コロンビア大学進学は、石塚雅彦さんのお世話ではないかなあ? ウィキペディアから石塚雅彦さんの部分をとって、下に置きます。

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石塚 雅彦(いしづか まさひこ、1940年 - )は、日本のジャーナリスト翻訳家

人物・来歴

東京生まれ。1963年国際基督教大学教養学部社会科学科卒業、日本経済新聞入社。 1970年コロンビア大学ジャーナリズムスクール卒業。 1976年から1980年香港支局長、1983年から1988年The Nikkei Weekly(英文日経)編集長、1990年から2000年論説委員。 2000年から2004年フォーリン・プレスセンター専務理事[1]。 英国首相の回想記を度々訳した。

著書

翻訳

 
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