この章は、前報
その人は、高校生にして既にシューベルトの即興曲を弾きこなしたが、性格は、食えない事おびただしい。現在推敲中
の後半を、コピペして、独立をさせました。というのも、全く新しい、真実を、見つけ出したからです。それが、今日の総タイトルに浮かんでいる、一代前の西隣の住人であった、Mr.遠藤の、勤務先に関する、想像です。これは、まだ、何も証拠がない考察です。しかし、この考察が、事実だったとすると、すべての符丁があってきます。なるほど、なるほどと、腑に落ちることがいっぱい出てきます。と、言う前置きを置いて、その部分の始まりから、コピペしたものを下に置きます。
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この章は、私が、22日に策略をもって、新コロナウィルスを、ドトールが親切で出してくれた水としてだまし打ちとして、飲まされてしまった可能性があり、その経過は、以下に書いてあるのですが、
22日にドゥトール・武蔵小杉で、水の中にコロナウィルスを入れられた哉? 其は、19日のハックドラッグ・鎌倉での謀略の延長で!
直後に、もっと、すごい文章を書いています。それは、その時点で、死を覚悟したと、いう文章で下に置きます。
磔刑のキリスト…【美術9条の会】渡辺豊重、一ノ瀬智恵乎、…【多摩美】佐野研二郎、宮崎進、彦坂尚嘉
これは。24日の木曜日から、25日、金曜日にかけての真夜中に、書いたものですが、それを書いた直後の一日の昼間・・・・・まあ、見事なほどに、復讐行為に出会いました。誰からの復讐かというと、常に謀略をもって、私をいじめている(=弾圧をしている)、伊藤玄二郎たち、鎌倉エージェントからのものです。
私が、死ぬと考えた、伊藤玄二郎たちが、これが、チャンスだと、考えたらしくて、今まで、ブログで、その悪を書いた人物たちを総動員という形で、動かしたのでした。本人が出てきたわけではないのですよ。ただコメントとしては、井上ひさし(いまだ生きています)が、五本以上、ゲキレツな攻撃調のものを送ってきていますが、それは、今、書いているのが、正しいから焦っているわけで、私は、ますます、自信を強めています。
ところで、その日、たくさんの人が、動いたわけですが、その中で、全くの初出の人として、川合先生が、私の目の前に、現れたのには、驚きました。で、きちんと日付を覚えているのですが、それが2019年12月25日(金曜日)でした。
川合先生は、木戸を開けて、出てきたと、書いています。川合邸というのは、由緒ある建物で、他人のblogですが、お暇があったら、ご欄いただきたいと思います。上は、個人のもので、写真が多いです。下は、鎌倉市のものです。
『川合邸(鎌倉雪ノ下)』鎌倉(神奈川県)の旅行記・ブログ by ドクターキムルさん【フォートラベル】 (4travel.jp)
鎌倉市/川合邸 (city.kamakura.kanagawa.jp)
このお屋敷を調べている途中で、当代の川合さん(良一氏)の、wikipedia も、見つかったのですが、正式な肩書としては、東京理科大の管弦楽団【魁】の常任指揮者とあります。しかし、鎌倉の音楽好きな人間の間では、川合先生は、北鎌倉女子学園の、先生だと、いう話が通っています。したがって、遠藤家のお嬢さんが、同学園で、学んでいるので、お見合いを世話した人ではないか? 児島百代先生と、どちらかはわからないが
・・・・・と、軽く書いていたことへ、・・・・・そんな、短い文章に対する復讐案として・・・・・その日、木戸を開けて、初めて、川合さんが姿を見せたのでした。wikipedia をみると、68歳か、69歳なので、すでに、定年を過ぎていて、その学園には、通勤をしていないので、北鎌倉女子学園のことは、記載していないのか? いや、そうじゃあないでしょう。私のblogが、実は、相当大きなもので、そこに書かれている川合先生という名前と、ご自分、川合良一が合致させられると、困ると、いう認識があって、北鎌倉女子学園で、先生をしていたことを伏せておられる・・・・・と、私は見ます。
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その同じ日には、何人もの人が動いたのですが、なんと、富沢夫人も動いたのです。
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副題2,『富沢夫人が、2020年12月25日に、行った小さな謀略こそ、川合先生が、突然、目の前に、表れた意味を強調したのだった。富沢夫人まで、動かした、伊藤玄二郎たちは、欲を、かきすぎたのだ。かえって、損をしましたねと、言っておこう』
その富沢夫人の動作を語る前に、富沢夫人と遠藤家の、お見合いの関係を語ります。
そのお見合いの件は、私の方は、一切知らなかったのです。私は噂話を好む人ではないから。
しかし、富沢夫人がわざわざ、道端の二人だけの、小さな、井戸端会議で、教えてくれたのでした。私は、その時、富沢夫人に向かって、自分の本心など、一切語りません。だから、富沢夫人は、自分が役に立ったと思って、命令をしてきた人に向かって、「私は、川崎千恵子に、その結婚の話を教えましたよ」と告げたはずです。
その時の私の本心は、高枝切り事件が起きたときに語っています。それらに、ついてのリンク先を、#######罫線以下に示します。が、皆様に、再度、それをお読みいただくのも迷惑かもしれませんので、ここで、短縮して、申し上げましょう。
私は、富沢夫人が、その結婚(実際は、お見合い結婚)の話を私に告げたときに、むろんのこと、敵さんの狙い通り、嫌な気分になりました。しかし、富沢夫人に向かって、「あなた、なんで、そんなことを私に言うの? 気分悪くなったわ。だってね。遠藤夫人って、毎日、庭ごみを我が家に掃き落とし込んでいたのですからね。我が家の方が、一メートル低いので、それをやるのですよ。それからね。坊やが、小二ごろ、附小のお友達を連れてきてね。サッカーをやったのですが、なんと、我が家の壁にぶつけたのですよ。その時、私は、奥様は、不在だろうと、思ったし、子供たちがせっかく楽しんでいるのだから、そこに出ていくと、こちらが鬼婆扱いを受けるだろうと、思って我慢をしました。
しかし、あとで、振り返ってみて、あの時、奥様は、家にいたのですよ。というのもあの家に、子供のお客が来た事って、ほかにないのです。犬がいるけれど、散歩に連れて行った事がない家で、とても暗い家なのです。奥様は労働を尊ばないで、無精無精ですもの。だってあの若さで、トイレットペーパーでさえ、ユニオンに運ばせるのですよ。そんな、ものぐさな人、この山にいますか?
ただ、あの日だけ、6,7人友達が来ていたのは、お誕生会か、何か、やっていたのでしょう。という事は、奥様は、確実に家に、いたのです。
あのね、あなたも、あの家に、お宅所有の、大木が倒れこんだので、あそこの庭を、10mぐらいの高さから、見下ろして、よくご覧になったことがあるでしょう。あの家って、庭が、10坪もないですよね。しかも我が家側は、地境から、一メートルぐらいのところに、家屋が作ってありますよね。で、五、六、メートルの至近距離で、サッカーボールが、ガーンと、当たるのです。いやな事です。
またね、わが家って、堀内大衆さんが、作った古家を買って、引っ越してきたでしょう。堀内さんて、安普請で建てたみたいで、外壁がとたん張りです。だから、大音響なの。
でね、例のごみ掃き入れを、抗議したことがあるの。ずっと我慢をしていたのですけれどね。ある年の、大みそかに地境のところから、遠藤さんと、言って奥様を呼び出してね。「あなたね、いつも庭で、掃いたごみを我が家に落とし込んで、いるでしょう。それをやめてくださいね」と言ったのです。するとなんと、彼女は「やっていません」と、言ったのです。
私はね、瞬間的に頭が回るから、次に、こういうことを考えました。・・・・・あなた(ここは、遠藤夫人を指す)ね、我が家側に窓がないと、思っているのでしょう。たしかに二階の窓は、子供部屋で、私は、そこから見下ろして見つけたわけではありません。だけど、あなたほど頻繁ではないけれど、私もここを掃除するのです。
でね、変な土の盛り上がりがあるのです。砂時計状というか、ピラミッド状というかね。でね、はっとして、あなたの家の方を見たのです。すると、庭の一部が、ピカピカ、てかてかなのです。土が、削れたらしくて、てかてかなのです。つまり、あなたが、毎日、箒でゴミをここに落とし込んでいると、言うことが分かったのです。
で、その日以来、気を付ける様になったのです。我が家って、南側に崖があるので、とても涼しいので、夏でもクーラーを使いません。だから、窓を開けていると、物音が非常によく聞こえます。で、あなたが、掃除を始めると同時に一階に降りて行って、トレイの窓から見ていたのです。このトイレの窓ですけれどね。あなた側からは見えないらしいのです。あなたの家の、大家さんって、逗子に引っ越していったそうですが、非常に計算高い人ですね。最初から、西側に二軒目の家(新しい借家‥…ただし、遠藤家も、その西側の家=かまくら春秋窯も、すでに、もちぬし側が買い取ったらしいのですが)を建てるつもりだったらしくて、あなた(が、今住んでいる)家って、地境から、20cmも、引っ込んでいないでしょう。だから、あなたは、自分の家の東側が歩けない。で、あなたの家からは、このトイレの窓は、見えない場所にあるわけですが、我が家側からは、何か月間にもわたって、あなたの箒(柄が短いものですね)が、ごみを掃き入れるのを見ていたのですよ。・・・・・
上の黒字の部分が、大昔、遠藤夫人に、驚くべき彼女の汚い行為を注意した日の話です。これからは、今、音声では出していませんが、あなたに向かって言いたいことを語ります。
でもね、富沢さん、私はね。そんなことを遠藤夫人に言っても、無駄だと、思いました。だって、否定をすると、言うこと自体、想定外のことだったからです。でね、砂時計状の、土が盛り上がっているのを見せたのです。するとやっと表情が変わりました。
でね、最初に、この毎日続く、ゴミ捨て入れを、否定をされたことには、私も怒ったので、「昔、坊ちゃんがサッカーボールを壁にぶつけたことがあるのですけれどね」と言ったら、・・・・・次に「やめてくださいね」とか、「謝罪してほしい」などと、言う間も・・・・・有らばこその、短い時間で、・・・・・まことに、間髪を入れずという形で、「やっていません」と彼女が言ったのよ。そのあまりの余裕のなさに、私には、かえって、裏側がはっきりと読めました。彼女は、やはりあの時、家の中にいたのです。で、も、自分の子供の楽しさを優先して、我が家への謝罪の念は一豪も抱かなかったと、いう話です。
でね、やっぱり、申し訳ない。これは、悪いことだ。どうしようと、考えて、ご主人に言ったのです。で、ご主人が否定しろと、言ったのでしょう。
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副題3、『ここで、サッカーボールを壁にぶつけられたことを語ったために、今度は、石を同じその壁にぶつけられると、いう現象が起きた。だが、そのことを語る前に、白井達雄・小野寺夫妻と、その前の住民である遠藤夫妻とが、一般的な、売る人、買う人という以上の、コネクションがあった可能性について、語らないといけなくなった』
ここで、ものすごい真実を語ります。将来、別章で、丁寧に書いていきますが、白井達雄さんは、横浜銀行・鎌倉支店のいまの建物を、設計しています。二階に、ホテルシャングリラのロビーと同じ様な、シャンデリアが下がっている、ロビーを、前にした、使っていないスペースがあって、なんだろうと、思っていたのです。でね、設計段階から、東日本銀行(究明常盤相互銀行)との合併が、企画をされていて(今、実際に、そこは、常盤相互銀行が、改名した、東日本銀行が使っている)白井さんは、遠藤氏、もしくは、上滝氏と、出会っているのではないかと、いう推理です。
ここですが、・・・・・・壁にモノが当たる音が嫌いなんだ。じゃあ、石を当ててやろうじゃあないか・・・・・と、井上ひさしが、考えたらしくて、真夜中に、西隣方向から、そのトタンの壁に石を当てられることとなりました。
ここで、一つの仮定を上げておきます。もし、あの白井家の前の住人である、ミスター遠藤が、ときわ相互銀行(のちの東日本銀行)にお勤めで、同僚または、上司として上滝氏と、付き合っていたと仮定をすると、白井さんは、遠藤夫妻と、面識があると、いうこととなります。
白井達雄・小野寺夫妻と、私は、心底は打ち解けていない間柄ですから、このポイントで、質問をしたことはないと、思います。でもね、遠藤家が売りに出たことは、公にはならなかったのです。銀行が不動産を仲介することはあって、私は、今までは、白井さんは、横浜銀行、鎌倉支店の、リニューアルを設計した人だから、横浜銀行からの紹介で、買ったのだろうと、思っていました。ごくごく、単純なご紹介のしあいで・・・・・と、考えていました。
しかし、白井さんが、設計した、現在の店舗の、二階にすでに、東日本銀行が、2016年から、使い始めた、店舗が、作ってあるのですね。数年間、未使用という形で。設計のコンセプトを受け取ったのは、2006年ごろからだったと、考えます。現時点からは、15年程度昔のこととなります。
その時、その設計思想・検討・会議に、ときわ相互銀行側として、ミスター遠藤(鎌倉支店の、支店長ぐらいだっただろうか? それとも、もっと上の地位でしたか?) また、一緒に、顧問として、すでに定年退職をしていた上滝氏が、同席していなかっただろうか?・・・・・と、考え始めたのです。
この山で、最近、新住民として、四軒の転入があったわけですが、平木家は、自然な、転入だった可能性が高いです。前の住民、(I)さんは、どこかの出版社勤めだと、聞いています。が、政治的に、あれこれ、動く人ではなくて、「インテリですね」と、いう印象だけを残して去っていきました。しかし、白井達雄・小野寺夫人を筆頭に、平木家の後に、引っ越してきた三軒は、すべて、ハイスペックな人たちです。学歴が、すごい、し、収入も高い。その内二軒は、新築ですが、両家とも、テレビ取材(TV朝日とTV東京)を、受けています。
私は、ひしひしとですが、井上ひさし(いまだ、実際には、生きていますよ)が、「ざまあ見やがれ、お前さあ、偉そうにしているじゃあないか。だけど、世の中には、もっと、上の人間がいるのだよ。毎日、<収入が低いなあ、彼らに比べると自分は>、とか、考えて、みじめになれよ」と、うそぶいているのを感じていました。
でね、私は、母が、ずっと、株式投資をしていました。私が、高校生の時は、すでに、株屋さんが、訪問をしてくるほど、大量に、所有していました。で、株の売買に関することわざをたくさん教えてくれました。ほかの側面でも、母は、私を指導するのにあたって、ことわざとか、短歌を引いて教える人でした。で、こういういじめをうけたときは、母の教えの中から、「逆ザヤを張れ」を抜き取って、使うことにいたしました。だから、私は、引っ越していきません。どこの誰がテレビに出ようが、そうですか?で終わりです。自分は、自分、人は人です。
しかし、とんだとばっちりを浴びて、引っ越していった人がいます。それが、大原光孝氏夫人恵美子さんです。
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副題4、『大原恵美子さんは、川合良一さん一家と親しかった。お子さんが同い年なので、ママ友同士なのだ。女子美というのは、芸大よりは、入学試験において、偏差値的には、劣るのだろうけれど、女子美内部にいる人は、何も、芸大に対する劣等感を感じていない。だから、芸大卒の、良一さんとも対等な関係を結んでいたと、推察する。
結局、女は、結婚が大切だと、いうリアリストが多くて、お見合いで、ハイスペックな男性で、別の業界で、働いている人と結婚をするので、人生の最終段階においては、<あら、こっちの方が上になっている、ざあますよ>などという終わり方をするからだ。その上、恵美子さんは、実家は、裕福な医者(病院を経営していると、推察できる)だから、なおの事、川合家に、負けたと、いう気分はない。
恵美子夫人という女性は、小柄で、かわい気があるのだけれど、内心では、自信満々の人なので、酒井忠康氏とも、対等に、仲良くしているし、佐野ぬい・女子美学長とも仲良くしている。世界が広い人だ。
しかし、ここに白井達雄・小野寺夫妻が引っ越してきた。小野寺夫人が、みんなからちやほやされるのも、気に食わない事だったと、思うが、もっとも、いやな事だったのは、「自分は、もしかすると、夫の光孝さんに、騙されて来たのではないか?」と、考え始めた時だったと、思う。白井さんが引っ越してくる前だって、収入が多いという意味で、すごい人は、この山には、数人、いたのだけれど、恵美子さんにしてみると、「会社員だから、収入が高いのよ。所詮は、宮仕えの人よ。それよりも、うちの光孝さんみたいに、高等遊民の方が偉いの」と、思いこむことができたと、推察する。
白井さんは、重役出勤だから、午前10時ごろ外出する。そして、高学歴(東大卒)で、美的才能もある。私は、白井さんの、美的才能については、引っ越しの挨拶状を見ただけで、驚嘆をして、認めたのだった。美形、大好きの川崎さんとしては、白井さんの脳内を、ご愛顧の対象としている。かれが、ひどい政治的策略を行わないなら、何も、恨む必要はない人だ。だけど・・・・・まあ、まあ、白井さんについては、さておいて、先へ進もう。最近の数章の主人公は川合さんだ。
同じ白井さんデザインの挨拶状を、もし恵美子夫人が、もらっていたとしたら、白井さんの、美的才能には、気が付いたと思う。それで、突然に、光孝さんの真実の姿に気が付いてしまったのだ。
ここなんだけれど、とても重要なことを付記しないといけない。この恵美子夫人の家出の前に、私は、大原光孝さんから、「ご近所のみんなが、<川崎さんて、離婚をするよ>と噂をしているよ」と、いわれた。私は内心で、「何を言っているのよ。あなたなんて、家の中で、他人の噂しかしていないでしょう。低い低い内容の会話を交わしていて、何がわかっているのですか?
人間の愛なんて言うものを、小指の先ほどもわかっていないのに、他人のことをあれこれ、いうのは、傲慢千万ですよ」と、思った。特に一回、彼から、川崎さん、ワインが割れて惜しかったねえ」と、追い抜きざまからかわれたことがあって、その時、ワインが割れてという、実名なしのエッセイを書いている。が、それを読んだらしいのに、彼は、何も変わっておらず、相変わらずの、おっちょこちょいだった。で、少しでも相手が、弱いとみると、彼一流のからかいの言葉が出る。
私は、かれには、なにも説明をしないし、叱りも、怒りもしない。ただ、あとから文章を書く。なんというおっちょこちょいなのだろう。本当に社会的経験がないのだった。他人との関係を、どういう風に作って置かないといけないのかが、わかっていないなあ。一回も、お勤めをしないで、高等遊民のまま、一生を送ると、こういうことなる。…‥そういうことなんですね」と、いう文章を書く。
逗子にアトリエを作って、7年間ぐらい、家賃を払って使っていた。それは、幅70cm奥行き、120cmのプレスと、いう版画用機械が、山の上に持ち上がらないからだ。しかし、それが、12畳+6畳二間という広さなので、やがて、夜そちらに寝て、昼間も帰らないこととなった。
特に必要なものを取りに帰ってきた際に、安野夫人が窓を開けて、これ見よがしに、私を見ていることを誇示した。だから、大原光孝さんは、安野夫人を私より大切にしていることとなる。だけど、安野夫人って、三人のお子様の本当の母親を追い出して、忠彦氏とセックス優先の結びつきをした人ですよ。
そんな女性を私より上において、そのうえで、私をやっつけようなんて、30年早いです。今から、三十年修行をしてくださいと、思ったわけです。しかし、天は、思いがけない解決をしてくださるのです。私を離婚、うんぬんでからかってきた当の大原さんの足元に火がついて、奥様は、家出中です。すでに、7,8年に及ぶでしょう。
さて、ここで、やっと砂岩の話に入るわけですが、ここで、遠藤氏と、白井達夫さんの間に、面識があったと仮定をすると、白井小野寺夫妻が、自分たちの塀を我が家内に、入って、大工が作った日の、だまし討ちも語らないと、いけなくなりました。その後、石がぶつけられた数年間の話。
私の実験によってある危機は、回避できた話。真夜中に、安野氏が、鈴を鳴らして、この山を徘徊する話。とうとうを、語って、から、また、川合氏に戻ります。そして、その遠藤家と、妙本寺とのお見合いの席へ、入って行きます。
ただし、本日、29日は、ここで、パソコンを離れます。午前二時になったからです。あと、いろいろ、やってから寝ますので、また、午前四時になるでしょうし。では、
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ああいう否定もうなずけるのよ。
私はあなたに、北久里浜時代のことは何も言っていないでしょう。でも、ここで言いましょう。そこには、ご近所住人として、上滝さんという人がいたのです。旦那は完ぺきに奥さんの尻に敷かれていると、言う感じの夫婦でした。でね。奥さんの方が、偏愛の人で、長男はかわいいが、その年子の妹の方はかわいくないらしいのです。
フロイトのいう、エディプスコンプレックスの典型です。でね、下の子を、幼稚園に行かせるのをやめましょうよと、夫に提案をしたらしいのです。当時、幼稚園の月謝が一万円でした。上滝家は、貧しくはないのですよ。奥さんは、働いているわけでもない、専業主婦です。内職をしているわけでもない。手芸をやっているわけでもない。一体何を昼間やっているのだろうと、言うほど、無為に過ごしているらしいのですが、「幼稚園に行かせなくてもね。川崎さんに預けておけば大丈夫よ。あの人って、面倒見がいいし、あの家には、いつも子供が集まっている保育所状態だから、うちの子、午前中はあそこに預けておけばいいのよ」と、話し合っていたと、思います。
しかし、愛されていないから、お菓子を与えてもらっていないらしいのです。一方、我が家には、子供のお客が多いので、常に、五袋ぐらい、袋菓子が、キープしてあります。彼女が四月に遊びに来始めてから、すぐに気が付いたのですが、黙って、袋菓子を持ち出して食べてしまうのです。私はいつも、二種類ぐらいのお菓子を菓子器に盛って、出してあげるのです。その10時までが待てないらしいのです。
「駄目よ。勝手に食べては、あとで、必ず出してあげますから」と何度言っても、言うことを聞かないのです。でね、「ああ、恐ろしい、この子って、よほどの愛情不足で、したがって、何にもしつけができていないのですね』と、わかったのです。
でね、どうしようもないので、押し入れの下段においてある真っ白なシーツのかかった客布団の間に、挟まって、キャラメルコーンというお菓子を食べている日に、その日だけは、叱らないで、押し入れの外から、しまったふすま越しに、ごそごそと動いている姿を音で確かめたのちに、上滝夫人を呼んできて、家にあげて、現場を見せたのです。で、そりゃあ、恥ずかしかったと、思いますよ。
でね、夫に愚痴を言い、かつ、ご近所に「川崎さんはちっとも叱ってくれない上に、私たち一家に、恥をかかせた。悪い性格の人だ」という、噂をばらまいたのでした。
で、男というのは、本当の子育てをしていません。ただ、ただ、防衛本能は発達している。で、奥さんに、「川崎千恵子に何を言われても、否定しておけ」と命令をしたと、推察できます。
で、その上滝さんと、同僚だったと、仮定しましょう。すると、上滝夫妻から、私の悪口を聞いていて、かつ、北久里浜の地積変更届で、益山重夫と瀬島龍三が、組んで、1200坪の元、水道山をただで、私物化した、地積変更届の裏側を正しく知っている、私をやっつけるために、東日本銀行と、横浜銀行の合併を画策し、
上滝氏と、もしかしたらですが、遠藤氏の二人を格上げしたと、考えるとあの遠藤家の不思議な、行動もすべてが、納得できることとなってきます。
そこで、遠藤氏の方を、東日本銀行の重役に取り立てて、したがって、妙本寺と家の格が合うと、言う形に設定して、そのうえで、お見合いをさせると、言う段取りだったとも考えられるのです。
今までは、遠藤氏は、東大卒なのだろう。それで、妙本寺と家格が合うと、言う形になるので、養老先生ご夫妻と、川合先生ご夫妻が、出席する、お見合いの席が、できたのだと、考えていました。しかし、横浜市大卒でも、横浜国大卒でも、茨城大学卒でも、千葉商科大学卒でもいいのです。それから、慶応早稲田等の、私立大学卒でも、重役なら、妙本寺と、家の格が合います。上滝氏は、高卒です。しかし、お嬢さんは、エリートとお見合い結婚をしていると、思いますよ。
だって、私と喧嘩をしたということで、CIA様御用達と、言うか、ご愛顧を受ける人間となったわけですから。こちらのお嬢さんは、二重性が強くある女の子だったので、長じても、そうなっていて、相手が上だと、見ると、品品と、しなだれかかって、甘えて、うまくやることでしょう。
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高枝切り事件に関するリンク先・・・時間が逆順ですが・・・北鎌倉女子学園の川合先生が、私の目の前に現れた事を機に公開します
の集中したブログのうち、特に、12番目のもの
12)
高枝切と言う大攻撃があったが故に、超・肥満体である隣の奥様について、思い出が溢れ返ってしまうのだった 2016-10-01 00:58:46 | 政治
に書いています。
(なお、ここで、リンク先を示すにあたって、30時間以上間違ったリンク先を示しておりました。お許しくださいませ。)の時に、さらしています。