17日の、真夜中に、スマホを使って相当な字数を加筆をしました。さらに、今は、18日の夕方五時半ですが、さらに、推敲加筆を進めていきます。
副題ゼロ、『この章を書き始めるにあたっての、お断り』
これは、100%前報
野見山暁次が【こころの時代】に +島田章三と大沼嘉津江 +、横浜銀行と東日本銀行合併の真相
の続きです。前報で、だいぶ、政治論文らしくなりました。しかし、この章では、人物論に入りますので、一種の哲学の私論となります。誰の人物論かというと、島田章三氏です。と、いっていますが、この章では、そこまでは、入れませんでしたね。ただ、千里さんについて、語る際には、島田章三は、抜かせない存在です。
野見山暁次が、NHK 教育チャンネル【こころの時代】に出てきたことで、わたくしにとっては、すこぶるつらい出来事である・・・・・山口みつ子さん殺害の一件・・・・・を思い出さざるを得なくなりました。これは、2010年に起きたことで、2017年の五月に、最終論考を果たしております。
しかし、野見山暁次の、秘書である、山口千里さんが、野見山さんの、秘書となったことが、みつ子さんの死を招いたという、通説があると、思いますが、それが、違うということを書き表し、ここ、三通の野見山暁次と、いう人名が入っているblogは、その通説を否定していきます。
ただ、千里さんの、人となりを知ったのが、国画会というソサイエティですので、その組織の実質的、ボスだった、島田章三を分析する必要があるのです。彼も、野見山さんも、二人とも、CIAエージェントと、ずぶずぶの、関係にある人物ですから。その結果、野見山さんは、文化勲章を受章し、島田さんは、横須賀市の市民税をずぶずぶに注がれたのでした。島田さんは、それを愛知芸大に注ぎ込んだのです。愛知芸大の名声は、横須賀市民が、涵養をしたのでした。
みつ子さんが、・・・・・経済的に行き詰まり、それを解消する手段として、野見山さんの、後妻兼、プロデューサー兼、秘書になることを夢見ていたのだが、その夢が、千里さんによって、絶たれたので、絶望して自殺をしたと、言う説が、画壇のある層の中での、暗黙の通説となっている・・・・・と、見ていますので、必死になって否定をしようとしているところです。特に、昔、存在した村松画廊(今は、跡地が、イデミスギノの、お菓子店となっている)のオーナー、川島女史が、筆頭となって、そういう説を読売新聞にさえ垂れ込んで、
それを説明している新聞記事を、森さん(exibit Live and Moris )のオーナーだった男性が、わざわざ、読売新聞をとっていない、わたくしに見せた、点が、メルクマールとなっています。悪人たちは、真相を決して、自分たちからは、白状をしません。だから、こういう些細な出来事の積み重ねで、真実を探求していくほかはないのです。
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副題1,『みつ子さんをしのぶ会(一種のお葬式)が、2010年1月31日(日)に計画をされていたのに、急に中止になった。それは、30日に私が、花を、自分で、盛り篭風に活けて、持って行ったので、わたくしが、31日にも出席をすると、見た、鎌倉エージェント、が、野見山さんに、その予想を告げ、
野見山さんは、自分が、私=雨宮舜(本名 川崎千恵子)に、いろいろを追及されることを恐れて、急遽千里さんを使って、堀浩サイ氏などの、ギャラリー山口の常連に、電話をかけさせ、しのぶ会の中止を、半ば命令的に、主張をし、そこから、連鎖反応的にすべての人に回る様に、手配をしたと、見ている。
例えば、堀氏などが、そういう手配=中止しましょうという提案=をしても、画壇の人々は、了承をしない。しかし、野見山さんと、千里さんと、みつ子さんの、三角関係を知る人なら、野見山さんからのお願いだったら、うなずいたと、考えられる。野見山さんが何らかの責任を感じて、逃げたがっていると、考えて、中止を了承したと、推察している。
しかし、本当のところは、三角関係ではないのだ。私を含む、四角関係であって私が、みつ子さんの、代理人として、
野見山さんが、CIAエージェントの意を受けて、みつ子さんに、私との交際を禁じたことを話し、・・・・・したがって、みつ子さんは、他殺である。CIAエージェントは、わたくしがありとあらゆる意味で、不利になることを願っており、わたくしがみつ子さんと、仲良くなると、画壇での勢力が強くなる・・・・・・ということを阻止したのであり、
野見山さんが、そういう命令を、みつ子さんに向けて、行ったのを、彼らは、わざと。私に見せつけたのだから、これは、間違いがない。このエピソードの詳細は、$$$$$罫線のところへ、(あとで加筆して)続けます・・・・・
とそういう話をすることを野見山さんは、非常に恐れたのだった。したがって、急きょ中止にさせたと、見ている。◆
最近、立て続けに、井上ひさし(まだ生きていますよ。公的には、自分を死んだことにしていますが、実際には、まだ生きています)が、自宅で、ネットが使えない私の弱みに付け込んで、私を貶める文章をコメントとして、送ってきています。
それを引っ込めるのを忘れていたりするので、ご近所の安野夫人がうれしがって、偉そうにしていましたね。全部関連があるので、これらのコメントは、井上ひさしが、書いたのは、確実でしょう。
でもね。こうなると、もっと、大きなことが明らかになってきています。山口みつ子さんを、殺しなさいと、提案したのも彼かもしれませんね。実際の殺人実行者は、警察の特殊部隊だと、思いますが、提案者は、井上ひさしの可能性が高いです。
その事案の前に、馬越陽子さんを、京橋の画廊、ギャラリー手(今は、そこには無い)に、出現させたのも、彼のアイデアだった可能性が高いです。そちらは、失敗しているのにもかかわらず、このブログを読んでいるのが、鎌倉エージェントの中で、彼一人だった場合、彼は、自分にとって都合の悪いことは、上部へは、伝えないのです。この文章を読むのは、相当な力が必要です。したがって、伊藤玄二郎も、石塚雅彦さんも、「忙しい」ということを理由に、読んでいない可能性が高いです。松本・警察庁・現・長官も、読んでいないでしょう。で、井上ひさし一人が、読んでいて、自分にとって、都合の悪い部分は、上奏をしないで、ただ、ひたすらに、自分を守るために、次から次へと、すぐ、ばれる謀略を紡ぎだしていると、いうわけです。
でもすべての案件に共通項があります。それは、自分のアイデアを、別人に実行をさせると、いう点です。自分は常に隠れていて責任が追及されない様に、手配をしてあります。ずるい、ずるい、人間です。・・・・・・という挿入を入れて、元のところ◆へ、戻ります。
私は、決まった曜日に、銀座の画廊外を回っていました。北側の、京橋のユマニテ(ギャルリー)から始めれば、月曜日に、みつ子さんの画廊に顔を出しますが、みなみ側、新橋の森さんの、画廊から歩き始めれば、月曜日に、全部を回ることができず、木曜日にもう一回出かけて、木曜日に、みつ子さんの画廊に顔を出します。
私が、鎌倉の自宅を出ると、すぐ、安野夫妻が、警察へ、上奏をします。それ以降は、各種エレベーター内の、監視カメラ、尾行等を使って、わたくしが、現在、どこにいるかが把握をされます。
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副題2、『馬越陽子、京橋に、夜の七時に現れて、愚痴を言う』
その野見山さんが、現れた決定的な、時は、ギャラリー山口が舞台でしたが、その前に、そこと近い場所に、画廊を開いていた、【ギャラリー手】に、馬越陽子さんが現れて、威張りかえった事がありました。そのときに、それ(どこに私がいるかは、常に、把握をされていると言うこと)が、はっきりしました。馬越さんは、車の交通の少ないその通りに止めてあった、車の中で、待機していたと、みなすことができます。
というのも、【ギャラリー手】は、独自の作家を発掘する画廊で、馬越さんは、その時点より前には、一度も入ったことがない画廊なのです。
馬越さんが、その画廊に表れたのは、その画廊で、わたくしが長話をすることが多いので、確実に、私と出会う可能性があるからでした。そして、出会ったら、馬越陽子が、どれほどに、優秀な画家であるかを、彼女自身に開陳をさせ、それによって、川崎千恵子が、うつ病になるだろうと、言う狙いのもとに、彼女を動かしたのです。
ところで、彼女に、「川崎千恵子をいじめなさい」と命令したのが、だれなのか?なのですが、独立画家協会のトップの絹谷幸二さんではないと、思います。
別の路線でしょう、特に、芸大路線を利用した、ラインが最も可能性が高いです。で、野見山さんか、黒田悠子さんか? 黒田悠子さんとは、一般、の、日本人には、有名ではないと、思いますが、芸大卒で、ほぼ、私と同世代の画家です。自由が丘の自宅で、今は画廊を開いていますが、以前は、中国人が開いた画廊21+葉を、受け継いで、京橋とか、銀座で、画廊を経営していました。画廊の移転は、結構あります。画廊って、儲かる仕事でもないので、家賃の安いビルを借りることが多くて、したがって、「ビルを建て替えます。で、出てください」と、言う話になることが多いのです。
また、美術専門のメディアの編集長か? 新美術新聞社の、油井一人さんか? 美術の窓の、〇〇さんか? まさか、月刊ギャラリーの本多さんではないでしょうね。
ともかく、誰かが、わたくしが鎌倉ユキノシタの自宅を出たとたんに、車で、馬越さんを迎えに行き、イデミスギノの前で、待機していたと、推察します。馬越さんの杉並区の自宅へは、三時ごろから、車を回して、私が、横須賀線の、横浜駅を出たあたりで、出発をさせたと、見ています。
ギャラリー手のオーナー杉山さんが、事前にそれを知らされていたかどうかは知りません。彼は、大体においてポーカーフェイスの人ですから。
馬越さんは、この画廊に入るのが初めてで、それなりのあいさつを画廊オーナーにした後で、誰に向かって言うでもない形で、「最近、北京で、個展をした」と、言う話をしました。「その凱旋個展が、三越本店であるので、制作他、準備が、大変で、忙しい。忙しい」と、言い続けました。北京の個展会場は、相当に広い場所だったと、思いますが、そこの展示品が、相当数売れたと、見ないといけません。
最近の中国の富裕層は、美術品を収集することに熱心の模様です。馬越さんの絵は、カドミウムイエローを大量に使ってあります。100号で、50本は500mlのチューブを、からにしているはずだと、思うほどの、黄色の氾濫です。これは、黄色を高貴な色と考える中国人が喜ぶと、思います。で、大量に売れたと、判断をします。すると、三越での、凱旋個展用に、新しい作品をまた、作らないといけません。今度は、期日が決まっています。しかも、準備期間が短いでしょう。彼女は、焦っています。焦っているのに、こんなことに駆り出されてと、不満や、怒りがいっぱいでしょう。
私は黙って、馬越さんを見下ろし続けました。彼女って、私より、10cmは背が低いのです。画廊内は、オーナーが、紙類の作品を整理する大きな机があるので、人間が立つことのできる場所が、少なくて、すぐそばに立つ、馬越さんを私は、見下ろす形になりました。そして、自分の方では、顔色を変えることもないし、動揺することもありません。これは、最近、わたくしが丁寧に、論考している、2014年の【とうふや うかい】での、お茶大付属高校のクラス会での、だまし討ちと同じです。
つまり、『お前より、上の存在がいるのだ。だから、偉そうな顔をするな」って、言いたいのでしょう。誰が?って、言えば、井上ひさしか(それは、2007~2009年の間だったので、彼は、公的にも生きていました)、伊藤玄二郎か、成岡庸司君か、石塚正彦さんか、警察庁長官か? 誰かは、わかりませんが、わたくしが馬越さんの、話を聞いてダメージを受けると、考えて、彼女を道具として使ったのです。
私は、そういう仕掛け、とか、仕組みが、一瞬にしてわかるので、敵さんの狙い通りには、動かないわけです。黙って、馬越陽子を観察し続けます。決して意地悪な雰囲気で見つめるわけではないのですよ。だけど、人間って何だと、言う仕組みを考え続けている私にとって、馬越陽子とは得難い素材です。
公募団体展(日展とか、二科展とか、新制作展とか、国展とか、独立展とか)、に関係している人にとって、は、馬越陽子とは、とても有名な存在です。
しかし、よしもとばななのヒット本の装ていをてがけた山本容子ほど、一般の、世界では、有名ではないと思うので、ここで、少し解説をさせてください。
彼女は、東京女子大を卒業しています。父親は弁護士だと、言うことで、富裕層です。彼女が、少女期の弁護士は、数が少なかったからです。大企業の顧問弁護士などをしていたら、超が付く富裕層です。で、馬越さんは、会社に就職などしたくないです。OLなんか、やって、12万円ぐらいのお給料をもらったって、それが、なんになりますか?と、いう世界に住んでいる人です。で、大学院へ行きたいわけですが、東大の大学院とかに行ってしまうと、これは、お嬢様としては、マイナスなのです。
一方、スピリチュアルもので、有名な山川亜希子さんなどは、日本橋の生まれで、富裕度が、けた外れなので、東大へ行っても、お嫁さんの口があると、みなされていて、親が、自由を許しますが、我が家など、「あなたのお父さんは、日本の納税者として、上から6%以内に入ります。だから、入学試験優秀者には、揚げるはずの奨学金を、あなたには、上げられません」と国際キリスト教大学で、新入学時の四月に断られているし、元大学教授夫人だった、お手伝いさんが、「ここの家で、学んだことは、お金があることの有利さです」と言っていたほどなのに、父は、文科系学部に進学するのを許しませんでした。理工系か、実学系だけです。むろんのこと、大学院へ行くなど、もってのほかです。
でもね、それだけ、超度級に、富裕なので、馬越さんは、好事魔多しの例え通り、わがままお嬢様だった可能性があります。で、芸大で、巡り合って、結婚した相手の男性が、自殺を、しています。「うーン」とうなるほか、何とも言いようがないが、それが、彼女のレジェンドです。
画家の場合は、普通と違って、連れ合いの自殺でも、なんでも、伝説があった方が、画家としては、面白みがあるわけで、彼女は、独立の中でも、女流画家協会の中でも、画料が高いことで有名です。彼女の100号の絵は、わたくしが見に行っていたころ、=2000年ごろ=は、100号が、1000万円以上はして、大企業とか、美術館が、買っていたと、思います。小品の方も、一号、10万円でした。
小品の方は、女性で、一般優先者として、独立展に、作品を出品していて、馬越陽子さんの力で、会員にしてもらいたい人が買うのだと、思います。馬越さんは、ルビーの10カラット程度の、指輪をしていました。1000万円ぐらいするのではないかしら? 親のプレゼントではなくて、ご自分の、力でお買いになったものでしょう。
私は、そういうことを考えながら、決して、意地悪ではない目で、彼女を眺めていたのですよ。だって、かわいそうです。創作をする人間とは、常にコンスタントな生活を送りたいのです。健康でないとだめなのです。午後、4時から、7時まで、すでに三時間は、束縛をされていて、内心では、怒りが、満杯でしょう。
それに彼女はバカではないです。私が、これを計画した人間たちの、思惑通りに、ダメージを受けているかと問えば、全く受けていないのは、わかっていたはずです。だから、余計に、自分が無駄なことをしていると、感じて、疲れた、疲れたと、連発をしたのです。
それだけ、頭がいい人なのです。彼女を使役しようとした人間たちの方がバカなのですよ。いつも通りです。小学生か、中学生並みの頭脳程度です。
さて、裏にCIAエージェントがいるという点では、同じですが、しかし悪意のこめられ方は、はるかに大きかった、ギャラリー山口での、野見山さん、山口千里さん、私、山口みつ子さんの、四人の、出会いを、語りましょう。
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副題3、『その日、私は初めて、野見山さんの白目を見た。野見山さんは、普段、ほとんど、目を見開かない。半眼で、ある。白目が、見えない人なのだ。しかし、ギャラリー山口の、西側の入り口から、4m入ったところで、私を、見つけた野見山さんは驚愕のあまり、目を見開いた。それで、私は、その日にいろいろなことが分かったのである』
本日(=2021-1-18)は、カフェの終業時間が、あと、一時間、迫ってきています。したがって、ここは、明日、詳細を詰めます。または、過去にすでに書いているので、そのリンク先を見つけて、ここにコピペしておきます。
野見山さんの芽が、真ん丸だったことも私にとっては、山口みつ子さんが他殺であると、いう重要な証拠の一つだから、必ず、あとで、充実をさせます。
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副題4、『ところで、馬越陽子と、保坂涼子を、比べたくなる私であった。イギリス発の童話、都会のネズミと、田舎のネズミの対比例としてもである』
今、私は、しみじみと言う思いで、馬越陽子という女性と、保坂涼子という女性を比べている。馬越さんの方は、私の、目の前で、・・・・・自分は嫌な役目を担わされてしまった。くやしい。とか、やるせない・・・・・と、いう思いをしたわけだが、終始冷静で感情を爆発させることはなかった。
保坂嬢の方は、激烈なヒステリーを起こし、激しい罵りの言葉を三十六行書いて、それを101回も繰り返して送って来たのだった。パソコンが壊されているので、数字については、101行が、36回だったかもしれない。そして、その繰り返しは、古村浩三君などの、ハッカーが、行った可能性がある。しかし、原文は、保坂涼子のものだと、思う。それに私が、それによって、脅かされたことも事実ではある。
これは、私が、苦しめられもしたが、山口みつ子さんへ、訴えたことによって、みつ子さんが、殺されることへもつながった。それは、すでに書いているが〈後注1)
もう一度、はっきり言おう。保坂涼子のヒステリーは、終局として、自分の初個展を催してくれた、山口みつ子さんが、殺される事に繋がったのだ 。つまり、もっと、はっきりと、結論を言うと、彼女が引き金を引いたも同然なのだった。
ところで、彼女が、私をののしってもいいのだと、確信した裏側に秋山祐徳太子への尊敬があるわけだが、
その敬愛する人物が、都知事選のたびに泡沫候補としてテレビ画面でくだらない事を言い、日本政治をオモチャの政治にして行く方向で寄与し、従って、CIAから多額の報酬を得ている事も、保坂嬢は、知っていたのだろうか?
そして、その男性が、多分だが、芸者の子供で、私生児である事も、知っていたのだろうか? また、安保闘争のころ、新左翼で、フリーセックスを、楽しみぬいた、人間であることも知っていたのだろうか?
保坂嬢も、西原理恵子さんと、同じく、むさび出身だから、彼女と同じく、次から次へと男の、棒(一物というもの)を試しましたか? 味わいぬきましたか?
ともかく、常に礼儀を守り、相手に直接には、自分のマイナスの感情(特にヒステリックな爆発)をぶつけない様にするのが、教養のあるエリートの最低限必要なマナーだと思うけど、涼子さんには、それは無い。
一方、馬越陽子さんの方には、それが、あった。彼女は、あの日、絶対に私の顔を見ようとはしなかった。そして、私自身についても、何も批判的なことは言わなかった。
ただ、ただ、ご自分が、北京で、大規模な個展をして、帰ってきたばかりだと、いうことと、そのgaisenn 個展が、三越で、開かれるので、その準備に忙しいと、いうことを言っただけだ。
昔、保坂嬢の経歴を調べていて、相馬市の出身だったと、記憶している。相馬って、野馬追で、有名な場所で、したがって、旧華族(つまり、お殿様)がいたのだろうか? で、その類縁者なのですか? で、そういうお嬢様が、妾の子で、日本政治をおもちゃにしている秋山祐徳太子を尊敬するのですか?
今、馬越陽子さんの方の、自宅の最寄駅を調べた。杉並区だとは、知って居たが、最寄り駅がわからなかった。17日に地図で調べると、阿佐ヶ谷と西永福どっちに出る事も可能な地域だった。町名は田園調布やニコタマと言うほど、有名なわけでは無い。新ブランド地域になっていた(ただし、台風19号以前の話だが) ムサコでも無い。
しかし、その町内を、今普通のにんげんが、買うのは無理な地域ではある。売り物件出ないはずだ。そして、時たま、それが出ても、銀行経由で、富裕層にだけご案内が行くだろう。
そして、陽子さんが、もし東京女学館を経由して東京女子大学に入ったのだとしたら、保坂涼子には絶対に追い付けない場所に、馬越陽子は立っていると言える。私は、たまたまだが、鎌倉エ―ジェントにいじめられていて、保坂嬢と、馬越陽子さんは、ともに、攻撃用弾丸として、使われた存在だから、二人を比較する事ができる。人間を研究するものとしては、とてもありがたい。
ちょっと、蛇足気味だが、日吉なんて慶応大学理工学部が、ある為に、一応ブランド名が確立しているので、昔は別の名前で呼ばれていた高田とか箕輪とかが、日吉本町、何丁目とか、日吉町何丁目と改名をされている。それは芝辺りが、全て六本木何丁目になったにと同じだ。
しかし阿佐ヶ谷だと、もう売り物が出ないと思う。従って、商業主義から来る、さもしい町名・改称の動きが無い。それでも、もし売り物が出たら、軽く一億を超えると思う。そういう一帯だ。
私は、京橋の、ギャラリー手の内部では、彼女に一言も、言葉は、かけなかった。そして陽子さんは、一度も私の方は見ずに、ただあらぬ方向を見つめながら、ひたすらに、「ああつかれたわ」と、繰り返したのだった。あそこで、「私はね、あなたの為に、今つかわれているの。大事な時間をつぶしなければいけないの」って言う位、ぶっちゃけても、ふしぎではない。
でも、彼女は耐え難きを耐えて、画廊を出て行った。5~7分ぐらいの間だった。
ここで映画道に出てきた三人の、登場人物と、保坂涼子の芸術の共通点を述べよう。彼女はアンソニークイーンが演じた粗野な男ザンパノに当たると思う。
あの、罵りの言葉の粗野さ、どこにも、推敲の跡が見えない、暴力の羅列。
石の彫刻を航子という別名で発表をしていたが、床に置いてあるそれには、おもしろみはない。ただ、私と、敵対しているとみているCIAエージェント達が持ち上げているだけだ。それで、新制作展に入選で、やがて会員になっていきますか?
では、何故私が彼女を褒めそやしたかなのだが、壁に飾ってあった、額装済みの、詩篇と写真が、すばらしかったからだ。西表島か、奄美大島へ、旅行した感動を、詩と写真で、表現していた。
しかし2回目と3回目のギャルリーユマニテでの個展ではそれらがなかった。で、軽々と、それが言えるので、ありがたいぐらいだが、彼女はあの乱暴者のザンパノに該当する。もし私が褒めたからこそ、詩と写真を封印しているのだったら、『あら、ばかじゃないの』、と、言わせて貰いたい。
私は大体において、色彩感覚の優れている、と言うか、色彩感覚が、自分と合う人の作品にしかきょうみがない。従って、職業的美術評論家とはとても言えないので、誰からも、お礼のお金なんか、貰った事は無い。保坂さんが、秋山祐徳太子ではなくて、画廊のオーナーである、山口みつ子さんに質問をしてくれたら、みつこさんも、殺されずに、済んだのに、と思っている。